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   09

 結局、その日一日シーラは目を覚まさず、一行はその場で夜を明かす事にな
った。それでも翌日の夜明け前にはシーラも目を覚まし、一行は再び、古代都
市へと歩き始める。
 鋼の巨人との戦いの中で示した知識や力について何も聞かれない事に、シー
ラは多少、戸惑いを感じていた。勿論、聞かれたところで答えようなどないの
だが。そんなささやかな疑問に自分自身への疑問、ゼオに対する疑問が重なり、
シーラは自然と無口になっていた。もっとも、砂漠の旅では気軽なお喋りなど、
到底できるものではないのだが。
 そんな重苦しい旅路が一週間ほど続き、シーラの精神状態にラヴェイトが危
惧を抱き始めた頃、その場所は唐突に目の前に現れた。
「……え?」 
 それを見た瞬間、シーラの口をついて出たのはこんなとぼけた一言だった。
虚無的な白い砂漠の中に、瑞々しい緑の空間が佇んでいるのだ。それも、全く
唐突に。
「これは……オアシス?」
「お〜、成長したなぁ。あの水溜りがこうなったかぁ」
 ラヴェイトが呆然と呟く傍らでユーリが軽い口調でこんな事を言い、二人の
注目を集める。
「……成長したって……ユーリ殿、ここは一体!?」
「見てのと〜り、オアシスさ。もっとも、自然のものじゃないがな」
「自然のものじゃないって、なら一体、何なんですか!?」
「そう騒ぐなっての! とにかく、ここで少しのんびりして行こうぜ。ここか
ら先は本気でキツイからな」
 上擦った声で問うラヴェイトを軽くいなしてユーリは緑の奥へと入って行く。
シーラもラヴェイトも戸惑いつつ、ともあれそれに続いた。
「わぁ……」
 一歩、緑の帳の奥に踏み込んだだけで、周囲の様子は一変していた。生い茂
る木々の緑が目に眩しく、吹き付ける風の感触がなんとも心地よい。足元は柔
らかな地衣に覆われ、水の流れる音が気を鎮めてくれた。
「これは一体……砂漠の中に、どうしてこんな場所が?」
 ラヴェイトが呆然と呟く。シーラは最初に感嘆の声を上げたきり、言葉もな
かった。そんな二人の様子に満足げな笑みを浮かべつつ、ユーリは泉の辺に腰
を下ろした。
「ホレ、そんなとこにぼーっと突っ立ってないで、こっち来て休めや! 心配
すんなここの水は安全だよ」
 この言葉にシーラとラヴェイトは水辺に寄ってひとまず荷物を下ろす。一足
先に荷物を下ろし、身軽になったユーリは泉の水で豪快に顔を洗っていた。
「ふぃ〜、生き返るぜ……シーラ、ここの奥にもう一つ水場があるから、一休
みしたら砂、落としてこいや。身体中、砂まみれでいい加減気持ち悪いだろ?」
 確かにその通りなのでシーラは素直に頷いた。どんなにしっかり防いでいる
つもりでも、砂が服の中に入り込むのを完全に止める事はできない。状況的に
耐えてはいたものの、その感触が気を滅入らせる一因となっていのたのは確か
だった。正直、今は一本に編んでいる髪を解いた時、どれだけの砂が落ちるの
かとうのは考えたくない。
「ユーリ殿、ここは一体? 自然のものではない、というのは、どういう事な
のです?」
「ま、元は自然のもんだったのかも知れねぇがな。干からび寸前だった水場に
精霊力をぶちこんで、再生させたもんさ。あんときゃ水場二つと茂みしかなか
ったってのに、よくぞここまで成長したもんだぜ」
 矢継ぎ早の問いに、ユーリは妙に感慨深い口調でこう答えた。この答えにラ
ヴェイトはぐるりと周囲を見回す。
「それでは……ここは、十六年前に?」
「ああ、俺たちが手を入れて作った場所さ。まさか、こんなになっちまってる
たぁな。正直、驚いたぜ」
 呟くように答えるユーリの瞳はどこか遠くを見ているようだった。昔の事を
思い出しているのか、それとも、自らの手で永久の眠りに就けた仲間の事を思
っているのかは定かではない。ただ、その瞳の陰りはこの場所に対するこれ以
上の追求をためらわせるものがあった。
「おっと、妙に暗くなっちまったな。どれ、シーラついてきな。奥の水場を教
えてやる。そこで、少しのんびりするといい」
 その陰りを瞬間で吹き飛ばし、ユーリはこう言って立ち上がる。
「それはいいんですが、危険はないんですか?」
 ラヴェイトが至極もっともな疑問を投げかけると、ユーリはひょい、と肩を
すくめた。
「ああ、心配すんな。ま、仮になんかあっても、大声出せばすぐに聞こえる距
離だ。問題ねえよ」
 ユーリの説明にラヴェイトははあ、と気のない声を上げる。シーラは荷物袋
の中から衣類の包みと櫛を取り出した。状況的な不安は否めないが、身体につ
いた砂を落としたい、という気持ちの方がその不安よりも強かった。木々の間
を抜けて奥に入って行くと、入ってすぐの所にあったものより一回りほど小さ
な泉の辺に出た。こちらの泉は周囲を木々に囲まれており、向こうからは全く
見えないようだ。その事実にシーラはほっと安堵の息をつく。
「……シーラ」
 ほっとしているシーラに、ユーリが静かに呼びかけてきた。え、と言いつつ
振り返ると、頭の上にぽん、と大きな手が置かれた。
「あんまり、思い詰めるんじゃない。お前はお前、確かに、生まれはちょいと
普通じゃねぇが、それでも、お前はお前だよ」
「ユーリさん……」
「考えてもどうにもならねぇ事で、ウジウジするなよ。美人が台無しだぜ? 
答えは、この先にある……だから、今はそいつに煩わされるんじゃない。わか
るな?」
 静かな言葉にはい、と頷くと、ユーリはよっしゃ! と言って頭を撫でてく
れた。温かい感触が心を静めてくれる。
「答えは、この先にある……そうよね。それを知るために、あたしはここに来
て、先に進もうとしてるんだから……」
 ユーリが行ってしまうと、シーラは小声でこう呟いた。勿論、完全に吹っ切
れている訳ではないが、ユーリの飾らない言葉は自分自身に対する疑問と、そ
れがもたらす不安を一時、退けてくれた。少しだけ明るい気持ちになったシー
ラは砂まみれの服を脱ぎ、ずっと編んだままにしておいた髪を解いた。予想し
ていた通り、服からも髪からも大量の砂がこぼれて足元に積もる。
「……わ、冷たい……」
 水辺に屈んで透き通る水にそっと手を入れると、その冷たさが良くわかる。
深さの方もそれなりにあるようだ。シーラは一つ深呼吸をすると、足から水の
中へ滑り込む。冷たさが身体の火照りを奪い、心地よさとなって包み込んでく
る。一度、完全に水に潜って全身を濡らし、ゆっくりと水辺に身体を引き上げ
ると、木々の間から差し込む明る過ぎる月光を水滴が弾いた。その輝きは光の
ビーズさながらに濡れた肌を美しく飾り立てる。
「ふう……気持ちいい……」
 水の心地よさに嘆息しつつ、髪と身体についた砂ぼこりを洗い落とす。どこ
となく幼さを感じさせる柔らかな肢体は、汚れから解放されると月光の下にそ
の艶やかさを際立たせた。白い肌に陽光色の髪が鮮やかに映え、水滴のビーズ
と首にかけたフィアナ石が美しく光を弾く。ふと目を落としたその輝きは、言
い知れぬ切なさを心の中にわき上がらせた。
「……リック……」
 両手で包み込むようにフィアナ石を握り締めつつ、そっと名を呟く。リック
の事を想うと、今はそれと共に黒翼の少年の事が思い出され、その冷たい瞳が
気持ちを塞いだ。とにかく、リックとゼオの事を考えると気が滅入り、その気
の滅入りがユーリやラヴェイトに無用の心配をかけている事は感じていた。
「……しっかりしなきゃ……しっかり……」
 自分自身に言い聞かせるように何度となく繰り返す。その背後で、茂みがが
さりと音を立てた。
「……っ!?」
 はっと振り返るとそこには、こちらを見つめるように灯る二つの紅い光があ
った。

「……」
「……おいおい」
「……」
「ちった、落ち着けや」
「……」
「……やぁれやれ」
 何度目かの呼びかけの後、ユーリは処置なし、と言わんばかりのため息をつ
いた。そのため息の原因――ラヴェイトは苛立たしげな面持ちで水面を睨み、
時折、シーラのいる水場の方へ視線を走らせている。シーラを一人にするのが
心配なのだが、様子を見に行く事は当然できない。そこに生じるジレンマに苛
立っているのだ。ユーリに言わせれば過剰な心配もいいところなのだが、言っ
たとてムダなのは間違いない。
(そんなに気ぃ張っても仕方ね〜だろ〜が……っとに、若いねぇ)
 ふとこんな事を考えてため息をついた、その時。
「……きゃあああああっ!」
 木々の奥から悲鳴が聞こえてきた。水面を睨んでいたラヴェイトがはっと顔
を上げ、ユーリは訝るように眉を寄せる。シーラに何かあったのは間違いない
が、このオアシスは精霊の力によって守られている。何か異変があれば、風の
精霊たちがすぐにユーリに伝えるはずなのだ。にもかかわらず、その警告がな
かった、と言う事は。
「そんな、騒ぐ事じゃね……って、おい、ラヴェイト!」
 さほどの大事ではない、とユーリが結論づけるより早く、ラヴェイトは走り
出していた。
「シーラさん、どうしま……わっ!!」
「え!? あ……きゃあああああっ!!」
 二人の声が交差し、ばしゃあっ!という水音が木々の向こうから聞こえてく
る。
「……あのバカ……自爆しやがった。若いねえ……」
 一人残ったユーリは、深いため息と共にこんな呟きをもらしていた。

「……で、一体、何があったんだ?」
 一連の騒ぎから五分ほど過ぎ、着替えをすませたシーラが戻ってくると、ユ
ーリはにやにやと笑いながら二人に問いかけた。ラヴェイトは栗色の髪から水
滴を滴らせつつ、仏頂面で黙り込んでいる。心無しか決まり悪げなのは気のせ
いではないだろう。一方のシーラは微かに頬を赤らめて俯いている。その表情
には怒りと、申し訳ない、という思いとが混在しているように見えた。
「おいおい、黙ってちゃわからんぞ〜? シーラ、一体何があったんだ、大声
出して?」
 黙り込む二人にユーリはため息をつき、それからシーラに水を向ける。シー
ラはそれが、と言って肩越しに後ろを振り返った。それに応えるように、ぴょ
こん、と小さな生き物が顔を覗かせる。大きな耳が印象的な砂漠ネズミと呼ば
れる生き物なのだが、シーラの肩にひしっとつかまるそれは不思議な色合いを
していた。通常の砂漠ネズミは茶褐色をしており、子供でもそれなりの大きさ
があるのだが、それは全身が白い毛で覆われ、目は鮮やかな真紅。大きさ的に
もかなり小さい。
「なんだそりゃ、砂漠ネズミか? 随分と妙ななりだが……」
「……アルビノですね。生まれつき、体の中の色素が欠乏している個体です」
 眉を寄せるユーリに、ちらり、と白いネズミを見たラヴェイトが説明する。
「色素が欠乏? ああ……ようするに、色が作れないってヤツだな」
「……そういう表現もありますね」
 大雑把な納得にラヴェイトは苦笑する。というか、ここはそれで終わるしか、
ない。
「で? そのネズミと、お前の上げた悲鳴と、ど〜ゆ〜関係があるんだ?」
「……えっと……水浴びしてたら、急にがさって音がして……びっくりして、
振り返ったら、暗い所にこの子の目だけ光ってて、それで……」
 驚きのあまりつい声を上げてしまったらしい。そこにラヴェイトが飛び込ん
できたため今度はそちらに驚いてしまい、とっさに水をかけてしまった、とい
うのが事の顛末だった。
「……不用意さではどっちもどっちだが……どっちかって〜と、ラヴェイトの
ボケだな、こりゃ」
「はいはい、わかってますよ、それは」
 呆れきったユーリの言葉にラヴェイトはどことなく投げやりな口調でこう答
える。見ようによっては拗ねているようにも見えた。
「で、シーラ。そのチビスケ、どうするんだ?」
 そんなラヴェイトに処置なし、と言わんばかりのため息をつくと、ユーリは
シーラに問いかけた。シーラは砂漠ネズミを手に乗せて真紅の瞳を見つめる。
砂漠ネズミの方も訴えかけるようにシーラを見つめていた。
「……連れて行っちゃ……ダメ、ですよね?」
 沈黙を経てシーラが出した結論に、ユーリは一つ、ため息をついた。
「言うと思ったよ。ま、その辺は好きにしな」
 それから、呆れたような口調でこう答える。シーラの表情に安堵が浮かぶが、
ラヴェイトは難しい面持ちで眉を寄せた。
「……気軽におっしゃいますが、大丈夫ですか? アルビノは非常に身体が弱
いし、色素不足のせいで強い日差しにも耐えられません。そもそも、乾燥を好
む生物がこういった場所にいるというのも異常なんですよ? それを考えれば、
ここから動かすべきではないのですか?」
「ヤバくなったら、お前がなんとかしてやりゃいいだろ? そいつのおかげで
いいモン見れたんだ、そのくらいはやってやれよ、水も滴るいい男?」
 論理的な反論をさらりと受け流され、ラヴェイトは絶句する。シーラも複雑
な面持ちで目を伏せた。そんな二人の様子にユーリは楽しげな笑みをもらす。
「それよりも……ホレ、お前も行って、砂、落としてこいや! この先にはも
う、水場はねえんだ。ここでしっかり休んで、一気に行くぞ!」
 一転、真面目になったユーリの言葉に、シーラもラヴェイトも気持ちを引き
締め、はい、と頷いた。

「……『ガーディアン』による確保は、失敗か……」
 薄暗い空間に低い呟きがこぼれる。呟きの主は空間の中で唯一光を放つ水晶
球を見つめつつ、微かに眉を寄せた。栗色の髪と藍色の瞳の壮年の男――ぼん
やり霞む光に浮かぶ姿は、どことなくラヴェイトに似ている。
「彼の者たちの現在地は……精霊の泉か……むう」
 低く呟いて、水晶球の上に指を走らせる。それに応えるように滑らかな表面
を光が滑り、消えた。それを確かめると男は水晶球に手をかざす。球の光が消
え失せ、それと入れ替わるように室内がさっと明るくなった。薄暗い空間は一
転、機能的な印象の執務室へと姿を変える。
「あの場所まで行かれた以上、私自ら赴かねばならんな……『聖域』に到る前
に、『監視者』を確保せねばならぬ……」
 誰に言うともなく呟く、その背後に一瞬ゆらめく影のようなものが浮かび上
がる。が、その影は部屋のドアがノックされるのと同時にふっと消え失せた。
「ヴァスキス議長、定例会議のお時間です」
 ドアの向こうからの呼びかけに、男――央都賢人議会議長、ドゥラ・ヴァス
キスはわかった、と応じてゆっくりと立ち上がった。

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