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    1 ルアの決意

 その報せは、真夜中に突然伝えられた。
「マルリカ殿! マルリカ殿、いらっしゃいますか!」
 使者の大音声は母のマルリカだけでなく、奥の部屋で寝ていた幼いルアまで
も起こしてしまう。ルアは眠い目を擦りつつ、それでも好奇心に引かれてそー
っと玄関へ向かった。
「どうなさったのです一体……そんなに慌てて?」
 淡いベージュのショールを羽織った母が、息を切らして膝をつく使者の背を
さすってやりながら問いかけている。使者はしばらく息を整えると、沈痛な面
持ちで言った。
「深夜に申し訳ございません……どうか、ご子息と共に城にお出で下さい……」
「城に? どうか、なさったのですか?」
 使者の言葉に、母の声が不安を帯びたような、そんな気がした。
「……勇者が……カーレル殿が……」
「カーレルが……どうしたのですか?」
「……魔王ライヴォルに破れたと、たった今、報せが……」
 短い言葉が告げられた瞬間、母は凍りついたように動きを止めた。同時に扉
の影のルアも凍りつく。
「……うそ……」
 小さな声が、ルアの口から転げ落ちる。
「……!? ルア!」
 その声を聞きつけた母がはっと我に返った。ルアはぱたぱたとその傍らに駆
け寄り、寝間着の裾を引っ張りつつ問う。
「うそ……うそでしょ!? おとうさんが……そんなの、うそでしょ!?」
「嘘……では、ないのです……残念ですが」
 黙り込む母に代わり、使者が辛そうに口を開く。
「うそだあ!!」
「……ルア……」
「そんなの、そんなのうそだよお……うそだよね、おかあさん? ……うそだ
って……うそだっていってよお!!」
 母は無言でルアを抱きしめた。涙に濡れたその瞳が、ルアの問いへの答えと
なる。それが、感情を押さえ込んでいた最後の箍を外し、
「そんなの……そんなの、やだよ……ぼくそんなのやだよおぉぉ!!」
 時ならぬ少年の泣き声が夜の街に響き渡った。

 王国歴四八九年。平和だけが取り柄の王国ヴァーレアルドは、魔王を名乗る
妖魔道師ライヴォルによって混乱に陥れられていた。
 平和という名のぬるま湯にどっぷりと漬かっていた騎士団にほぼ無限に湧い
て出るモンスターを撃退するなど無理な相談であり、結果、王国は魔王の好き
なように蹂躪された。
 そんな時、惰弱な騎士団に業を煮やして立ち上がった者がいた。辺境の村ハ
スパの自警団員カーレルである。カーレルは数名の仲間と共にモンスターに戦
いを挑み、魔王の勢力を徐々に削っていった。
 戦いは長く──剣を取った時には少年だったカーレルもふと気がつけば青年
となり、とある街で出会った少女との間に、新しい生命をもうけるに至ってい
た。
 その内に彼らの活躍を国王が耳にし、カーレルは一つの称号を授かった。勇
敢なる者、『勇者』の称号を。
 カーレルとその仲間は今や王国中の支援を受け、そして、ついに魔王の居城
を突き止め、人々の期待を背負って魔王に挑んだ。
 だが──結果は、惨々たるものとなった。
 勝てなかったのだ、カーレルは。
 巨大なドラゴンの首すら一撃で叩き落としかねないその技量を持ってしても、
魔王には手傷一つ負わせられなかった。
 魔王はわざわざ転移呪文でカーレルの遺品を王城にメッセージ付きで送りつ
けてきた。それが夕方の事。急ぎ使者が城下に走り、都に程近い街にひっそり
と住むマルリカとルアの元にその報せをもたらしたのは真夜中の事。母子が使
者と共に馬を駆り、城へ着いたのは夜明け前だった。
 『勇者死す』の報は瞬く間に王国中に広まり──と、いうか魔王が喧伝した
──、人々は再び暗澹たる日々が来るのかと嘆いた。
 ただ、嘆くだけだった。

 小雨がぱらつく街外れの墓地に、真新しい墓石が立っている。幼いルアは、
その前に一人で立っていた。
 カーレルの葬儀はごく親しい者だけを呼び集めてひっそりと行われた。国葬
にしようという声も多かったのだが、半狂乱のマルリカの叫びにより、それは
取りやめとなっていた。
「もう、十分でしょう!? カーレルを、わたしに返して!」
 このマルリカの叫びには、洋式美にこだわる大臣たちも沈黙せざるを得なか
った。
「…………」
 随分前からルアは墓前に立っていた。陽光色の髪がしっとりと濡れ、額に張
りついている。その腕には一振りの長剣が抱かれていた。魔王がわざわざ送り
返したカーレルの遺品だ。
「……ルア?」
 背後からの穏やかな声に、ルアは肩越しにそちらを振り返る。そこには、喪
服姿のマルリカの姿があった。
「風邪を引くわ……いらっしゃい」
 ルアは無言で、再び墓石を見やる。蒼い瞳は、ひどく虚ろだった。
「……おかあさん……」
「なあに?」
「あのね、ぼく……ぼくね。けんしに、なりたい……」
「ルア!?」
 かすれた呟きに、マルリカの顔色が変わる。
「けんしになって……おとうさんの……」
「ルア! あなたまで……!」
「ちがう……ちがうの。かたきをとるとかじゃなくて、ただ、ただぼく……」
「……ルア? ただ……なあに?」
 途切れがちの言葉に疑問を感じたのか、マルリカはルアの傍らに膝をついて
そっと問いかけてきた。
「おとうさんが、おかあさん、かなしくさせた……げんいんっていうの? そ
れをみてみたいんだ……うまく、いえないんだけど……」
「ルア……」
「でも、でもね。ぼく、ぼくは……ゆうしゃには、なんないから。ぜったい、
いわれて、ゆうしゃには、なんないから……だから……いい、よね?」
「……」
 静かな言葉に、マルリカは何も言わずにルアを抱きしめた。ルアは大きな目
を閉じる。
 雨は、もうしばらく降りそうな気配だった。

 そんな、墓前の小さな決意から、十三年の時間が流れる。

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