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「どおりゃあ────────────っ!!」
 銀煌が寝ぼけた陽光を受けて、研ぎ澄まされた輝きを創りだす。
 ギエエエエエっ!
 剣は降下してきた二首の怪鳥の首を、二つまとめてたたき落とした。
「とどめだ────────────っ!」
 返す刃で、胴を袈裟掛けに斬る! ば、くという感じで怪鳥の胴体が割れ、
次の瞬間閃光を放って消滅した。
「へん、ツインヘッド・ヴァルチャー程度がこのオレを殺ろうなんざ、百万年
はええぜ」
 剣の刃を布で拭って鞘に収めると、ルアはぱんぱんと身体についた埃を払っ
た。
 墓前の決意から、十三年。十八歳になったルアは、父の形見の剣と我流に磨
いた己の腕を頼りに王国各地を放浪していた。
 母マルリカは五年前に他界した。元々、丈夫な質では無かったのが、父の死
で心身共に弱り果ててしまったのだ。母の葬儀を父の時と同様親身になってく
れた僅かな人々と共に行ってすぐ、ルアは故郷の街を飛び出した。
 それというのも国王が再三使者をよこし、ルアを騎士として育てたい、と申
し入れていたからだ。周囲は国王の勧めに従って、騎士としての修行を積む事
を強く勧めたが、ルアは頑としてそれを受け入れなかった。
 もしここで誘いに乗れば、楽はできるが自由を失うのが目に見えていたから
だ。それにルアが目指していたのは騎士ではなく、剣士なのだから。
 葬儀が終わってすぐ、ルアは街で唯一心から信頼できる神殿の司祭長に家の
事を頼んで深夜に街を出た。そしてなるべく王都から離れるように旅をしつつ、
剣の腕を磨いていた。
 元から素質があり、また旅の途中で変わり者の剣匠と知り合い、彼にみっち
りと鍛えてもらった結果、その腕は僅か二年で剣匠と呼ばれる、最高位の使い
手の一人に数えられるまでになっていた。
「さっあてえ……」
 ツインヘッド・ヴァルチャーを倒した後の森は、本来の静寂を取り戻してい
た。ルアはまとめて隠しておいた僅かな荷物を草むらから引き出して肩にかけ
る。
「どっち行くかなあ……」
 ぐるり、と周囲を見回してみる。この森には北から入った。南に行けば王都
シュトラーゼがある。となれば、そちらに行くのは論外なわけだ。西に行くと
古の森に出る。魔王の居城バルディニアへ行くためには必ず通らねばならない
地域だが、今行くつもりはない。と、なると後は東なのだが。
「東か……スティルードのおっさんとこに、出ちまうな」
 『スティルードのおっさん』とは、ルアの故郷の街を含めた地方の領主ライ
ガス・スティルード子爵の事だ。父の死後、何かと世話を焼いてくれた人物な
のだが、どうにも融通が効かない堅物のためルアは幼い頃から彼を苦手として
いた。
「う〜、どっち行ってもメンドーだぜ……」
 王都に行けば厄介だし、古の森に今行くのは自殺行為に等しい。とはいえ来
た方向に戻るのも馬鹿ばかしい。と、なると東から、北東部国境近辺に抜ける
のが一番いいだろう。こう判断して、ルアは歩き出そうとするが。
「……なんだ?」
 不意に感じた気配に、一歩踏み出した所で足を止めた。いつの間にか囲まれ
ていたらしい。どうやら、ツインヘッド・ヴァルチャーに気を取られすぎたよ
うだ。
「ちっ……また、アレかあ?」
 苦々しげに吐き捨てる。敵意も害意もないが、捕獲しようという意思がひし
ひしと感じられる彼らは、ヴァーレアルド王国の一般兵だ。国王だか誰だかの
命により、この五年間しつこくルアを追い回しているのだ。
「こんな事に人割く余裕があんなら、もちっと治安に気ぃ配れよな、古狸……」
 幼い頃に一度だけ顔を合わせた国王他、首脳陣に対して毒づきながら、ルア
は突破する隙を伺った。息を整え、だっと走りだす。同時に、周囲の木々がざ
わついた。
「あーらよっと!」
 地を蹴って近くの木の枝に飛び移り、枝に控えていた弓兵を巻き込みながら
下へ。動揺する兵士たちの中に不幸な一人をぽいっと投げ込み、その混乱の合
間を縫ってまた枝へ飛び上がる。
「何をしている! 早く止めるのだっ!!」
 風に乗って男の声が聞こえた。スティルード子爵の声だ。それに、止まれと
言われて素直に止まるかよ、と小声で呟きつつ、ルアは囲みを抜けた。
「ったあく! 揃いもそろって暇な事に時間割きやがっ……ん?」
 背後に広がる混乱の怒濤を振り返りつつ呟いたルアは、前方に兵士たちとは
比較にならないほどに鋭い気配を感じて、足を止めた。前方のやや開けた空間
に、森の緑の中では一際鮮やかな藍色のナイトプレートに身を包んだ人物が剣
を片手に立っている。どうやら王国の騎士のようだ。
「……なんか、用か?」
 いつでも剣を抜けるように身構えつつ、ルアは低い声で問う。
「……」
 騎士は答えない。
「用がねえなら、退いてもらおうか。オレは、先を急ぐんでね」
 言いつつ、ゆっくりと足の位置を変える。騎士も僅かに足をずらした。殺気
は感じられないが、やる気はあるようだ。
「……おもしれえ……」
 向こうがナイトプレートなら、軽装のこちらが有利だ。防御力は向こうが上
だが、ナイトプレートで長時間動き回れるだけの体力が相手にあるとは思えな
い。向こうの背丈は、自分よりもやや低い。体格から察するに、おそらく年齢
も同程度か自分よりも下だろう。
 相手との間合いを計りつつ、ルアは一つ深呼吸をして、上へと跳んだ。
 剣はまだ抜いていない。そのまま木の枝に飛び乗る……と見せかけてまた跳
んだ。今度は下へ、頭から。
「!?」
 騎士はやや慌ててルアの降下地点へ走る。ルアは地面に右手を突くと、それ
を支点にもう一度高く跳ねた。すぐ側の木の低い枝に足を引っかけ、器用にく
るんっと回って枝の上に腰を下ろす。そこで、ルアは初めて剣の柄に手をかけ
た。それを見た騎士も身構える。
 が、二人の直接対決は思わぬ物によって阻まれた。

 とすっ。

「え……?」
 軽い音と共に、ルアの左肩に何かが刺さる。が、不思議と痛みはない。刺さ
った部分の感覚が麻痺しているのだ。
「……お?」
 ぐらあっ……という感じで身体が傾くのがわかる。力が抜け、剣の柄から手
が離れた。
「危ないっ!」
 その様子に、騎士が初めて声を上げた。騎士は自分の剣をあたふたと鞘に収
め、ルアの方へ駆け寄る。直後に、ルアが落ちた。受身を取ろうとする様子は、
ない。どうやら、意識が途絶えているようだ。
「いけない!」
 それと察した騎士は落ちてくる身体を受け止めようと試みるが、受け止めた
際の衝撃に逆にバランスを崩して自分が倒れてしまう。鋼と鋼が擦れ合って騒
々しい金属音を立てる中、伝わる衝撃に騎士は兜の奥で顔をしかめたようだっ
た。
「馬鹿者! あの状況で矢を放つとは、何を考えているのだ!!」
 森の奥からスティルード子爵の声が聞こえてくる。騎士は子爵がやって来る
前にどうにか立ち上がり、ルアの左肩の矢をそっと抜き取って身体を草の上に
横たえた。
「おお、リーン! ルア殿は!?」
 走ってきた子爵が息を切らして問いかける。リーン、と呼ばれた騎士は問い
に答える前に兜を脱いだ。長く伸びた真っ直ぐな黒髪がさらり、と藍色のマン
トの上に滑る。
「今の矢は? 伯父上の部下ですか?」
 琥珀色の瞳でスティルード子爵を真っ直ぐ見つめつつ、リーンは静かにこう
問いかける。
「……陛下の命でルア殿を追っていた者だ。ここにリーンが居てくれて良かっ
たが……やれやれ」
 言いつつ、子爵はルアの傍らに膝をついた。
「館にお連れしましょう。随分長く旅をしておいでのようです」
「うむ、そうだな……ロウディーン!」
 リーンの言葉に頷くと、子爵は部下の騎士を呼んだ。
「わたしとリーンは、ルア殿を館にお連れする。後は頼むぞ」
 腹心に後を任せると、子爵は気絶したルアを抱き上げて森の外へと向かった。
下に落ちたルアの荷物を拾ったリーンがそれに続く。騎士ロウディーンは二人
の姿が見えなくなると、大騒ぎしている部下たちの方へと戻って行った。

 子爵の館に担ぎ込まれ、麻痺毒を中和された後もルアは夕方まで眠り続けた。
館のお抱え医師曰く、長旅の疲れが出たのだろう、との事らしい。
 そうして目を覚ました時、ルアは自分の置かれている状況を掴みあぐねて二、
三度瞬いた。
「……ここは?」
 頭がぼーっとして身体がだるい。麻痺毒の後遺症だ。それでも何とか意識を
はっきりさせるのと同時にキィ、と音がして扉が開いた。
「やあ、お目覚めだね」
 入って来たのは鎧を脱いで普段着に着替えたリーンだった。とはいえルアは
それとわかるはずもなく、怪訝そうに首を傾げて親しげに話しかける少年を見
つめた。
「まともに顔を合わせるのは初めてだね? ぼくは、リーン。リーン・ストレ
イア」
「リーン・ストレイア……?」
「もう、忘れてしまった? 森で会っただろ」
 ぼんやりしたまま名前を反芻すると、リーンは苦笑めいた面持ちでこう言っ
た。その言葉にルアはぼんやりとした記憶を辿り、
「森で……ん? あ! あの時の、藍色の鎧の騎士かっ!?」
 意識を失う直前に対峙していた騎士を思い出して大声を上げていた。
「ご名答。気分はどう?」
「どうって……そんな事より! ここ、どこだよ!?」
「伯父上の館。スティルード家だよ」
 リーンは平然と言ってのけたが、それはルアにとっては最悪の返事だった。
「じょ……冗談!」
「冗談なんかじゃないよ。そろそろ、伯父上が来る頃だ」
 度々平然とリーンが言ったその時、扉が軽くノックされ、こちらもラフな普
段着姿のスティルード子爵が入ってきた。
「おお、お目覚めか、ルア殿」
「お目覚めか、じゃねーよ、お覚めかじゃ!」
 穏やかに微笑う子爵に対し、ルアは不機嫌ここに極まれり、的な大声を張り
上げた。
「……やれやれ、相も変わらず、元気のいい事だな」
「良くて悪いかよっ!」
 苦笑めいた面持ちで言う子爵に、ルアは子供っぽく反論する。
「いや、実に結構。我が国の騎士たちにも、その覇気があればな……」
「……クラゲ騎士かよ、いまだに!」
「クラゲ騎士、か。クラゲの方で一緒にされるのは願い下げだろうな……」
 呆れを込めて言い放つと子爵はこんな呟きをもらし、傍らのリーンはやや複
雑な表情を覗かせる。
「わかってんなら! 人アテにしてしつっこく追っかけてねーで、ちったあ自
分で動くように鍛えりゃいいだろ!」
「……返す言葉もない……」
 そんな二人の様子にも一切遠慮する事無くルアは怒鳴るように言葉を続け、
子爵は小さくため息をついた。そこでようやく我に返ったルアは、感情に任せ
た今の罵声を後悔する。
「……そんで?」
 気まずさから何となくそっぽを向きつつ、ルアはぶっきらぼうにこう問いか
けた。
「ルア殿……」
「何か、用があんだろ!?」
「すまぬ……」
 軽く頭を下げると、子爵はリーンに何事か言いつけて部屋から出した。リー
ンははい、と素直に頷き、ルアに笑いかけてから部屋を出て行く。その気配が
消えると子爵はゆっくりとルアに向き直り、真面目な面持ちで話を始めた。
「ルア殿……一度、陛下にお会いしてはくれぬか?」
 それは既に予測済みの一言だった。故に、ルアは何も言わずに子爵をじっと
見つめる。
「ルア殿の気持ちは、わかるつもりだ。だが……十三年という長い間に、陛下
も大臣たちも覇気を無くしてしまわれた……皆、王国を救うのは、勇者カーレ
ルの息子である貴殿だけと思っておられる」
「……」
 ルアは無言のまま、何も答えない。
「行くだけでも構わない……陛下たちの言葉を聞かずとも、責めはしない。頼
む。一度、王都に来ていただきたい」
 ここで、子爵は深々と頭を下げた。その姿にルアは深く、ふかくため息をつ
きつつ苛立たしげに頭を掻く。
「ったあく! しゃあねえなあ……」
 それから、いかにも面倒そうに、投げやりな口調でこう言い放った。
「では……」
「あんたみてえなお人好しにぺこぺこ頭下げられっと、こそばゆいんだよ! 
ただし行くだけだぜ?」
「構いはせぬ! いや、むしろそれで十分だろう……わたしは、陛下に喝を入
れていただきたいと思っているのだから」
「ここに来て……」
 言いつつ、ルアは自分の胸をとんっと叩いた。
「ぽっくり逝っちまっても責任とんねーぞ!」
 笑えない。実際、現国王ロード・ヴェルランドはかなりの高齢だ。
「そこまで、軟弱ではあるまい。大臣方は危ないかも知れぬが……」
「むしろ、あっちの方がしぶてえんじゃねえの?」
 こう言うと、ルアは何気なく窓から庭の方を見た。館の庭はこじんまりとし
て、見る者に安堵感を与える色調を織りなしている。この庭の植物は子爵夫人
が心を込めて育てており、その人柄を反映してか温かい色合いに葉や花を開く
のだ。
「おお、そうだ。ルア殿」
「んー?」
「十年前だったか。母君と共に我が家にお出でになった際、苗木を植えられた
のを覚えておいでか?」
「苗木……? ああ……そんな事もあったっけな……」
 この五年間、荒み気味の生活を続けていたためか、そんなささやかな思い出
は記憶の隅に押し込んでしまっていた。
「あの木も、随分と大きくなった。ご覧になっては如何かな? 妻に案内させ
よう」
「別に案内なんか……」
 別に案内なんかいい。そう言いかけるのを子爵はそういわず、と言って遮っ
た。
「妻の、ささやかな楽しみなのだよ……付き合ってやってほしい」
 こう言われるとどうも逆らいにくい。子爵夫人レシルは母マルリカの従姉に
当たり、幼い頃から何かと世話を焼いてくれた。両親の葬儀の際もあれこれと
気を配ってくれたし、五年前、旅に出る際の支度まで整えてくれた、言わば大
恩人である。
「ん……それはいいけど、オレの服は?」
 さっきから気になっていたのはそれだった。今、身に着けているのは肌着と
下履きだけなのだ。暑い季節なので問題はないが、外に出られる恰好ではない。
当たり前だが。
「今、洗濯をさせている。乾くまでは、申し訳ないが、わたしの古着を着てい
ただく」
「……あんたが、いまだに下の方に居る理由、何となくわかるぜ……」
 呆れたようにルアが言うと、子爵は、それはどうも、と苦笑めいた笑みを浮
かべた。

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