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   13

 ……ゴウっ!!
 激しい音をたてて紅蓮の炎が舞う。炎は猛々しい竜を思わせる形を取り、咆
哮を上げてドゥラに襲いかかった。ドゥラは余裕の体でつい、と手を横に振る。
その背後に揺らめいていた黒い影が広がり、壁となって炎の竜を阻んだ。
「どうした? 『調律者』の力は、その程度か?」
 嘲りを含んだ問いにギルは答えない。仮面の奥の瞳は、じっとドゥラの背後
の影を見つめていた。
(……過去の怨気だけではない……ヤツの抱えていたものを媒介に、戦乱の怨
気をも、取り込んだか……)
 冷静に分析しつつ、ギルは再び炎を集める。
「……貴様は……貴様らは、何を成そうとしている?」
 静かな問いに、ドゥラは冷たい笑みを浮かべた。
「決まっている……『楽園』の再生だ」
「それを持って、何を成す?」
「『我ら』のあるべき様を取り戻すのだ……そう……『天空の支配者』たる姿
をな」
 当然だろう、と言わんばかりの答えにギルは仮面の奥でため息をもらした。
「……愚昧! 己が過ち、顧みずしてなんの支配者か!」
 鋭い言葉と共にギルは炎に形を与える。炎の竜が咆哮を上げ、真紅の閃光が
空を裂いた。

「……できるのか?」
 宣言したラヴェイトに、ユーリは静かにこう問いかけていた。
「やり方を、教えていただけるなら」
「……別に、難しい事はねえ。精霊の声を聞いて、それに応えてやればいい。
この場合は、そうだな……」
 言いつつ、ユーリは巨大生物を振り返る。
「あの中に精霊が食われてるらしいからな。なんとか、外に出してやればいい。
カンタンにできる事じゃあねぇぞ?」
「しかし、やらねばならないんでしょう?」
 真面目な面持ちでの問い返しに、ユーリはまあな、と肩をすくめた。
「なら、任せる。頼むぜ」
 短い言葉と共にユーリはコアをラヴェイトに渡した。ラヴェイトは深呼吸を
して気を静める。
『……助けて……』
 コアを手にすると微かだった声がはっきりと聞こえるようになった。合わせ
るように、巨大生物の中に青くかすむ影が見えるようになる。青く透き通るよ
うなその姿には微かに見覚えがあった。幼い頃に、何度か父の周囲にいるのを
見かけている。水の精霊だ。
(どうすれば、いいんですか? どうすれば、あなたをそこから助けられます
か?)
 エレメント・コアに意識を集中しつつ、ラヴェイトは精霊に向けて呼びかけ
る。その瞬間、巨大生物の身体が大きく震えた。その様子にユーリは眉をひそ
めつつゼオに呼びかける。
「ボウズ、シーラの方は任すぞ。ラヴェイトの方に行くのは、俺が引き受ける
からな」
「……勝手にしろ」
 素っ気なく答えつつ、ゼオはシーラの前へと移動した。光の剣を両手に構え、
こちらに来るものは迎撃する構えだ。巨大生物はぶるぶると震えたかと思うと、
一斉に触手を繰り出してきた。
「……あらよっと!」
 豪快な掛け声と共にユーリは触手を切り払う。ある程度予測はしていたが、
巨大生物はラヴェイトの方を集中的に狙ってきていた。彼が、自分の力の源を
奪おうとしている事を、本能的に悟っているのだろう。
(あんときゃ確か、ドゥラとレッドが狙われまくったっけな……)
 剣を振るいつつ、ユーリはふと十六年前の事を思い出していた。あの時、巨
大生物はドゥラとレッドを執拗に狙い続けていた。水を自在に操るドゥラと、
炎の上位精霊すら平然と従えていたレッド。巨大生物にしてみれば、これほど
恐ろしい存在はなかったのだろう。
 だが、二人はここにはいない。ドゥラの血と素質を継ぐラヴェイトはいるが、
レッドに代わる者はいないのだ。それが、不安材料にならないとは言わないが。
「……やれる事を、全力でやらねーとなっ!!」
 緑の輝きを伴って銀煌が舞う。まず、右上から、次に左上からの袈裟懸け、
最後に真横一閃の一撃を放つ。一瞬の静寂の後、緑色に輝く疾風の嵐が巻き起
こり、巨大生物に襲いかかった。
 うぎゅるううむっ!!
 巨大生物の絶叫が、空間に響き渡る。
『……道を……つないで……』
 一方、ラヴェイトの問いかけに精霊はか細い声でこう答えていた。
(道を、つなぐ?)
『……閉ざされているの……ここは……ずっと……黒い思念が、私を閉ざして
いるの……だから……出られない……』
(……黒い、思念?)
 精霊の言葉にラヴェイトはふとあるものを思い出していた。ドゥラの背後に
揺らめいて見えた黒い影の事だ。
(あの黒い影と、何か関係があるのか? まさか……)
 あれが一体何なのか、気にはなっている。だが、波動をたどる事でそれが何
かを確かめるには、相当な勇気が必要だった。ラヴェイトは軽く唇を噛み締め
ると、ひとまず弱気を横に起き、巨大生物本体の生命波をたどってみた。そし
て、伝わってきた感触にはっと息を飲む。
「……これは……こんな事って!?」
 思わず言葉が口をつく。戦いに関わっていないシーラが何事かとそちらを振
り返るが、答えている余裕はなかった。巨大生物の強すぎる生命波、それを構
築しているものの一つは、彼が初めて触れるものだった。
「……負の生命波……こんなものが、本当に存在していたなんて……」
 力と言うものは全て、正と負のニ側面を持ち合わせている。純粋な力である
生命波も例外ではない。正の力が生命を正常な形で生かす力であるなら、負の
力はその逆、生命を本来あらざる姿で生かす力なのだ。
 しかし、その存在を確かめた者は数少ない。齢百を数えるフィルスレイムの
古老でさえ、数度接した事がある程度だと言う。ラヴェイト自身も奥義伝承の
際に古老からその感触を教えられたきりで、実際に接するのはこれが初めてだ
った。
(つまり、これは……正と負、二つの力の干渉と、それによる力の暴走の産物
だという事か……?)
 触手をうねらせる巨大生物を見つつ、こんな分析を巡らせる。そう考えれば
納得は行くが、同時に、疑問も感じてしまう。これだけ肥大化した負の生命波
を生み出したのは何か、そして何故、それが水の精霊を捕えているのか――正
直、疑問は尽きない。
(いずれにしろ、生命波であると言うなら……ぼくの力で動かせる!)
 今は、尽きぬ疑問に煩わされている場合ではない。そう思いきると、ラヴェ
イトは再び精霊に呼びかけた。
(壁がなくなれば、出られそうですか?)
 この問いに、精霊はか細い声でなんとか、と答える。
(わかりました……ぼくに、少し時間を下さい。黒い思念の壁、取り除きます)
『……気をつけて……』
 震える呼びかけにはい、と頷くと、ラヴェイトはエレメント・コアをポケッ
トに入れて精神を集中した。
『負の生命波は哀しきものじゃよ……自らの在り方を認められぬ心が、自らを
歪めて生じるもの……認めて良いものではないが、忌むべきものでもない』
 フィルスレイムの古老の言葉が、ふと蘇る。
『……もし、負の波動を放つものと出会ったなら、決して忌避してはならぬぞ?
そなたの力……それを、正しき想いによって発揮したならば、必ず救えるはず
じゃ……』
(救う力……そう、それがぼくの求めているものなんだ……)
 こう思う事で昂ぶる気持ちを押さえつつ、ラヴェイトは負の生命波へと干渉
し始めた。巨大生物本来の生命波との接点を探り、その結び目を解いていく。
 うぎゅぎゅ……うぎゅうむううっ!!
 巨大生物が絶叫した。自己を構築するものの一つが引き離されていくのを感
じ、それに恐怖している――そんな感じだ。絶叫した巨大生物は触手をでたら
めに振り回し始める。
「げ……ちょっと待てよ、こらっ!!」
 突然の無差別攻撃にさしものユーリも焦りを見せた。シーラは何をか言わん
や、ゼオですらこの暴走には表情を厳しくする。ともあれ、ユーリは剣を振る
って近づく触手を切り払った。後ろには、動かないラヴェイトがいる。無差別
とは言ってもやはり触手の大半はラヴェイトを狙っており、その負担は大きか
った。
「……あの……ユーリさんを手伝ってあげて!」
 それに気づいたシーラは、とっさにゼオにこう訴えていた。ゼオは伸びてき
た触手を無造作に切り捨てつつ、何故、と問う。
「だって……ラヴェイトさん、狙われてて、ユーリさんの方が大変だし……」
「……オレの役目は、あくまでお前を……」
 ここで、ゼオは不自然に言葉を切った。
「……お前の身の安全をはかる事だ」
 それから、素っ気ない口調で途切れた言葉の先を続ける。漆黒の瞳はシーラ
を避けるように、ややずれたところを見つめている。
「あたしは、大丈夫だから!!」
「……根拠が……ない!」
 必死の訴えに苛立たしげに答えつつ、ゼオは光の剣を一閃した。断ち切られ
た触手が壁に叩きつけられ、べちゃり、と嫌な音を立てる。
 確かに、ゼオの言わんとする所はシーラにもわかる。この状況で戦う術を一
切持たない自分がいくら大丈夫だ、と言っても、なんら信憑性がないのは明ら
かなのだから。
「それでも……それでも、お願いっ!! このままじゃ、ユーリさんも、ラヴェ
イトさんも……」
「……」
 訴えかける声に答えず、ゼオは黙々と触手の迎撃に専念する。また、自分が
おかしくなっているような気がしてならなかった。だから、シーラの方を振り
返れない。振り返ってシーラを見たら、余計におかしくなる――そんな、確信
めいた思いが振り返る事を阻んでいたのだが。
「……お願い……リック……」
「……っ!?」
 震える声の呼びかけが、確信の阻止を振り切って少年を振り返らせた。振り
返った先にある、濡れた碧い瞳――それは、少年に異変をもたらす。胸の奥が
苦しくなるような心地がし、一度は治まった頭痛と吐き気が再び襲ってきた。
(ちっ……なんだと言うんだ、これは……くっ!!)
 こみ上げる吐き気を強引に押さえ込みつつ、ゼオはわかった、と言ってシー
ラに背を向けた。実際問題として、このままではユーリとラヴェイトが危険だ
ろう。自分がフォローすれば状況は随分良くなるはずだ。
『成すべき事、自分の務めを第一とするのは当然だが、状況に応じて自己の判
断で動け』
 ここに来る直前に、ギルに言われた言葉がふと蘇る。これまではただ、『守
護者』としての役割を果たせばいい、と言っていたギルの突然の言葉に正直、
最初は戸惑ったのだが。
(……こうなる事を、わかっていたと言うのか、ギル……)
 こんな事を考えつつ、ゼオはラヴェイトを狙う触手を切り払う。勿論、シー
ラの方に伸びる触手があれば優先的にそちらを落とすが、基本的にはユーリの
フォローに徹した。そちらを見やったユーリは一瞬、口元に微かな笑みを浮か
べ、それからまた迎撃に専念した。
 うぎゅぎゅぎゅ……ぎゅるぅうううむ!!
 巨大生物が絶叫する。それが放つ本能的な恐怖が生命波から逆流して精神を
激しく揺さぶるが、ラヴェイトはそれに耐えつつ結び目を解いていった。
(それにすがってはいけない……その力は、あるべき姿を歪め、捻じ曲げるも
の。今のそれは、お前のあるべき姿ではないんだ!)
 逆流してくる恐怖感を押し戻しつつ、ラヴェイトは生命波の接点を探り、そ
れを解いていく。
――イヤダ イヤダ イヤダ――
 不意に、逆流してきた思念が言葉となって響いた。
――イヤダ ウシナウノハ イヤダ――
――ワレラノセイチ ワレラノラクエン――
――スクッテクレ 『ライア・リューナ』――
――マッタキツバサモツ サイゴノコ――
――ラクエンニフサワシキ サイゴノ『メガミ』――
(……っ!? なんだ、これは……この生き物の、思念……?)
 とは、さすがに思い難かった。どう見ても本能でのみ生きている巨大生物の
思念にしては妙にまとまっているし、部分的に俗っぽい印象も受ける。
(と、言う事は……この、負の思念の残留思念だと言う事か?)
 となれば、こう考えるのが妥当だろう。ともあれ、ラヴェイトは力を集中し
つつ、最後の接点を強引に断ちきって二つの生命波を切り離した。

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