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   14

 ぎゅぎゅぎゅ……うぎゅうるぅぅぅむっ!!
 二つの波動の切断、それと共に巨大生物が絶叫した。触手を含めた全身が激
しく痙攣し、次の瞬間、全ての触手がでたらめに振り回されつつ四人に襲いか
かってくる。剣で迎撃がどうこう、というレベルを超えた最後の攻撃は、しか
し、四人の内の誰一人として捕える事はできなかった。
「……レイ・セイバー……出力、全開!」
 一歩、前に出たゼオが二振りの光の剣を柄の部分で繋げ、平行に持ったそれ
を前へと突き出しつつ低く呟く。それに応じるように光の剣の刃の部分が扇状
に広がり、光り輝く盾となって触手の前に立ちはだかる。触手は輝く盾に触れ
たとたん、じゅっと音を立てて焼け落ちた。
「……くっ……」
 立て続けの激突による衝撃に、ゼオは微かに顔をしかめる。ほんの一瞬、手
に震えが走った。シーラはとっさにその傍らに駆けより、震える手に自分の手
を重ねて支えていた。右手にはめたサファイアの腕輪――『天空の瞳』が微か
に光を放ち、それに応じるように光の壁が輝きを増す。ゼオは横目でちらりと
シーラを見るが、視線に気づいたシーラが顔を上げてそちらを見ると、逃げる
ように目をそらして目の前の巨大生物に集中した。
 ぎゅおおおおお……
 どことなく虚ろな声と共に、触手の攻勢が止んだ。触手はそれまでの勢いと
は打って変わって力なく床に落ち、乳白色の胴体からはにじみ出るように二つ
のものが姿を現した。一つは、黒くもやもやとした霧状の物体。そしてもう一
つは、青く長い髪とやや青白い肌をした美しい女性だ。それらが姿を現すのと
前後して、巨大生物はしゅうしゅうと音を立てつつ急速に縮んでいく。異常な
力の源を放出する事で、本来あるべき姿へと戻っているのだろう。
 やがて、巨大生物は目に見えない大きさまで縮んでしまい、切り払われた触
手も本体と同じくしゅうしゅうと音を立てながら急速に干乾びていった。
「……水の精霊……」
 現れた女性の姿にユーリが低く呟く。水の精霊は俯いていた顔を上げて微笑
み、それからはっとしたように黒い霧を振り返った。黒い霧――負の生命波の
具象は空間にしばし漂い、それから、拡散するように姿を消した。
「……なっ……束縛を、逃れた!?」
 思わぬ事態にラヴェイトは上擦った声を上げる。切り離した後、周囲に影響
を及ぼさぬようにと念入りに束縛しておいたはずのものが、あっさりとそれを
逃れたのだ。驚くな、と言うのが、無理な相談だろう。
(何だったんだ、あれは……負の生命波だけじゃない……間違いなく、他の何
かもあの中には込められていた。しかし、一体……)
 切実だが、それと共に身勝手なものも感じられたあの思念を思い出しつつ、
ラヴェイトは黒い霧が漂っていた辺りを見つめて眉を寄せる。その目の前に、
青い光がふわり、と舞い降りた。水の精霊だ。
『……ありがとう……また、あなたに会えるとは、思いませんでした……』
 澄んだ声が空間に響く。その声にははっきりそれとわかる喜びが込められ、
青い瞳には懐かしむような、そんな光が宿っている。
「え……また……?」
 思わぬ言葉にラヴェイトは困惑した様子で瞬いた。その一方で、ユーリは妙
に納得した面持ちでやっぱりな、と呟く。ラヴェイトは困惑しつつそちらを振
り返った。
「……どういう事ですか、ユーリ殿?」
「どういうもなんも……お前さん、ドゥラにくっついてた精霊だろ?」
 ラヴェイトの問いにユーリはひょい、と肩をすくめ、それから精霊に問いを
投げかける。水の精霊ははい、と言って頷いた。
「それじゃ……あなたは……」
 知っているのではないのか、と。そんな淡い期待がラヴェイトの心を過る。
常に父と共にいた精霊であれば、十六年前に父に何があったのか、それを知っ
ているはずだ。
「……知っているんですか、十六年前に、何があったのかを!?」
 勢い込んだ問いに、精霊は哀しげに目を伏せた。
「答えてください! ぼくは……ぼくは、どうしても知りたいんです!!」
 目を伏せる精霊に、ラヴェイトは更に問いを重ねる。藍の瞳の真摯さが、そ
の問いに込められた想いをはっきりと物語っていた。堅苦しい所こそあれ、優
しかった父に何が起きたのか。何が父をあそこまで冷酷な人間に変えたのか。
それを知りたいがために、ラヴェイトはここまで来たのだから。
『……それは……』
 話す事が辛い。哀しげに目を伏せる精霊の様子から、シーラはそんな印象を
受けていた。シーラはずっと握っていたゼオの手を離すと、そっと精霊に近づ
き、あの、と声をかける。
「……話すのが、辛いの……?」
 そっと問いかけると、精霊ははっとしたようにシーラを振り返り、ユーリと
ラヴェイトもシーラに注目した。
『……あなたは……?』
「あたし、シーラっていいます……あの、話すのが、辛いんですか? なんだ
か……すごく、悲しそうにして……」
 精霊に短く名乗りつつ、シーラは更に問いを継いだ。この問いかけに精霊は
いいえ、とかぶりを振る。
『辛いというより……どう、答えればいいのか……どう話せば、ちゃんと伝え
られるのか……わからないのです……』
 こう言うと、精霊は哀しげな瞳をラヴェイトに向けた。ラヴェイトは一つ息
をついて、その瞳を見つめ返す。
「どういう事、なんですか?」
 静かな問いに、精霊は微かにその形を揺らめかせた。人で言えば、ため息を
ついた、というところだろうか。
『全ては唐突で……私にも、あの人に何が起きたのか、はっきりとはわからな
いのです……突然、暗い場所に落とされて……それから……』
 それから、精霊は途切れがちに話し始めた。
「それから……何があったんだ?」
 途絶えた言葉の先をユーリが静かに促すと、精霊は再び揺らめいた。ゼオを
除く全員に注目された精霊はまた、哀しげに目を伏せてしまう。緊迫した沈黙
が張り詰める中、唯一いつもと変わらぬペースを保つゼオは、例によって興味
ナシ、といった様子で光の盾を剣に戻していた。刃を消して繋げた柄を離し、
いつものように腰に着けようとして、
「……っ!?」
 不意に襲ってきた目眩に思わず膝を突いていた。
「っ!! 大丈夫!?」
 くずおれる物音にはっと振り返ったシーラは慌ててそちらに駆けより、傍ら
に膝をついてゼオの顔を覗き込んだ。
「……放っておけ……別に……何でもない……」
 シーラから目をそらしつつ、ゼオは素っ気なくこう答える。先ほどもそうだ
ったが、とにかく、今はシーラを見ているだけで自分がおかしくなるような心
地がしてならない。自分の中にあり得ないものの声が響き、それが自分の存在
を揺るがすような、そんな危機感すら覚えるのだ。その危機感は頭痛や吐き気
などの直接的な異変となって身体を苛み、それから逃れるためには結局、シー
ラから目をそらす以外にない。
「でも、顔色が……」
 目をそらすと、シーラは心配そうな口調で更にこう言い募った。
「……何でもない、と言っている! それより、いつまでここでのんびりとし
ているつもりだ?」
 額ににじんた汗を拭いつつ、ゼオはユーリに向けて問う。この問いにユーリ
はああ、と言いつつばりばりと頭を掻き、ラヴェイトと精霊とを見た。
「色々あって、すっかり忘れちまってたんだが……上じゃ、エライ事になって
んだよな……」
 この言葉にシーラはあ、と言って息を飲む。上ではドゥラと、彼らをここに
飛ばしたギルが戦っているのだ。
「んな訳だからよ……一つだけ、答えてくれるか?」
 軽い口調の問いに精霊は静かに顔を上げ、か細い声でなんでしょう? と問
いを促した。
「お前さん、今でもドゥラを……あいつの存在を、感じてるか?」
 口調は確かに軽いものの、問いかけるユーリの表情は、いつになく厳しく引
き締まっていた。琥珀の瞳の厳しさが、場の緊張を高める。今度は、ゼオも含
めた場の全員が精霊に注目した。そして、精霊は再び目を伏せつつ、微かに揺
らめいてから首を横に振った。
『……いいえ……あの時……今まで私を捕えていたあの、黒い思念に……あの
人から引き離されて……この場所に閉ざされた時から、ずっと……私だけでは
なく、姉妹たちも皆……見失っているようです……』
 かすれた答えにユーリはそうか、と嘆息する。精霊がその存在を感知できな
いという事は転じて、今のドゥラには精霊の加護がなくなっている、という事
になる。それが意味するいくつかの可能性は、決して明るいのものではなかっ
た。
(考えたくはねえが……覚悟は、いるか……)
「……ユーリ、さん?」
 滅多に見せる事のない厳しい表情に戸惑いつつ、シーラはそっとその名を呼
んだ。ユーリは一瞬で表情をいつもの軽いノリのものに変え、どした? と言
いつつシーラを振り返る。ふと見回すと、シーラだけではなく、ラヴェイトも
困惑した面持ちでユーリを見つめていた。こちらには、微かな不安の色彩も見
て取れる。
「ユーリ殿……今のは……今の問いは、一体、どういう意味……なのですか?」
 問いかけるラヴェイトの声は微かに震えていた。ユーリはさてな、と言って
それをはぐらかし、ずっと持っていたままの剣をぶんっと一振りして、鞘に収
める。
「いずれにしろ、何があったのかはあいつに直接確かめるしかなさそうだから
な……あのバケモンも、今度こそ消えちまったようだし、ぼちぼち上に戻ると
しようぜ?」
 軽い口調でこう言うと、ユーリはシーラの方を見た。
「ま、その前に……シーラ、お前、大丈夫か?」
 それから、こんな問いを投げかけてくる。言われた意味を理解しあぐねたシ
ーラはきょとん、と瞬いた。
「大丈夫って……何が、ですか?」
 戸惑いをそのまま問いにすると、ユーリはばりばりと頭を掻く。
「お前、さっき上でどーなってた? まさか、もう忘れた訳じゃあるまい?」
 それから、ユーリはため息まじりにこう問いを返してくる。その言葉にシー
ラは先ほど感じた重圧の事を思い出した。戦いの場に戻れば、またあの重苦し
い思念と接する事になるだろう。全てを押し潰し、飲み込もうとしているかの
ような暗い波動――その重圧に耐えきれるかどうか、正直、自信はないのだが。
「……大丈夫、です」
 それでも、シーラはこう言って頷いていた。逃げる事はできない――そんな
思いがごく自然にわき上がっていたのだ。ユーリは厳しい瞳でシーラを見つめ
ていたが、やがて、そうか、と言って一つ息をついた。それから、ユーリはゼ
オの方を振り返る。ゼオは未だに膝を突いたまま、乱れた呼吸を整えようと躍
起になっているように見えた。
「……んじゃま、ラヴェイト、そこのボウズをちょっと診てやれ。そんなザマ
じゃ、役に立ちそうにねえからな」
「え? あ、はい……わかりました」
「……っ! オレに、構うなっ!!」
 ユーリの言葉にラヴェイトは素直に頷き、ゼオは何故か上擦った声を上げた。
しかし、ユーリは厳しい表情で首を横に振る。
「そうは、いかねえんだよ。そんなザマで、足手まといになられちゃ、こっち
は割にあわねえんだ」
「オレが……足手まといだと……!?」
 遠慮のない言葉にゼオはやや気色ばむ。
「ああ、足手まといだな。んなふらふらして、てめーでてめーを制御できてね
えようなザマで、ちゃんとシーラを護れるのか?」
「これは……そもそも、貴様がっ……」
「ゴチャゴチャ言うんじゃねーよ! のんびりしてんなっつったのは、お前だ
ろーが? だったら、大人しく人の言う事聞けっての!」
 貴様がおかしな話をするから、という言葉を最後まで言わせず、ユーリはこ
う言い切ってしまう。例によって妙な所に筋が通った物言いはゼオの反論を封
じ込み、少年は勝手にしろ、と言いつつユーリから顔を背けた。顔を背けたの
は、不安そうに自分を見つめるシーラから目をそらすためかも知れないが。
「やれやれ……ホレ、ラヴェイト」
 その態度に呆れたようなため息をつきつつ、ユーリは二人のやり取りにぽか
ん、としているラヴェイトを促した。それで我に返ったラヴェイトはゼオの傍
らに膝をつき、癒しを導く青い光を生み出して少年を照らす。
「……?」
 その瞬間、ラヴェイトの表情を困惑が掠めた。以前からこの少年の生命波に
は異常なものを感じていたのだが、こうして直に接してみると、それはより一
層強く感じられる。
(やはり……彼の存在には、異常な負荷がかかっている……生命波も、正常な
働きはしていない。それにこの感触は……彼らに、あまりにも良く似ている。
でも、なんだ……? 何か……強い力も、感じられる……)
 ゼオの生命波に、ラヴェイトは以前接したあるものと共通の波動を感じてい
た。それと共に、少年の中にある何か、大きな力の存在を感じ取る。それに対
する危惧や少年に対する疑問が強まるものの、今はそれを追求している余裕は
ない。ゼオの身体の疲れをできうる限り癒すと、ラヴェイトは立ち上がって水
の精霊に向き直った。精霊は不安を宿した瞳でじっとラヴェイトを見つめてい
る。ラヴェイトは一度はしまったエレメント・コアを取り出すと、それを乗せ
た手を精霊に差し伸べた。
「……行きましょう。そして……確かめましょう。あの人の、真実を」
 静かなこの言葉に、精霊は一つ頷いた。

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