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   ACT−4:清らな水底、冥き影 05

 対戦の場所として選ばれたのは、水霊騎士団の演習場だった。剣と魔法、双
方の鍛錬を行うため、特殊な結界で覆われているここであれば、多少派手な攻
撃魔法を使っても街に影響は出ないらしい。
「一体、何をやらかすつもりなのやら」
 演習場の中央で、アキアはため息と共にこんな言葉を吐き出していた。
『無謀』
 長剣の姿でその腰に納まったヒューイが、きぱりと言いきる。容赦のない物
言いに、アキアは苦笑するしかない。だが、ヒューイの評を否定する気はアキ
アにはなかった。実際のところ、彼自身にもそう言った考えがあるのは否めな
いのだから。
『なんにしても、勢い余って粉微塵、とかいうのは、ヤメろよ。シャレになら
ねぇ』
「……お前、なぁ……」
 何を心配してるんだよ、と突っ込む前に挑戦者たちが姿を見せた。簡易鎧を
身に着けた騎士と、紺色のローブをまとった魔導師。どちらも、年齢は二十代
半ばから後半と言った所か。武術指南役と魔導師隊長という肩書きのわりに、
まだ歳若いらしい。逆に言えば、若くしてその地位を認められた実力者である、
と言う事でもあるのだろうが。
 騎士と魔導師はしばし内輪で話し合う素振りを見せ、それから魔導師の方が
ゆっくりと前に進み出てアキアと対峙した。まずは、こちらから、という事ら
しい。
「……っ!?」
 三メートルほど距離を開けて向き合った瞬間、魔導師の顔を驚愕のようなも
のが過ぎった。やや幼さを残した顔が微かに青ざめる。
『ほー、中々、カンがいーらしーな、あいつ』
 その変化にヒューイが感心したような声を上げ、アキアは短く、らしいな、
と返した。どうやら向こうは、アキアの潜在魔力を感知したらしい。普段厳重
に押さえ込んでいるそれを感知できたのだから、その実力はかなりのもののは
ずだ。
「……水霊騎士団魔導師隊隊長、カリュン・クレイスと申します」
 沈黙を経て、魔導師カリュンがゆっくりと名乗りを上げた。顔はまだ青ざめ
ているが、声に震えはない。大した度胸だね、と心の奥で呟きつつ、アキアは
自分も名乗りを返した。
「オレは、アキア・クロウズ。ま、良ければよろしく」
 軽い名乗りにカリュンは答えず、手にした杖をゆっくりと握り直す。杖の先
の宝珠に淡い光が灯るのを、アキアは目を細めつつ見た。
 静寂が、緊張を伴って空間に張り詰める。傍目にもはっきりそれとわかるほ
どに緊張しているカリュンと、自然体で立つアキアは何とも対照的だった。
『仕掛けてこねぇな?』
(どう攻めていいか、迷ってる……ってとこか。あるいは……)
『あるいは?』
 途切れた言葉の先を、ヒューイは怪訝そうに促してくる。
(余計なところまで読まれたかの、どちらかだな)
 それにアキアは淡々とこう返し、これに、ヒューイはお〜い、と呆れたよう
な声を伝えてきた。
『そんで、どーするんだよ、おい?』
(どうするもこうするも、当初の予定通り行くしかないんだから)
 騒いでも仕方ないさ、と言いつつ、アキアはすっと右手を前に差し伸べた。
その動きにカリュンがびくり、と身体を震わせる。
(短期決戦。本気で行く)
『りょーかい。『道』は繋げとくんで、ちゃっちゃとやってくれ』
 大雑把な言葉にさんきゅ、と返すと、アキアは上を向けていた手のひらをく
るりと下に返した。アキアの頭上に真珠色の光が火花のように弾け、次の瞬間、
空中から同じ色の光の槍が現れてカリュンへと飛んだ。
「なっ……」
 さすがに驚いたらしく、カリュンは大きく目を見開いて後ろに飛び退き、障
壁を張り巡らせた。真珠色の槍はその動きを追って障壁に炸裂し、あっさりと
それを打ち砕く。
「そんなっ……」
 障壁を砕かれたカリュンの口からかすれた呟きがもれた。
 アキアは間髪入れずに次の呪文を唱えて追撃を仕掛ける。いや、『唱えて』
というのは表現としては不適切だろう。通常、魔法の発動に必須とされている、
呪文の詠唱。それが成されている様子が、全くないのだ。カリュンの困惑も、
恐らくは大半がそこに起因するものなのだろう。
 戸惑うカリュンの周囲を真珠色に輝く雷球が取り巻く。カリュンは集中して
いた魔力を空間転移の力に変換して、その包囲を逃れた。
「早いけど……遅いよ」
 包囲を逃れたカリュンに微笑みかけつつ、アキアは軽く手を振る。その動き
に応じるように雷球はカリュンを追い、包囲を逃れて安堵する魔導師を再び取
り巻いて破裂した。
 真珠色の閃光が、演習場を一色に染め上げる。
 対決を見守っていた者たちはとっさに目を覆い、その直視を避けた。
 破裂した光は煌めく粒子となって大気に溶け、その消滅と共に演習場には静
寂が舞い降りる。その静寂の中心に、悠然としたまま佇むアキアと、その場に
座り込んで息を切らすカリュンの姿があった。カリュンには外傷らしきものは
全くないがその呼吸は荒く、身体も激しく震えていた。
「まさか……あれだけ、大規模な呪文を、止めた?」
 その様子に、セシアが眉を寄せつつ低い呟きをもらす。
「止めた? カリュン隊長が、凌ぎきったのですねっ!」
 その傍らに立っていた魔導師がそれを聞きつけ、弾んだ声で問う。それに、
セシアはいや、という短い否定で答えた。この答えに、魔導師はえ? と言い
つつ眉を寄せる。
「しかし、現に……」
「良く、思い返してみなさい。カリュンに、防御呪文を詠唱する、時間的余裕
は全くなかった」
「……っ!? そ、それでは……」
「アキア殿が、カリュンに打撃を与えぬように、寸止めをかけた、という事だ」
 静かに言いきられた言葉が、場にざわめきを呼び起こす。
 攻撃系の魔法、取り分け、今の雷球のように炸裂するタイプのものは、ダメ
ージを与える対象や範囲の制御は基本的に不可能とされている。勿論、全くで
きない、という訳ではない。自身の魔力、そして、魔法を唱える際に引き出す
精霊の力。それらを完璧に、一部の狂いも無く制御できたなら、理論上は可能
なのだ。
 しかし、自身の魔力はともかく精霊の力を制御する、それも自らの意思によ
って完璧に、というのは容易くできるものではない。上級精霊、あるいは精霊
王と呼ばれる存在と直接契約でもしない限りは不可能だろう。いや、例え精霊
王と契約していたとしても、そこまでの干渉を許されるというのは稀有極まり
ないだろう。
(まして、今の術……天煌爆雷と言えば、天聖系精霊魔法の、しかも高位魔法
ではないか。あんな扱い難い呪文を、寸止めしたなど……)
 アキアとカリュンを見つめつつ、セシアは心の奥でこんな呟きをもらす。
 天聖系と呼ばれる魔法は、その力の扱い難さにおいて十二精霊に依存する魔
法の中でも群を抜く。そんな厄介な呪文を自在に操れる、というだけで、アキ
アの魔法の使い手としての傑出振りは十分に物語られていた。そして、それを
最も痛切に思い知ったのは、アキアと対峙していたカリュンであるのは間違い
ないだろう。
「ま……」
 かすれた呟きが、座り込んだ魔導師の口からもれる。
「まいり、ました」
 自分には、勝てない。振り絞るように告げられた言葉には、そんな思いがに
じみ出ていた。
「では、魔導師隊はオレを認めてくださる、と?」
「認めるも何も……逆らう事自体、不遜としか思えません」
 問いに対するカリュンの答えに、アキアは苦笑した。
「オレは、そんなに大したものじゃないよ」
「御謙遜を。他の皆はともかく、ぼくは誤魔化されませんよ……どうか、御無
礼をお許しください」
 立ち上がったカリュンは、こう言って深々と頭を下げる。アキアは困ったよ
うな表情でいいからいいから、と言いつつぱたぱたと手を振った。顔を上げた
カリュンは先ほどまでとは一転、満足げな表情でにこりと微笑み、もう一度、
今度は軽い礼をしてから一緒に出てきた騎士のところへと戻って行った。
「……やれやれ」
『ボケ』
 カリュンの背を見送りつつため息をつくアキアに、ヒューイが短く突っ込み
を入れた。アキアは悪かったね、と小声で返し、それから、表情を引き締める。
カリュンと入れ替わるように、簡易鎧の騎士が前に進み出てきたのだ。
「水霊騎士団武術指南役、リヴィオン・クライドと申す」
「オレは、アキア・クロウズ」
 静かな名乗りに、アキアはこちらも静かに応じる。
「貴殿の魔法の使い手としての技量の高さは理解した。だが……」
「一見女のような優男をあっさりと認めては、騎士の面子が立ちません、と?」
 濁された言葉の先を、アキアは皮肉っぽく続けた。リヴィオンは一切ためら
う事無く、その通り、とそれを肯定する。この一言に、アキアはふっ、とクー
ルな笑みを浮かべた。
「人を、外見だけで判断するのは危険である、と申し上げておきますよ、武術
指南役殿?」
 その笑みを浮かべたまま、アキアはゆっくりとヒューイを抜く。リヴィオン
も剣を抜いて身構えた。アキアは、左手に握ったヒューイを無造作に下げ、悠
然とそこに立っている。一見すると無防備だが、その実、どこにも打ち込める
ような隙はない。その身を取り巻く鋭い気配は、対峙しているリヴィオンのみ
ならず、演習場に集まっていたほぼ全員に強い威圧感を与えていた。
「……食われたな、リヴィオン」
 そんな中で、比較的威圧の影響を受けていないセシアがぽつり、とこんな呟
きをもらした。
「……食われ……ですか?」
 その隣で呆然としていたレフィンがはっと我に返り、怪訝そうな面持ちで問
う。
「気迫に、飲まれている。完全に、外見で油断したな、あの馬鹿者」
「外見で……ですよねぇ。声さえ出さなきゃ、絶世の美女って言っても、通じ
ちゃいますもんねぇ」
 呆れを交えたセシアの言葉に、フレアが大げさなため息と共にこう呟いた。
その呟きに妙に納得しつつ、レフィンは改めて対峙する二人を見た。
 アキアもリヴィオンも、全く動く様子はない。リヴィオンに関しては、動け
ない、と言うべきかも知れないが、アキアの方はわざと動かずにいると見て良
さそうだった。
 鎧の類とは一切無縁の装いをしているアキアの場合、一撃が致命傷となる可
能性は非常に高い。それだけに、本来ならば先手を取って攻め立てる戦い方が
有利と言えるはずだ。にもかかわらず相手に先手を取らせようとしているのは、
それだけ自分の技量に自信がある、という事なのだろう。
 レフィンが達したこの結論には、程なくリヴィオンも到達したようだった。
微かな苛立ちが、騎士の顔を過ぎる。アキアはその苛立ちを余裕を感じさせる
冷笑を浮かべつつ見つめ、その余裕が、リヴィオンの逆鱗を直撃したようだっ
た。
「……水霊騎士団武術指南役、リヴィオン・クライド、参る!」
 咆えるような名乗りと共にリヴィオンが動く。真っ向から打ち込まれた一撃
を、アキアは軽いステップで避けて見せた。初撃を外されたリヴィオンは素早
く身体を返し、横薙ぎの二撃目を放ってくる。この一撃も、アキアは余裕のバ
ックステップで難なく避けた。
 動きに僅かに遅れて流れる銀髪が、日差しを弾いて煌めく。それは対照的な
黒の装いに、美しく映えた。
 勿論、それは心を奪われようものなら、容赦なく急所を食い破られる危険を
孕んだ美しさだが。
 バックステップで後退したアキアは身体を屈め、後ろに下げた足を基点に地
を蹴った。一見華奢な身体が躍動し、今、後退して開けた距離を一気に詰める。
「……っ!?」
 対するリヴィオンは未だ、薙ぎ払いの後の不安定な体勢のまま、構えを取れ
ていない。その懐に飛び込んだアキアは対峙してから初めてヒューイを振るい、
リヴィオンの剣を弾いた。
 無骨な作りの長剣が、くるくると回転しつつ日差しを弾く。それを目で追う
リヴィオンの首筋に、銀の刃がすっと添えられた。
「くっ……」
「勝負あり、かな?」
 艶やかとさえ言えそうな微笑を浮かべつつ、アキアは軽い口調で問う。声と
は裏腹に瞳は厳しく、その厳しさに圧倒されたのか、リヴィオンは言葉も出な
いようだった。
「それまで! この勝負、客人の勝ちとする!」
 そんなリヴィオンの様子にセシアが一つ息を吐き、それから、よく通る声で
こう宣言した。セシアはゆっくりと演習場の中央で動かない二人に近づく。
「……団長……」
「目に見える物は全てだが、全てではない。基本を忘れたな、リヴィオン」
 うめくような声を上げるリヴィオンに、セシアはやや冷たくこう言い放った。
それから、セシアはアキアを見る。アキアはにっこりと微笑むと、リヴィオン
の首筋に添えたヒューイを下ろして鞘に収めた。
「以上の対戦の結果を持って、水竜鎮めの一件は客人に一任。我ら水霊騎士団
は不測の事態に備え、街の防衛に徹する。異論ある者は、前へ!」
 アキアが剣を収めると、セシアは集まっている騎士たちに向けてこう宣言す
る。だが、今の二連戦を目の当たりにしてなお、異を唱える事ができる者はい
ないらしい。反対意見がない、と確かめると、セシアはアキアに向き直ってに
こり、と微笑んだ。
「……何か?」
 妙に楽しげなその表情に、アキアはやや引きつる。
「いや、別に。それでは、一休みしたら、衣装合わせにかかるとしようか?」
 引きつりながらの問いに、セシアは本当に楽しそうな笑みを浮かべてこう返
してきた。
「……結局、そこですか」
 その笑みに、アキアが言えたのはこんな一言だけだった。

「……は〜」
 それから約二時間後、アキアは客室のソファに沈み込んで脱力していた。
『ごくろーさん』
 そんなアキアに、ヒューイが妙にしみじみと呼びかける。アキアはそれに、
ああ、と短く答えた。
 アキアが脱力している理由。それは、先ほどの対戦の疲れ──などという事
はあり得ない。その後の、衣装合わせ騒動のためだ。
 ある意味当たり前だが、長身で、しかも外見以上にがっしりと引き締まった
筋肉の持ち主であるアキアに合う服、それも花嫁衣裳というのはそうそうある
物ではない。
 そのためサイズ的に最も近い、セシアが以前水竜をおびき出すために着た物
を手直しする事になったのだが、その結論に至るまでの間、アキアはセシアと
フレアの二人に着せ替え人形にされていたのだ。
 二時間に及ぶ着せ替え遊びの後、ようやく満足したらしいフレアとセシアは
アキアを解放して、今はセシアの私室でお喋りに興じている。解放されたアキ
アは一人、客室のソファに沈み込んで精神疲労の回復に努めていた。
「……っとに、もう……」
 言っても始まらない、とわかってはいるが、つい愚痴っぽいため息をついて
しまう。
『諦めろ、こゆ時は、諦めが肝心だ』
「お前な……人事だと思って……」
 さらりとヒューイに言われて、アキアは眉を寄せた渋面を作った。
『オレに取っちゃ、人事だって。それよか……』
 それをヒューイはまたもさらりと受け流し、急に口調を改めて何事か言いか
ける。が、それを遮るように、寝室のドアがノックされた。
「あの……お時間、よろしいですか?」
 ノック同様、妙に控えめな問いが投げかけられる。レフィンだ。突然の来訪
を訝りつつ、アキアは姿勢を正してどうぞ、と答える。ドアが開き、部屋に入
ってきたレフィンの顔は、妙に深刻だった。
「……何か?」
 その表情に戸惑いつつ、アキアは空いているソファにレフィンを座らせて、
こう問いかけた。レフィンはやや俯いて、口の中で言葉を捜すような素振りを
見せている。アキアは紅茶を淹れつつ,レフィンが言葉を見つけて放し始める
のを待った。
「……あの」
 品のいい白いカップが二つ、茜色に満たされるのと前後してレフィンが口を
開いた。
「はい?」
「あの……実は……」
「はい」
「お願いが、あるのですけど」
 途切れがちの言葉の先を相槌で促していくと、レフィンは改まった口調でこ
んな事を言った。
「お願い? オレに?」
「はい……」
「一体、何でしょう?」
「あの……ぼくに、剣を……剣の使い方を、教えてくださいっ!」
「……は?」
 振り絞るような言葉はやや意外で、アキアは思わずとぼけた声を上げてしま
う。何とも間の抜けた空気が、その場に広がった。
「えっと……どうして、いきなり、そんな事を?」
 沈黙を経て、気を取り直したアキアは静かにこう問いかける。
「理由がなくては、ならないものなのですか?」
 問われたレフィンは、逆にこう問い返してきた。これに、アキアはそりゃね、
と苦笑する。
「何の理由もなくは、教えられないよ。剣の使い方って言うのは、要するに、
人の殺し方なんだから」
 ごく軽い口調でさらりと言うと、レフィンは微かに怯んだようだった。
「そんな厄介なモノを教えるんだから、やっぱり、それなりの理由はないと困
るよ。遊びや道楽でやるもんじゃないんだから」
「……っ! ぼくは、そんなつもりで言ってるんじゃ、ありません!」
 遊びや道楽、という部分が癇に障ったのか、レフィンはムッとしたように反
論してくる。それを、アキアは静かな瞳で受け止めた。
「じゃあ、どういうつもりなのかな?」
「……強く、なりたいからです」
 瞳と同様に静かな口調で問うと、レフィンは拗ねたような口調で早口にこう
返してくる。
「じゃあ、それは、何のために?」
 そこに更に畳み込むと、レフィンはそれは、と口ごもった。アキアは静かな
まま、言葉の続きを待つ。
 レフィンが強くなりたい、と望む理由は聞くまでもなく察しがつく。と、言
うより、一つしか思いつかない、と言う方が正しいだろう。
 フレアのために。フレアに、男として認めてもらうために。
 そのために、目に見える形での力が欲しいのだろう。王族という、血筋によ
って与えられた物ではない、自分自身で手に入れた力が。
 それとわかるだけに、そして、それが無垢な想いから生じていると理解でき
るだけに。
 得ようとしている力に伴うリスクは理解してもらわねばならないし、また、
覚悟もしてもらわねばならないのだ。そうでなければ、剣という、厄介至極な
力を操る術を教える事はできない。
「……」
 静かな瞳に見つめられたレフィンは、いつの間にか俯いていた。緑の瞳は、
白いカップに満たされた茜色に向けられている。アキアは言葉を急かす事無く、
レフィンが自分から放し始めるのをじっと待った。
「……ぼく……は」
 長い沈黙を経て、レフィンがかすれた声を上げた。
「ぼくは……強く。強く、ならなきゃ、ダメなんです」
「それは、どうして?」
「それは……」
 静かな問いにレフィンはまた口ごもる。だが、今度の沈黙は短かった。
「約束、したからです」
 きっ、と顔を上げてアキアを真っ直ぐに見つめつつ、レフィンはこう言いき
った。
「約束? 誰と?」
「フレアと。ずっと、前に……護れるように、強くなるって。だから……だか
ら、ぼくに、剣を教えてくださいっ! お願いしますっ!!」
 叫ぶように言う、その表情は真摯だった。アキアは静かな表情を崩さず、意
識の上でヒューイに問う。
(事の真偽は?)
『事実。お嬢は忘れてそーだが、確かに、そーゆー約束してたわ』
 短い問いにヒューイは笑えない予測をさらりと交えつつこう答え、アキアは
なるほど、と返してから、一つ息を吐いた。
「そういう事なら、了解、かな?」
 それから、先ほどまでとは一転して穏やかな笑みを浮かべてこう告げる。呆
気ない了承に、逆にレフィンは気を削がれたらしく、え、ととぼけた声を上げ
た。
「……いいんですか?」
「うん。これ以上はないってくらい、完璧な理由だし」
 困惑気味のレフィンに、アキアは笑いながらこう言って、ぽん、とその肩に
手を置いた。
「あの子を護るのは、オレにとっても大事な約束ではあるけれど、でも、ずっ
とはできないからね。それに、今回みたいにオレが単独で動く事もある訳だし
……殿下がしっかりあの子を護ってくれるなら、オレとしても一安心だからね」
「は、はいっ! 頑張りますっ! あ……」
 背筋をぴんっと伸ばして言った直後に、レフィンは何事か気づいたらしく、
短く声を上げた。
「……何か?」
「あの……一つ、お聞きしてもいいでしょうか……?」
 唐突な事にきょとん、としつつ問うと、レフィンは妙に言い難そうにこんな
事を言ってきた。アキアは戸惑いつつも、何かな? と問いを促す。
「本当に……着るんですか、その……花嫁衣裳……?」
 小声の問いにアキアはう、と短くうめき、それから、両手でレフィンの肩を
ぽんぽん、と叩いた。
「……逃げられると思いますか、あの盛り上がりから?」
 低い声で言った言葉に、レフィンが何か返すよりも早く、ドアが妙に弾んだ
リズムでノックされた。
「アキア、ドレスの準備、できたよー♪」
 直後にやたらとうきうきしたフレアが部屋に駆け込んでくる。アキアはすっ
かり疲れ果てた様子ではいはい、とため息をつき、その様子にレフィンは妙に
沈痛な面持ちで、頑張ってください、と呟いた。

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