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   08

「ユー……リ……いてぇ……たすけ……て……」
 途切れがちの訴えに、ユーリは苛立たしげに舌を鳴らした。
「……ガキの頃からそうだったな、お前は。すぐに俺に泣きついてきやがって
……ちったあ、てめえで物事片付けてみろってんだ。だからお前は、いっつも
レッドにコケにされてたんだぜ?」
 呆れたように言いつつ、ユーリは大剣を下段に構える。琥珀の瞳が、これま
で見せた事のない厳しさを帯びた。
「……ユーリさんっ!?」
 静かな闘気に、シーラは上擦った声でユーリを呼ぶ。思わずそちらに走り出
そうとするシーラを、ゼオが無言で押し止めた。
「手を出すな」
「で、でも……」
「あの男は手出しを拒んでいる。それに、ああなった者を救う術は、一つしか
ない」
 淡々と語る、その言葉の意味はわかる。バルクを救う術は一つだけ、死をも
たらす以外にない事は、彼女の中の『知識』も告げていた。
「でも……でも、だからって……!」
 かつて生死を共にした仲間の再会と、その結末がこれではあまりにも過酷過
ぎる。シーラは困惑しつつラヴェイトを見るが、治癒術師は無言で目を伏せた。
「……仮に秘術を用いたとしても、バルク殿を『人間』として蘇らせる事は、
不可能でしょう……フィルスレイムの技は、肉体が完全な状態にある事で、最
大の効力を発揮します。しかし……」
 ここで、ラヴェイトは小さくため息をついた。人の肉体と鋼が不自然な形で
融合しているバルクには、いかなる秘技も効果はないのだ。恐らく治癒を試み
たなら、歪められた生命波は今、最も正しい姿へと自らを正して行くだろう。
それは即ち消滅――行き着く先は、死だ。
「だからって……こんなの……酷い……」
 呟きながら座り込んだその時、何か、異様な力が感じられた。不愉快とも言
える感触にシーラははっと顔を上げ、同時に、バルクが頭を抱えて絶叫した。
「な、なんだっ!?」
 突然の事にラヴェイトが上擦った声を上げる。バルクはしばらく悶絶してい
たが、それが治まるのと同時に背負っていた長柄斧を手に取って振り回し始め
た。
「……なにっ!?」
 思わぬ攻撃に困惑しつつ、ユーリは飛びずさってその一撃を避ける。バルク
はそれを追って踏み込み、ユーリは振り下ろされた斧を振り上げた大剣で弾い
て向こうのバランスを崩した。
「どっちなんだ、てめえはっ!? 助けろっつったり、殴ってきたり!!」
「ユーリ……たすけて……」
「だったら……斬りかかってくるんじゃ……ねえよ!!」
 激しいラッシュを的確に受け流しつつ、ユーリは苛立たしげに怒鳴る。バル
クは相変わらず助けを求めてはいるものの、その攻撃は激しさを増していた。
心と身体の行動が、まるでちぐはぐだ。
「一体、どうなっているんだ……?」
 突然の事に、ラヴェイトが呆然と呟く。
「ラヴェイトさん、止められないの!?」
「それが、ダメなんです。ぼくの力よりも更に強い何かが、バルク殿に戦いを
強要しているような感じで……全く、干渉ができないんです」
 問いに答えたラヴェイトは、苛立たしげな様子で唇を噛む。シーラはそんな、
と呟いて戦う二人を見た。
『……ライア……』
 覚えのない声が意識に響いたのは、その時だった。
『白き翼の『監視者』ライア・リューナ。その名において、戦いの停止を命じ
よ……』
 突然響いた男の声は静かにこう告げる。覚えは全くないのだが、その声は何
故か懐かしく感じられた。
「あなた……誰? ライア・リューナって……?」
『『監視者』の証、『天空の瞳』を持ち、白き翼の『監視者』ライア・リュー
ナの名において戦闘停止を命じよ。他に、その者を救う術はない』
 戸惑うシーラに一方的に告げると、声は途切れた。直後に腰のポーチが青い
輝きを放つ。光を放っているのは、以前ルフォスから渡された腕輪のサファイ
アだった。
「これ……これが、『天空の瞳』?」
 ふともらした呟きを肯定するように、蒼い鋼玉は煌めきをこぼす。しばしの
逡巡を経て、シーラはそれを右の手首にはめた。ユーリとバルクはいまだに刃
を合わせ続けている。立ち上がったシーラはそちらを見やりつつ、祈るように
手を組んだ。
「……白き翼の……『監視者』ライア・リューナの……名において……お願い、
もう戦わないでっ!!」
 切なる思いのこもった言葉に応じるようにサファイアが輝きを増し、同時に、
白い輝きがシーラをふわりと包み込んだ。光は美しく乱舞し、少女の背に真白
の翼を開かせる。夜明けが近づき、色彩の薄れ始めた空に無垢な白が美しく映
えた。
「……シーラ?」
 光に振り返ったユーリが呆然と呟く。白い翼を持つ少女の姿に一瞬、全く異
なる者の姿が重なり、消える。
(これが、以前レイヴィーナ殿の話していた翼……しかし、あの姿……まるで、
女神……精霊神レイフェリアだ……)
 無垢な白に半ば見入りつつ、ラヴェイトはふとこんな事を考えていた。
 ガ、シャン……
 不意の金属音が、それぞれの理由で立ち尽くすユーリたちを我に返らせた。
はっと振り返れば、あれほど激しく攻撃を仕かけていたバルクが動きを止めて
いる。泣き腫らした目は、シーラに向けられていた。
「もういいの……もう、戦わないで。こんなの……みんな、苦しいだけだから」
 シーラの言葉にバルクはがくん、と頷いてユーリを見た。その言わんとする
所は言葉を尽くすまでもない。
「胸部にある、紅い水晶を砕け。それで、そいつは起動停止する」
 バルクに向き直るユーリにゼオが淡々と告げる。この状況にあってなお、漆
黒の瞳は無表情のままだ。ユーリはそうか、と頷いて剣を下段に構え、走った。
黎明の砂漠に澄んだ音が響き、紅い破片が暁光に美しく煌めく。
「……ユーリ……」
「先に逝きな……俺は、まだまだ逝けねえからな……親父たちやユリナに、よ
ろしくな」
 この言葉にバルクは頷いたらしかった。直後に黒い閃光が迸り、全てが一瞬
の内に黒い塵と化し、消える。
 静寂が、しばしその場を支配した。しかしそれは長いものではなく、不意の
爆発音によってあっさりと打ち破られる。ゼオが動きを封じて放っておいた最
後の巨人の胸を刺し、爆発させたのだ。
「……どうして!?」
 爆発音に振り返ったシーラは、上擦った声で問う。司令塔が消滅した以上、
鋼の巨人たちはこちらに危害を加えはしない。まして動きを封じてあるのだか
ら、破壊する必然はないはずなのだ。
「放っておいても、どうせ機能停止する。ならばマナを浪費させる必然はない」
 叫ぶような問いにゼオは淡々とこう返してきた。
「でも! でも、その子たちだって……生きてるのに」
「所詮、造られ、生かされているだけの存在。こいつらに意思がない事は理解
しているはずだ」
「……それは、そうだけど……でも、だからって……」
 冷たい正論にシーラは返す言葉を無くして口篭もる。言葉と瞳の冷たさが、
言いようもなく心に痛かった。
「そんな理屈だけで、人は割りきれるものではない! 君とて、人であるなら
それくらいわかるだろう?」
 口篭もるシーラに代わりラヴェイトがこう主張するが、
「オレの存在には……感情は介在しない」
 それに対するゼオの答えは簡潔だった。
「オレは『守護者』。オレの役目は『監視者』を護る事。そして、オレの存在
には役目以外の意義はない。故に、オレの存在に感情は介在しない……それだ
けの事だ」
 冷たい宣言にラヴェイトもまた、言葉を無くす。シーラは呆然としたままゼ
オを見つめた。こちらを見つめ返す瞳は無機質、無表情で、言いようもなく冷
たい。それと同じくらい冷たい沈黙を経て、ゼオはシーラに背を向けた。ざっ
……と音を立てて、漆黒の翼がその背に開く。
「……リック!」
 とっさの呼びかけに何ら応える事無く、黒衣の少年は黎明の空へと飛び去っ
て行く。直後に、シーラは激しい疲労感を感じてよろめいた。すぐ側にいたラ
ヴェイトがとっさに支えてくれたおかげで倒れるのは免れたものの、身体に力
が入らず、その内、目眩もしてきた。
「シーラさん、しっかり!」
 ラヴェイトの呼びかけを遠くに聞きつつ、シーラは意識の暗闇へ、ゆっくり
と沈んでいった。

 物心ついた時、その存在はいつも近くにあった。自分が引き取られた三日後
に神殿の前に置き去りにされていたところを保護されたという幼馴染は、いつ
も一緒にいて、何かあると当たり前のように護ってくれた。
『シーラちゃんの騎士様だね、リックは』
 シーラのためだからと、時には無謀な挑戦も辞さなかったリックを、街の人
々はこう称していた。いつも一緒で、誰よりも自分を想ってくれているのがわ
かっていたから、だから、フィアルの誓いを交わす事にもためらいはなかった。
突然の異変に引き裂かれても、それでも、リックが生きている事は信じていた。
理屈ではなく、そう信じていたから。だが……。
(……わからない……わからない……)
 不意に舞い降りた漆黒の翼の少年の存在は、シーラの心に強い戸惑いを与え
ていた。寸分違わぬ姿形に、声。でも、その瞳は冷たく、声にも温かみは感じ
られない。いっそ全くの別人と思い切ってしまえば楽になれるのだろうが、そ
れで切り捨ててしまうには、リックとゼオはあまりにも良く似ている。何より、
二人が同一の存在であるという、確信めいた思いがシーラにはあった。これも
また理屈ではなく、感覚がそう認識させているのだが、それ故に、辛い。
(リック……どこ? どこに行っちゃったの……?)
 祈るように呼びかける声に、返事はない。

「……不機嫌だな」
 仏頂面で目の前の砂を睨むラヴェイトに、ユーリは静かに声をかけた。ラヴ
ェイトはそうですか、と硬質の声でそれに答える。低い声からははっきりそれ
とわかる苛立ちが感じられた。
 鋼の巨人と化したバルクとの戦いの後、ユーリたちは巨大な砂岩の作る日陰
に落ち着いて日暮れとシーラの目覚めを待っていた。意識を失うのと同時にシ
ーラの翼は姿を消し、今はいつもと変わらぬ姿に戻っている。ラヴェイトは時
折そちらを見ては、また苛立たしげに砂を睨む、という事を繰り返していた。
「……何か気にいらねえのか、あのゼオってボウズは?」
 再びユーリが問うと、ラヴェイトは軽く唇を噛んだ。
「気に入らない……そうですね。彼のあの冷たい目は、ぼくには、許し難いも
のです」
 やや間を置いて、ラヴェイトは低くこう答える。
「まぁ、あんまりいい目つきじゃあねえな」
「目つきの問題じゃありません! 何の感情もない冷たい目……あれは、ぼく
にとって嫌悪すべき物なんです!」
 感情的な言葉にユーリは眉を寄せた。
「……どういう事だ?」
「かつて、あれと同じ瞳を見ました。そして……その瞳に、人の心が切り裂か
れる様を目の当たりにしたんです」
「……シェラーナの事……か?」
 短い問いに、ラヴェイトは無言で頷いた。
「母は、毎日あの人の無事を祈っていました。あなたが生還してからは、より
一層、無事を信じて……なのにっ……なのに、あの人はその想いに何も応えな
かった……何の感情もない、冷たい瞳で、忙しいからシェルナグアへ帰れと、
それだけだったんですよ!? 母が……どれだけ傷ついたか、わかりますか!?」
 話している内に気が高ぶったのかラヴェイトは感情的な声を上げ、ユーリは
そんなラヴェイトを静かに見つめた。
「だから……それを思い出させるから、アイツは気に入らねぇ、と?」
「……子供っぽい感傷なのは、わかっているつもりです。だけどっ……」
 言いつつ、ラヴェイトは眠ったままのシーラを見た。
「だけど……今のシーラさんを見ていると、あの頃の母さんの事が思い出され
て……ぼくはいつも、何もできないから……それが、苦しいんです」
 小さなため息と共に、藍の瞳が陰りを帯びる。
「例え治癒の奥義を極めても、人の心を癒しきる事はできない、とフィルスレ
イムの大導師は仰っていましたが……正直、ここまで何もできないと情けなく
なりますよ」
「ま、こればっかりはシーラとアイツの問題だからな。だから、お前が落ち込
むこたねぇだろ」
 軽い口調でさらりと言うと、ラヴェイトはええ、まあ、と言葉を濁す。その
様子に、ユーリはやれやれ、とため息をついた。あれこれと理屈をつけてはい
るが、結局、ラヴェイトがシーラの事を心配しているのは明らかだ。ただ、当
のラヴェイトにその事実と、その大元となる想いに対する自覚がないのも間違
いないだろう。周囲を気遣いすぎるあまり、自身の心情に鈍い所は遺伝らしい。
(……下らね〜とこそっくりだな、ドゥラと)
 ふとこんな考えが過るが、口に出す事はない。父を嫌悪している今のラヴェ
イトに、その父と似ている、という指摘は禁句だ。
「あの……ユーリ殿」
 昔の事を思い出していると、ラヴェイトが妙に改まった様子で呼びかけてき
た。
「ん? どしたい?」
「幼い頃に聞いたのですが……あなたと父が、母さんを巡って争った事がある
と……」
「……んなっ!?」
 思いも寄らない話にユーリは素っ頓狂な声を上げる。その反応にラヴェイト
は目を見張り、それから、本当なんですね、と呟いた。
「って、あのな……そこで納得するなよ!? 大体、どっからんな話を……」
「ルフォス伯父上と、アイサ叔母上の二人です。特に、叔母上はフィルスレイ
ムでのぼくの後見人を務めてくださいましたから……色々と」
「アイサがぁ? ちっ……口から生まれたお喋りめ、ガキに余計な事、吹き込
みやがって……」
 苛立たしげに吐き捨てつつ、ユーリはばりばりと頭を掻き毟る。
「……昔の話だ、昔の話! 今更、んなもん持ち出してくんなっての!!」
 元々ぼさぼさの髪を更に滅茶苦茶にすると、ユーリはもの言いたげなラヴェ
イトにこう怒鳴る。ラヴェイトはそうですか、と呟いて一応は納得したようだ
ったが、瞳には再び、陰りが浮かんでいた。
「……どしたい? なんか、納得できねーか?」
 ため息まじりの問いに、ラヴェイトはいえ、と首を横に振った。
「納得できるできないの問題じゃなくて……ただ……何故、母があの人を選ん
だのか、それが、ぼくにはわからないんです。何故……あなたではなかったの
かと」
 呟くような問いかけにユーリはため息をつき、それから、さあな、と言いつ
つ肩をすくめた。

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