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   06

 翌日から、砂漠越えが始まった。早朝と夕刻の限られた時間帯を選び、無機
質な砂の中を渡っていく。時間を選ぶのは、昼間の炎天下と深夜の零下を避け
るためだ。とにかく時間帯による気温の差が激しいため、ユーリは行動する時
間は厳しく制限していた。
「しかし……妙だな」
 砂漠に入ってから二週間が過ぎた日の夜、ユーリはその日の夜営地に選んだ
岩陰で、ぽつりとこんな呟きをもらしていた。
「妙って……何がですか?」
 呟きを聞きつけたラヴェイトが問うのに、ユーリはいやな、と言いつつ頭を
掻いた。
「なんて言うかね……ラクなんだよ、妙に。十六年前にここを通ったときゃ、
こんなのんびりと夜営できた事なんざ、ほとんどなかったってのに……」
「……そうなんですか?」
「ああ……ほれ、そこの砂山……見えるか?」
 不思議そうなラヴェイトに頷いて、ユーリは左手の砂山を指差した。
「あの砂山が……何か?」
「中に、埋もれてるもんがあるだろ」
 この言葉に、ラヴェイトは元より最近ずっと落ち込んでいたシーラも興味を
引かれ、月明かりに照らされる砂山を凝視した。そして、シーラは砂の中に何
か、異質な物が埋もれているのに気づく。
「何ですか、これ? 鉄の塊みたいな……」
 振り返りつつ問うと、ユーリは一つ、息を吐いた。
「十六年前にここを通った時に出くわした、鋼の化け物の残骸さ……剣も斧も
通じねえわ、火の魔法もほとんど効かねえわで、偉い目に遭わされたんだよ」
 ため息まじりの言葉にシーラとラヴェイトは改めて砂山を見るが、埋もれた
それは黙して何も語りはしない。
「でも……そんな化け物、どうやって倒したんですか?」
 それから、ラヴェイトが至極もっともな疑問を投げかける。この問いにユー
リはばりばりと頭を掻いた。
「ああ、水、ぶっかけたら動きが鈍ったんでな。鎧の隙間に剣の切っ先ぶち込
んだら、それで動かなくなった」
「え……でも、どうやったんですか、砂漠でお水なんて」
 大雑把な話に呆気に取られつつ、シーラはふと感じた疑問を投げかける。こ
の問いにユーリは何故かラヴェイトの方をちらりと見、それから、色々とな、
と言葉を濁した。ラヴェイトの方はそれで合点がいったらしく、そうですか、
と呟いて目を伏せる。一人、事情を理解していないシーラは戸惑うが、二人が
それっきり何も言わないため疑問を飲みこまざるをえなかった。
 そして、翌日。
「さて、それじゃ行くか」
 日の出前に目を覚まし、保存食で食事を済ませると、例によってユーリが号
令をかけて三人は歩き始める。深夜の冷え込みの残る早朝の砂漠の移動は過酷
だが、何時の間にか身体のほうが環境に慣れてきたらしく、旅立ったばかりの
頃に比べてシーラの歩みはしっかりしている。その適応の早さには、ユーリは
元よりラヴェイトも感嘆していた。
 ラヴェイトの方も砂漠は初めてだが、こちらは治癒術師としての能力を生か
してどうにか環境に身体を慣らしていた。言うまでもなく、ユーリは既に環境
に慣れきっており、その歩みは滞る事を知らない。
「……っ!?」
 早朝の静寂の中をしばらく進んだところで、シーラは不意に違和感を感じて
いた。何と言うか、不自然な力とでも言うべきものが、何の前触れもなく感じ
取れたのだ。
「ん? どうした、シーラ?」
 突然足を止めてしまったシーラに、ユーリが訝るように呼びかけてくる。ラ
ヴェイトも怪訝そうにシーラを見ていたが、直後に、眉をひそめて周囲を見回
し始めた。
「おいおい、どーしたんだよ、二人して?」
 そんな二人の様子に、ユーリは頭を掻きつつ眉を寄せるが、直後に響いてき
た音がその表情を引き締めた。
 ギギイ……ギギギギギ……
 鋼がきしむような音が大気を震わせる。続けてがしゃん……という金属音が
響いた。
「……まさか?」
 ユーリが低く呟く。その表情には、微かながら困惑が覗いていた。
 がしゃ……がしゃん……がしゃん……
 そんな困惑をよそに、金属音はゆっくりとこちらに近づいて来る。金属鎧を
身に着けた騎士が歩く音にも似ているが、常識から考えれば、こんな所にそん
なものがいるはずが無い。そもそも、騎士という存在からして形骸化して久し
いのだ。まして、炎天下と零下とを繰り返す砂漠で金属製の鎧など、身に着け
られる道理が無いだろう。普通の人間であれば。
「ユーリ殿、これは……」
「ああ……嬉しくねえが、間違いねえ」
 ラヴェイトの問いに、ユーリは吐き捨てるようにこう答える。その表情には
困惑に代わり、強い苛立ちが顔を覗かせていた。
「もしかして、夕べ話してくれた……鋼の、お化け?」
 二人の会話からふとそれに思い至ったシーラが問うと、ユーリはああ、と頷
いた。
「いずれにしろ、相当に不自然な存在であるようですね……とても、不愉快な
力を感じます」
 ラヴェイトが低く呟いてシーラの側に寄る。ユーリは無言で剣の柄に手をか
けた。そして、シーラは。
(なに、この感じ……誰か……泣いてるみたいな……)
 意識に直接語りかけるように響く声に困惑していた。助けを求めてすすり泣
く声だ。だが、それに思い煩う余裕はどうやらないらしい。
「……来るぞ!」
 ユーリが鋭く叫び、直後に砂が激しく舞い上がった。

「……っ!!」
 岩山の上で膝を抱えるようにして座り込んでいた少年は、伝わる気配にはっ
と顔を上げた。
「どうした、ゼオ」
 傍らに佇む仮面の男が静かに問う。『守護者』を名乗る少年は答えずに立ち
上がり、一点を見つめた。
「……『監視者』に危機が迫っている」
 沈黙を経て、少年は低く呟いた。仮面の男はそうか、と呟き、少年と同じ方
向を見やる。
(この『気』は……そうか、あれが動かされている……)
 そちらから感じる気配に男はこんな事を考え、それから、翼を広げる少年に
呼びかけた。
「……ゼオ」
「なんだ、ギル」
「これを『監視者』と共にいる男に渡せ」
 言いつつ、男は緑に輝く宝石のような物を少年に渡した。少年はわかった、
と応じてそれを受け取り、夜蒼色の空へ飛び立って行く。
「……眠らせてやれ、ユーリ。お前の手で……」
 聞く者のない呟きがこぼれ、風にかき消されていく。

 ガキィィィィィンっ!
 派手な金属音が響き、振り下ろされた大剣が弾かれる。衝撃が痺れを伴って
手に伝わり、ユーリは苛立たしげに舌を鳴らしつつ剣を持ち替えた。今、一撃
を加えたもの――鋼の巨人は何事もなかったようにそこに立っている。
「ったくよぉ……できれば、こいつにだきゃあ会わずに済ませたかったぜ」
 苛立ちを込めて呟きつつ、敵との間合いを計る。鋼の巨人の頭部に灯る冷た
い光はユーリの向こう、立ち尽くすシーラに向けられていた。当のシーラはど
うする事もできずに立ち尽くしている。一応、ラヴェイトが側についてはいる
が、こちらも困惑した面持ちだった。
(何なんだ、これは……生物……ではない。でも、生命波を感じる……生きて
いる? まさか……)
 幼い頃から治癒術を学び、若くしてフィルスレイム流の秘技・奥義と呼ばれ
る技の全てを伝授されたラヴェイトにとって、鋼の巨人が放つ力は異常そのも
のだった。明らかに生物ではない、鋼の異形。にもかかわらず、目の前に立つ
それは生物固有の波動であるはずの生命波を放っているのだ。
(生命波を持つならぼくの力で干渉できるが……そもそも、これは何なんだ?)
 考えても答えは出ないが、疑問は尽きない。そして、それはシーラも同じだ
った。初めて目の当たりにするはずの、鋼の巨人。にもかかわらず、
(あたし……このお化けの事、『知って』る……)
 何故かその姿を見た瞬間、それが何者であるのか、が理解できたのだ。記憶
として知っているのとは違う、言わば知識として記録している、という感じの
理解が。
(でも、どうして? 知らないのに……初めて見るのに、どうして『わかる』
の?)
 困惑が疑問を呼び、答えの出ない疑問がまた、困惑を呼ぶ。その連鎖に囚わ
れたシーラはその場に立ち尽くすが、状況はそれを容認してはくれなかった。
「……シーラ、動けっ!」
 ユーリの怒鳴り声にはっと我に返ると、いつの間にやって来たのか、鋼の巨
人が目の前に迫っていた。慌てて逃げようとするものの、突然の事に足がすく
んで身動きが取れない。
「……失礼!」
 捕まる、と思った矢先に視界が揺れた。鋼の巨人の姿が消え、薬草の香気が
周囲に弾ける。ラヴェイトがシーラを抱えて横に飛びのいたのだ。着地したラ
ヴェイトはそっとシーラを放して巨人に向き直る。その動きに合わせて、銀の
リングで一つにまとめた栗色の長い髪が緩やかな弧を描いた。
「大丈夫か、シーラ!?」 
 ユーリが駆けよって問うのに、シーラはこくんと頷く。ユーリはそうか、と
言いつつ巨人に向き直った。
「ちっ……前と同じ手は使えねえからな……」
 苛立たしげに吐き捨てられた言葉に、ラヴェイトの瞳が微かに陰る。が、ラ
ヴェイトはすぐにその陰りを振り払い、静かに言った。
「相手が生物であるなら、動きを止められます」
「って、ありゃ、ど〜見てもナマじゃねぇぞ?」
「外見的には確かにそうなのですが、あの巨人たちから、微弱な生命波を感じ
るんです。完全な無生物と言う訳でもないのでは?」
 この言葉にユーリははあ? と言いつつ鋼の巨人を見た。それから、ラヴェ
イトを振り返りつつ、しかしなぁ、とそれを否定しようとするが、
「あれは、『ドロイド』……造られし命を宿したもの」
 シーラの呟きがそれを遮った。突然の事にユーリもラヴェイトもぎょっとし
たようにシーラを見る。
「シーラ? あれが何だか、わかるのか?」
 ユーリの問いにシーラは頷いた。琥珀の瞳が一瞬、厳しさを帯びるが、ユー
リはすぐにそれを飲みこむ。
「つまり、あれはあのなりで、ナマの生き物なんだな?」
「……はい」
「じゃあ、何とかなるな。手伝え、ラヴェイト」
「え!? え、あ……は、はい!」
 軽い言葉に、シーラの発言に呆然としていたラヴェイトがはっと我に返る。
藍色の瞳には微かな困惑が浮かんでおり、ラヴェイトは一瞬それをシーラに向
けるものの、今は論じる時ではない、と悟って鋼の巨人に向き直った。かざし
た右手に青い光が灯り、白い砂を照らす。光に触れると巨人の動きは微かに鈍
った。効いているらしい。
(できの悪い冗談だな、まるで!)
 こんな事を考えつつ、意識を集中する。青い光が輝きを増し、巨人が動きを
止めた。
「もらいっ!」
 機を逃さずユーリが動く。不安定な砂を蹴り、一気に距離を詰めて鎧の隙間
に鋭い突きを繰り出す。バチっという音と共に剣を刺した所から煙が上がった。
「ユーリさん、離れてっ!」
 それが意味するものに気づいたシーラが慌てて呼びかける。ユーリは巨人の
身体に足をかけて剣を抜き、その勢いを活かして後ろに飛びずさった。それを
追うように剣を刺した部分から炎が噴き出し、巨人は仰向けに倒れつつ爆発し
た。
「……あっぶねぇ……」
「じゃあ、ないですよ! 爆発するなんて言ってなかったじゃないですかっ!?」
 呆然と呟くユーリにラヴェイトが食ってかかる。
「俺に言うな! 前は、吹っ飛ばなかったんだよ!」
「じゃあ、どうして今回は爆発したんですか!?」
「知るか! 水、かけなかったからだろ!」
「あ、あの……そういう問題じゃ……」
 言い争う二人の間に割って入ろうとした矢先、シーラは背後に気配を感じた。
嫌な予感を覚えて振り返れば、視界いっぱいに無機質な鋼の色が広がる。
「……シーラ!」
「シーラさんっ!」
 わずかに遅れてそれに気づいた二人が叫ぶ。いつの間に現れたのか、鋼の巨
人が一体、シーラの真後ろに立っていたのだ。巨人は軋むような音を立てつつ
シーラに手を伸ばす。ラヴェイトがその動きを束縛しようとするが、やや遅い。
「……やっ……こないで!」
 思わずその場に座り込みつつ、こんな言葉を口走る。抵抗と言うには余りに
もささやかだが、しかし、それは思わぬ効果をもたらした。
「……え?」
 呆けた声が口からもれる。鋼の巨人が動きを止め、伸ばした手を微かに引い
たのだ。突然の事にシーラは元より、ユーリ、ラヴェイトも目を疑う。だが、
呆然としている暇はない。巨人は再びシーラに手を伸ばすが、冷たい鋼の手は
結局、シーラに触れる事はなかった。
 ……ヴンっ!
 低い音が大気を震わせる。直後に巨人が身体を反らして天を仰いだ。立て続
けの事に呆然とするシーラを黒い影がひょい、と抱き上げ、それがそこから飛
び退くのとほぼ同時に巨人は砂の上に倒れて爆発した。着地した影はゆっくり
とシーラを砂の上に降ろす。
「……無事だな」
 低い問いかけがシーラを我に返らせた。顔を上げれば、無表情な漆黒の瞳と
目が合う。
「……リック……?」
「……ゼオ・ラーヴァ、だ」
 かすれた問いを淡々と否定すると、ゼオはゆっくりと立ち上がった。その瞳
は、新たに現れた鋼の巨人に向けられている。砂の中から現れたその姿にユー
リが苛立たしげに舌打ちしつつ立ち上がった。
「ったく、一体何匹いやがるんだ? ぽこぽこぽこぽこ、気楽に湧き出しやが
って……」
「……おい」
「あん? 何だよ?」
 ぶつぶつと文句を言うユーリに、ゼオは無言で緑に輝く石を渡した。それを
見たユーリは、何故か表情を強張らせる。
「まさか……こいつは……」
「灰翼の『調律者』ギル・ノーヴァから預かった」
 淡々とこう言うと、ゼオは腰につけた棒のような物を両手に握った。ブゥン
……という低い音と共に棒の先から光が伸び、刃を形作る。生み出された光の
剣を手に、ゼオは一気に巨人との間合いを詰めた。煌めく刃が夜蒼色の大気を
切り裂き、それと共に鋼の巨人を易々と切り裂く。一体が倒れ、また新たな一
体が砂の中から現れた。
「……いくらなんでも、これは……きりがない」
 ラヴェイトが苛立たしげに呟く。新たに現れた一体もまたゼオに倒されるも
のの、そうすると新たな一体が砂の中から現れる。
「ちっ……これじゃこっちがジリ貧になるな……」
 ユーリが苛立たしげに呟く。黎明の砂漠の戦いは、膠着戦の様相を呈しつつ
あった。

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