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   1 全ての始まり ――それが禁断と知りながら

 それが何を意味するのかはわかっていた。
 それが何を自分にもたらすのかもわかっていた。
 それでも――。

「……ゲイルっ!!」

 それでも、立ち止まる事は、できなかった。

「フレア・ブレイク!」

 火炎の呪文を解き放ち、目の前に群れをなす番人たちを焼き払う。

「止めてください、ゲイル様っ……そんな事、そんな事したって……!」

 追いすがってくる虹色の羽根の巨鳥の訴えを聞き流して、走る。

「何も変わらないんですよっ……何も……」
「何も変わらない、などという事はない!」

 碧の右目と紅の左目。左右全く異なる色彩の瞳で、訴える鳥を睨みつける。
鳥は悲しげな様子で、美しくも異様な瞳を見つめ返した。

「ゲイル様……」
「例え、ラフィオンを敵に回す事になっても……私は、この選択を信じる」
「どうしてっ……」
「……魔眼と聖痕を併せ持つ者の……至高神の気まぐれの産物の因果。それに
抗うためだ。引け、リュケーナ。でなければ……」

 言葉と共に、差し延べた掌に魔力の塊が舞い降りる。静かな気迫に鳥は気圧
されるように後退し、彼は再び走り出す。
 この場所の――世界の中央にある、『刻の神殿』の奥。
 そこにあるという、『無限の時計』を求めて。

「……邪魔をするな!」

 立ちはだかる守護者たちを、時に魔法で吹き飛ばし、時に手にした剣で切り
払いつつ、ひたすらに前へ。
 やがて、目指す扉が目に入ると彼は一度立ち止まり、手にした剣に力を込め
た。

「……はあああああっ!」

 気合と共に振るわれた剣から、美しい光が放たれた。光は軌跡となり、扉を
斜めに切り払う。ごとん……という音と共に扉は崩れ落ち、その先に、目指す
物が見えた。
 『無限の時計』。
 世界の均衡を保つとされるもの。
 祭壇の上で静かに時を刻むそれへ向けて、彼はゆっくりと歩みを進めて行く。

「あなたは……本当に、それが正しいと思っているの!?」

 不意に、空間に声が響いた。

「お前は、今が正しいと思っているのか!?」

 それに、彼は立ち止まる事なくこう返す。

「でも、これがこの世界の在り方なのよ!?」
「……この、歪んだ世界がか!? これが、正しい在り方なのか!?」
「ゲイルっ……」
「わかっているはずだ……ラフィオン!」

 そして、彼は祭壇へと到る。『無限の時計』は、静かなままで時を刻んでい
た。
その冷たい文字盤へ向け、彼はゆっくりと手を伸ばし……。

「……ゲイルっ!! 止めて!!」

 絶叫にためらう事なく、手を触れた。

「……っ!!」

 雷鳴にも似た音が、祭壇の間に響き渡る。直後に、蒼い光がその身体を包み
込んだ。

「……っ!? ラフィオン!」

 苛立たしげな叫びに応えるように、銀色の髪の女性が時計の向こう側に舞い
降りた。

「……わたしは、『時計の番人』。その名において……あなたを、罰しなくて
はならない……」
「ラフィオン……」
「ゲイル・クラスター……あなたの力を、封印します!」
「何故、そうまでしてっ……」
「逆らえるものではないでしょうっ!?」

 美しく澄んだ、紫の瞳が、濡れている。
 それが、彼が最後に目にしたものだった。
 全身を痺れが駆け抜け――意識が、闇に閉ざされる。

――今のままでは、どうする事もできないのよ……ゲイル――

 囁くような声が、意識に響いた。

――でも……もしも、あなたが本当に……それをなそうと言うなら……――
――あなたに……道を示します……――
――……ごめんなさい……わたしには、こうしかできないの……――

 それが、与えられた『意義』だから。
 ……それは……わかっているつもりだった……。
 …………だけど…………。

(何故、そうまでして、その『運命』に従える? ただ、殉じるつもりか……
ラフィオン!)

 問いに答えは無く、やがて、彼の意識は闇へと落ちた。


   2 なぜ? ――わからないけど、とにかく出会った

「……はあ……」
 その時、彼は道を歩いていた。
 宛のない探し物の旅は行き詰まり気味で、正直、途方に暮れていた。
「……これから、どうしようかなあ……」
 ため息しか出ない。
 とにかく、右も左も――いや、前後左右は認識できるが、とにかく、それす
らわからないと言いたくなるくらい、何もわからない状態なのだ。平たく言う
なら、記憶喪失。わかっているのは、自分の名前と、自分が探している人物の
名前だけだった。
 数日前に立ち寄った村で、探している人物が今歩いている道を猛然と駆け抜
けて行った、という話を聞いたのが一週間前。だが、未だにそれらしき者とは
遭遇していない。いや、それ以前に、この一週間の間は何者にも、それこそ人
にも怪物にも小動物にすら遭遇してはいなかった。
 ……まあ、怪物に会わずにすむなら、それはそれで好都合なのだが。
「……ああ……重いなあ、コレ」
 呟いて、背中に背負った物をちらりと見る。それは立派な造りの大剣で、見
るからに華奢な彼には、お世辞にも似つかわしい物とは思えなかった。
「はあ……」
 何となく、ため息をついたその時。
 それは、空から降って来た。
「……え?」
 ひゅるるるるる……という古典的な音と、突然頭上に射した影に戸惑って顔
を上げた彼は、視界に飛び込んできたものにぎょっとした。
「え? え、え、え? ひ、人おっ!?」
 それが何か、認識した時には既に遅く――。

 黒い視界に、お星様が乱れ飛んだ。

「ったた……」
「こら、貴様! そこにいたなら、ちゃんと受け止めろ!!」
 激突の衝撃にふらついていると、甲高い声が文句をつけてきた。彼は、え? 
と言いつつ声の主、つまり今降って来た人間を見やり。
「……ええ?」
 言葉を無くした。
 金髪に、碧の右目と、紅の左目。
 それは、探していた者の特徴と、すんなり一致する。
 ……するのだが。
「……こ……子供?」
 とぼけた呟きが口からもれる。
 道の真ん中に、偉そうな様子で座っているのは、まだ幼い少年だった。歳は
大体、八歳前後だろうか。しかし、何と言うか……見た目通りの年齢とは、思
えない。何とも偉そうな態度と気配の鋭さ、それがただならぬものを感じさせ
るのだ。
「あ……あの……えっと……?」
「なんだ、何か用か?」
「……つかぬ事をお聞きいたしますが、あなたのお名前はなんとおっしゃいま
すか?」
 なんでこんなに卑屈な聞き方をしているんだろう、と自分に問いつつ、彼は
こう問いかける。この問いに、少年ははあ? と言いつつ首を傾げた。
「貴様、人に名を聞く前にやるべき事を知らんのか?」
「え? あ……すいません。ぼくはシフォン……ルシフォン・ヴェゼーナと言
います」
 呆れ果てたと言わんばかりの問いに、彼――シフォンはこう答えて頭を下げ
る。
「シフォン? 食い物みたいな名前だな」
「……ほっといて下さい」
「そうか、じゃあほっとく」
 すぱりと言われて、シフォンは二の句が継げなくなっていた。それでも、気
を取り直してあなたのお名前は? と問いかける。
「……ゲイルだ。ゲイル・クラスター」
「……えええええええええええっ!?」
 予想はしていた。していただけに、ショックが大きかった。そのショックは
裏返った声、という形で表に出てしまい、少年――ゲイルは不機嫌そうに眉を
寄せる。
「なんだ、その反応は。何か、不服か?」
「え? あ、いえ、そうじゃなくてその、はい、驚いたと言うかなんて言うか、
だって、大魔導師ゲイル・クラスターさんは二十代後半って聞いていたからそ
の、ええと……」
「……なに?」
 ここで、ゲイルは不思議そうな声を上げて自分の身体を見た。碧と紅の瞳が
驚愕に見開かれ、彼はその瞳をシフォンへと向ける。
「おい……えーと、シフォン」
「あ、はい」
「……鏡、あるか?」
「えーと、鏡はありませんけど、これで映りますよ」
 言いつつ、剣を抜いてその刀身をゲイルの前にかざす。磨き上げられた銀の
刃は、驚愕に彩られた顔をはっきりと映し出し――。
「な……なんだあっ!? 何故? 何が起きたんだあっ!?」

 何故と聞かれたところで、誰にも答えは出せはしない。


   3 仲間 ――そして、彼らは一蓮托生

「取りあえず、お茶を飲んで落ち着きましょう」
 混乱するゲイルに、シフォンはのほほん、とこう告げた。どこからそういう
発想が出てくるのか、と突っ込む余裕は、今のゲイルにはないらしい。
 剣を鞘に収めたシフォンは道の横の空き地に荷物を下ろして薪を集め、妙に
てきぱきとお茶を沸かし始める。紅茶の良い香りに気づいたゲイルはふと我に
返り、奇怪なものを見るような視線をシフォンに投げかけた。
「……おい……」
「あ、ミルクはないんですけど、お砂糖は入れますか?」
 論点が大分違うと思われるのだが。
「……いらん」
 取りあえず、ぼそりとこう返す。シフォンはその不機嫌さも視線に込められ
たものも気にした様子はなく、そうですかあ、とのほほんとしたものだ。
「はい、どうぞ。熱いから、気をつけてくださいね」
 にこにこしながらこう言って、カップに入れたお茶を手渡す。
「ああ、悪いな……って、違うだろおおおおおおっ!!」
 素直にカップを受け取った直後に、ゲイルは絶叫していた。
 こんな事をしている場合ではない、やらなくてはならない事があるのだ。
 ……あるはず……なのだが?
「……どうしました?」
 叫んだ直後に黙り込んだゲイルに、シフォンが不思議そうに問いかけてきた。
ゲイルはそれに、何でもない、と答えて受け取ったカップの中身を啜る。適度
な濃さの、茜色の美しいお茶。その香りが昂ぶった気持ちを鎮めてくれた。
「しかし……ええい、何がどうなっているんだ、この姿はっ」
 カップを空にすると、ゲイルは忌々しげにこう吐き捨てた。
 ラフィオンに――『時計の番人』に何かされたのは、間違いはない。恐らく、
彼女に封印を施された結果がこの姿なのだろうが。
(なんで、こんなチビにならねばならんのだ、オレが)
 こう考えると腹立たしくてならなかった。年齢を下げられた上に、どうやら
この歳の頃のレベルまで、力が落とされてもいるようなのだ。大体、二十年分
のレベルダウン。これは、かなりきつい。
 ……とはいえ、生来魔力に歯止めがかけられず、幼少の頃から凶悪な魔力を
有していたゲイルである。レベルを下げられても、相当な魔力は保有している
のだが。
「しかし、これからどうしたものか……」
 眉を寄せつつ、こんな呟きをもらした時、ゲイルは上空に気配を感じた。
「えーと……おい、シフォン!」
 それがもたらすであろうものに気づいたゲイルは、やや慌てた声でシフォン
に呼びかける。シフォンはえ? と言いつつ、不思議そうにゲイルを見た。
「どうか、しましたか?」
「どうかというか……上!」
「……上?」
 どこまでもどこまでも、シフォンはお気楽だった。お気楽なまま、上を見上
げたシフォンは、
「……えええええっ!?」
 再びお星様が散るのを見た。

「ごめんなさい、ごめんなさい〜!」
 くらくらしているシフォンに、彼を倒れさせたもの――鮮やかな極彩色の羽
を持つ巨鳥は、必死になって頭を下げていた。
「不注意にもほどがあるぞ、バカトリ」
 そこに、ゲイルがざくっと斬り込む。
「そんなあ! バカトリは酷いですっ!」
「バカでないなら、何だというんだ。大体、鳥が落ちてどうする、鳥が落ちて」
「だってぇ〜……」
「だって、なんだ?」
「ううっ……ゲイル様、性格、変わってませんかあ〜?」
「あ……あの〜……」
 どうにか意識をはっきりさせたらしいシフォンが、遠慮がちに二人の会話に
割り込んだ。
「なんだ、シフォン」
「……どうして鳥が喋ってるんでしょうか」
 何となく、突っ込むところが違うような気もするが。
「ああ、それはだな、これがバケモノだからだ」
 その問いにゲイルはさらりとこう答え、
「酷いっ! 酷いです、ゲイル様あっ!!」
 鳥はばさばさと羽ばたきながらこう訴えた。
「……バケモノ鳥さんですか?」
 そこに、シフォンが首を傾げつつこう問いかけて来る。ゲイルはは? と言
いつつシフォンを見、その目が大真面目な事に気づいて絶句した。
(……こいつは何なんだ)
 ふと、そんな事を考えたその矢先。
「……あら? あーーーーーーーっ! 神斬剣っ!!」
 鳥がキンキンと良く響く声を張り上げた。その目はシフォンが傍らに置いた
剣に向けられ、今の声がシフォンに与えた影響など眼中外らしい。
「少し、静かに喋れ、バカトリ」
 妙に冷静にゲイルが突っ込む。その突っ込みに、シフォンが遠い世界に行っ
ている事に気づいた鳥はまた、ごめんなさいの連呼を始めた。

 そんなこんなで――。

「神斬剣を持っていると言う事は、こいつが『対』のモノなのか?」
 シフォンが落ち着くのを見計らい、ゲイルは鳥にこう問いかけていた。
「はい、そうですう……えっと、それでですねえ、ゲイル様」
「なんだ、トリ」
「……リュケーナですうう!」
「泣くな、鬱陶しい」
 取りつく島、皆無。鳥が取りつく島なし、というのもとぼけた表現だが。
「それで、なんだ?」
「ええと……マスターがですねえ……」
 マスター。その単語を聞いた途端、ゲイルの表情が変わった。
「そうだ……ラフィオン! あの性悪女、一体、何を考えて人をこんな姿にし
たんだ!!」
「ええと、お仕置きだそうですぅ」
 勢い込んだ問いに鳥――リュケーナはあっさりとこう答えた。
「お〜し〜お〜き〜?」
「だって、ゲイル様、禁忌に手を出されたじゃないですかあ? みんなでお止
めしたのにぃ」
 おどろ線を背負いながらの問いに、リュケーナは拗ねたようにこう答えた。
「……そうだったか?」
 対するゲイルは、きょとん、とした面持ちでこう問い返す。この反応にリュ
ケーナはえ、と言って目を見張った。
「お……覚えてらっしゃらないんですかあっ!?」
「覚えてない」
 上擦った問いに、ゲイルはすぱん、とこう言いきる。その一言にリュケーナ
はぴしり、と音入りで硬直した。
「ええと……ようするに、ですね。ゲイルさんは、本来は二十代後半で、その
ラフィオンさんという方に、今の姿にされているんですね? じゃあ、間違い
なく、ぼくの探していたゲイル・クラスターさんなんですね?」
 そこに、シフォンがかなりピントのズレた問いを投げかけてきた。どうやら、
今の今までその事を整理していたらしい。
「貴様、疑っていたのか……」
 にこにこしているシフォンに、ゲイルは低く問う。
「え? えーと、そうじゃなくて、ほら、聞いてたのと歳が余りにも違ったか
ら、色々驚いて……でも、どうすれば元に戻るんでしょうねぇ?」
「それは、このトリをシメて聞く」
 のほほんとした疑問に対する物騒な返事に、硬直していたリュケーナがはた、
と気づいてばたばたと羽ばたいた。
「きゃーっ! シメるってなんですかゲイル様っ! そんな事なさらなくても、
お教えしますよっていうか、わたし、そのためにここに来たんですからあ!!」
「なら、さっさと話せ」
 催促するゲイルの目は、マジだった。放っておいたら、本気でリュケーナを
シメかねない。
「ええっと……『魔玉』の事は、ご存知です、よね?」
「……貴様、オレをナメていないか?」
「いませんっ!! ええと……『魔玉』がですね、暴走しているみたいなんで、
それを鎮めてください、との事です」
「……は?」
「そうしたら、マスターは封印を解く、と仰っていました」
「貴様、それはオレ一人では……」
 一人ではできない。それは、嫌と言うほどによくわかっていた。そのために
はある剣が必要なのだ。強大な力を持つ剣と、その剣に選ばれた担い手が……。
「……おい、シフォン」
 沈黙を経て、ゲイルは低く、シフォンに呼びかけた。
「あ、はい」
「貴様……オレに、何か用があったのか?」
「え? ええと、そうみたいなんですけど……」
「みたい、というのはなんだ」
 曖昧な物言いに、ゲイルの表情の険が増す。しかし、シフォンは気づいた様
子はなく、ええと、と言って頬を掻いた。
「ええと……ぼく、何だか記憶がなくて。ただ、あなたの事を探していたとい
うのだけ、覚えていたんです」
 それから、どこまでものほほん、とした口調でこう言った。この返事に、ゲ
イルはそうか、と言ってにやりと笑う。
「おい、トリ」
「……リュケーナですってばあ……」
「『魔玉』を鎮めればいいんだったな?」
「あ……はい」
「シフォン」
「あ、はい、何でしょう?」
「貴様がオレを探していた理由は、大体わかった。オレについてこい」
「え? 本当ですかあっ!?」
「……ああ」
 嬉しそうな声を上げるシフォンに、ゲイルは不敵な笑みを持って応えた。
「……性悪女にコケにされたままではいられんからな……『魔玉』鎮め、やっ
てやる。シフォン、トリ、貴様らはオレを手伝え!」
 夕暮れ間近な街道に、魔導師の宣言が響く。

 かくして、前途多難な彼らの旅は、始まった。

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