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   一 突然目覚める神秘の力 その二

 月神烈気の日常は、いつもこんな感じで始まっていた。決まって隣家に住む
幼なじみの香月朱美に起こされ、そのペースに巻き込まれて学校に行く。それ
は幼稚園の頃から、中学二年になった今でも変わらない、不変の法則だった。
 とはいえ、どう見てもどう考えても朱美に振り回されているだけのこの日常
は、烈気としては実に不本意だった。だからと言って、一朝一夕に打開できる
ような問題ではない。そも、これが簡単に覆せるようなら、烈気が何年もこん
な状態に甘んじているはずはないのだ。
 とにかく、朱美には弱いのである。
 秘密を作ってもすぐにバレ、舌戦は連戦連敗。相剋の関係にあるのでは、と
言われても、烈気には反論できない。いや、今となっては反論をする気力すら
ない。
(ったくもう……何でこう毎日毎日っ)
 苛立ちと共にこんな事を考えていると、
「烈ちゃん、朱美、おっはよ〜♪」
 底抜けに明るい声が背中にぶつかってきた。振り返れば、これまた見慣れた
お下げ髪の少女の姿がある。烈気の従姉の、日高雅美だ。
「あ、おっはよ雅美」
「おす……」
「烈ちゃん、元気ないね。どしたの?」
「べえっつに」
 雅美のきょとん、とした問いに、烈気は素っ気なくこう答えた。雅美は怪訝
そうな顔でふうん、と声を上げる。
「あ、ねえねえそれよりさあ、朱美、英語の予習やって来た?」
「英語の……ああ、邦訳? 一応ね」
「わあ、さっすがあ! ねえ、お願い、学校ついたら見せてよ〜、一か所だけ、
どーしてもわかんなかったの! お願いっ」
 言いつつ、オーバーに拝んでくる雅美に、朱美は苦笑しつつ、いいよ、と頷
いた。
「よーっす烈気!」
「おっはよーさん!!」
 直後に元気のいい声が左右からぶつかってきた。来生洋平と大沢大樹、烈気
の昔からの遊び仲間だ。ちなみに彼ら三人をして、水沢南の三バカガラス、と
称する者も多い。筆頭は朱美と雅美の二人だが。
「烈気〜、英語のノート、後で見せろ〜!!」
 後ろから抱き付くようにのしかかりつつ、大樹が訴えた。
「あんだよ、大樹、まぁた一晩中オンラインゲーやってたんか、お前?」
 その訴えに、烈気は呆れたような声を上げる。大樹はだってよ〜、と情けな
い声を上げた。
「大体、なんで、オレに言うんだよ?」
「だって、お前課題忘れた事、一度もないし〜、女子に頭下げるのはやだし〜」
 結局、アテにしているのは烈気ではなく朱美なのだ。烈気は憮然としつつ、
びし!と大樹の額に拳を当てる。
「お前、オレのノート見ると文句言うからヤダよ。朱美に頼め、朱美に」
「烈気ぃ〜、オレのプライドはどーでもいいのかぁ〜」
「知るかばぁか!」
「烈気、ヒド……」
 にべもなく言う烈気に洋平がぼそりと呟く。烈気は無言で、洋平の胸に裏拳
を入れた。勿論、本気で殴っているわけではない。これは、昔からの三人のコ
ミュニケーションなのだ。
 その後も取り留めもない言葉を交わしつつ、五人は通い慣れた桜の並木道を
学校へと向かった。程よく綻んだ桜の木は風に揺られる度、からかうように花
びらを投げかけてくる。
 特に何の目的もなく、烈気はひょい、と手を伸ばして、気まぐれに落ちてき
た花びらを捕まえた。それからひょい、と手を開いて捕まえた花びらを解放す
る。解放された花びらは風に乗り、安堵したように舞い踊った。
「……何してるの、烈気?」
 そうやって花びらと戯れていると、朱美が悪戯っぽい笑顔でこう問いかけて
きた。何となく気恥ずかしくなった烈気は、別に、と答えて朱美から目をそら
す。そんな烈気の様子に笑みをもらす朱美の柔らかい髪の上に、ふわり、と花
びらが舞い降りた。
「あ〜あ、ほんっと、烈ちゃんと朱美は仲良くていいわよね〜」
 そこに、雅美がやや大げさなため息をついてこんな言葉をもらした。
「ほんとほんと、いいよなぁ、烈気は〜」
 続けて、大樹も大げさな口調でこんな事を言い出す。洋平もホントホント、
と頷いて二人に追従した。
「なっ……何言ってんだよ、お前らっ!」
「そうよ、おかしな事、言わないでよねっ!」
 突然の言葉に、二人はややムキになって、ほぼ同時にこう反論する。そんな
二人に、雅美は余裕を込めた笑みではいはい、と頷き、大樹と洋平はにやにや
と笑って見せた。
「ったく、冗談じゃねえよ! 誰がこんな、口うるさい女……こっちから願い
下げだってんだよ!」
「むっ……ご挨拶ね! あたしだってね、あんたみたいな物わかりの悪いお子
様と、幼なじみ以上になるつもり、ありませんからね!」
 憮然とした面持ちで烈気が口走った言葉に、朱美は素早くこう切り返して来
た。二人はしばし、むっとした表情で睨み合う。
「あー、はいはい、ケンカしない、ケンカはし、な、い!」
 険悪な雰囲気を漂わせる二人の間に、雅美がこう言って割り込んだ。烈気は
瞬時に怒りの矛先を従姉に向ける。
「雅美! 元をただしゃあ、お前がおかしな事言うからっ!」
「えー! なぁんであたしのせいなのよ、烈ちゃん! それを言うなら、烈ち
ゃんがヘンな事、始めたからでしょっ!?」
 一理、ある。だからと言って、煽った責任が消えるとは思えないが。
「あん、もう……烈気、雅美、早く学校行こう! あたし、先に行くからね!」
 口論を始める二人に、朱美は呆れながらこんな言葉を投げかけて足を早めた。
大樹と洋平もにやにやしつつそれに続く。
「こら、お前ら!!」
「なんであんたらは逃げるワケ!?」
 文句を言いつつも烈気と雅美が口論を切り上げてこちらを追って来るのと、
歩行者信号が青に変わったのを確かめた朱美は横断歩道に足を踏み入れる。大
樹と洋平は二人を待って更にからかうつもりなのか、足を止めている。
 信号が変わった道に、危険があるとはどうも思い難く、朱美は特に周囲を確
かめずに道を渡ろうとしていた。しかし、それはそのまま油断となる。朱美が
道の真ん中に、烈気たちが横断歩道の所に到達した時、暴走気味の車が一台、
朱美の方へ突っ込んで来たのだ。
「……えっ!?」
 突然の事に、朱美は足がすくんで動けない。車のドライバーも必死にブレー
キをかけているが、間に合うとは思えなかった。
 朱美が危ない──居合わせた誰もがそれを考えたが、事態はあまりにも突然
すぎて、誰一人身動きは取れなかった。
 ただ一人、烈気を除いては。
「朱美っ!」
 夢中、としか言えなかった。烈気は荷物を傍らで立ちすくんでいる雅美に押
しつけると、大樹と洋平を押し退けて夢中で道に飛び出していた。
「……烈ちゃん!」
「烈気!!」
「バカ、戻れっ!!」
 バッグを押しつけられて我に返った雅美と、こちらは押し退けられた衝撃で
我に返った大樹と洋平が絶叫する。その間に、烈気は朱美に駆け寄ってその体
を突き飛ばしていた。
「烈気!」
 朱美が叫び、そこに車が突っ込んで来る。しかし、烈気は動けない。それら
が導き出す結論はただ一つ。
 烈気が車にはねられる。
「あっ……」
 と、言う間に、それは現実となった。
「……あ……」
 ドンっ……と言う音がやけに大きく響き、烈気の身体が大きく跳ねた。直後
にようやく、暴走車は止まる。しかし──烈気は。
「烈気……烈気ぃっ!」
 はね飛ばされ、アスファルトに叩きつけられた烈気はぴくり、とも動かない。
朱美は立ち上がるとすぐ烈気の所に駆け寄り、制服が汚れるのにも構わずその
傍らに座り込んだ。
「烈気……烈気、しっかりしてよ……ねえ、烈気! 烈気ってばあ!」
 朱美は倒れた烈気を抱え上げて、何度もその名を呼んだ。しかし、烈気は答
えない。外傷はなく、血も流れてはいないが、しかし、烈気はぴくりとも動か
なかった。
「烈気……ねえ……ふざけないでよ……死んだフリなんかして、からかわない
でよ! ねえ……お願いだから答えて! 目……開けてよ……烈気……」
 動かない烈気の頭をぎゅ、と胸に抱え込み、朱美は泣きながらこう訴えかけ
た。しかしついさっき、ほんの少し前までいつものようにじゃれ合っていた幼
なじみは答えず、抱きしめた身体から熱が失せていくのが、やけにはっきりと
わかった。
「烈気……どうして……あたし、まだ……ほんとの気持ちは、まだ……」
 ほんとの気持ちは、まだ何も言ってないのに──と呟く代わりに、朱美は烈
気を呼びながら声を上げて泣きじゃくった。

「あ、あれ? ここは……」
 朱美が烈気を抱えて泣きじゃくっている時、烈気の意識は不可解な所を彷徨
っていた。虚ろに広がる黒い闇の中を漂っているのだ。
「ここは……げ、もしかしてアレかな……死後の世界……」
 戦慄しながら周囲を見回すが、押し包む暗闇は何も答えず、ただそこに佇ん
でいた。
「ど、どーしよ……オレ、死んじまったの!? マジかよお……」
 呆然と呟いていると、不意に泣き声が聞こえてきた。

『……烈気……烈気、起きて……お願いだから……』

「え? あけ……み?」
 耳に良く馴染んだそれは、紛れも無く朱美の声だった。
「朱美が……泣いてる……?」
 呆然と呟いた途端、急に苦しくなった。勝気でおてんばな幼なじみが、自分
を呼びながら泣いている──それは、日常からは到底想像もつかない異常事態
と言えた。
「ちきしょお、どうすりゃいいんだよっ! オレ、このまま死ぬしかねえの!?」
 自分自身、戸惑うほどの切なさに苛まれつつ、烈気は思わずこんな事を口走
っていた。中学二年になったばかりで死ななければならない、という事実もさ
る事ながら、朱美を泣かしたまま死ぬ、というのが言いようもなく苦しかった。

『……烈気……死なないで……』

「オレだって、死にたくなんかねえよっ! ちきしょお……一体、どうすれば
いいんだよっ!!」
 また聞こえた声に対し、苛立たしげに怒鳴ったその時。

──カ・ク・セ・イ・セ・ヨ──

 どこからともなく、こんな言葉が聞こえてきた。
「……? な、何だよ、今の?」

──カ・ク・セ・イ・セ・ヨ──

 戸惑いながら呟いた直後に再び声が響く。烈気はきょろきょろと周囲を見回
して、突然の声の主を探した。
「何だよ、誰かいるの!? いるなら、出てこいよ!」
 しかし、暗闇の中には他の存在は何ら見受けられない。苛立たしげに舌打ち
していると、三度声が聞こえた。

──カ・ク・セ・イ・セ・ヨ──
──ト・キ・ハ・ミ・チ・タ──

「……とき?」
 おうむ返しに呟いたその瞬間、辺りの光景が一変した。
「……な、なんだ!? ここは……」
 いつの間にか、烈気は風の冷たく吹きすさぶ荒野の上空に浮かんでいた。呆
然としつつ取りあえず周囲を観察した烈気は、この荒野に見覚えがある事に気
づいた。
「ここ……あの夢の……!」
 今朝も見ていたあの不思議な戦いの夢の場所と、眼下の荒野は全く同じだっ
た。烈気はまたきょろきょろと周囲を見回し、そして夢の中と全く同じ対決を
見つけた。
「……間違いない……夢と同じだ!」
 呟く烈気の眼下で、龍を模した鎧を身に着けた二人の戦いは続いた。戦いは
やがて、夢と同じように片方が岩に変えられて終わる。そして、夢の中で烈気
が自分と認識している方ががくっと膝を突いた。
『くっ……ここまで、か……』
 彼が衰弱し、限界に達しつつあるのは明らかだった。彼ははあはあと息を切
らしつつ、目の前の岩塊を睨み付ける。
『しかし……このまま死ぬ訳には……レヴィオラがいずれ……目覚めれば……
くっ!』
 ここで、彼はしばらく咳き込んだ。それからまた、ゆっくりと顔を上げる。
その顔には、はっきりそれとわかる決意が浮かんでいた。
『残りの力……生命も合わせて……それで、遠い未来に魂を託すか……新たな
時に則した新たな器を得て……レヴィオラと雌雄を決するためにも……』
 言葉と共に、彼は一度は取り落とした刀を拾い上げてじっとその刀身を見つ
めた。刀が淡い光を放ち、その光はやがて手にした彼を覆っていく。
『我が剣……月神刀……後世でまた、共に戦おう……』
 光に包まれた彼の最後の言葉は、やけにはっきりと聞こえた。やがて、彼の
存在それ自体が光の球となり、天へと駆け上がる。
「……え!?」
 見ようと思っても中々見られなかった夢の最後に呆然としていた烈気は、自
分目がけて飛んでくる光に目を丸くした。避けようと思っても思うように動く
事が出来ず、結局、それと直撃する事となる。
「……わっ……」
 眩い光が周囲を埋め尽くす。とっさに目を閉じたものの、今ぶつかって来た
光が自分と同化しようとしている事が、やけにはっきりとわかった。烈気は成
す術もなく、それを受け入れる。

──……覚醒せよ……──

 光に身を任せていると、先ほどの声が聞こえてきた。ただし、先ほどと比べ
ると言葉も声もはっきりと聞こえている。

──刻は来たれり、覚醒せよ、守護龍王──

「……守護龍王?」
 おうむ返しに呟いた言葉は、奇妙に懐かしく思えた。
「守護龍王……オレは……守護龍王……ルィオラ……?」
 呟いた瞬間、それまでじわじわと進んでいた同化が一気に進んだ。光は力と
なり、烈気の魂と同化していく。その心地よさに、烈気はぼんやりと身を任せ
──また、意識が途絶えた。

「……烈気……烈気い……」
 不意に、すぐ近くで声が聞こえた。周囲は相変わらず暖かい。しかし先ほど
とは違い、その暖かさは頭の周りだけを包んでいるようだった。
(……あ……れ?)
 顔が何か、柔らかい物に押し当てられている。何というか、妙にふんわりし
て……多少ざらっとする肌触りはあるが、妙に心地よい感触があった。
(……??? な、何なんだ?)
 戸惑いながら薄く目を開けると、ぼんやりとした視界に見慣れた制服の胸の
辺りが飛び込んできた。
(ふにゃ?)
 意味不明の疑問音を頭に浮かべつつ、烈気は状況の把握に勤める。周囲のざ
わめきは、同情する声のようだ。ようだ、と言うのは、そのざわめきがはっき
りと耳に入って来ないため、それと確定できないからだ。今、耳にはっきりと
届いているのは、消え入りそうな泣き声だけだった。
 一日たりとも聞かなかった事はない、隣家の幼なじみの──朱美の泣き声。
それは、本当にすぐ近くから聞こえた。
「……あけ……み?」
 何で泣いてんだ? などと思いつつ掠れた声で名を呼ぶと、泣き声がぴたり、
と止んだ。
「……烈気……?」
 きょとん、とした呟きと共に頭を押さえ込んでいた力が緩み、涙に濡れた顔
がこちらを覗き込んだ。その顔との距離の近さに、烈気はようやく、朱美に抱
えられている、という自分の体勢を把握する。同時に、ずっと感じている柔ら
かさの大本にも気づいた。
 それは即ち、朱美の胸の膨らみの柔らかさ。幼なじみは着実に、女として成
熟しているらしい──烈気が漠然とそんな事を考えた瞬間、
「れ……烈気! あんた……もうっ!」
 がんっ!
 心地よい暖かさと柔らかさから引き離され、鈍い音と共に頭に衝撃が伝わっ
た。目から火花が飛び出す。我に返った朱美が、烈気を道路に向けて突き飛ば
したのだ。
「いってえなあ……」
 強かに打ちつけた後頭部を摩りつつ起き上がった烈気は、周囲の驚愕の視線
に気がついてきょとん、と瞬いた。
「き……君? 大丈夫……なのかね?」
 白衣に白いヘルメットを被った救急隊員の言葉に、烈気はまたきょとん、と
瞬いた。
「大丈夫かって……あ、あれ? そういや、オレ……」
 ここで、烈気はやや遅ればせながら、自分が事故に遇った事を思い出した。
しかし、身体には何処にも──今、道路に激突した後頭部以外には痛みを感じ
る所もなく、頭の中もはっきりとしていた。
「あ……ありゃ? 何か……元気っぽい……」
 戸惑いを込めて呟きつつ救急隊員と顔を見合わせる烈気は、その時朱美が安
堵の息をもらしていた事に気づかなかった。

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