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   三 対決・二人の守護龍王 その三

 明けて翌日、月曜日。
「……は〜っ……」
 教室の中の空気が、重い。いつもならわいわい騒いでいる二人が、どんより
とした空気を背負って沈黙しているせいだ。昨日、『レイ』の破壊活動を目の
当たりにしてしまった事と、それに対する各メディアからのバッシングは大樹
に相当なショックを与えたようだった。
 烈気は烈気で、強い苛立ちを感じていた。偽者という手段を取られた事、そ
してそれだけの事で掌を返したように文句を言い始める周囲が言いようもなく
腹立たしかった。
「……バッカじゃねーの、大沢のヤツ」
 不意に、教室の一角からこんな声が上がった。クラスメートの木崎広人だ。
「落ち込んだって仕方ねえだろ、こんな事でよ」
 ……いらっ。
「大体さ、あれだよな。今までだって、レイってけっこーメイワクだったし」
 ……いららっ。
 遠慮ないと言うか、無神経な言葉に烈気の苛立ちと大樹の落ち込みのレベル
が上がって行く。他のクラスメートは二人の様子に気づいたものの、一人で喋
っている広人は気づいた様子もなく、更に言葉を続けた。
「案外さ、あれが本性だったりして? 今までがネコ被りでさ」
「……っ!!」
 冗談半分に言ったのであろうその一言は、文字通り逆鱗を直撃していた。烈
気は握り締めた両手で机を殴りつけつつ立ち上がり、突然の音に驚いて振り返
った広人に詰めよってその胸倉をつかんでいた。
「な、なんだよ、月神っ!?」
「木崎……てめ、今、何言いやがった……?」
「な、何って……」
 低い声と鋭い視線。いつものお気楽さとはかけ離れた烈気の様子に気圧され
たのか、広人の声は上擦っていた。
「あれが本性? 今までがネコ被りだ? ふざけんじゃねえよっ! どいつも
こいつも、そろって掌返しやがって!!」
 昨夜から今朝までに積もり積もった苛立ち。広人の言葉は、それに最も危険
にもの――『怒り』を着火させていた。散々持ち上げた挙げ句、一度の異変で
叩き落す。それはそれで世の中の通例、『良くある事』なのかも知れない。
 だが。
 烈気は烈気なりに真剣に、真面目にやっていた。やっているつもりだったの
だ。『正義の味方』として、役に立っているつもりでいた。周りも自分を――
と言うか、守護龍王レイという存在を理解してくれているのだと思っていた。
 しかし、今度の事で世論には理解らしきものはなく、結局は意外性、話題性、
そして良くわからないモノへの興味だけで注目されていた事に気がついた。気
づかされた、と言ってもいいだろう。最悪の形で、だが。
「……いい加減にしなさいよ、バカ烈気」
 気まずいものをはらんだ空気をため息混じりの一言が取り払った。朱美だ。
「っんだよ! お前には、カンケーねーだろっ!?」
「カンケーあるない、はそれこそ関係ないわよ! あんた、バカじゃない? 
あんたが今、ここで騒いだって、何にもならないじゃないの!」
 苛立ちを込めた叫びに、朱美は正論で打ち返してきた。
「何にもなんないって、何だよっ!?」
「あんたが今ここで木崎殴り倒したって、レイの汚名が返上できる訳でもない
でしょ!? むしろ、『挽回』になるんじゃないの?」
 良くある言い回しのミスを使った突っ込みに、烈気は言葉をなくす。しばし
の沈黙を経て、烈気は突き放すように広人を放して席に戻った。
「木崎、あんたも悪い」
 烈気が席に戻ると、朱美はぶつぶつと文句を言いつつ襟元を直す広人に淡々
とこう言った。
「え? 何でオレが?」
「あんたのさっきの発言、最っ低。烈気が怒るの当然よ。見なさいよ、大沢な
んかあれでトドメさされてるから」
 言われてみれば、大樹は完全に落ち込んでしまったらしくその周囲には陰気
なオーラすら漂っていた。そして、広人に向けられる周囲の目は……冷たい。
「いや、でもさ、別にさっきのはオレだけが言ったワケじゃねーし。一般論で
出てんぜ?」
「木崎、木崎、そろそろ止めないとドロヌマ」
 それでもなお、反論を試みる広人に雅美が淡々と突っ込む。それに対する更
なる反論は、
「……席つけ、授業、始めるぞ」
 いつになく暗い戸倉の声に遮られた。
「……ヒーローマニアが壊滅的ダメージ受けてる……」
 その姿に、洋平がぽつりとこう呟いた。

 苛立ちと悔しさがぐるぐると回り、ちょっとした言葉に過敏に反応する。月
曜から金曜までの烈気は、ずっとそんな感じだった。
 週末、そんな最悪極まりない日々から解放されたものの気は晴れず、烈気は
土曜日は一日中家に閉じこもっていた。翌日の日曜日もやはり気は沈んだまま
で、烈気は朝食をすませるとすぐに部屋にこもっていた。
 ……きゅうん……
 ベッドの上に転がったまま動こうとしない烈気を、バクリューが心配そうに
覗き込む。烈気は無言で小さな頭を撫でてやった。
「なー、バクリュー」
 きゅん?
「オレってさ……バカ、かな?」
 きゅ?
「一人で舞い上がって、一人で盛り上がって、さ……なんか、すっげーバカみ
てーだよな……」
 きゅうん……
 かすれた呟きにバクリューは首を横に振り、それから烈気の頬に顔を摺り寄
せる。精一杯慰めようとしているとわかるその様子に、烈気は多少、気が安ら
ぐのを感じていた。
「烈気、起きているかい?」
 口元を綻ばせているとドアがノックされ、父の声が聞こえた。バクリューが
素早くベッドの下に飛び込む。烈気は身体を起こしつつ、起きてるよ、とそれ
に答えた。
「どしたの?」
「今、雅也くんが来てね。瑞穂くんから、これを預かってきたそうだよ」
 部屋に入ってきた弘毅は問いに答えつつ、小さな箱を差し出した。
「瑞穂ねーちゃんから?」
 きょとん、としつつ受け取ったそれには見覚えがある。先週の土曜日に開か
ずの倉で見つけた『当たり』の箱だ。
「んで、雅也にーちゃんは?」
「もう、帰ったよ。待ち合わせがある、と言ってね。瑞穂くんも、今日は忙し
いからと雅也くんに頼んだらしい」
「そっか……」
 何となくほっとしつつ、烈気は小さくため息をついた。今、瑞穂に会ったな
ら苦言を呈されるのは間違いなく、そして、その苦言に耐える自信は今の烈気
にはない。それ故の安堵だった。
「烈気」
 箱を持ったまま俯いていると、弘毅が穏やかな声で呼びかけてきた。
「道に迷った時は、どうすればいいか、知ってるかい?」
「……道?」
 唐突な言葉に、烈気はきょとん、としつつ父を見る。
「そう、道」
「わかんないよ……ていうか、何でいきなり?」
 戸惑いながら投げかけた問いを、弘毅は何でかな? と笑ってはぐらかした。
「まあ、何でかはともかく……父さんは、立ち止まって振り返るのもいいと思
うんだ」
「立ち止まって、振り返る?」
「そう。そして、考える。この道で、本当に良かったのかどうか。この道を進
む事は、自分に取ってどういう事なのか」
「考えて……答え、出なかったら?」
 恐る恐る問いかけると、弘毅はそうだねぇ、と言って首を傾げて見せた。
「時間があるなら、『どうしてその道を進んで来たのか』を考える。でも、そ
んな時間もないのなら……」
「時間、なかったら?」
「選び取った瞬間の自分を信じて、目の前の道を進むかな?」
「……っ!」
 穏やかな言葉は、妙にずきんと心に響いた。
「選び取った瞬間の、自分……」
 小さな声で反芻すると、弘毅はそう、と頷いた。烈気は半ば無意識の内に左
腕に巻いた組紐をぎゅっとつかむ。そんな烈気の頭の上に、弘毅はぽん、と手
を置いた。
「烈気」
「……」
「父さんも母さんも、烈気を信じているよ」
「……え?」
 唐突な言葉にはっと顔を上げると、父はやさしく微笑んでいた。ちゃんと、
わかっているから――その笑顔からは、そんな思いも読み取れる。
(も……もしかして?)
 実はとっくにバレていたのかと、そんな疑問が頭を掠めた。だが、その疑問
を投げかけるのはさすがにできない。この疑問が自分の勘違いであれば、正体
を自分から明かす事になるからだ。もっとも、勘違いでなければそれはそれで
問題なのだが。
 どうしたものかと悩みつつ困惑した視線を投げかけていると、父はにこりと
微笑んで頭を撫でてくれた。あんまり塞ぎ込むんじゃないよ、と笑顔で言って
部屋を出ていく父を呆然と見送ると、烈気はベッドの下から出てきたバクリュ
ーと顔を見合わせる。
「なあ……どう思う、バクリュー?」
 きゅううん……
 戸惑いを込めた問いに、バクリューもまた困惑した声で返した。どうにも判
断がつき難い問題にため息をついた時、携帯が着信を告げた。発信者表示は、
『大樹ケータイ』だ。
「なんだ? 大樹のヤツ、どーしたんだ?」
 確か、自分同様塞ぎ込んでいたはずなのに……と思いつつ受信するなり、
『烈気、テレビ見たかああああああっ!!』
 大樹の絶叫が飛び込んできた。
「先週と同じパターンやってんじゃねーよ! ……テレビ?」
 突っ込みを入れつつテレビをつけてみる。状況的に見て、大樹がここまで取
り乱す理由は一つしか思い当たらないのだが。
「……っ!!」
 その『唯一の理由』は的中していた。駅から少し下った所にある交差点の中
央に、龍を模した鎧をまとった者が佇んでいる姿が画面に映し出される。偽者
が再び現れて、破壊活動を始めたのだ。冷笑を浮かべて衝撃波を放つ『レイ』
の姿に烈気は苛立たしげに歯噛みし、その直後に画面の隅を掠めた姿に息を飲
んだ。
「……今のっ!」
 周囲の状況を映すために動かされたらしいカメラ。それが一瞬映した歩道橋
の上に、取り残されたらしい人影が見えたのだ。その姿に見覚えがある、と思
った矢先に歩道橋の様子がはっきりと映し出された。中継している方も、その
存在に気づいたのだろう。
「……朱美!?」
 と、雅美と春奈もいるのだが。どうやらいつものように三人で出かけ、歩道
橋を渡っている所で騒ぎに出くわしたらしい。三人のいる歩道橋は不安定に揺
れており、このまま破壊が続けば崩落するのは明らかだった。
 ぶつん、という音入りで、烈気の中の何かが切れる。一般に、『堪忍袋の緒』
と呼ばれているものだ。
『烈気、オレ、駅前通り行く! んじゃ!』
 またもその存在を忘れていた携帯の向こうで大樹が上擦った声を上げ、一方
的に電話を切った。こんな状況でなければ何慌ててんだよ、の突っ込みも入れ
られたが、今の烈気にそんな余裕はない。画面に映る『レイ』を鋭く睨みつけ
た烈気はテレビを消し、携帯を畳んでポケットに入れた。
「行くぜ、バクリュー」
 低い声にバクリューはきゅん、と頷き、それから桐の小箱の上にちょこん、
と飛び乗った。どうやら中身を持っていけ、という事らしい。箱を手に取り蓋
を開けてみると、中には水晶とおぼしき大小五つの珠を鮮やかな紫色の紐でつ
ないだ物が入っていた。
「なんだコレ……ケータイのストラップ?」
 勿論、そんな訳はない。だが、その形状を最も端的に現せるのはストラップ
という表現なのは間違いなかった。烈気は輪になっている紐を指に引っかける
ようにして、箱の中からそれを取り出す。
「すっげー……これって、水晶?」
 美しく透き通った一番大きな珠に思わず感嘆の声を上げた時、
――光破珠――
 何の前触れもなく頭の中に言葉が浮かんだ。
「こうは……じゅ?」
 おうむ返しに呟くと、それがこの珠の名前である事が感じられた。どうやら
龍王縁の品に間違いないらしく、珠から感じる力の感触は心地よかった。
「……」
 ぐっと握り締め、その力の感触を確かめてから、光破珠をポケットに入れる。
バクリューがぴょん、と飛んで胸ポケットに収まると、烈気は慌ただしく部屋
を飛び出した。階段を駆け降り、リビングの両親に出かけてくる、と声をかけ
ると、その返事も待たずに靴を履いて外に飛び出す。幸いにと言うか周囲に人
目はなく、烈気は迷わず緊急移動手段を選んでいた。
「風精転移っ!」
 組紐から青い光がこぼれ、風がふわりと渦を巻く。渦を巻いた風は烈気を包
み、他の場所へと一瞬で運んでいた。騒ぎの中心となっている交差点に近いビ
ルの屋上にある貯水タンクの裏に現れた烈気は周囲を見回し、人影がない事を
確かめてから組紐を解いて月神刀を手にした。
「……」
 きゅん?
 刀を手にしたまま動かない烈気に、ポケットから出てきたバクリューが訝る
ような声を上げた。
 迷いがないとは言えない。
 世論の冷たさや儚さに接した今、こうして戦う事にどれだけの意義があるの
か、つい思い悩んでしまう。
 守護龍王は、護り手である、と龍神神社には伝わっていた。
 だが、その護りの力を自分は正しく使っているのか。
 戸惑いは悩みを呼び、悩みは迷いを呼び寄せる。烈気は唇を噛みつつ手にし
た刀を見つめ、
 ……どごおんっ!
 という破壊音にはっと我に返った。交差点の方を振り返ると、無惨に断ち割
られたアスファルトと、その破壊の衝撃でふらつく歩道橋が目に入る。歩道橋
の上の朱美たちはお互いにすがるようにして身体を支えていた。
「……ちっ」
 迷う自分に、苛立ちが募る。危険に晒されている朱美たちを救うのは、容易
な事ではない。現状でそれが可能なのは、
「オレしかいねーじゃんか! しっかりしろ、月神烈気!!」
 自分しかいない。なら、行動しなくてはならない。『正義の味方』だから、
という以前に、それが男というものだと、そう思うからだ。
「龍王現臨……聖鎧招来……」
 低く唱えつつ、月神刀を握る手に力を込める。
「……臥龍、覚醒――――っ!!」
 迷いを振りきるように引き抜かれた月神刀が光を放つ。ビルの屋上に、色鮮
やかな光が乱舞した。
「……現れたか」
 交差点の中央に佇む『レイ』が、その光に気づいて低く呟く。
「……行くぜ、バクリュー」
 龍鎧をまとった烈気は静かにこう言うと、それまで身を隠していた貯水タン
クの上に飛び乗り、月神刀を天高くかざした。銀の刃と、いつの間にか柄に巻
きついていた光破珠が光を弾く。
「……守護龍王レイ、推参!」
 二週間ぶりの見栄きりが、高らかに響き渡った。

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