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   3

「……はっ!」
「せぇいっ!」
 気合と共に繰り出される木剣が激しくぶつかり合う。リューディとリンナは
一度距離を取ると、間合いを図りつつ身構えた。リューディは下段、リンナは
中段に木剣を構え、それぞれ攻撃の機会を伺っている。
「……しかしまあ……」
 そんな、気迫の籠もった二人とは対照的なのがレヴィッドである。彼は特に
何か習練をする様子もなく、呑気な様子でリューディとリンナの稽古を眺める
ばかりだった。
「元気と言うか、何と言うか……っとにお稽古好きだね、この二人は……」
「そういう貴方は、ここで何をしてる訳?」
 呑気な呟きにファミーナが突っ込むが、レヴィッドは平然と、見物、と答え
た。
「貴方ねえ……少しは鍛練をしようとは思わないの? これから戦いになるっ
て言うのに、そんなに呑気に構えてて」
「……呑気? ちゃいますね、これは余裕。今からぴんぴんつんつん張ってて、
肝心の場面でぷっつりキレたらただのお馬鹿だからね」
「……とか言って、ほんとは鍛練が嫌いなだけじゃなくて?」
「と、言うか何と言うか……単に相手がいないだけともゆ〜けどね。オレ、一
人だけ槍だし」
 どこまでもどこまでも、レヴィッドは軽い調子を崩さない。その様子にファ
ミーナは呆れたような視線をそちらに向けた。とはいえ、レヴィッドは全く意
に介してはいない。そしてそのマイペースぶりが、妙に癪に触るファミーナだ
った。この二人、どうにも反りと波長が合わないらしい。
「……リューディス殿!」
 ファミーナが更に何事か言いかけるのを遮り、修行僧がこちらに走って来て
リューディを呼んだ。リューディとリンナは緊張を解いて木剣を下ろす。
「どうかしたんですか?」
「師範がお呼びです、皆さん、すぐにいらして下さい!」
 修行僧の言葉に、リューディとリンナは顔を見合わせた。
「ファビアス兄が?」
「……何かな?」
「行ってみりゃわかるって」
 顔を見合わせる二人にレヴィッドが至極当然な一言を投げかけ、二人はそれ
もそうだな、と納得してファビアスの部屋へと向かった。
「よ、来たな。とにかく、座れや」
 やって来た四人にファビアスが声をかけ、ともあれ一同はそれぞれ椅子に落
ち着く。全員が腰を下ろすと、ファビアスはぐるりと一同の顔を見回してから、
話を始めた。
「さっき、アーヴェンに送った使者が戻ってな。レイリア卿は、ゼファーグに
対して徹底交戦の構えを取るそうだ」
「じゃあ、アルスィード家は……」
「ええ、わたくしたちと同盟を結び、ゼファーグに対するとの事です」
 明るい声を上げるリンナに、ヴェラシアがこう言って頷きかける。この言葉
にリンナはほっとしたように息をついた。
「生憎、西側とは上手く連絡がつかんのだが、これで東側で連合軍を組織でき
る。ついでに、ファミアスが完全中立宣言を出して、軍の立ち入りを全面禁止
した関係上、面白い事もできるんだわ」
「……面白い事?」
「ああ、なるほど。確かにね」
 ファビアスの説明にファミーナが不思議そうな声を上げた直後に、レヴィッ
ドがその、『面白い事』の意味に気がついた。ファミーナはきょとん、と瞬き
をしてそちらを見る。
「……どういう事よ?」
 訝しげな問いに、レヴィッドはにやり、と笑って説明を始めた。
「現在、ファミアス領には一切の軍事勢力の立ち入りが禁止されてる。入って
行けば、レイザード天馬騎士団に容赦なく突っ付かれるんだよな」
「……まあ、そうよね」
「と、なると、だ。ラファティアを陥として進軍中のゼファーグ神聖騎士団は、
アーヴェン領ないし、オーウェン大神殿領のどちらかを行軍せざるを得ない。
つまりは、敵地だ。
 当然、ラファティアを拠点としてるんだろうけど、正直、補給線の確保は厳
しい」
「つまり、今出てる師団は、短期決戦をせざるを得ない状況なんだよな。ま、
ラファティアに後続は送られているだろうけど、正直、孤立していると言える
はず」
 レヴィッドの言葉を更にリューディが補足すると、ファミーナはまた、きょ
とん、と瞬いた。
「それって、つまり……」
「……ようするに、オーウェン武闘僧兵団とアルスィード魔導騎士団で挟撃を
しかける事ができるんだよね。更に、ファミアス側に撤退する事はできない以
上、敵に逃げ場はない……そういう事でしょう?」
 リンナが話をまとめてこう問うと、ファビアスはにやっと笑って頷いた。
「ま、端的に言うとそういう事だな。勿論、そうそう上手く行くとは思えねえ
が、先行してる師団には相当なダメージを与えられる。とにかく、この師団だ
きゃあ潰しておかねえと、ラファティアを奪回する事もできねえ。
 進軍ルート確保の為にも、ラファティアの奪回は必須事項だからな」
 ファビアスの言葉に、リューディは確かに、と呟いた。大陸の北西一帯を治
めるゼファーグと国境を接しているのは、ラファティアとファロードの二国だ
けなのだ。
「それでファビアス兄、ティシェルとファロードはどうしてるんだ?」
 リューディの問いに、ファビアスはばりばりと頭を掻いた。
「それがな……セレオスのヤツ、どっかに吹っ飛んでっちまってるらしい。で、
フェーナディア家の御大からは、まだ音沙汰なしだ」
「吹っ飛んでる?」
「行方知れずらしいのです……まったく」
 リューディの疑問にヴェラシアがため息まじりに呟き、この言葉にリューデ
ィとリンナは顔を見合わせた。それから、リューディは気を取り直してファビ
アスに問う。
「……それで、オレたちはこれからどうすればいいんだ?」
「実は、それが問題でな……特にリューディとレヴィッド! お前らが厄介な
んだ、お前らがっ!」
「う……」
「あ、オレも連帯責任っすか?」
「と〜ぜんだろ?」
「あれま」
「……『あれま』じゃ、ねぇぞ」
「……でも、この事に関しては……妙な話だけど、家は、今は、ない。ディセ
ファード家とオレが戦っても……問題はないはずだろ?」
 ファビアスとレヴィッドの間抜けな会話を横目に見つつ、リューディはヴェ
ラシアにこう問いかけた。
「リューディス・アルヴァシアとしてではなく、リューディ・アルヴァとして
戦う……と言うのですか?」
「……いけない……かな?」
「……まあ、問題の方が多いだろうね」
 自信無げなリューディにリンナがこんな事を言い、この言葉にリューディは
困ったように目を伏せた。
「でも、正式にアルヴァシアの名を継ぐと、オレはゼファーグとは戦えなくな
る……月家は、陽家の守護騎士だからな」
 目を伏せたままこう呟くと、リューディは小さなため息をつく。リューディ
の家──月のアルヴァシア家は、十二聖騎士侯家の中でもかなり特異な存在だ
った。月家の騎士は他の聖騎士侯とは違い、所領を持たない。その役割は、陽
家の者を護る事にあるのだ。
 とはいえヴィズル戦役以前は平和そのものだった事もあり、亡き当主ライオ
スは、生まれ故郷であるラファティアで自由騎士として暮らしていたのだが。
「とはいえ、所詮現王クィラルは傍系血族、お前が尽くす義理はないだろ?」
 ファビアスの言葉に、リューディは静かにかぶりを振った。
「直系がいなきゃ同じだよ……とにかく、オレは義勇兵扱いで参戦させてもら
うよ」
「……今はそれでも構いませんが……でもねリューディス。最終的には、わた
くしたちには月家の名は必要なのです」
「え?」
 ヴェラシアの静かな一言に、リューディは心底不思議そうにそちらを見た。
「どうして……ですか?」
「月家は陽家の守護騎士……その守護騎士が反旗を翻す事で、クィラルの行動
の正当性を否定する事ができるのです。確かに、直系の血脈が存在しない以上、
貴方の立場上の不利は否めませんが……」
「それでも、ゼファーグ本国に突っ込む事になった場合は、お前の存在が向こ
うに揺さぶりをかける重要な因子になるんだ……ま、その前に終わってくれり
ゃ御の字なんだがな」
 ヴェラシアとファビアスの説明に、リューディはやや困惑した面持ちでレヴ
ィッドの方を見た。レヴィッドは苦笑めいた表情でひょい、と肩をすくめる。
「……オレは、お前に従うよ、リューディ。お前がアルヴァシア家を再興する
なら、オレも家名を正式に継ぐ。でも、再興しない内は継がない。それでいい
だろ?」
「まぁ、そうするしかないだろ。で、話を元に戻すけど、取りあえずはどうす
ればいい?」
「ああ……お前らには、アーヴェンに行ってもらいたいんだ」
「アーヴェンに?」
 きょとん、とするリンナに、ファビアスはああ、と頷いた。
「敵さんの取りあえずの目的はここだが、正直、防戦する分には問題ない。し
かし、アーヴェンの方はそうも行かねえ。ラファティアに駐留してる連中への
防備と、進軍中の連中への攻撃と、両方に軍勢を割かにゃならんからな。で、
そうなると、必然的に人手不足に陥るんだよ。
 で、部隊指揮の出来るのを少し寄越してくれって事なんだが……お前らだっ
たら、適任だろうと思ってな。リンナ、ファミーナ、お前ら、部隊指揮の訓練
は受けてるだろ?」
「はい、大丈夫です」
「これでも、一部隊率いてたんですからっ!」
 ファビアスの問いにリンナは頷き、ファミーナは勢い良くこう返す。
「ん、それにリューディとレヴィッドは純粋戦力として当て込めるから問題な
い。あの、マールってお嬢さんは魔術師だろ? なら戦力として計上できる。
後は……」
「カールィも戦力計上できると思うぜ。弓の腕は確かだし、少しだけど、風の
精霊魔法が使えるんだ、あいつ」
「……風の魔法?」
 リューディの話に、ファビアスは心持ち眉をひそめて怪訝そうな声を上げた。
「ああ……それが、どうかしたか?」
「ん……いや、何でもねえよ。それでだな、リューディ……あのお嬢さんはど
うする?」
 きょとん、とするリューディには答えず、ファビアスは逆にこんな問いを投
げかけてきた。この問いに、リューディは困ったように頭を掻く。
「……ここに置いておけば、一番安全なんだろうけど……」
「無理だな、無理無理。ミュリアお嬢がお前と離れるなんて、承知するはずな
い」
 ぼそぼそと呟くと、レヴィッドがきっぱりとこう言い切った。とはいえこれ
は、否定のしようと言うものがない。皆無である。
「だからって、戦場に連れて行くのは論外よ……あの子、戦えないんだから」
 とは、ファミーナの弁である。リューディは深く、ふかぁくため息をついた。
「……アーヴェンに行くまでに、何とか話してみるよ。オレも、ミューを戦場
には連れて行きたくはないから」
 それから、静かな口調でこう言うと、ファビアスは妥当だな、と頷いた。
「とにかく、反撃開始なんだね……じゃあ、ぼくはレヴァーサの様子も見ない
とならないから、これで」
 それから一拍間を置いて、リンナが静かに言いつつ立ち上がった。
「あ、あたしもティーシェの様子見なきゃ」
 リンナに続いてファミーナも立ち上がり、二人は足早に部屋を出ていく。そ
の気配が遠のくと、リューディはため息まじりにこんな事を呟いていた。
「反撃開始……か。リンナもファミーナも、力入ってるな」
「ま、そりゃそうだろ。あいつらにとっちゃ、この戦いはプライドをかけた戦
いでもあるんだ、負けられねえさ」
 その呟きにファビアスが苦笑しつつこんな事を言う。そしてこの言葉に、リ
ューディはプライドね、と呟いて小さなため息をついた。
「なぁに、陰気な影しょってんだよ……ほら、オレらも準備、しよーぜ?」
 その背をばんっと叩いてこう言いつつ、レヴィッドが立ち上がる。リューデ
ィはそれもそうだな、と応じて椅子から立ち上がった。
「……リューディス」
 部屋を出ようとすると、何やら思案していたヴェラシアが突然呼び止めてき
た。
「……なに?」
 戸惑いながら振り返ると、澄んだアクアブルーの瞳が真っ直ぐ目に入る。ヴ
ェラシアはしばし、物言いたげにこちらを見つめていたものの、やがて微かに
目を伏せる事で視線を逸らした。
「いえ……アーヴェンへの出立は五日後になります。それまでに、全ての準備
を済ませてくださいね」
 それから、静かな口調でこんな事を言う。突然の事に戸惑いつつ、リューデ
ィはわかった、と頷いて部屋を出た。
「……なんか、言いたそうだったな」
 並んで廊下を歩きつつ、レヴィッドがぽつりとこんな呟きをもらす。それに、
ああ、と頷きつつ、リューディは一つため息をついた。
「でもさ、リューディ……ほんとに大丈夫かよ、お嬢……?」
 レヴィッドの問いに、リューディは微かに眉を寄せた。
「確かに、難しいけど……でもオレ、これ以上、ミューを戦いの近くに置いと
きたくないんだ……ヴィズル戦役の時だって……あいつ、いつも泣いてた。怖
がって、怯えて……」
「ああ……そういや、そうだっけな」
 かつての戦いの時を思い出したらしく、レヴィッドも表情を陰らせる。
「だから……あんな思い、もうさせたくないんだよ。ここにいれば、直接戦火
にさらされる事はないんだしさ。だから……まあ、泣かれるだろうけど……戦
いに怯えて泣かれるよりはまだ、いいと思うから……」
「……そうかもな。ま、お前がそう言うなら、それでいいんじゃねえの?」
 俯くリューディに、レヴィッドはやや表情を和らげてこう言いながら、ぽん、
と肩に手を置いた。リューディは苦笑めいた顔をそちらに向ける。その笑みに、
レヴィッドは似たような表情で応えた。
「……んじゃ、取りあえず、行ってみる……」
「面倒事はちゃきちゃきとやるに限るからな〜♪」
「茶化すなよ、人事だと思って」
 やたらと明るく言われ、リューディはむっとして眉を寄せる。レヴィッドは
楽しげに笑いつつ、ぽんぽん、と肩を叩いた。
「んじゃ、オレは自分の準備にかかるかな〜っと♪」
 にやにやしたままレヴィッドは先に歩きだし、廊下の曲がり角の所で急に足
を止めた。
「どうしたんだよ?」
 突然の事を訝って問うと、レヴィッドは先ほどとは一転、真面目な面持ちで
リューディを見た。リューディも自然、居住まいを正す。
「リューディ」
「うん?」
「例え『月家』の形はなくても、オレはお前の背中を護る。それが、オレに与
えられた役目、一番の使命だ」
「レヴィッド……」
 唐突な言葉にリューディは息を飲む。レヴィッドはにっ、と笑うと、今度は
突然敬礼して見せた。
「んじゃっ、お嬢の説得頑張れよっ。健闘を祈る! ……なんてな〜♪」
 いつも通りの軽い口調でこう言って、レヴィッドは角の向こうに姿を消した。
一人、取り残されたリューディはその早変わりに毒気を抜かれつつ、告げられ
た言葉を反芻する。
「……オレの後ろは、護る、か……」
 何があろうと、信じてついて行く。そんな想いの込められた言葉は、進退を
決めかねている今の自分には言いようもなく嬉しいものだった。
「ありがと、な……レヴィッド」
 小さく呟くと、リューディはゆっくりと歩き出した。
 一番の厄介事に挑むために。

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