風の行方、空の彼方 01

 ……始まりは、小さな約束で。

「大事なもの……守るの? ぼくも?」

 引き継がれてきた『それ』を受け入れる事に、ためらいなんかは全然なくて。

「ぜったい……まけない!」

 雨の中で叫んだ言葉、そのためにも。

「……かーさん、オレ、行くよ。どうしても、知りたいし……約束、だから、
あの人との」

 卒業式の後に伝えた決意に、かーさんは、少しだけ寂しそうに、でも微笑ん
でくれた。

 あの人。
 とーさんの親友で、とーさんを殺した人。
 あれは約束とは言わないかもしれない。オレが一方的に言葉を投げつけただ
けだから。

 でも。
 あれはオレにとっては大きな『誓い』。
 それは、『護り手』として、街を護る事と同じくらい大切な事で。
 だから。

「ま、大会には間に合うように帰ってくるつもりだからさっ!」

 見送りに来てくれたがっこの仲間や、友だち。修行仲間や姐御に、笑ってこ
う告げて。

「……行って来ます!」

 オレは、護るべき場所から、外へと旅立った。


 ……それが……何年前のこと……だっけ?


「……おーい、メイ? メーイーちゃーん?」
 ぼんやりと、ぼんやりと物思いに耽っていたメイは、その呼びかけにはっと
我に返った。否、返らされたと言うべきか。声の方を振り返れば、金髪の飄々
とした雰囲気の男がこちらを見つめている。メイは一つ、息を吐くと拳をぐ、
と握り締め。
「スコット……お前な……」
「お? ちゃんとタマシイ入ってる?」
「……入ってるに決まってんだろ! つうか! その呼び方はヤメろっつって
んだろうがあああっ!」

 晴れ渡った空の下、響くは鈍い殴打音。

「……ったく、おま、いい加減カワイイおちゃめを解そうっつー気にはならん
の?」
「どこが『カワイイおちゃめ』なんだよっ!」
 思いっきり殴られた頭を摩りつつ、恨みがましくこちらを睨むスコットに、
メイは怒鳴るようにこう返す。
「あーあー、髪が乱れちまったじゃんよ……どこがって、全部」
それに、スコットは見事な金髪をなでつけながら、しれっとこう答えた。

 ぶつり。
 どこかで何かが切れた音がする。

「……一回あの世逝って来い、てめぇはぁぁぁぁっ!」
「ぐぇっ!? ぼ、暴力反対ーーーっ!」
「もんどーむよぉっ!」

 ……そして、世界は事も無げ。

「あー、痛いいたい」
「痛いって事は、生きてるって事だろ」
 頭を押さえてぶちぶちと言うスコットの文句を、メイはさらりと受け流した。
「おま、それ、問題違うから。ていうかだな、荒事は専門外のか弱い美青年に
する仕打じゃねぇぞ、アレは!」
 そんなメイにスコットは真面目な面持ちで訴えるが、
「……どこに、『か弱い美青年』なんて稀少なモノがいるってー?」
 メイはまた、さらりとそれを受け流す。
「ひどっ! メイちゃんひど……あいてっ!」
「しつこいんだよ、お前はっ!」
 受け流しへの大袈裟なリアクションは、ごつ、と言う鈍い音が遮った。
「ってて……っとに、逐一ムキにならんでもいーだろーに」
「うるせーな。冗談で済ませられねぇ事っつーのもあるんだよ」
 ぶつぶつと文句を言うスコットにメイは真顔でこう返し、スコットはいはい、
と疲れたように息を吐いた。

 故郷の街を飛び出して、約三年。
 メイはひょんな事から知り合った旅の賭博師スコットと共に、各地を放浪し
ていた。
 未だ、求める者―父クライドの親友にして、その仇でもある剣聖に追い付け
るとは思えず、その影を追う事すら躊躇われるものの。
 旅の中でも欠かさぬ鍛練は華奢で頼りなかった少年に、いくばくかの精悍さ
を与えていた。
 ……まあ、それだけに、スコットの『メイちゃん』よばわりが癪に触るとも
いうのだが。
「……ところでさー」
 森の中の獣道を歩く道すがら、スコットが唐突に気のない声を上げた。
「なんだよ?」
「さっきからこっちじろじろ見てるヤツらって、お前の知り合い?」
 スコットの問いに、メイは淡い碧の瞳を僅か、細めた。
「オレがそれ、聞こうと思ってたんだけど。まぁたイカサマ失敗して、睨まれ
でもしたのかお前?」
「イカサマとは失敬な! オレはあるべき所にあるべきものを、正しく循環さ
せているだけですよ?」
 皮肉混じりの問いにスコットは大真面目にこう返してきた。それに、へー、
と気のない返事を返しつつ、メイは何気ない風を装って周囲を見回した。
(……結構な数がいる……盗賊の類か?)
 そんな事を考えつつ、静かに呼吸を整える。碧い瞳に僅か険しいものが宿っ
た直後に、周囲の茂みが不自然に揺れた。
 森の中、ふわり閃く、カーキ色。
 背負われた大剣の柄に手がかかり、それとほぼ同時に、人相風体のあからさ
まによろしくない男たちが左右の茂みから現れ、二人を取り囲んだ。
「おー、出たでた。
 んで、第一声は『命がおしけりゃ、有り金全部おいてきな』かな?」
 飄々とした余裕の体を崩す事なく、スコットがこんな問いを投げ掛ける。図
星だったのか、リーダー格とおぼしき巨漢が何やらぐ、と詰まるような素振り
を見せた。
「うぉっと、言い当ててる? ていうか、イマドキこんな脅し文句で通じると
思っちゃうって、カッコいいなあ……」
「つーか、何に感心してんだよ?」
 巨漢の様子に大げさなリアクションをして見せるスコットに、メイは溜め息
混じりにこんな突っ込みを入れた。一見隙だらけだが、その実、周囲にはぴん
……と張り詰めたものが漂っている。
「何にって、そりゃあ……」
 軽い言葉を遮るように。
 ……ビュッ、と。唸るような音を伴って、風が切れた。それにほんの僅か遅
れ、金属音が響き渡る。
「……ここでブチ切れちゃう、単純さ?」
 音が木立ちの合間に吸い込まれてから一呼吸分の間を開けて、スコットは途
切れた言葉を完成させる。その答えに、メイは剣を握り直しつつやや大げさな
溜め息をついた。
 風を切ったのは、瞬間の判断で引き抜かれた銀の大剣。
 金属音は、巨漢の振り下ろした斧がそれに弾かれた音。
 スコットの挑発にあっさりと冷静さを放棄した巨漢が手にした斧を振り下ろ
し、その一撃を素早く間に割り込んだメイが大剣で弾いたのだ。
「ま、賞賛に値する単純さかもな……っつか、殺気くらい隠せよなぁ」
「いやそれ、難しいから。一般人には」
「ま、そりゃそうかもだけど……」
 スコットの突っ込みに、メイは妙に納得しかけるものの。
「……それって……オレが一般人じゃねーって意味か?」
 ふと含みのような物を感じて問いを投げかけていた。スコットはさぁ? と
軽く言いつつへらりと笑って見せる。
「…………」
 その反応に、メイはじとん、とスコットを睨み、直後により鋭い瞳を前へと
向けた。
「……せいっ!」
 森の中、走る気合は裂帛の響き。
 ふわり、と翻るマントと僅かな日差しを跳ね返す銀煌が森の緑の中に映え、
直後に真紅が鮮やかに翻った。
 呻くような声が上がり、男の一人が後ろによろめく。
 それが、均衡を崩す合図。
 森の中に雄叫びが上がり、乱戦が始まった。
 数の上では、圧倒的に男たちの方が勝っているし、人手的にも……。
「うわっと、あっぶね! ぼーりょくはんたーいっ!」
 乱戦の中スコットは軽い口調でこう言いつつ、相手の武器を避けるだけ。ま
ともに戦っているのはメイ一人という状況なのだから、通常は不利。
なのだろうが。

「騒いでないで、お前もなんかやれよなっ!」
「だから、オレは荒事は専門外のか弱い美青年って言ってるだろーがっ!」
「だーから、どこに『か弱い美青年』なんてモノがいるんだよっ!」

 方や攻撃を繰り出しつつ、方や攻撃をひたすら避けつつ、こんな会話をする
余裕すら、二人にはある。
 もし、戦いに慣れた者が二人の動きを注意深く観察したなら、ある事に気づ
くだろう。
 即ち、メイとスコットの相手との距離の取り方と、動きの意味に。
 メイは自分の死角である背後をスコットに預け。
 スコットも自分の背後をメイに預けつつ、そちらを狙う相手を挑発し、自分
に引き付けるように動いているのだ。

 言葉の上では、お世辞にも仲がよいとは言い難い二人だが、しかし。
 そこには、言葉にならない──いや、わざわざ言葉として表す必要もない、
強い信頼関係が伺えた。
 そんな、一見するととてもそうは見えないがその実確りとした連携の前に、
力押し主体の物盗りたちが勝てる道理もなく──結果。

「って、訳でー。あとは、あんただけだな?」

 ものの十分もしない内に。
 森の中には呻き声を上げて倒れる男たちの集団と、平然とした様子で剣を構
えるメイ、髪が乱れたのなんのと文句を言うスコット、そして、斧を手にして
立ち尽くすリーダー格の巨漢の姿があった。
 誰の目にも明らかな、形勢逆転。いや、そも最初から勝負は決まっていたよ
うなものなのだが。
 そして、今、最も強くそれを感じているであろう巨漢は、メイの言葉にうぐ
ぐ、と低い呻き声をもらしつつ、じりり、と後ずさっていた。
 これ以上やりあっても益はない。
 ここは逃げるが勝ちである、と。
 それとわかってはいるのだろうが、しかし、向けられる鋭い眼光がそれを容
易に選ばせない──そんなところだろうか。
「ま、アレだね。大人しく降参した方がいいよお? 少なくとも、イタイ思い
はしなくてすむだろうし?」
 表情を引きつらせる巨漢に、スコットがさらりとこんな言葉を投げかける。
「ここで大人しく降参して、近くの街の役所まで付き合うってんなら、縛り上
げるだけですむけどなー」
 続けて、メイもさらりとこんな事を言った。口調こそ軽いが、その身にまと
ったままの闘気は選択の余地がない事を物語っている。本能的にそれを察した
のか、巨漢はまたうぐ、と唸ってじりっと後ずさった。
「……」
 メイの碧い瞳がわずか、細められる。
 一見無造作に構えられていただけの剣がわずか、動いた。
 逃げるのならば動きを止めなくては、と。そう思った、その時──

 不意に、がさり、と近くの茂みが鳴った。
 その音と共に、小柄な人影が木立の間から飛び出してくる。

「……な、なんだっ!?」
 突然の事にメイはそちらを振り返りつつ上擦った声を上げ、視線が外れた途
端、巨漢はくるりと背を向けて逃げにかかる。
「メイ、向こう、逃げるぞ!」
 スコットが声を上げ、メイは舌打ちをしつつ巨漢に向き直ろうとするが。

「父様の仇の子、覚悟なさいっ!」

 飛び出してきた者の上げた叫びに、動きを止めた。



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