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   2 交差する疑問

「……出くわしたか。さて、どうなる?」
 二頭の竜の遭遇した所からやや離れた所にある小島で、魔竜使いの少年がこ
んな呟きをもらしていた。真紅の瞳は、対峙する蒼と薄紫の二頭の竜にじっと
注がれている。

「……随分と乱暴なご挨拶ね、雷竜使いさん」
 こちらを睨む青年に、イヴは慇懃な口調でこう呼びかけた。
「……オレに、何か用か?」
 しばしの沈黙を経て、青年が問いを投げかけてくる。
「ええ、ちょっとね。あたしは、彷徨い人の竜使い、イヴ。一応、あなたと戦
うつもりはないわ」
 その問いにイヴはできうる限り静かにこう答えた。青年はやや、疑わしげに
眉を寄せる。
「……オレはブランシュ。はぐれの竜使いだ」
 それから、渋々といった感じで自分の名を告げる。その中のはぐれ、という
部分にイヴは眉を寄せた。それは島を守るでなく、だからといって放浪するで
もない、文字通りはぐれ者の竜使いに対する蔑称だった。
「それじゃあブランシュさん。一つ、聞いてもいいかしら?」
「……何を?」
「何故、島を襲うの?」
 ストレートな問いにブランシュは表情を険しくし、イヴから目をそらした。
「答えて。何故、島を襲う必要があるの?」
 重ねて問うのにもブランシュは答えない。微かな苛立ちを感じつつ、イヴは
もう一度問いを繰り返した。
「ねえ……どうして? あの島は、あなたが守るべき地なんでしょう?」
「……関係ないだろ、あんたには」
 繰り返す問いにようやく返ってきたのは、こんな、素っ気ない言葉だった。
「それはそうかも知れないけど、でも……」
「とにかく、あんたには関係ない事だ。余計な詮索、しないでもらおうか」
「……あたしだって、こんな事したくないわよ。でも、不自然じゃない! 竜
使いの務めは守り手……その守り手であるあなたが、どうして守るべき集落を
襲うのよ!?」
 苛立ちからつい叫ぶように問うと、ブランシュはふん、と鼻で笑った。
「守るべき集落、ね……はっ! あんな連中のどこに、守る価値があるってん
だよ? 人を災いの元凶扱いするようなヤツらだぜ?」
「……それは……」
 吐き捨てるような言葉に、イヴは答えようもなく口篭もる。竜使いを災いを
呼ぶ者と呼んだあの老人の態度は、確かに腹に据えかねるものはあった。
「でも……だからって! 他にも方法はあるんじゃないの!?」
「……ねえよ、あのジジイがいる限りな。それに、オレはヤツらを許す気はな
い。ヤツらは、オレたち一族の思いを踏みにじったんだ」
「え……? それって、どういう……」
「とにかく、余所者のあんたが首を突っ込む事じゃないんだよ。さっさとどっ
かに行っちまいな!」
 素っ気ない言葉と共にブランシュは雷竜を急降下させた。そのまま、海中に
飛び込んで姿を消す。イヴもシェーリスを降下させ海面すれすれまで降りてみ
るが、雷竜使いの気配は感じられなかった。
「ど、どこに消えちゃったのよ……?」
「さてね。もしかすると、海中から岩山の中に抜ける道があるのかもな」
 灰色に陰る海を見つめつつ呆然と呟くと、アヴェルが冷静にこんな仮説を立
てた。
「海の中に? それじゃあ……」
「って言っても、今から追いかけるのは賛成しないぜ」
 真面目な面持ちで言い切られ、イヴはきょとん、と瞬いた。
「どうしてよ?」
「雨に打たれすぎて、身体が冷えてるだろ? ここで海に飛び込んだりしたら、
オレや竜たちはともかく、君がもたない」
「そんな事、ないわよっ!」
 ややムッとしつつ反論すると、アヴェルはだーめ、と言いつつ首を横に振っ
た。
「とにかく、オレは反対。嵐竜くんにも聞いてみな、オレと同じ意見だから」
 断言されたイヴは眉を寄せつつ前に向き直った。首を巡らせ、こちらを振り
帰るシェーリスの目は……厳しい。その言わんとする所は、問うまでもなく明
らかだ。
「ん、もう……わかったわよ。取りあえず、今日は今までいた島に戻って休み
ましょ……それで、いいんでしょ?」
 半ば拗ねた口調でこう言うと、アヴェルはそうそう、と言いつつにっこり微
笑い、シェーリスも満足げな声を上げた。

 最初に降りた無人島に戻り、水気を吸った衣類を乾いた物に着替えると、イ
ヴはまたぼんやりと雨の帳を見つめた。
「……少し、気にしすぎじゃないのか?」
 どことなく陰った瞳を案じたのか、アヴェルが軽くこう問うのに、イヴはう
ん、と生返事を返す。
「わかってるなら、何もそんなに悩まなくても……」
 呆れたようなこの言葉にもイヴはうん、と生返事で答えた。ここに至り、ア
ヴェルはようやくイヴが心ここに在らずになっている事に気づいたらしい。魔
導師は微かに眉を寄せると、こら! と言いつつイヴを後ろから抱きすくめた。
「え……えっ!? な、何よいきなりっ!?」
 突然の事に我に返ったイヴは、上擦った声を上げつつアヴェルを振り返り、
真剣な紫水晶の瞳に思わずどきり、としていた。
「一体、どーしたって言うんだい? そんなに、あの自称はぐれ君が気になる
訳?」
 静かな問いにイヴは小さくため息をつき、それから、ううん、と首を横に振
った。
「確かに、あの島の人たちの対立も気にはなるけど……でも、あれはあれで良
くあるのよね。あそこまで酷いケースは珍しいけど」
「それじゃ、一体何を考えてたのさ?」
「……あの魔竜使いの事がね、少し気になってて……」
「あの、性格の良かったあいつが?」
「……あんたが言わないでよ」
 呆れたように突っ込むと、アヴェルはやや憮然として、大きなお世話、と返
してきた。
「で、あいつの何が気になるって?」
「全部」
 ごく軽い口調で問いかけて来るのに、イヴはきっぱりとこう答える。さすが
にと言うか、アヴェルは、はあ? と呆けた声を上げた。
「全部……って?」
「全部は全部よ。何から何まで、気になる事しかないもの」
 言いつつ、イヴは魔竜使いの少年の事を思い返していた。登場のタイミング
といい、行動を示唆するような言動といい、彼の行動には明らかにこちらの行
動を先読みしている部分があった。ただ、それがどんな意味を持つのか、がま
るでわからない。少なくとも、イヴたちにこの件の仲裁をさせよう、という意
図は感じられなかったが。それに、突然あの少年の弁護を始めたシャイレルの
事も気になる。
「……」
 考えにふけるイヴをアヴェルは無言で見つめていたが、やがて、やれやれ、
とため息をつきつつ腕を緩めて離れた。
「……何よ?」
 突然のため息を訝って問うと、アヴェルは素っ気無く、別に、と返してきた。
心なしか、不機嫌に見えなくもない。
「別にって……そのわりに、すご〜く、何か言いたそうじゃない?」
「別に〜、何でもないけどね〜」
「何でもないって、全然そうは見えないけど」
「それは、そう見えるだけだと思うね〜」
「……結局、なんなのよ?」
 のらりくらりとした態度に苛立ちを感じたイヴは、ややきつい口調になって
問う。
「別に、大した事じゃないって……ちょっと、面白くないだけだから」
 それにアヴェルは淡々とこう返し、言葉の意を計りかねたイヴが更に問いを
接ごうとした時、
 ……カッ!!
 白い閃光が轟音を伴って瞬いた。島が大きく揺れ、雨足が一気に強くなる。
とはいえ、島の揺れも雨足の変化も、イヴには感じ取る暇はなかった。
「……イヴ?」
 アヴェルが戸惑いがちに呼びかけてくる。最初の閃光を感じた瞬間、イヴは
頭を抱えてその場に座り込んでいたのだ。何とか静めたいのだが、身体の震え
が止まらない。
「あれ、ひょっとして……カミナリ、嫌い?」
「う、うるさいわねっ! 別に、あんたには……きゃっ!!」
 関係ないでしょ、と言おうとするのを第二の落雷が遮る。アヴェルが面白そ
うにこちらを見ているのはわかるが、こればかりは如何ともしがたい。とにか
く、子供の頃からこれだけは苦手なのだ。
「へ〜え……意外と言えば意外だね。雷竜のブレスには平気な顔してたのに」
「うるさいったら! それはそれ、これはこれなのっ!」
 反論の直後に三度目の落雷があり、また島が揺れた。仔竜たちは嵐竜の畳ん
だ翼の下に潜り込み、二匹身を寄せ合っている。当の嵐竜は悠然としたものだ。
イヴは半ば、うずくまるようにその場に座り込んでいる。下手に動くと、その
瞬間に落雷がありそうで動けないのだ。
(もうやだ……どうなってるのよ、ここの天気はぁ……)
 泣きたくなるのを堪えつつこんな事を考えていると、頭の上に何かが乗った。
顔を上げると、目の前にアヴェルが膝を突いている。それと認識した直後にま
た落雷があり、島が大きく揺れた。
 その弾みでよろけたのか、条件反射でしがみついたのかは、自分自身定かで
はない。いずれにしろ、四度目の落雷の後にはイヴの身体はアヴェルの腕の中
にあった。イヴを抱き止めたアヴェルは膝を突いた姿勢から足を崩して背後の
木に寄りかかる。
「大丈夫だよ、長続きはしないから」
「……う、うん……」
「しかし、まさかカミナリに弱いとはねえ♪」
「……ほっといてよ」
「ま、いいんじゃないの? コワイものが一つもないよりは、このくらいの苦
手がある方がカワイイし」
「何、喜んでるのよもう……人事だと思って」
 言葉を交わしている間にも落雷は続いていたが、今はさほど気にならなかっ
た。護られているという、強い安堵感が心にあるからだ。多少、複雑な思いも
なくはないのだが。
「……どーかしたのかい?」
 気にかける必然などないのだが、記憶から消えない光景を思い出してふとも
らしたため息に、アヴェルが不思議そうに問いかけてくる。それに、別に、と
答えるとイヴはアヴェルから目をそらした。
(なんであたし、いつまでも気にしてるんだろ。別に、気にしなくてもいいの
に……)
 いくら考えても、この答えは出なかった。

 灰色の空、灰色の海、焼け焦げた地面。
 彼らの他には何もない、虚ろな空間。
 鈍い色彩に陰った世界の中、唯一、雨だけが時と動きを刻んでいた。
 判断は間違いではない。それは確信している。自らの『役割』に照らし合わ
せれば、あの選択は是と言える。正しい判断――だったのだ。
 にもかかわらず、胸が痛い。
 心が痛い。
 無駄を取り除いただけなのに、それが、言いようもなく辛い。
 取り戻されたあるべき静寂が絡み付き、心を締め付ける。それが言いようも
なく疎ましいのに、振り払う事ができない。
 冷えた身体を打ち据える雨が、痛い。

 きゅううっ! 
 突然の甲高い声が何時の間にか訪れていたまどろみを破り、灰色の夢からイ
ヴを目覚めさせる。顔を上げると、アヴェルがぎょっとしたようにシェーリス
の方を見ていた。当のシェーリスは翼を上げ、その下に潜り込んだ仔竜たちを
見つめている。その視線の先には、小さな身体を丸めて震えるシャイレルの姿
があった。
「……シャイレル? どうしたの?」
 今の夢への疑問を取りあえず置いて声をかけると、影竜はぱっと飛び上がっ
てイヴの所へすっ飛んできた。そのまま、イヴとアヴェルの間に潜り込んです
がり付いてくる。
「どうしたの? 大丈夫、何にも怖くないよ」
 優しく言って撫でてやると、影竜の震えは微かに静まった。それでも、その
心の不安ははっきりと感じられる。イヴはシャイレルを撫でてやりつつ、こち
らも不安げにしているティムリィを呼んだ。
「何があったかわかる、ティムリィ?」
『あのね、夢、見てたみたいなの』
「……夢?」
『うん、でも、シャイレルのじゃないの。違う誰かのなの』
「違う誰かの夢を、シャイレルが見てた?」
 ティムリィの話に、イヴは戸惑いながら震える影竜を見た。
(それじゃ、今の夢は……シャイレルが見ていたのと同じ……?)
 全く覚えのない情景を思い返しつつ、ふとこんな事を考える。竜使いと竜が
精神的な感覚を共有する事、それ自体は珍しくもない。問題なのは、シャイレ
ルが『違う誰かの夢』を見ていた、という事だ。
「……考えられるのは、あいつかな」
 不意に、アヴェルがこんな呟きをもらした。え? と言いつつ顔を上げると、
アヴェルはひょい、と肩をすくめて見せる。
「オレも見せられたよ、陰気な夢。少なくともオレの記憶じゃないし、君の夢
でもないようだからね。あと考えられるのは、あの魔竜使いじゃないのか?」
「……彼の魔竜を介して、シャイレルが彼と夢を共有したって言うの?」
「そういう事が可能かどうかはさておき、他に考えられる可能性は無いだろ?
このチビさんも、あいつには何やら思い入れがあるようだしね」
 仮説に対するイヴの疑問に、アヴェルはさらりとこう返す。イヴは眉を寄せ
つつシャイレルを見るが、当の影竜は何時の間にか眠っていた。温もりに安心
したのか、表情は落ち着いている。
「……やれやれ、地の理を担う六竜も、こうなるとほんっとただの仔竜だね」
 のどかな寝顔に、アヴェルがこんな呟きをもらした。
「仕方ないわよ。今のこの子は、祖竜としては不完全なんだもの」
「……完全体になっても、根っこは変わらんよ〜な気もするがね」
「本質に問題しかない誰かさんよりは、遥かにマシ、よ」
「……またそういう、イジの悪い事を……」
 さらりと言った嫌味にアヴェルは苦い面持ちでこんな事を呟く。その表情が
可笑しくて、イヴは思わず笑みをもらした。
「っとに! タチが悪いったらないよな、この元巫女様は……」
「別に、嫌いになってくれていいけど?」
「だーっ、まぁたそーゆー心にもない事を! オレができないって、わかって
て言うんだから……ったく!」
 がじがじと頭を掻きむしってぼやくアヴェルの様子に、イヴは声を上げて笑
う。アヴェルは深くため息をつき、それから、苦笑めいた笑みを浮かべた。

 そんな、のどかとも言える一幕の一方で。
「……」
 魔竜使いの少年は、無言で降りしきる雨を見つめていた。相変わらずの無表
情だが、真紅の瞳には困惑とも苛立ちとも取れる陰りが微かに伺える。
 グゥゥ……
 傍らの魔竜が低い唸り声を上げる。瞳には、少年への気遣いが浮かんでいた。
少年は無言で手を伸ばし、竜の首筋を撫でてやる。
「心配するな。鬱陶しい雨続きで、つまらん感傷に囚われ易くなっているに過
ぎん……何ら、問題はない」
 魔竜に、と言うよりは、自分自身に言い聞かせるような感じでこう呟くと、
魔竜は、わかった、と言わんばかりに低く唸る。
「それよりも問題なのは、あの魔導師だな。どうも、ヤツは気に食わん」
 グル……?
 少年の呟きに、魔竜は訝るような唸り声を上げた。
「ヤツを見た瞬間、久しぶりに右眼が疼いた……それだけと言えば、それだけ
だがな」
 短い言葉に、魔竜の表情を緊張が過る。が、少年は冷たい笑みでその緊張を
受け流し、ぽんぽんと首筋を叩いて魔竜を静めた。
「全ての事象はあるがまま……そして、オレは見届けるのみ、だ。休むぞ、ヴ
ェルパード」
 独り言めいた呟きに魔竜は低い唸りで答え、竜使いとその竜は木々の奥へと
姿を消す。
 後には、勢いを増した雨の帳だけが残された。

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