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   4 盾 ――身体を張って護りましょう?

 『魔玉』を鎮める。
 現状を打破するための手段を得たゲイルの行動は、早かった。
 肝心の『魔玉』は『最果ての島』と呼ばれる地の、『封魔の聖殿』に納めら
れている。
「場所はわかっているんだ、さっさと行って、片付けるぞ」
 この一言に逆らう余地はなく――もっとも、シフォンには逆らいようがない
のだが――一行は『最果ての島』へ行くための唯一の手段である『異界門』を
使うために、門の納められているエスファート大神殿へと向かった。
 エスファート大神殿は、世界創世の神である至高神ランデュアイズ信仰の中
心となる場所であり、聖都とも呼ばれる神殿都市エンデュリオンの象徴とも言
える場所――なのだが。
「……何故、その神殿の中庭にこんなモンがいるんだ?」
 呆れ果てたようなゲイルの呟きを、グォオオオオオオっ!という鋭い咆哮が
かき消す。
「ゲ、ゲイルさんっ、そんな落ち着いている場合じゃっ!!」
 そんなゲイルとは全く対称的なのが、シフォンだった。シフォンは露骨に焦
った様子で、目の前で咆哮するもの――蒼い炎のような物をまとった骨の竜と
ゲイルとを見比べている。まあ、ある意味ではこちらが普通の反応だろう。
「スカルドラゴン……ですねぇ」
 その傍らでは、赤毛にオレンジの瞳の少女がこんな呟きをもらしていた。姿
形は全く違うものの、その甲高い声はリュケーナの物だ。リュケーナはスィー
ムルグと呼ばれる霊鳥の一族であり、身体の大きさを変えたり、こうして人の
姿になったりする事が可能なのだと言う。
「って、リュケーナさんもぉ〜」
 街のど真ん中、それも聖域とも言うべき場所に異形の怪物がいるというのに、
ゲイルもリュケーナも取り乱した様子はない。駆けつけた神殿の者たちやシフ
ォンが慌てふためく中、二人の落ち着き払った様子は異様なものすら感じられ
た。
「情けない声を上げるな、馬鹿者」
 そんなシフォンに、ゲイルは冷たくこう言い放ちつつ、すっと右手を上へか
ざした。小さな掌の上に、虹さながらの光が集る。集ったそれをゲイルは天へ
と投げ上げ、それは神殿の建物と中庭の間に広がる光の壁となった。
「これで、神殿の建て屋に被害はなくなった……と、いうところで、だ」
 こういうとゲイルはシフォンの後ろにつつ、と回り込んだ。
「え?」
 突然の事にシフォンはきょとん、とする。
「行け」
 シフォンの戸惑いなど委細構わず、ゲイルはその背に不意打ちの蹴りを入れ
て中庭へと放り出した。
「え?」
「わ、わわわっ!?」
 リュケーナがとぼけた声を上げるのと同時に、シフォンが情けない声を出す。
そして、目の前に飛び出してきたシフォンを、骨の竜――スカルドラゴンの、
眼窩の奥の炎が見据えた。
「……やはりか」
 シフォンに対する素早い反応に、ゲイルは低く、こんな呟きをもらす。
「……何がですかぁ?」
「お前は黙れ、トリ」
 その呟きを聞きつけたリュケーナがきょとん、と問うのに、ゲイルは素っ気
なくこう言うだけだった。トリ、という物言いにリュケーナはむう、とむくれ
て見せる。
「わ、わわわ、わわわわわっ!?」
 その一方で、スカルドラゴンに睨まれたシフォンは声を上擦らせつつ後ろに
下がり、
「……え?」
 いつの間にか庭を取り巻いていた光の壁に後退を阻まれていた。
「な……なんでっ!? え、え??」
「何をしている、敵がくるぞ」
 困惑するシフォンに、ゲイルが冷たく言い放った。
「って、そんな事言われても〜!!」
「言われてもなんだ、大体、貴様は剣士だろうが」
「え、そ、それはまあ、そうですけどっ!!」
「剣士や戦士というのは、身体を張って他者を護る、いわば生きた盾だろうが。
だから、前線に立て」
 間違っているようないないような、いずれにしろ強引な理屈なのだが、そこ
を突っ込める者はいないらしい。いや、ゲイルに突っ込みを入れられる者、そ
れ自体ここには存在していないだろうが。
 グワォォォォォォォゥっ!!
 スカルドラゴンが咆哮する。爛々と輝く蒼い炎は、ただシフォンだけを見据
えていた。
「……な、何なんだよ、一体〜!!」
「ごちゃごちゃ言う間に、剣を抜け! 来るぞ!!」
 絶叫するシフォンにゲイルが怒鳴り、直後に、スカルドラゴンが前足を横に
払ってきた。


   5  剣 ――それは定めを示す物

「……っ!!」
 ためらっている余裕はなかった。シフォンは横っ飛びに前足の一撃を避け、
着地と共に剣を抜く。漆黒の柄と白銀の刀身が対称的な美しさを織り成す大剣
は、シフォンが構えるのと同時に自ら光を放った。
「……トリ」
「リュケーナですぅ……」
「固有名詞などどうでもいい……アレはどうした?」
 細々と訴えるのを一言で切り捨てつつ、ゲイルは低くリュケーナに問う。こ
の問いに、リュケーナは傍目にもはっきりそれとわかるほど大きく身体を震わ
せた。
「え、え〜と……」
「ヤキトリになりたいのならともかく、そうでないなら、誤魔化すな」
 この一言はリュケーナの目論見を、一撃で打ち砕いたようだった。
「……マスターから、お預かりしていますぅ……」
 細々と、今にも消え入りそうな声でリュケーナは問いに答える。ゲイルはそ
うか、と呟くと、障壁の中の戦いを目で追った。それ以上の追求も突っ込みも
ない事に、リュケーナは逆に困惑したらしい。
「あの……ゲイル様?」
「なんだ?」
「えっと……いいんですか、出さなくても?」
「まだ、いらん。それより、預かっているからには、責任を持て。盗難になん
ぞあおうモノなら……」
 碧と紅の異眸で冷たくリュケーナを睨みつつ、ゲイルは意味ありげに言葉を
切った。リュケーナはびくうっと大きく身体を震わせつつ、こくこくこくこく
と頷く。それを、ならいい、の一言で受け流すと、ゲイルは障壁内のシフォン
へ目を向ける。
「……せいっ!」
 シフォンは剣を両手で構え、スカルドラゴンを相手に善戦している。空間的
な狭さから、スカルドラゴンはその動きの大半を封じられているのだが。
「……踏み込みが甘いな」
 対するシフォンも動きが悪いと言うかなんと言うか、全体的にキレがない。
(アレを手にしたという事は、それなりの技量ないし、素養があるはず……な
のに、何故こうも動きが鈍い?)
 シフォンの動きを見つつ、ゲイルがこんな思案を巡らせていると、
「何事です、これは!?」
 甲高い女の声が響いた。リュケーナがきょとん、と瞬き、ゲイルはちら、と
声の方を見て一つため息をつく。
(やかましい女が出てきた……)
 露骨に嫌そうに眉をひそめつつ、心の奥で毒づく。声の主――白い神官衣に
身を包んだ女性は、中庭で繰り広げられている戦いにぎょっとし、それから、
ゲイルに気づいて息を飲んだ。
「ゲ……ゲイル様? ゲイル様ですかっ!? 何故、そのようなお姿にっ!?」
「……」
 素っ頓狂な問いかけを、ゲイルは思いっきり無視していた。いや、正直そち
らにかかわっている余裕が、状況になくなりつつあるのだ。
「……きゃああ、シフォンさんっ!!」
 リュケーナが悲鳴じみた声を上げる。スカルドラゴンの横なぎの一撃をいな
し損ねたシフォンが跳ね飛ばされ、庭の木に叩きつけられたのだ。
 ウグゥルルルル……
 スカルドラゴンが唸りを上げる。木に叩きつけられたシフォンはぴくりとも
動かない。どうやら、当たり所がよ過ぎて気絶したようだ。
「ゲイル様、どうしましょうっ!! シフォンさんが、シフォンさんがっ!!」
「……落ち着け、バカトリ」
「っ……バカはヒドイですうっ!!」
「ではトリ、黙れ」
 リュケーナの抗議を一言で切り捨てつつ、ゲイルはじっとシフォンを見つめ
る。真剣な横顔にリュケーナは口を噤み、周囲の神官たちも思わず声を潜めた。
 グオオオオオオオ!!
 舞い降りた静寂を、スカルドラゴンの咆哮が切り裂いた。前足が振り上げら
れ、鋭い爪がシフォン目掛けて振り下ろされる。シフォンはまだ、動く気配は
ない。その状況にあっても、何故かゲイルは動こうとしなかった。
「ゲイル様っ!!」
 リュケーナが悲鳴じみた叫びを上げる。ゲイルの表情が微かに歪み――直後
に、ガキィィィィン!という金属音が響き渡った。
「え……?」
 リュケーナが呆けた声を上げる。集っていた神官たちも目を見張る中、ゲイ
ルだけは冷静なままだった。その瞳は、今、スカルドラゴンの腕を振り払った
銀の剣に向けられている。
「……シフォン、さん?」
「トリ、アレを出せ」
 呆然と呟くリュケーナに、ゲイルは素っ気なくこう言った。リュケーナはえ、
と言いつつゲイルを見、その表情に只ならぬものを感じたらしく、はい、と素
直に頷いた。
(……もし、オレの予想が正しければ……)
 何か、変化があるはず。声には出さずにこう呟くと、ゲイルはリュケーナの
方に手を伸ばす。
「マスター、ごめんなさいです〜」
 天を仰ぎつつやや情けない声でこう言うと、リュケーナは華奢な両手を空へ
とかざす。真珠色の光が弾け、その手の上に一振りの長剣が現れた。
 繊細な装飾の施された鞘に納まった、細身の長剣。現れたそれをリュケーナ
はゲイルに手渡す。剣を受け取ったゲイルは、
「……わっ!?」
 唐突にバランスを崩してよろめいた。
「ゲ、ゲイル様?」
「……」
 戸惑うリュケーナに、ゲイルは何も言わない。さすがに、剣が長くてバラン
スが取れない──という事実は、容認したくないのだろう。
「……ええい、不便極まりないっ!」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、ゲイルは早口に呪文らしき言葉を紡ぐ。真珠色
の光が再び弾け、長剣は今のゲイルでも扱い易そうな短剣サイズまで縮まった。
「さて、問題は……」
 剣を片手に、ゲイルは改めて結界の中を見る。
 ゲイルが剣を用意している間にシフォンは立ち上がり、剣を下段に構えてい
た。白銀の刀身は淡い紫の光をまとい、その光は何か、尋常ならざる力のよう
なものを強く感じさせた。

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