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   6

「……独立遊撃隊の三人が、戻らないのですか?」
 魔導騎士団の本隊と合流したリンナは、隊を率いていた騎士の言葉に眉を寄
せた。
 既に氷家、神聖騎士団共に戦場を大きく離れており、戦端が開けている様子
もない。にもかかわらずリューディたちだけが戻らない、というのは妙に引っ
かかった。
 その不安の根底に、あの蒼い髪の女性が残した『狂気の炎』という言葉があ
るのは否めないのだが。
(精霊たちも落ち着きを取り戻さないし……何か、あった……いや、ある、の
か?)
 こんな事を考えつつ、リンナは周囲を見回した。
「どうなさいますか? 隊を編成し、捜索に向かわせますか、それとも……」
 それとも、放置して自己帰還を待つか。濁されはしたものの、その言わんと
する所は容易に察する事ができた。ファミーナはともかく、リューディとレヴ
ィッドの素性を知る者は限られている。それを思えば、この反応は当然と言え
るだろう。
「捜索隊の編成は無用でしょう。むしろ、次に備えて軍を休ませなければなり
ません」
 表に立たない、というリューディの選択のもたらす厳しい状況を改めて感じ
つつ、リンナは静かな口調でこう言った。
「それでは……」
「今は後退し、隊を整えるべきと思います」
「では、独立隊の三名は、自己責任での帰還を待つのですね?」
 確かめるような問いかけに、リンナはいえ、と短く応じた。この返事に居合
わせた者たち、取り分けマールとカリストの二人はきつく眉を寄せる。
「彼らの捜索には、ぼくが向かいます。カリスト殿、申し訳ありませんが、隊
の点呼と編成をお願いいたします」
「リンナ、何言い出すのよっ!?」
 静かな言葉にマールは素っ頓狂な声を上げ、カリストは更に表情を険しくし
た。
「ご自身が出向かねばならぬ理由が、どこにあると言われるのか?」
「彼らを見つけるには、精霊同士の共鳴を辿るのが最も適切であり、また、現
状それを最も素早く行えるのはぼくです。それに……」
 静かな問いにリンナはこちらも静かに答え、最後の部分で言葉を濁した。
「それに……何だと?」
「行かなければならない……そんな気が、するんです」
 先を促すカリストに答える刹那、真紅の瞳には微かな陰りのようなものが伺
えた。

「くっ……」
 身体が、熱い。
 滑るような感触と痛み、そして激しい熱。それらは端的に、状況の厳しさを
物語っていた。
 フェイントと撹乱は、完璧のはずだった。にもかかわらず、黒い騎士はリュ
ーディの本体を的確に捉え、その手の剣で薙ぎ払ってきたのだ。斬打双方に長
けた剣はリューディの腹部を深く切り裂き、真紅をしぶかせていた。辛うじて
失神は免れたものの、焼けつく痛みはリューディの動きを鈍らせていた。
(今の、動きと、タイミング……やっぱり……なのか?)
 きつく唇を噛み締めつつ、ふとこんな事を考える。勿論、状況はそんな悠長
ではないのだが、動きようがないのだ。
「……」
 片腕を腹の傷に押し当てて膝を突くリューディを、黒い騎士は無言で見下ろ
していた。兜に覆われたその表情は窺い知れないが、向けられる視線は不気味
なまでに無機質だった。
 感情の、いや、生気すら感じられない、無機質な視線。
 それは嫌な予感の、最も暗い部分を確かなものへと変えていく。
 それを何故、と思うのと同時に、リューディの中には違う疑問も芽生えてい
た。
(この読みが当たっていたとして……でも……一体、どうして……)
 一体どうしてこんな事になったのか──と、考えた矢先、黒い騎士がゆっく
りと構えを取った。
「……リューディっ!」
 ファミーナが悲鳴じみた声を上げるのが聞こえる。が、動く事ができない。
せめて闇渡りが使えれば、とは思うものの、それだけの余力はないようだった。
「……」
 黒い騎士がゆっくりと剣を振り上げる。丸みを帯びた独特の切っ先が、血を
思わせる真紅の光を弾きつつ振り下ろされ──
「やらすかっての!」
 気迫のこもった叫びと共に振るわれた槍の一撃に、強引に弾かれた。黒い騎
士は弾かれた勢いに逆らわず、そのまま後ろに飛びずさる。
「レヴィ……ッド?」
 闇渡りで強引に間に割り込んできたレヴィッドに救われたと、リューディが
理解するまでやや時間がかかった。ぽかん、と名を呼ぶと、レヴィッドはあか
らさまな憤りを込めた視線で睨んでくる。
「こんっの、ボケ! 無茶しすぎだ!」
「あ……はは……悪い……」
「それですますなーっ!!」
 答えようがなくただ苦笑するとレヴィッドはこう怒鳴り、それから、表情を
引き締めて前に向き直った。その表情がいつになく厳しく、真剣なものを帯び
る。
「月闇流・護槍術……」
 低い呟きとほぼ同時に、黒い騎士が横薙ぎの一撃を放ってくる。
「……風華繚乱(ふうかりょうらん)っ!」
 その一撃を、レヴィッドは槍を回転させて払いのけた。剣を払われた黒い騎
士は立て続けの乱打を放ってくるが、レヴィッドは槍の位置を的確に変えてそ
れを弾き返す。
 回転する槍は大輪の花のようにも見え、それが残像を残しつつ場所を変えて
行く様は、繚乱と称するに相応しいと言えるだろう。
「……すご……」
 その様子に、ファミーナは思わずこんな呟きをもらす。
 長槍を回す、というだけでも凄まじい腕力を要するだろうに、更にそれで攻
撃を弾き、かつ一点に止めずに動かして行く。並大抵の腕力では、到底身に着
ける事はできない技だろう。まして、その一撃一撃が驚異的な威力を持つ黒い
騎士の攻撃を弾くのだから、受ける衝撃は計り知れない。
 にもかかわらず、レヴィッドは一歩も引くまい、という気迫を見せて攻撃を
受け流している。
 リューディを死なすまい、とする、強い信念。
 それが、レヴィッドを支えているかのようだった。
 アルヴァシア家とルオーディン家の代々続く主従としての結びつきと、そし
て、リューディとレヴィッドの間の、主従という枠を超えた友情という結びつ
き。
 そんな絆が感じ取れるような、そんな気がした。
「って……そんな場合じゃないでしょっ!」
 思わず考え事に浸りかけたファミーナは、慌ててそれらを振り払った。浸り
こんでいる場合ではないのだ。戦いの疲れを残したレヴィッドでは、攻撃をし
のぎ続けるのも限度があるのだから──と、思ったその時。
 キィィィィンっ!
 一際甲高い金属音が、周囲に響き渡った。黒い騎士の放った一撃が、レヴィ
ッドの槍を弾き飛ばしたのだ。
「やべっ……」
 武器を失ったレヴィッドの顔を、焦りが過ぎる。
「っ! 危ないっ!」
 次に起こり得る事態に青ざめつつファミーナが声を上げるのと同時に、空間
に真紅が散った。黒い騎士の剣が振り下ろされ、刃がレヴィッドを捉えたのだ。
「……っ!」
「レヴィッド! ……くっ……」
 左の肩口から斜めに刃を受けて吹っ飛ぶレヴィッドの姿にファミーナが息を
飲み、リューディは叫んだ直後に走った痛みに顔をしかめた。
 絶体絶命。
 そんな言葉が、リューディとファミーナの脳裏を過ぎったその時。
「リューディ!?」
 上ずった声が場に飛び込んできた。声の方を振り返れば、青毛の馬に跨った
真紅のマントの騎士──リンナの姿が目に入る。
「リン、ナ……? っ! 来るな!」
 リンナの姿を見た途端、リューディはとっさにこう叫んでいた。直後にまた、
激しい痛みが傷をなぞり、リューディは傷を押さえて身体を丸める。
 護っていたレヴィッドが吹き飛ばされ、完全に無防備になっているのだが、
何故か黒い騎士の剣は振り下ろされない。今なら首を落とすなど造作もないの
に、と思いつつ、何とか顔を上げたリューディは、黒い騎士が自分を見ていな
い事に気がついた。
「……え?」
 嫌な予感を感じつつ、その視線を辿る。黒い騎士の見つめる先にいるのは、
困惑した面持ちのリンナだった。それ以外の何者も騎士にとっては既に眼中外
の存在らしく、リューディが傷を押さえつつ吹き飛ばされたレヴィッドの所ま
で後ずさっても何ら反応は示さなかった。
「あに、動いてんだ、重傷者」
 どうにか近くにたどり着くと、レヴィッドが低い声で言いつつ睨んできた。
「言うな、よ……あのまま、あそこにいたら、潰されそう、だったんだ」
 それに、リューディは途切れがちにこう答える。この言葉に、レヴィッドは
怪訝そうに眉を寄せた。
「潰され……?」
「リンナを見た途端、あの騎士の、負の波動が、強くなった……とんでもない
……憎悪の念が、渦巻いてる……」
「憎悪……」
 リューディの説明に、レヴィッドは眉を寄せて低く呟く。リューディはああ、
と頷いて銀と黒の騎士たちを見つめた。
「な……何だ? 何なん、だ?」
 その一方で、当のリンナは困惑した声を上げていた。
 自分がこの場に到達する直前までリューディを追い詰めていた、黒い鎧の騎
士。その視線は、今は真っ直ぐこちらに向けられていた。その視線から感じる
のは激しい憎悪と、そして、殺意の二つだ。
(この騎士が、『狂気の炎』? でも、一体……)
 一体どうして、ここまで激しい憎悪を向けられねばならないのか。そんな疑
問が脳裏を過ぎる。だが、それに煩わされる時間はなかった。
 オオオオオオオっ!
 一際猛々しい咆哮が響き、黒い騎士がリンナへ向けて走り出す。完全武装の
騎士とは思えぬ速度で距離を詰めた黒い騎士は、手にした剣を横薙ぎに振るっ
た。圧し掛かる憎悪に呆然としていたリンナはそれに対処できず、代わりに、
乗り手の危機を察知したレヴァーサが回避の動きを取る事で、剣の一撃を受け
るのは免れた。
 ……ウウウウウ……
 苛立ちを込めた唸りが響く。黒い騎士が発している声なのだろうが、そこに
は人間らしさは感じられなかった。兜の奥に灯る紅い光は憎悪と殺気で爛々と
輝き、それはリンナだけを真っ直ぐに見据えている。
「くっ……な、何なんだ、一体……」
 震える呟きがリンナの口からもれた。いや、震えているのは声だけではない。
黒い騎士から向けられるどろどろとした思念に、全身が小刻みに震えていた。
更に付け加えるなら、レヴァーサも妙に落ち着きなく、震えているような気が
する。
 向こうとの距離を測りつつ、どうしたものかと思案していると、黒い騎士が
ゆっくと構えを取り直した。その動きと、剣の構え方。それらには何故か、覚
えがあるような気がした。
「……そんな……まさか」
 かすれた呟きが零れ落ちる。そんなはずはない、いや、あり得ない──そん
な思いが、脳裏を過ぎった。
 だが、今、目の前で黒い騎士が取った動きには覚えがある。剣の先を上げる
事無く、弧を描くように回して取る、下段の構え。その型に自然と移行する動
きを知りたくて、毎日見続けていたのだから、忘れようなどない。ないのだが。
「……嘘……だ」
 忘れようがないが故に、そこにある現実は認められない。いや、認めたくな
どない。
 わからないからだ。激しく放たれ、圧し掛かってくる憎悪と殺気、それらを
向けられる理由が。
「どう、して……」
 わからない、いや、わかりたくない。
 そんな思いが頭の中をぐるぐると回る。
「どうして……どうして、なんですか……兄上っ!!」
 ガアアアアアアっ!
 振り絞るような絶叫を、黒い騎士の咆哮がかき消す。下を向いていた剣が上
を向き、そして。
「鎮まりたまえ、異なる者!」
 全ての叫びを制するように、凛とした声が響いた。直後に、紫色の光の球が
六つ、曇り始めた空から飛来して黒い騎士を取り囲む。光の球は回転しつつ光
の帯で互いを繋ぎ、六芒星形の縛となって騎士を捕らえた。
「え……」
「今の、声……」
 突然の事にリンナが呆けた声を上げ、リューディがかすれた声で呟いた。
「もしかして……」
 ファミーナが困惑しつつ呟いた直後に、草原の上に紫色の光が弾けた。光が
消えた後には、鮮やかな紫色の長衣をまとった青年が一つ立っている。
「セレ……オス……兄?」
 霞んできた視界にその姿を捉えたリューディが低く呟く。その傍らに、黒い
光が弾けた。その光の弾け方は闇渡り独特のもの──とリューディが考えるの
とほぼ同時に、光の中から黒い革鎧を身に着けた少女が姿を現す。
「我が君、お気を確かに。護槍殿も」
 闇渡りで現れた少女がリューディとレヴィッドに呼びかけてくる。澄んだ蒼
の瞳には、不安が色濃く現れていた。見覚えのある顔と呼びかけ方に、リュー
ディもレヴィッドもきょとん、とする。
「……お前……」
「も……もしかして?」
「マリーナ、皆を本陣へ」
 二人の疑問を遮るように、青年が声を上げた。マリーナと呼ばれた少女は、
はい、と頷いて両手に黒い光を集中させる。闇の精霊の力だ。
「お二人とも、どうか無理はなさいませんように……」
 微笑みながらこう言うと、マリーナは闇渡りを発動させた。澄んだ黒の光が
弾け、リンナとレヴァーサ、ファミーナとティーシェが相次いで姿を消す。リ
ンナの姿が消えた瞬間、黒い騎士は苛立たしげな咆哮を上げたが、紫の光は強
固な縛となってその動きを封じているらしく、それ以上の行動を起こす事はで
きないようだった。
「マリーナ……なんで、お前……」
 何故あの青年と共にいるのか。そう問いかける前に闇の力が周囲を包み込み、
直後に、リューディの意識そのものが闇へと落ちた。

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