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   ここあけーきのごご

 なんか、気だるい。
 いや、そもそも夏休みの昼下がりという、その時間帯自体、ぼくには気だる
くていけないんだけど……。
 にぃ……?
 縁側に寝転んでいると、か細い声が聞こえた。こないだ拾ってきた子猫の流
河。茶トラの雄ネコで……このタイクツな夏休みにおける、ぼくの究極の暇つ
ぶし……。
 なんて言うと怒られるな、流河は勿論、炎にも。
「……はあ……」
 ため息が出た。大体、天気がいけない。雨が降りそうで、降らない。こんな
天気が一番キライだ。一思いにざっと降ってくれれば気持ちいいのに……った
く、もう。
 にゃ?
 縁側に仰向けに寝転んだままで何もしないぼくを怪訝に思ったのか、流河が
胸の上に登ってきた。ぼくは小さな身体をひょい、と抱き上げて持ち上げる。
 にぼし、まだあったっけ? もらって来ようかな……この前の徳用改めネコ
用にぼし。厳ちゃんは怒ってたけど、あれって傑作だったよね……。
 こんな、取りとめもない事を考えてると、キッチンの方から声が聞こえた。

「あれ、風。どっか行くのか?」
「ああ。ちょっとでかけてくる」
「それはいいけど、夕飯までには戻って来いよ」
「……あのな、炎。何度も言うがぼくは……」
「子供じゃないから、言うんだよ。食材がムダになるから、外食はするなよ」
「……そのくらい、わかってる」

 ……またやってる。仲、いいんだから、あの兄弟……。
 こんな事を考えながら、ぼくは流河を下ろして起きあがる。ふわふわした茶
トラの子猫。抱っこしてると、あったかくて落ち着く。ぼくが護らなきゃいけ
ない、ちっちゃな命。断じて、おもちゃなんかじゃないんだ。
 ……ま、今はおもちゃだけどね。
 ……にゃあ……
 イジワルな事を考えてると、それがわかったのか、流河は不満げな声を上げ
た。
「……ふふっ……ごめんごめん、怒らないで」
 声に出して言いつつ、小さな頭を撫でてやると、流河はにぃぃ……と鳴いて
目を細めた。こんな顔されるから、ついからかったりしちゃうんだけどね……。
「お〜い、流、いるか?」
 起きあがった所でどうしようか、と考えてると、ふすまが開いて炎が顔を出
した。
「ん……なに?」
「いや、なにってんじゃないけど……お前もヒマそうだな」
 苦笑半分の得意な顔でこう言うと、炎は縁側にやってきてぼくの隣りに座っ
た。とたんに弾ける甘い匂い――お菓子でも作ってたのかな?
「ん……どした?」
「また、お菓子作ってたの?」
「ああ、ちょっとな。最近はなに作っても、残るって事がないから、色々と挑
戦しがいがあるんだよ」
 ぼくの問いに炎はこう言って微笑った。
 ……それにしても、高校二年の男の趣味が家事全般、中でも料理ってのはど
う言う事なんだろう。しかも、その腕前はプロ級。その上、当人は県内屈指の
名門私立校でも、五本の指に入る最優秀生徒の一人であるにも関わらず、その
進学希望は調理専門学校。将来は調理師の免許を取って、今ぼくたちが合宿所
にしているこの家を改築した小料理屋を開くのが夢だって言うんだから……な
んとも、すごい話だと思う。
「まあ、厳ちゃんにかかれば、残り物なんて出る道理がないもんねぇ……」
「少し、食いすぎるけどな……あいつ一人で、エンゲル係数が大破壊だ」
 ……それでこないだ、『エンゲル係数破壊男』なんて呼んでたのか……。
「……それで、なに作ってたの?」
「ん? ああ、ちょっと、ケーキを、な。あともう一つ、今日のお茶用のを作
るつもりなんだが……」
 こう言うと、炎は何故かため息をついた。
「……どしたの?」
「読まれるのかね、どうも……また風に逃げられたよ」
 そしてまた、苦笑半分の笑顔をつくる。
 炎と風。戸籍上は他人の双子の兄弟。炎は風と打ち解けようと頑張ってるけ
ど、風の方は炎を避ける事が多い。いや、そもそも今、この月ヶ瀬家で合宿し
ているぼくら四人――炎、風、厳ちゃんとぼくの中で、風はちょっと孤立気味。
 ま、かく言うぼくも風とは打ち解けられずにいる。普通に風と話してるの、
今のとこ厳ちゃんだけだ。まあ、厳ちゃんは「細かい事は気にしない」がモッ
トーと言うか、「細かい事は気にならない」人だから、ちょっと例外か。
「ま、仕方ないよな。あいつは、オレや親父の事、恨んでた訳だし……そう簡
単に、わだかまりは消えないんだろうな……」
 独り言めいた呟きをもらす横顔は、なんとなく寂しげだ。弟の出現を純粋に
喜んで、受け入れようとしている炎。兄の存在を憎み続け、命すら狙った風。
呆れるくらいに正反対な二人は、でも、一卵性双生児。

 ……双子……か。

 その言葉を思い浮かべた瞬間、考えないようにしていた姿が心に浮かんでし
まった。

 澪……どうしてるかな……。ぼくの大事な……双子の、『妹』。

 にゃあ……
 流河が不安げな声を上げた。いけない……弱気、伝わったかな。流河の不安
を感じ取れるのはぼくだけじゃない。炎や厳ちゃんも、それを読み取れるんだ。
そして炎は、流河の不安からぼくの心理を的確に読み取ってしまう……何でな
んだ?
 ちら、と横目で見ると、炎は相変わらずの半苦笑でぼくを見ていた。それか
ら、ぽん、とぼくの背中を叩いて立ち上がる。
「さて……ここでぼーっとしてても仕方ないしな。流は、でかけないんだろ? 
なら、取りあえず二人分の茶菓子、作るか」
 ……ここで、余計な慰めを言わないから、炎と話しててもそんなに気は張ら
ないんだと思う。
「そ……じゃ、楽しみにしてる」
「ああ、そうしてくれると、作りがいがあるな♪」
 本当に楽しそうに笑う炎。料理を覚えたのは必要だったからって言ってたけ
ど、今はそれがほんとに楽しいらしい。だからこそ似合うんだろうな、ライム
グリーンのヒヨコさんエプロン。
 炎が行ってしまうと、ぼくはぼんやりと庭を眺めた。流河は横で丸まってい
る。少しすると、甘い、いい匂いが漂い始めた。これは……ココアの匂いだな、
なんて考えていたのはほんの数分。

 ……雨が……降る。

 それは、直感的に感じられた。水を操る事のできるぼくだから、感じられる
気配。濡れるのがキライな流河はちょっと嫌そうだけど、ぼくとしては嬉しい。
だから、ぼくは縁側の下に置いたサンダルを履いて、ゆっくりと庭に出た。
 今にも泣きそうな色彩の空。そこに向けて、ぼくは手を差し伸べる。
「……ほら、ムリしない」
 空が、微かに震えた。
「いいんだよ……泣くの、我慢するのは……ぼくだけで」
 呟くように、囁くように……そんな言葉を投げかける。それに応えたのかど
うかはわからないけど……雨は、静かに降り始めた。ぼくは庭石に腰掛けて空
を見上げる。夏の雨は大粒で、少し暖かいから、濡れるのはキライじゃない。
どんどん勢いを増す雨――ぼくはその中で、ゆっくりと目を閉じる。

 時々、考えては不安になる。
 これからの事……目覚めたぼくらの力の向かう先。そして……澪の事。
 そんな、答えの見つからない事に対する不安――突然の雨は、それを一時的
にだけど洗い流してくれる。
 だから……ぼくは、雨が好きだ。

 みゃうう……

 雨に濡れるぼくの姿に、流河が首を傾げながら怪訝そうな声を上げた。雨の
日に捨てられた流河は、雨がキライ。だからぼくの、雨に濡れるのが好きな所
はわからないらしい。
 ……いいんだけどね、別に。

 ……やがて雨は上がり、空はすっきりした、と言わんばかりに澄んだ青を覗
かせる。
「お〜い、流……って、お前、なあ……」
 それとほぼ同時に炎が顔を出し、庭でずぶ濡れになっているぼくの姿に呆れ
顔になった。
「……前から言ってるだろ〜、それ、やめろよ。お前がそれやると、家の前に
女の人垣ができるんだからさ……」
 ……どうもそうらしいけど、別に知った事じゃない。まあ、家の主である炎
としてはイヤなんだろうけど。
「ったく……ま、お前の場合、水で身体壊しはしないから、そっちの心配はな
いけどな……シャワー浴びて、着替えてこいよ。お茶、なにがいい?」
「……お菓子によるけど」
「ん? 茶菓子は、ココアマーブルシフォン」
「……アイスティがいい」
 ぼくの返事に、炎は了解、と言って一度引っ込み、それから、バスタオルを
縁側に持ってきてくれた。白くてふわっとしたタオルを被り、水滴を拭って上
がると、流河がなぁう、と鳴いてぼくを見上げた。
「流河、先に行ってていいよ」
 んにゃあ……
 ぼくの言葉に流河は一声鳴いてとことこと歩いて行った。ぼくは一つ息をつ
いてバスルームに向かい、シャワーでざっと身体を流す。濡れた服を着替えて
食堂に行くと、シフォンケーキのふわっと柔らかな茶色と、グラスに入ったア
イスティのきりっとした赤茶色がぼくを出迎えた。
「……いつも思うんだけど」
「ん? なんだよ」
「……なんでそう……楽しそうにケーキ取り分けたりできるの?」
 ほんの少しだけ呆れを込めて問うと、炎はさあな、と言って肩をすくめた。
「結局、オレは主夫が性に合うんだろ……さて、一服したら、買い出しに行く
ぞ。手、貸せよ?」
「え!? この間、あれだけ買い込んだのに、もう?」
「だから、言ったろ。エンゲル係数が、大破壊されてるって」
 ……なんだか、厳ちゃんの大食いが恨めしくなって来た……。
 こんな事を考えてると顔に出たらしくて、炎は苦笑めいた笑みを浮かべた。
ま、仕方ないか……そんな風に納得しつつ、ぼくはシフォンケーキにフォーク
を入れた。
 絶妙としか言えない甘さのバランスは、もう天才の領域かも知れない……。
ふわっと柔らかな茶色のマーブルの味に、ぼくはふとこんな事を考える。
 ふみゃああん……
 それを肯定するみたいに、流河が一声、鳴いた。


  ☆あとがき…というか何というか☆  上総様のキリリクのお題、『猫』と『茶色』をくっつけてみました……って、 これって、キャラの解説が別に必要かもしれないですねー。ちなみにオリジ長 編『四聖獣記』という話のキャラたちです。温泉饅頭騒動よりはいいかなと思 いまして(笑)。キャラの簡易データを見たい方は、下のリンクから見に行っ てください。  ……しかし、本編全くノータッチの状態で、短編書くなよな〜、自分!                        四聖獣記ってなんだ?
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