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   蒼い満月のしずく

 ……蒼い満月が輝く夜、砂漠のオアシスにその雫が零れ落ちる。それは、何
よりも高貴な神秘の宝石となり、手にした者に繁栄を約束するという。
 いつの頃からか、語り継がれてきた伝説だ。その伝説にあやかったつもりな
のか、砂漠のオアシスでは満月の夜、非合法の市が開かれるようになっていた。
扱っているのは盗品に媚薬、麻薬の類とそして――人間。

「……けっ、ヘンタイどもが……」
 聞こえてくる競の盛り上がりに、デュランは精一杯の嫌悪を込めてこう吐き
捨てた。ここは、競にかけられる『商品』たちの控えるテントの中。最初は五
人の少年少女がここにいたが、ついさっき三人目が連れて行かれたため、今は
デュランともう一人の少年がいるだけだ。三人目の少女の競は白熱しているら
しく、その熱気はここまで伝わってくる。
(いずれにしろ、次はオレか。多分、こっちが『目玉商品』だしな)
 ちら、ともう一人の方を見やってこんな事を考える。銀色の髪と淡い碧の瞳
をした、色白で華奢な少年。最初に見た時は、女かと思ったほど、線が細くて
頼りない。髪の色の珍しさやいかにもそちら好みの輩ウケしそうな容姿からし
て、彼が最後になるのは間違いないだろう。
(と、なると……やるなら、今か)
 このまま金で買われてやるつもりなど、デュランには毛頭ない。今まで大人
しくしていたのは、あくまで自分の目的のためなのだ。そのために行き倒れを
装い、わざと人身売買のキャラバンに拾われた。蒼と紅という、左右で全く異
なる瞳を持つ自分に、彼らが『商品価値』を見出す事まで計算して。
 ジャラ……
 右足を捕らえる足枷から延びる鎖をそっと手に取る。デュランを捕らえてい
るのは、この枷一つだけだ。普通の人間を繋ぐなら充分だが、デュランにとっ
てはそれは全く意味を成さない。
「フロル、サラム……頼むぜ」
 自分の中に眠る者たちに呼びかけつつ、鎖に意識を集中する。黒光りするそ
の表面にぱっと白いものが浮かび、直後に真紅の光が鎖と足枷を覆う。直後に、
鎖は粉々に砕けて崩れ落ちた。
「……っ!?」
 異変に気づいたのか、それまで縮こまっていた少年が顔を上げ、ぎょっとし
た面持ちで立ち上がるデュランを見る。困惑と怯えと、そして微かな期待。淡
い色の瞳には、それらが混在していた。
「……お前も、来るか?」
 一瞬ためらいはしたものの、デュランは低くこう問いかけていた。すがるよ
うな瞳が、このまま置き去りにする事に一抹の罪悪感を抱かせたのだ。少年は
嬉しそうな笑みを浮かべてこくん、と頷く。デュランは少年の鎖を掴んで力を
集中し、それを砕いてやる。
「おい、そろそろ出番だぞ!」
 直後にだみ声が響き、テントの入り口に掛けられた幕が開いた。のっそりと
入ってきた男は、足枷を外した二人の姿にぎょっとする。その一瞬の隙を見逃
さず、デュランは男の懐に飛び込んで急所に膝蹴り、顎に下からの正拳突きを
ぶち込んだ。
「うげっ……」
 予期せぬ激痛に男は短くうめいて白目をむく。
「けっ、バーカ……よし、行くぞ!」
「う、うん……」
 デュランの号令に少年は頼りなく頷く。それに一抹の不安を覚えつつ。デュ
ランはテントを飛び出した。キャラバンの荷物がまとめて置いてある所へ走り、
番人を見事な不意打ちで気絶させ、旅用のマントと上着を二着ずつ、それから
水袋と食料の包みを引っ張り出して手近にあったずた袋に詰める。よたよたと
ついて来た少年に上着とマントを着せて水袋を持たせると、デュランは自分も
それらを羽織り、砂馬を集めている場所へ向かった。キャラバンで使っている
上等の砂馬の中で、以前から目をつけていた一頭にそっと近づく。何かあった
時にすぐ動けるようにと、砂馬には鞍とくつわがつけられたままだ。それを幸
いとデュランは鞍に跨り、
「お前、そこで何してるっ!!」
 直後に聞こえた野太い声にぎょっと振り返った。見れば水袋を抱えた少年が、
数人の男に囲まれて立ちすくんでいる。もたもたしていて見つかったのだ。
「ちっ……トロイっての!」
 一瞬見捨てたい衝動に駆られるものの、水を持たせてあるのだからそうはい
かない。デュランは巧みな手綱さばきで砂馬を操り、そちらに突っ込んだ。
「おらおら、命が惜しかったらどきなっ!!」
 怒鳴りながら突っ込むと、さすがに男たちはぎょっとしたように散って行く。
デュランは砂馬を止めると、手を伸ばして少年の腕を掴み、自分の後ろに引っ
張り上げた。
「あ、あの、あの……」
「泣くな、舌噛むぞ! いいから、しっかり水持ってろよ!」
「う、うん……」
 震える少年を一喝したデュランは砂馬を走らせる。砂馬はそれに応じてオア
シスの市場を飛び出し、真白と闇色の支配する夜の砂漠に飛び出した。しばら
く疾走したところで速度を緩め、抱えていた荷物を鞍袋に入れる。
「……逃げ出せたんだよね……」
 ようやく落ち着いたのか、少年がかすれた声で問いかけてきた。デュランは
恐らくな、と素っ気なく答える。
「そう……良かった……」
 ほっと、安堵の息をつく。その横顔はなんとも幼かった。特に気にしてはい
なかったが、デュランより年下らしい。
「……あの……ボク、レイン……」
 嘆息した直後に、少年は出し抜けにこんな事を言ってきた。デュランは一瞬
戸惑うものの、すぐに少年が自分の名を告げている事に思い当たる。
「ああ……オレは、デュランだ」
「……デュランは、これからどうするの?」
「ちょっと、探し物に行く。元々、そのためにあのキャラバンに拾われたんだ
からな」
 この言葉に、レインはえ? と目を見張った。
「そのためにって……」
「砂漠の旅ってよ、色々と準備にカネかかるからな。でも、オレも持ち合わせ
がなくてさ。だから、途中まではラクしようと思って、わざとあいつらに拾わ
れてやったのさ」
 悪びれた様子もなく言ってのけるデュランをレインは呆気に取られた様子で
見つめ、それから、ためらいがちにこんな問いを投げかけてきた。
「でも……そのために、あんなコトされても……平気だったの?」
「は? あんなコトって……」
 遠回しの言葉の意味が一瞬理解できず、デュランはきょとん、とする。
「だから……『しつけ』のコト……」
 そんなデュランに、レインは消え入りそうな声で付け加えた。それでようや
く合点がいったデュランは、ああ、と気のない声を上げる。レインの言う『し
つけ』とは、大金で買われた『商品』として生きるための準備――言ってしま
えば、男娼としての仕込みの事だ。とは言うものの。
「……あのさ、レイン。お前、なんとも思わねえの?」
 一つため息をついてから、デュランはレインにこう問いかけた。
「え……なにが?」
「だから……オレの、目」
「えっと……あ……」
 ここでようやく、レインはそれに気づいたらしかった。左右異なる色の瞳が
意味するもの、それはデュランの生まれを最も端的に物語っている。
「……『魔眼の民』……『竜魂の器の一族』……」
 呆然とした呟きがレインの口からもれる。
 魔眼の民、あるいは竜魂の器と呼ばれる一族。彼らは生まれてすぐ、器を無
くした竜の魂をその身に宿すという。それによって竜の強大な力を得る代わり
に、彼らは宿した竜に代わって自然の均衡を守る事を義務付けられていた。
 しかし、百年前に戦争に巻き込まれた事からその一族は絶え、宿るべき器を
無くした竜の魂は世界を彷徨っている……と言われていた。
「ま、オレたちはかなり珍しいからな。あいつらも、オレの『商品価値』は認
めても、怒らせてヤケドはしたくなかったらしくてな。そっちの方は全然され
てねえよ」
 ……正確に言うならば、『しつけ』を行おうとした相手に竜の力を誇示し、
手を触れさせなかっただけなのだが。
「そっか……いいなあ……ボクは……」
 平然として言うと、レインは言葉を途切れさせつつ目を伏せた。
「……別に、余計なコト、言う必要ねえよ」
 その先の言葉が読めるだけに、デュランは素っ気なくこう言って前に向き直
る。見るからに臆病で押しの弱いこの少年が、変態的な『しつけ』の担当者を
拒絶できるとは到底思えない。恐らく、必要以上に可愛がられていた事は想像
に難くなかった。
「ま、そんな事はともかくとしてだ。お前、これからどうするんだ?」
「……うん……」
「ま、取りあえずはオレに付き合ってもらうけどな。もし、帰る場所があるな
ら、オレの用が済んだら送ってやるぜ?」
「……そんな場所……ない」
 かすれた言葉が再び気まずい空気を生み出す。デュランはそっか、と言うと
空を見上げ、月の位置を確かめた。夜空にかかる月は見事な満月。その色は何
故か、青味がかっているようにも見える。
(……間違いねえ、伝説の『蒼き満月』……今夜、この砂漠に宝珠が現れる!)
 その色に、デュランはこんな確信を得ていた。デュランの稼業は、実はトレ
ジャーハンターなのだ。物心ついた時には身内はなく、生きるために色々な事
に手を出した結果、たどり着いた結論。キャラバンに潜り込んだのは、満月の
夜に確実に砂漠に入る手段を得るためだったのだ。
 方角を確かめ、砂馬を走らせる。伝説の蒼き満月の宝珠は、魔眼の民の宝で
あるらしく、一族の者だけがそれが現れる場所を感じ取れるという。そして、
デュランは今向かっている方角から、呼び声のようなものを感じていた。
 砂馬が走り出すと、二人の周囲は沈黙に閉ざされた。デュランもレインも言
葉を発しようとはしない。砂漠を包む静寂が言葉を遮っているような、そんな
感じだった。幸い、二人で身を寄せ合っているので暖は確保できる。ひしとし
がみつかれる感触は、デュランとしてはあまりありがたくはないのだが、下手
に無下にすると泣かれそうで突き放す事もできない。
(ま、仕方ねえけどな……)
 こう考えて強引に納得すると、デュランは呼び声をたどる事に集中して気を
紛らわせた。
 一方のレインは、理由はわからないものの非常に落ち着いていた。デュラン
の存在が、心に不思議な安らぎを与えてくれるのだ。ずっと探していた存在に
めぐり合えたような、そんな優しい感触。それを、自分を救ってくれた少年が
与えてくれているのだ。
(……ずっと、逢いたかった……)
 もちろん、そう思う事に根拠は無い。だが、それはごく自然に受け入れる事
ができた。そしてその思いが安らぎを与えてくれる。だから、不安はない。恐
ろしさもない。唯一、それに相当するのはデュランと離れる事だけだ。
(このまま……ずっと一緒にいられたらいいな……)
 レインがこんな事を考えるのと前後して、デュランは前方に小さなオアシス
を見つけた。どうやら、ここが目的地らしい。デュランは泉のほとりに砂馬を
止めると、降りるぞ、とレインに声をかけて砂の上に飛び降りる。レインも、
ずり落ちるように降りてきた。ひっそりと生えている潅木の茂みに砂馬の手綱
を繋ぐと、デュランは袋の中から水袋と干した果実を二つずつ取り出して一組
をレインに渡した。
「ここに、何があるの?」
「宝珠が降ってくるんだ。オレたち、魔眼の民の宝がさ」
 不思議そうに問うレインにこう答えると、デュランは泉のほとりに腰を下ろ
して干し果実をかじる。レインもその隣に座って果実を食べ始めた。取りあえ
ず乾きと空腹を紛らわせると、デュランは夜空の月をじっと見つめた。
 月は、ゆっくりと天頂を目指して行く。それに連れて周囲の気温がぐっと下
がってきた。砂漠特有の深夜の冷気が二人に容赦なく襲いかかり、レインは身
体を丸めるようにして縮こまった。
「……レイン?」
「……寒い……」
「え? あっと……」
 つい、失念していた。生まれてすぐ、炎の竜と氷の竜の魂を受け入れたデュ
ランは気温の変化に柔軟に対応する事ができる。しかし、レインはそうはいか
ないのだ。
「……ちっ……仕方ねえな……レイン、そのマント、こっち寄越せ」
「……え?」
「いいから。心配すんなって、お前の事、凍えさせやしないから!」
 言いきると、レインは不安げにしつつもマントを脱いでデュランに渡してき
た。デュランは受け取ったそれを砂の上に敷き、その上に腰を下ろしてかたか
たと震えるレインを自分のマントの中に一緒に包み込んだ。
「あ……」
「オレはなんてコトないんだけど、お前、こうでもしないと凍えるだろ?」
「う、うん……わ……デュラン、あったかい……」
 これ以上はない、というくらいに嬉しそうな笑みを浮かべつつ、レインはぎ
ゅっとデュランにしがみついてきた。至近距離の接触にデュランは一瞬固まり、
それから、妙な感触に気がついた。レインの胸の辺りに、淡く柔らかな感触が
あるのだ。どう考えてもそれは、胸の膨らみの感触としか思えない。
「……ん? レイン、お前……男……だよな?」
 その疑問をそのまま口にすると、レインはあ、と言って心持ち身体を離した。
「……わかっちゃった……?」
 それから、伏目がちになってこう問いかけてくる。
「え……なにがだよ?」
「……ボク……どっちでもなくて……どっちでもあるんだ……」
「……は?」
 言われた意味が一瞬、わからなかった。
「どっちでもなくて、どっちでもあるって……いいっ!?」
 おうむ返しに呟いた直後に、デュランはその言わんとする所を理解する。ど
っちでもなくて、どっちでもある――男でも女でもなく、しかし、そのどちら
でもある、という事は。
(両性具有……それじゃ、こいつって……!)
 かつて、そういう特性を備えた種族が存在していた。融真の民と呼ばれた彼
らは魔眼の民と同様、百年前の大戦の犠牲となって滅んだ、と伝えられている。
そして彼らもまた、魔眼の民と同様に異形とされ、異界の存在を自在に行使す
る能力を必要以上に恐れられていた者たちだったのだ。
「……そっか……お前も、オレと同じで……仲間がいないんだな」
「……え?」
 思わずもらした呟きに、レインは怪訝そうな声を上げる。融真の民は、魔眼
の民ほど世に知られてはいない。レインも、自分がその末裔とは知らずにいた
のだろう。
「どういうコト……?」
「ん……あとで説明する。とにかく、オレとお前はある意味同類ってコトさ」
「……そうなの?」
 軽い言葉にレインは不思議そうに目を見張った。その意味は理解しきれずに
いるものの、『ある意味同類』という言葉はレインにとって、言い知れぬ喜び
を感じさせるものだった。
「じゃあ……ボク、デュランと一緒にいていい?」
 期待を込めた瞳と震える声は、その問いを否定する事に多大な苦痛を強いる
ものと言えた。もっとも、デュランは既にレインを一人で放り出す事を今後の
選択肢から除外していたが。
「ああ、構わないぜ」
 笑いながらこう答えると、レインは嬉しくて仕方ない、という表情をつくり、
ぎゅっとデュランに抱きついてきた。突然の事に対処できず、デュランは勢い
に負けて後ろにひっくり返ってしまう。
「あ、ごめん……つい、嬉しくて……だいじょぶ?」
「いやその……聞く前に、どいてくれよ……」
 華奢で小柄なレインは決して重くはないが、それでも、上に乗られると辛い
ものがある。レインはあ、と短く声を上げてデュランから離れた。身体を起こ
したデュランは髪についた砂を払い落としつつ、ふとオアシスの方を見やり、
「……あれはっ……」
 水面に大きく写る月に目を見張った。その様子に水面を降り返ったレインも
目を丸くする。
「すごい……月が、そこにあるみたい……」
 レインが呆然と呟く。デュランは泉のすぐ側に膝を突くと、空を見上げた。
蒼い満月は、いつしかオアシスの真上に達していた。デュランはマントを脱い
でレインに着せかけると、ゆっくりとオアシスの中に入っていく。オアシスの
水は大気同様に冷たく、むき出しの足に刃の如く切り付けてくる。それに構わ
ず、デュランは泉の真ん中まで進み、天に向かって手を差し伸べた。
 ころん…… ころろろん……
 澄んだ音が砂漠の静寂の中に響いた。蒼い月が輝きを増し、その光の一部が
零れるように落ちてくる。それはキラキラと輝きつつ、デュランの手の中に零
れ落ちた。
「……デュラン……?」
 レインがおずおずと声をかけてくる。デュランは天へと伸ばした腕をそっと
下ろし、手の中の輝きを見つめた。三日月を思わせる形の、透き通った蒼い石
が二つ、手の中で煌めきを放っている。
「……これが……『蒼い月のしずく』……」
 呟いて、そっと握り締める。二つの石の感触は冷たいが、何か、暖かいもの
がその内側に感じられた。あるべき場所にたどり着いた安堵――そんな感じが
石から伝わってくる。
(そっか……ようやく、魔眼の民のところに戻れたから、か……)
 そう考えると、なんだかこそばゆいような感じもする。デュランはくくっと
低く笑うと、お帰り、と小さく呟いた。
「……よっしゃ、目的達成だ!」
 それから、元気一杯に宣言して泉から上がる。レインは不思議そうにデュラ
ンの手にした二つの石を見つめた。
「それが、デュランの、探し物……」
「ああ……そうだ、これ、一つお前にやるよ」
「……え?」
「多分、そうしなきゃならないんだ……オレとお前が一つずつ持ってないとさ」
 曖昧な言葉にレインはきょとん、と瞬く。デュランは三日月の石の一つをレ
インに渡すと、宿した炎竜の力を使って濡れた衣服を乾かした。
「さて……一休みしたら、出発しようぜ」
「え……どこへ?」
 軽い言葉にレインはきょとんとまばたく。デュランはそうだなぁ、と言って
思案を巡らし、それから、にやっと笑ってこう言った。
「……まともなメシの食えるところへ!」
 なんともお気楽な言葉にレインは一瞬目を見張り、それから、笑顔でうん、
と頷いた。


 ☆あとがき  番頭キリ番777ヒット記念、飛龍様のリクで『砂漠の宝石』をお題とした 短編なんですが……び、微妙っ!! いやあ、書いてる内に何度かネタが規制エ リアに落ちかけました(笑)。  まあ、たまにはこんなのもいいかな、と。いかがなもんでしょ?
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