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   遠い刻の約束

「……それでは、お願いしますね」
 静かな口調で、あの人はそう言った。
「刻が来るまで、これを護っていていてください」
 この言葉に頷いて、わたしは守人となった。刻が訪れるまで、託された力の
番人としてここに存在し続ける。それがどんなに苦しい事だとしても、あの人
が与えてくれたものの大きさに比べればなんでもない。
 そう思えたから、わたしは暗闇の中に自分を閉ざし、そして――

 ……一体どれだけ、時間は流れたのだろう……?

「うおりゃあっ!!」
 威勢のいい掛け声と共に大剣が唸りを上げる。銀の刃は対峙する骸骨戦士を
確実に捉え、強引にその背骨を叩き斬るが、相手はすぐに元のように組みあが
り、淡々と斬りかかってきた。
「っだああああああっ!! これじゃキリがねーぞ、キリが!!」
 延々と繰り返されるこの展開に、サイは絶叫する。
「怒鳴っても、体力のムダになるだけですよ」
 そんなサイに向け、アレクはのんびりとした口調でこう言った。サイはあの
な、と言いつつサファイアブルーの瞳でアレクを睨み、再び斬りかかってきた
骸骨戦士の剣を受け流した。
「大体、何なんだよこれ!? アンデッドじゃねえし……大体、なんですぐに復
活してくんだよ!!」
「リバイバル・カースのかけられた竜牙兵ですよ。ところで何回壊しました?」
 のほほん、とした問いに、サイははあ? と言いつつアレクを振り返り、
「っと! どぉりゃあっ!!」
 直後に斬りかかってきた骸骨戦士の胴を横一閃に薙ぎ払った。
「今ので、九回目だ!」
「そうですか。じゃ、あと一回で壊れますよ」
 涼しい顔で言いつつ、アレクはにこっと笑う。サイは疑念を抱きつつ、それ
でも目の前の敵に集中した。戦いが始まる前に手を出すな、と言ったのは他な
らぬ自分。故に、この敵は自分で倒さなくてはならない――そんな、いつまで
も抜けないかつての肩書きの気質に振り回される自分が、妙に恨めしく思えた。
 呼吸を整え、間合いを測る。一回で終わると言うなら一撃で決める。それが
サイの流儀だ。高まる闘気を受けて、構えられた剣が淡い碧の輝きを帯びる。
骸骨戦士はゆっくりと組み上がると、再び剣を振りかざしてサイに斬りかかっ
てくる。サイはその攻撃をわずかな回避でいなし、
「……はあああああっ!!」
 気合と共に振るった刃で骸骨戦士の胴をまたも横一閃に薙ぎ払った。骸骨戦
士はがしゃん、と音を立てて崩れ、そのまま塵となって消え失せる。
「……やっと終わったか……」
「ご苦労様です」
 敵の消滅を確かめ、安堵の息をつくサイにアレクがのんびりと声をかける。
サイは渋い顔でそちらを見、それから、ポーチから出した布で剣の刃を拭い、
鞘に収めた。
(なんっか、読めねえな、こいつ……)
 確かに、アレクと知り合ったのはついさっき、ほんの一時間ほど前だ。今い
るこの洞窟の入り口で偶然出くわし、ここの探索に来た、という共通の目的を
持っていた事から共に中に入ったのだが……どうにも、このエルフの考えてい
る事は、読めない。エルフという種族自体が超然として読みにくい種というの
を差し引いても、アレクは把握しにくい質をしているようにサイには思えた。
「……なにか?」
 つい横目で観察していると、アレクは不思議そうに首を傾げた。真っ直ぐに
伸びた月光を思わせる金髪がさらり、と流れ、左は紫で右は緑と言う特徴的な
瞳が不思議そうにサイを見つめた。サイは一つため息をつくと、別に、と答え
て目をそらす。
「それより、先に進むとするか?」
 それから早口にこう言い放つと、アレクははい、と素直に頷いた。
(それにしても、なあ……)
 奇妙な洞窟だ、とサイは思う。フリーの冒険者になってまだ一年ほどだが、
それなりの数の洞窟は探索してきた。しかし、今まで見てきた洞窟とは、ここ
はかなり様子が違っていた。まず、造りがおかしい。真っ直ぐな壁や天井は明
らかに人の手が加えられたものだ。そう言う意味では遺跡と言えるかも知れな
い。しかし、古代遺跡にしては単純な一本道が続くだけで部屋らしき空間も無
く、そういう意味では洞窟と言えそうなのだ。
 そして一番奇妙なのは、出てくる怪物。と、言っても出てくるのはあの骸骨
戦士――竜牙兵だけなのだ。これは魔法によって人工的に生み出されたもの、
つまり、よほどの事がなければ自然の洞窟にはいない。
(そう言う意味では、やっぱり遺跡……なのか?)
 だとしたら、多分に素っ気ない遺跡だが。そんな事を考えていると、突然、
アレクがあの、と声をかけてきた。
「ん? 何だよ?」
「あの……サイさんは、どうしてここに来たんですか?」
「は? オレ?」
 突然の問いに、サイは思わずとぼけた声を上げていた。
「いや……大した事じゃないんだが……オレの、古い知り合いがここに一人で
挑戦して、んで、戦士として再起不能になって帰ってきたって聞いてな。一体
なにがあるのか、興味が出てきたんで来てみたんだ」
「……は?」
 あっけらかん、と説明すると、アレクは異眸をきょとん、と見張り、間の抜
けた声を上げた。
「あの〜、それで自分が同じ目にあう可能性は……」
「そんなもん一々考えてたら、冒険者なんてできないって」
 低く問いかけてくるのをサイはさらっと受け流す。実際、サイはこの一年間
をこれを自己信条として生き延びてきていた。多分に『無謀男』と称されたが。
「……おかしな人ですねぇ……」
「……お前さんに言われると、腹立たしいのは何故だ?」
 呆れたような嘆息にサイは憮然としてこうきり返す。アレクはやや、むっと
したように眉を寄せ、どういう意味ですか、と問いかけてきた。
「実際、お前さんも人の事は言えないと思うぞ。少なくとも、魔道師が一人で
来るとことは思えないんだがな、ここは」
「……大きなお世話です」
 問いに飄々と答えると、アレクは拗ねたようにこう言って前に向き直った。
その表情がふっと引き締まる。サイも、前方に異様な気配を感じて気持ちと表
情を引き締めた。元の造形がそこそこいいためか、こういう顔をすると中々に
男前だ。
 オオオオオオ……
 何者かの咆哮が、奥の方から聞こえてくる。サイは行くか、とアレクに声を
かけ、ゆっくりと歩き出した。アレクははい、と頷いてそれに続く。道は途中
から下りの階段となり、それを降りた先には開けた空間がある。そして、その
中央にそれはいた。
「……っ!?」
「……あれは……」
 サイは息を飲みアレクは呆然とした声を上げる。階段を降りた先の空間にい
たもの――それは、巨大な竜だった。とはいえ、ただの竜ではない。竜の骨格
が、炎のようなオーラをまとってそれを形作っている、とでも言えばいいのだ
ろうか。その骨格も全体的にぼんやりと透き通っており、それが正常な存在で
はない事を物語っている。
「はぁ〜……こりゃまた随分と……」
 言い知れぬ威圧感を醸し出すその姿に、サイはいささか場にそぐわない、と
ぼけた声を上げた。
「とんでもないもんがいるなあ……しかしあいつ、こんなもん相手に再起不能
になったのか?」
 風の噂に聞いた話を思い出しつつ、呆れを込めて呟く。確かに、見た目は恐
ろしいと言える。だが、サイから見ればこれは、骨だ。恐れるほどのものでは
ない。と、言うか、この手のモノは恐ろしいと思えばそれだけ強大になるのが
パターンなのだ。だから、恐れは持たない。持てば負ける。それが、サイの戦
い方だった。
「……そんな……どうして……」
 その一方で、アレクは呆然とこんな事を呟いていた。目の前にあるモノが信
じられない――見開かれた異眸からは、そんな思いが読み取れた。それに微か
な疑問を感じつつ、サイは剣を構える。
『……ナニモノ……カ……』
 空間に虚ろな声が響く。どうやらこの竜の声らしい。
「見えてるかどうかは知らんが、見ての通りの冒険者だ」
 それに、サイは大マジメな様子でこう返した。それで我に返ったらしいアレ
クが、呆れたようにサイを見る。そして、竜はオオオオオオ……と長い咆哮を
上げた。
『ココハ……トザサレルベキチ……トク、タチサレ……』
「そうは行かないんだよな。オレも、わざわざ遊びに来た訳じゃないんでね」
『……ナンビトタリトモ、コノサキニススムコトハカナワヌ……トキミチルマ
デ……ワレハ、ココヲシュゴスル……』
 どこまで本気かわからないサイの言葉に竜は唸るようにこう答えた。
「……平行線だな。まあ、いいさ。お前さんの何があいつを再起不能にしたの
か……確かめさせてもらうっ!!」
 宣言の直後にサイは動いた。銀の刃が竜を包むオーラを捉え、その骨格を強
かに打ち据えた。竜はグオオオっ!と咆哮しつつ腕を横なぎに払う。サイは素
早いバックジャンプでそれを避け、片膝を突いた姿勢で低く身構えた。
「……見た目以上に厄介だな、こいつ……」
 今の接触で感じたもの――凍りつくような寒気に、サイは真面目な面持ちで
呟く。魂そのものを凍てつかせるような冷たさは、死霊特有のものだ。もっと
も、このなりで生物、と言われるのは悪い冗談でしかないが。
「……あのバカ……お節介心出したな……」
 そして、対峙しているものが不死怪物と認識できれば、旧友の自爆の理由も
読める。いつも生真面目で、肩書き気質に振り回されすぎと思えた旧友。恐ら
く、彼はこの竜を倒すのではなく、救おうとしたのだろう。そしてそれが叶わ
ず、自身喪失から再起不能に陥った。納得したサイは深くため息をつき――そ
れから、鋭い瞳を目の前の竜に向けた。
「お前さんにはお前さんの事情があるんだろうな……多分」
 低く呟きつつ、剣に意識を凝らす。どうやらこれは、捨てたつもりの肩書き
の力が必要な状況らしい。
「……え? サイ、さん?」
 サイの変化に気づいたのか、アレクがはっとしたようにこちらを振り返る。
サイは答えずに、力の集中を続けた。銀の刃が、白く美しい光を放ち始める。
「……これは……ホーリーウェポンの呪文……神聖魔法を!?」
 サイの剣が放つ光の波動を読み取ったアレクは、呆然と呟いた。無理もない
だろう。サイは自分を魔法剣士としか名乗ってはいない。必要な事ではないの
で、かつての肩書きについては触れてはいないのだ。かつての肩書き――即ち、
神聖王国所属の騎士であり、記録されている中では最年少で伝説の『聖騎士の
塔』を踏破した聖騎士であった事には。
 藍玉を思わせる瞳が鋭く竜を見つめる。竜も眼孔に青白い炎を宿してそれを
睨み返した。
「でもよ……やっぱり、いい気分はしねえんだよな。古い呪縛に捕われただけ
のお前さんに、お人好しでバカ正直で、聖騎士って事だけが取り柄だったあい
つが、存在を否定されちまったってのは……面白くねえ!」
 叫び様、サイは勢いをつけて跳躍する。竜はくわっと口を開き、透明な炎の
ブレスでそれを迎え撃つが、サイは一瞬の剣閃でそれを斬り払った。
「……幽気のブレスを……斬り払った……?」
 アレクが呟く。出会ったときから随分と型破りなものを感じていた青年だっ
たが、ここまでやられるともはや言葉もない。
「うぉりゃあっ!!」
 跳躍したサイはブレスを払った時に左肩に預けた剣を、勢いをつけて振り下
ろす。気合と共に振るわれた刃は竜の頭骨を見事に捉え、ばきいっ!という豪
快な音を伴ってそれに大きなひびを入れた。
「……っ!!」
 アレクが息を飲む。紫と緑の異眸が大きく見開かれ、その瞳に、苦しげに悶
絶する竜の姿が映し出された。
「ちっ……今の一撃じゃ落ちねえってか!? 何年モノのアンデッドなんだよ、
こいつ!!」
 一方、着地したサイは苛立たしげにこんな言葉を吐き捨てる。剣を包む輝き
は、衰えてはいない。それを確かめたサイは呼吸を整え、次の一撃で竜の頭骨
を砕かんと再び身構えるが。
「……待って! もう……もう、止めてください!!」
 その直前にアレクが泣きそうな声で叫んだ。思わぬ言葉にサイは気勢をそが
れつつアレクを振り返り、言いようもなく悲しげな瞳に目を見張った。アレク
はサイと竜の間に割って入り、その瞳を竜へと向ける。
「……もう、いいんです……もう、止めてください……もう……いいから……」
 ……グウウウ……?
 訴えかけるアレクの姿に、竜は怪訝そうな唸りを上げた。
「お……おい?」
 状況の全く把握できないサイは、困惑した声でアレクに呼びかける。
「ごめんなさい……こんな事……こんな事になるなんて、思ってなかった……
あなたが……そんな姿になってまで……約束を守ってくれるなんて……」
『……オマエ……ハ……』
「……ごめんなさい……わかりませんよね……あんまりにも、変わりすぎてる
から……でも……お願い……思い出して……わたしを……」
 震える訴えと共に、異眸が大きく揺れた。俯いた弾みに澄んだ煌めきがそこ
から零れ落ち、無愛想な床の上に弾けて消える。
『オマエハ……ある? あれくさんどる?』
 竜がかすれたように問いかけると、アレクははっと顔を上げた。
「……わかりますか……?」
『……オモイ……ダシタ……ソノヒトミ……スガタハカワッテモ、ソレハカワ
ラヌノカ……』
 この言葉にアレクは泣き笑いの表情ではい、と頷いた。竜はグウウウ……と
いう低い唸りを上げ、アレクに顔を近づける。
『……トキガ……キタノカ?』
「……少なくとも……あなたが眠る時は、来ているはずです……だから、眠っ
てください……もう、いいんです……」
『……ある……』
「……約束を守ってくれて……ありがとう……」
『……………………』
 微笑みながら言うアレクに、竜は何事か囁いたようだった。直後にその身を
包む炎が大きく燃え上がり、次の瞬間、かき消すように消え失せる。それと共
に竜の骨にぴしっ……と音を立ててひびが入り、その全身が一気に崩れ落ちた。
「…………」
 完全に理解を超越した展開に、サイは言葉もない。ただ、空間に満ちる穏や
かな空気が、このエルフの少年との邂逅が今の竜を救った、という事実を端的
に物語っていた。
(……一瞬、女に見えたのは、オレの気のせいか……?)
 こんな疑問もあるものの、追及は無駄のように思えた。そんなサイの心中を
知ってか知らずか、アレクは竜が守っていたもの――素っ気無い造りの祭壇に
歩み寄り、そこに横たえられていた短剣をそっと手に取った。飾り気ない短剣
だが、それは強い力を周囲に放っている。どうやら、相当な魔力の込められた
もののようだ。
「……ありがとう……レクシス……ごめんなさい……」
 かすれた声で呟き、瞳に残った涙を手早く拭う。
「……さて、これでここには何もなくなりましたね。どうしますか?」
 振り返ったアレクは、にっこりと笑いながらこんな問いを投げかけてきた。
その切り替えの早さに毒気を抜かれつつ、サイは一つため息をつき、
「……外に出るか。それが妥当だろ?」
 逆にこう問い返した。アレクは笑顔のままで、そうですね、とそれに頷いた。

「……で、そっからあいつとの腐れ縁がはじまったんだよなあ……」
 他に誰もいない藍玉の庭園でぼんやりと空を眺めつつ、サイはふとこんな呟
きをもらしていた。不可解な遺跡での不可解な一件のあと、サイはごく自然に
アレクとコンビを組み、アレクがこの魔法図書館に籍を置く事を決めた時、こ
れまたごく自然に自分も在籍を決めていた。理由を聞かれると……正直、困る
のだが。
 ただ、何となくだが、あの時思ったのだ。正常な状態を失いつつも、アレク
との約束にこだわっていたらしいあの竜。理由はわからないが、あの竜はアレ
クを護りたいと願い、彼との約束を守り通そうとしていたのではないか、と。
そのために、あの短剣の番人として、あそこに居続けたのではないか、と。い
ずれにしろ、それは相当な決意のはずだ。
 だから、見定めたいと思ったのだ。アレクの何が、それだけの決意をさせた
のかを。もちろん、聞いたところで素直に答えるタイプではないので、もしか
したら不可能なのかも知れないが。
「ま、わかったからどうにかってもんでもないけどなあ……」
 苦笑しつつ、ふとこんな呟きをもらした時、
「……サイ、いますかあ?」
 建物の方からアレクの声が聞こえた。振り返れば、月色の髪のエルフの少年
が、相変わらずのほほん、とした表情でそこに立っている。
「ん、どした?」
「アムナスが、お茶にしませんか、って言ってますよ。どうですか?」
「パルティナとエルは、まだ戻らないのか?」
「買い物ついでに、街でお茶してるんでしょ、ってアムナスは言ってましたよ。
で、どうします?」
「……断る理由があるのかよ?」
 ひょい、と肩をすくめてこう言うと、アレクはそうですね、と笑う。穏やか
な笑みは相変わらず、男とも女とも言いきれない、微妙な美しさを伴っていた。


  ☆あとがき…☆  3333ヒット記念キリリクです。飛龍様のリクで、お題は『ガーディアン』 という事だったんですが……何故か魔法図書館の職員ネタになってしまいまし た(笑)。しかし……アレク、お前何者って感じですね、これは。  こんなもんでもOKでしょうか〜(^-^;
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