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   蒼い翼で空を飛ぼう

 その少女が村外れの丘の上の屋敷に来てから、一週間が過ぎていた。聞く所
によると、都の偉い貴族の娘だと言う。少女は屋敷にこもりがちでほとんど人
前に姿を見せる事はなかったが、時折、屋敷の裏手の森を一人で散歩している
事があるという。
 そんな噂を聞いていたから、その見なれない少女が貴族の娘だと言う事はす
ぐにわかった。一目で上質とわかる絹のドレスを着た、金髪の少女。淡い翠の
瞳は、突然落ちてきたリュナンを本当に不思議そうに見つめていた。
(……くううっ……カッコわりぃ〜!)
 落ちた時に打ちつけた腰の痛みよりも何よりも、そのきょとん、とした瞳に
対する決まり悪さの方がリュナンの中では強かった。故に、リュナンは視線を
ずらしたまま、かりかりと頬を掻く。
「……あの……」
 間の悪い沈黙を経て、少女がおずおずと声をかけてきた。ハープの弦を振る
わせるような、よく通る綺麗な声だ。
「だいじょうぶ、ですか……?」
「……う……うん」
 心配そうな問いに、リュナンは素っ気無く頷く。
「でも……血が出てます」
「え?」
 言われて、初めて気がついた。落ちた時に擦りむいたらしく、肘から血が出
ている。
「ちぇっ……カッコわる……」
 傷を認識したリュナンは舌打ちと共にこんな呟きをもらした。落ちただけで
も格好悪いというのに、擦り傷まで作っていたのだから気分は最悪だ。
「……あの……」
 眉を寄せて傷を睨んでいると、少女の声が間近で聞こえた。え、と言いつつ
顔を上げると、少女はドレスと同じ絹のハンカチを出して、こちらに差し出し
ている。
「傷……泥、ついてます。拭かないと、大変……」
「え? あ……だいじょぶだよ、このくらいはっ! 舐めときゃ治るよ」
 目をそらしつつこう言うと、少女は心配そうに眉を寄せて、でも、と言い募
ろうとするが、
「……リエラ様〜! リエラ様、どちらですか〜!」
 木々の向こうから聞こえてきた声がそれを遮った。少女はあ、と短い声を上
げてそちらを振り返る。
「いけない、戻らなきゃ……あの、これ、使ってください! それじゃ……」
 一方的にこう言うと、少女はリュナンの手にハンカチを押し込んで立ちあが
り、声の聞こえてきた方に走って行った。リュナンは戸惑いつつ、その背を見
送る。
「使ってくれって……言われても……」
 呆然と呟きつつ、手の中のハンカチに目をやる。白い絹のハンカチからは、
何故か薬の臭いがした。
「……病気……なのかな?」
 ふとこんな考えが過るが、あながち間違いではなさそうだった。都の貴族が
療養の目的でここを訪れるのは、良くある事なのだ。この地方には昔から精霊
の力が強く作用しており、それがもたらす治癒力を求める者は後を絶たないの
である。
「……勝手だよな……別に、ここが特別ってワケでもないのに……」
 呆れたように呟きつつ、リュナンはハンカチを投げ捨てようとして――その
瞬間よみがえった少女の瞳に、それを思い止まった。
「……ヘンなコだよな……」
 呟いて、ハンカチをポケットにしまったリュナンは少女の走って行った方を
振り返り、それから、そちらとは逆の方向に歩き出した。

 翌日、リュナンは少女と出会った場所を再び訪れた。ハンカチを返さなくて
は、と思ったからだ。出会った場所――つまり、リュナンが昨日落ちた場所に
はその姿はない。今日は来ていないのか――と思って周囲を見回した時、澄ん
だ歌声が耳に届いた。微かに覚えがある声に、リュナンは引き寄せられるよう
にそちらに向かう。しばらく進むと小さな泉に抜け、その辺に昨日の少女が座
っていた。リュナンには気づいていないらしく、周囲の花を摘んで編みながら、
楽しげにハミングしている。リュナンは泉と森の境界線に立ち尽くしてしばし
その歌に聞き入った。
「……? あ……」
 不意に歌声が途切れ、短い声がリュナンを我に返らせる。はっと我に返ると、
大きな翠の瞳がじっとこちらを見つめていた。
「……あ……昨日の……」
「よ……よう……」
 互いに短く言ったきり、言葉が続かない。リュナンはしばしためらっていた
が、意を決して少女に近づき、ポケットから出したハンカチを差し出した。
「……これ、返す。ありがとな」
「あ……いえ……わざわざありがとうございます……」
 ハンカチを受け取る瞬間、少女は嬉しそうに微笑んで見せた。直後にその顔
が歪み、少女は口と胸を押さえて咳き込む。
「お、おい! だいじょぶかよ!」
「……はい……平気です……いつもの事ですから……」
「いつものって……」
「私、生まれつき、喉と胸が悪いんです……だから、すぐに息が苦しくなって
しまって……こほっ……」
 呆気に取られるリュナンに、少女は寂しそうに微笑みながらこう言った。ど
うやら、昨日の予想は当っていたらしい。リュナンはしばしためらった後、少
女の傍らに膝を突いた華奢な背中に手を当てた。
「えっ……あの……」
「……苦しいんだろ、ちょっと、摩ってやるよ……」
「あ……ありがとう……」
 素っ気無い言葉に少女の表情が微かに緩む。細い背中をそっと摩ってやりつ
つ、リュナンは周囲の精霊の気を集めて少女の身体に送り込んでやった。
「……ありがとうございます……楽になりました」
 しばらくして、少女は本当に嬉しそうにこう言って微笑んだ。その顔色は、
格段に良くなっている。
「そっか、良かったな……オレ、リュナン。お前は?」
「え……リエラ、です」
 リュナンの問いに少女――リエラはにこっと微笑ってこう答える。

 翌日から、二人はごく自然に森の泉で会うようになっていた。特に何かする
訳でもなく、ただ、取りとめもない事を話すだけなのだが、その時間は言いよ
うもなく穏やかで、心地よいものだった。
「……空?」
 出会って一週間が過ぎた日、リエラが口にした言葉にリュナンはきょとん、
と瞬いた。
「ええ……空を飛べたら、どんなに素敵かなって、思うんです……」
「……空……ねえ?」
 呟いて、梢越しの空を見上げると、リエラはふふっと笑って見せた。
「こんな事いうと笑われるかも知れないんですけど……私、ここに来た日の夜
に、竜を見たんです」
「……えっ!?」
 思いも寄らない言葉だった。リュナンははっとリエラを振り返るが、リエラ
は空を見つめ、リュナンの様子には気づいていない。
「最初は、びっくりしたんですけど……でも、間違いありませんでした。空い
っぱいの星の中を、竜が飛んでいたんです……とっても、気持ち良さそうでし
た……」
「……」
「もし、あの竜に乗って星空の中を飛べたら……気持ちいいだろうなって、ず
っと思ってました。でも……ダメですよね。人間は、世界をたくさん傷つけて
るから……世界の護り手である竜族には、嫌われてるっていいますし……」
「……そんな事、ねえよ!」
 寂しげな呟きに、リュナンは思わず大声を上げていた。リエラはきょとん、
とまばたいてリュナンを見る。
「あ……いや、その……だから、竜が嫌ってるのは、世界を傷つける勝手な連
中であって、その、お前みたいなのは嫌ってないんじゃないかって、その……
オレは……思う」
「……そうでしょうか?」
「そうだよ!」
 思わず力説すると、リエラは嬉しそうに微笑んだ。だが、すぐにその表情は
陰ってしまう。
「……なんだよ。どーしたんだ?」
「リュナンさん……私……もう、帰らなきゃならないんです」
「……え?」
 突然言われた言葉の意味は、すぐにはわからなかった。
「帰るって……どこに?」
「都の方に……身体の具合が良くなったから……もう、戻らないと……」
「……都に……じゃあ……」
「はい……明日には、発ちます……だから……お別れ、なんです」
「…………」
 何も、言えなかった。何を言ってもムダだという冷静な分析が、感情的な言
葉の暴走を食い止めてしまう。絶句するリュナンにリエラは寂しげに笑いかけ、
ゆっくりと立ち上がった。
「それじゃ、私、行きますね……リュナンさんに会えて、良かった……とって
も、楽しかったです……ありがとうございました」
 寂しそうに、それでも、悲しそうな様子はなく、リエラは笑いながらこう言
って頭を下げた。しばしの逡巡――それを経て。
「……リエラ!」
 リュナンは立ち去ろうとするリエラを呼びとめ、立ち上がった。リエラは不
思議そうにリュナンを振り返る。
「……今日の夜。窓開けて、待ってろ」
「え……?」
「いいから。絶対に、寝ないで、待ってろ」
「あ……はい……」
 突然の事にリエラは戸惑ったようだが、それでもこう言って頷いた。二人は
しばし見つめあい、それから、リエラが一礼して木々の向こうに消える。一人、
残ったリュナンは空を見上げた。
「星空の中……飛ばせてやる」
 低い呟きの直後に、少年の身体を蒼い光が包み込み、そして、光諸共に消え
失せた。
 後には静かな泉の佇まいだけが残される。

 そして、その夜。
「……」
 リエラは一人、部屋の窓辺に佇んでいた。屋敷の者は都に戻る準備に遅くま
で追われていたが、今はそれも終わって屋敷内は静まり返っている。丘の下の
村も寝静まっており、山間の村は眠りの静寂に包まれていた。
 ざっ……
 不意に、その静寂が打ち破られた。うとうとしていたリエラはその音にはっ
と我に返り、
「……え?」
 窓の外にいるものに気づいて目を見張った。
「……竜?」
 呆然とした呟きの通り、そこにいるのは竜だった。微かな月の光だけでもそ
れとわかる、蒼い鱗の竜。こちらを見つめるその瞳に、リエラは見覚えがある
ような気がしてきょとん、と瞬いた。
「……リュナン……さん?」
「……へへっ……わかったか」
 呆然とした問いに、竜は楽しげにこう答えた。リエラは呆然と目を見張る。
だが、驚きはない。リュナンが何者であるのか、どことなく感じていたからだ。
「……空、飛ぼうぜ」
「え……?」
「星空、飛びたいって言ってたろ?」
 悪戯っぽい問いかけに、リエラははい、と頷いていた。そして少女は竜の背
に飛び乗り、竜は蒼い翼で大気を打ち、空へと舞い上がる。満天の星空の中、
蒼い竜と少女は夜風と一体化し、星を間近に感じつつ、夜間飛行に酔いしれた。

 ……それから、二人がどうなったのかは誰も知らない。取りあえず翌日、リ
エラは予定通り都へと戻って行き、丘の下の村でちょっとは有名だった蒼い髪
の少年も姿を消した。
 ……それから数年後に起きた戦でリエラのいる都が戦場になった時、戦火を
切り裂くように蒼い竜が飛来したという記録もあるらしい。いずれにしろ、そ
の戦を境にリエラは姿を消したという。
 ……人と竜の想いが結ばれたのか引き裂かれたのか……それは、当の二人以
外には、知る術もない。


  ☆あとがき…というかその(笑)☆  リク権配布にお応えくださいました上総様の三連リクの一つ、『乗り物』な んですが……竜って、乗り物か? という突っ込みはご容赦願います。あ、ほ らほら、DQでもXでマスタードラゴン乗りまわしたしっ! モンスターメー カーVだって最後はミトに乗ってたしぃ……ってコトで、納得して……いただ けますかぁ? あはは……(^-^;  しかし、オチがついてないな……いや、下手に突っ込んでくと、某エメドラ になりそうな気がして……あはははぁ……  
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