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   剣の想い、魔法の道

 いつでも調子がいい、なんて事はあり得ない。
 それは、ある意味では当然の事だろう。
 しかし、並行して行っている剣と魔法の修行、そのどちらも上手く行かない、
と言うのはさすがに精神的に堪えた。
 どちらか一方に集中させるべきではないのか、そしてそれならば魔法ではな
いのか――そんな話を周囲がしているのを、偶然とはいえ聞いてしまったから、
尚更苦しくなった。
 自分は自分なりに頑張っているのに、周りには――父には理解されていない。
 父レクスとその副官たちの会話に、ヴィセルはそんな、絶望的な考えを抱い
ていた。
(ぼくが、騎士になれないから、だからわかってくれないんだ)
 こんな考えに囚われたヴィセルは、無意識の内に屋敷を飛び出していた。笛
と魔導書と、何故か練習用の木剣も持って。
 既に日は暮れて、周囲は暗い。だが、暗いと言う事に不安や恐怖を感じる事
はなかった。昔からそうなのだ。夜の闇を見ていると心が静まり、その只中に
いると強い安堵を感じる。
 ただ、今日に限って言えば微妙な不安もあった。雨が降るような気がするか
らだ。だからと言って、それを理由に戻る気にはどうしてもなれず、ヴィセル
は王都を出てふらふらと宛もなく歩き出す。
 身体が重い。
 騎士としての修行と魔導師としての修行、そのどちらもきちんとこなそうと
すれば、相当な負担が身体にかかる。十二歳になって間もない少年には、過酷
と言ってもいいだろう。まして生来身体が弱く、幼い頃は病気がちですぐに寝
込んでいたヴィセルが、ほとんど休みなしでそれらを行っているのだ。その日
常から与えられる疲労のほどは、言葉を尽くすまでもない。
 それでも倒れずにいるのは、最早、意地の領域と言えた。
 建国以来、王国聖騎士団の団長職を勤め続けてきたコーネリアス家の跡取り
が、満足に剣を振れない。
 そう言われるのが悔しくて、それで父までが皮肉られるのが嫌で、剣の修行
を止めずにいるのだ。宮廷魔道師団の修行所では逆に、魔道師なのに剣なんか
振って、と陰口を叩かれているのに。
(なのに、父上はわかってくれないんだっ……)
 こう考えるとひたすら悔しくて泣きたくなる。実際、視界は涙でぼやけてい
た。しゃくりあげそうになるのを必死で堪えつつ、とぼとぼと歩いていると、
頭上からぎゃっぎゃっ、という耳障りな声が響いてきた。
「……え?」
 それで我に返ったヴィセルははっと頭上を振り仰ぎ、陰った空の中に翼を持
った影を認めた。
「え……鳥? 違う……ハーピィ!?」
 それがなんであるか気付いた直後に影――半人半獣の魔獣ハーピィが急降下
してくる。思わず座り込んだ事で最初の降下攻撃はどうにか避けられた。
「あ……あわわっ……」
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 そんな言葉が頭の中をぐるぐると回る。ハーピィはばさばさと音を立てて宙
に舞い、ヴィセルを見下ろしている。そこだけやけに整った女の顔は、残酷な
笑みを浮かべていた。
(そ、そうだ……攻撃、魔法っ)
 どうにかそこに思い至ったヴィセルは魔力を凝らし、火炎の精霊の力を集め
ようとする。火炎の魔法はヴィセルの最も得意とする系統なのだが、気の動転
と身体の疲れが力の集中を思うように行かせず、生み出された火球はハーピィ
の羽ばたきにかき消されてしまった。
 ぎぇっぎぇっぎぇっ!
 ハーピィが嘲るような笑い声を上げる。牙の並んだその口元が恐ろしさをか
き立てた。
 殺される。
 そう感じた瞬間、恐怖が身体を貫いた。
「や……やだ……」
 身体が震える。
「やだっ……死にたくない……」
 震える身体は、その意に反して逃げるための行動を起こそうとしない。
 死んだら、あの子が独りになる。
 何より、それが嫌なのに――と、思った時にはハーピィは降下態勢に入って
いる。
「や……だ……嫌だあっ!」
 絶叫した直後に。
「夜空に瞬く星々の煌めき、破邪の光となりて我が敵を討て……コメット!」
 呪文の詠唱が響き、天空から飛来した白い光の塊がハーピィを捕えた。光は
炎となり、ハーピィを焼き尽くす。
「……え?」
「よぅ、生きてるか?」
 呆然と呟いていると、軽い口調で誰かが呼びかけてきた。その声が、先ほど
の呪文を詠唱した声と認識した直後に、疲労と緊張に耐えかねた意識がぶつん、
と途絶えた。

「およ、気絶しちまったか」
 倒れてしまったヴィセルに、突然現れた男は呆れたように言いつつ、その見
事な金髪をぐしゃぐしゃとかき回した。それから、ふっと空を仰ぐ。夜空はど
んよりとした雲に覆われ、今にも降り出しそうな空気が漂っている。
「……しょーがねーなー」
 ぼやくような口調でこう言うと、男は気絶したヴィセルをひょい、と抱え上
げ、その軽さに眉を寄せた。
「かっりぃなぁ〜……ちゃんと、物食ってんのかコイツ? オレがこの位んと
きゃ、もーちょいしっかりしてたんだがなぁ」
 呆れたように言いつつ、男はぐるりと周囲を見回し、近くの木立ちへ向けて
歩き出す。
 彼らが木陰に落ち着くのと前後して、雨が静かに降り始めた。

 ……雨の音が微かに聞こえる。
(あ……降ってきたんだ……)
 その音にヴィセルはふとこんな事を考え、それから、自分が濡れていない事
に疑問を感じた。
(ぼく……は……どうなったんだっけ?)
 ぼんやりと考えつつ、ゆっくりと目を開く。霞んだ視界に最初に映ったのは
草だった。
「え……っと……?」
 状況が理解できずにとぼけた声を上げていると、
「お、気がついたか」
 軽い口調で呼びかけてくる者があった。ゆっくりと身体を起こし、目を擦っ
てぼやけた視界をはっきりさせる。それから声のした方を見ると、悪戯っぽい
笑みを浮かべた緑の瞳の男と目があった。
「……あの……あなた、は?」
「ん、オレか? オレは……ライ、ってんだ。お前は?」
 戸惑いながら問うと、男は妙な間を持たせつつこう答える。
「ぼく……ヴィセル、です……」
「ヴィセル、か。一体何してたんだ、ガキがこんな時間に、こんな所に一人で
よ?」
 ライの問いに、ヴィセルは答えようもなく目を伏せた。その様子に、ライは
怪訝そうに眉を寄せる。
「ま、いーや。しかしお前、魔道師の見習いか?」
 軽い問いにヴィセルはきょとん、と瞬いた。
「え……どうして……」
「いや、さっきファイアボール唱えてたから」
「あ……」
 言われてみれば、その通り。
「しかし、だったらなんだって、こんなモン持ってんだ?」
 頷いて肯定すると、ライはヴィセルが何故か持っていた物――練習用の木剣
を見せつつ問いかけてきた。
「……それは……」
「んー? それは?」
「ぼくが……騎士の家の子だから、です」
 消え入りそうな声でこう答えると、ライは一瞬きょとん、と目を見張った。
「騎士の子? 騎士の子が、なんで魔法?」
「それは……母さんが、宮廷魔道師団長だったからで……」
 続く問いにも、ヴィセルは細々とこう答える。同時に、ちょっとした疑問が
わき上がった。
 聖騎士団長レクス・コーネリアスと、先代宮廷魔道師団長であるセレナ・ロ
ードウェル。二人の間に生まれたどっちつかずの御曹司の事は、この辺境の島
国では知らぬ者がないと言ってもいいはずなのだ。
(旅の人、なのかな……?)
 こんな事を考えて首を傾げていると、ライがどした? と問いかけてきた。
ヴィセルは何でも、と早口に言いつつ手と首を振る。ライは苦笑めいた面持ち
でそうか、と言うと、
「で?」
 出し抜けにこう問いかけてきた。唐突な問いにヴィセルはえ? と言って瞬
く。
「で……って?」
「いや、だから、それで? お前、どーしたいんだ?」
 首を傾げつつ問い返すと、ライは問いの内容を補足する。
「どうしたいか……ですか?」
「ああ。見たとこ、剣と魔法のどっちでやってくか、決めかねてんだろ?」
 図星をさされて、ヴィセルは思わず俯いていた。
 今のままでは自分が持たない事は、薄々感じている。そして、どちらか一方
に、と言われれば、魔法を選択したいのが正直なところだった。
 身体を動かすのも決して嫌いではないが、しかし、持続力の低い自分では騎
士修行を続けていくのは困難、いや不可能であるのも感じていた。
 ただ、それを認めるのは悔しかった。そして、その現実を父に突き付けられ
るのが怖かった。騎士になれない、と父に言われたら、自分が否定されてしま
うような、そんな気がしたから。
「なぁ。お前、なんでそーまでして、剣に……いや、騎士にこだわんだ?」
 俯いて唇を噛み締めていると、ライが穏やかな口調でこう問いかけてきた。
「だって……ぼくは、騎士の……騎士団長の、子だし……」
「ってもよ、お前、魔法でやってった方が、絶対伸びるぞ」
 小声で答えると、ライはきっぱりとこう言いきった。
「……魔法の、方が?」
「魔法、やってっと楽しいだろ?」
 その通りなので、ヴィセルは素直に頷いた。魔力を導く言葉を覚え、力を操
る術を学ぶのは、騎士の修行よりも遥かに楽しい。
「なら、自分の好きなコトやった方がいいだろ? 嫌いなコト、嫌々やったっ
て、疲れるだけじゃねーの?」
「で、でもっ! 剣だって、嫌いじゃないし!」
 軽い言葉に心の奥を見透かされたような気がして、ヴィセルは大声を上げて
いた。ライは緑の瞳で、探るようにこちらを見つめている。
「魔導騎士になりたい訳じゃ、ねーんだろ?」
 それから、静かにこんな問いを投げかけてくる。魔導騎士とは文字通り、魔
法にもそれなりに長けた騎士の事だ。万能故に中途半端とも言われる特殊な存
在であり、志す者は少ない。
「……魔導騎士は……違い、ます」
「なら、魔道師目指せや、素直に。その方が、お前のためだ」
「でもっ……ぼくが、剣、使えないと……」
「使えないと? なんか、問題か?」
「父上が……バカにされるから……」
 穏やかな問いに、ヴィセルは消え入りそうな声で細々とこう答えた。ライは
一瞬、呆れたような表情を覗かせ、それから、ふっと笑ってヴィセルの頭にぽ
んっと手を置いた。
「テメーの名誉のために子供の可能性を潰す。そんな、器量の狭い親父さんじ
ゃねーだろ?」
「……うん……」
「なら、いーじゃんか。お前はお前にあった道を選びゃいい。剣が使えねーの
がヤバイってんなら、騎士にこだわらねーで剣を覚えりゃいい」
 軽く言いつつ、ライは頭を撫でてくれた。
「でも……魔道師で、剣、持つのも変だって……」
 かすれた声で訴えると、ライは露骨に嫌そうに眉を寄せた。
「変? どこのバカだ、んな寝ぼけたコト抜かしてやがんのは?」
「修行所のみんなが……」
「そいつら、魔道師団の歴史、ちゃんと習ってんのかあ? 初代宮廷魔道師団
長を見ろ、初代を! 魔道師だけど、剣、振ってたんだぞ、剣!」
「それは……そうです、けど……」
 それはヴィセルも知っている。初代宮廷魔道師団長を勤めた大魔導師ラーヴ
ィル・ライオット。彼は多彩な魔法を操る魔導師でありながら、同時に優れた
剣の使い手でもあったと伝えられていた。
「大体、魔道師系が剣持っちゃならない、なんて、誰が決めた? 伝説のアー
ク・マスター見てみろ、魔法王シャルレインだって、賢者ルノスだって、でも
って初代だって、みんな剣、振ってんだぞ?」
「だけど……」
「形に、こだわんなって」
 つい俯いてしまうと、ライは先ほどまでとは一転、穏やかな口調でこう言っ
た。
「……形に?」
「そう。形、見てくれ、様式。そんなモンにこだわんなくてもいいんだよ。お
前には、お前なりの魔法の道がある。そして、剣への想いがある。そいつを否
定する権利は誰にもない。お前は、お前が正しいと思うやり方を通しゃいいん
だ」
 思わぬ言葉に顔を上げると、ライは穏やかに笑いながらこう言った。こちら
を見つめる緑の瞳は、言いようもなく、優しい。
「ぼくなりの道……想い……」
 こんな事を言われたのは初めてだった。父の子だから、母の子だから、とい
う、作られた枠に押し込めた物言いをされた事はあったが、こんな――『自分』
という存在を基準とされた事は、ほとんどないに等しかったのだ。
 誰かに言って欲しくて、でも言ってもらえずにいた言葉が、心の一部を押さ
えつけていた何かを打ち砕いたような、そんな感じがして――嬉しかった。
「お前さ、なんで、剣と魔法を身に着けたいんだ?」
 静かな口調でライが問いかけてくる。
「護りたい、から……大切な、もの」
 それに、ヴィセルは今まで誰にも明かした事のない理由を答えていた。この
返事に、ライはへぇ、と声を上げる。
「大事なもの、ってのは?」
「え? えっと……幼なじみ……ずっと、一緒って、約束して……その時、決
めたんです。ぼくが、護るって……だから……」
 軽い問いに答えていると照れくさくなってきて、ヴィセルはまた俯いていた。
同時に、今口にした幼なじみの事がふと過る。突然姿を消してしまった自分を
心配しているのではないか――そんな思いが、不安を呼び込む。
「じゃ、しっかり強くなって、ちゃんと護ってやれ。そいつは、お前にしかで
きねえ事だ……」
 俯くヴィセルにライは静かにこんな事を言う。え? と言いつつ顔を上げる
と、ライは何でもねぇよ、と言いつつまた頭を撫でてくれた。
「さて、大分夜も更けてきたな。今からラヴィアまで戻るのもキツイし、お前、
寝とけ」
「え……でも……」
「いいから。疲れてんだろ、ガキはムリすんなって。朝まではオレもここにい
るから、心配しないで寝ちまいな」
「でも……だけど……」
 それじゃ申し訳ないです、という主張は声にならなかった。疲労が呼び込ん
だ睡魔を抑えつけるのも、そろそろ限界が近い。ヴィセルは言いかけた言葉を
不本意ながら途中で飲み込み、睡魔の抱擁に身を任せていた。

「っとに……先行き不安なヤツだぜ」
 眠り込んだヴィセルに、ライは苦笑めいた面持ちでこんな呟きをもらす。
「ま、何にしても……しっかり頼むぜ。その力、真っ直ぐ伸ばしてくれよ、貴
重な跡取りさん」
 小声の呟きが雨に飲まれ、夜の闇に溶けていく。

 目を覚ますと既に陽は昇り、雨も上がっていた。
「えっと……」
 寝ぼけ眼を擦りつつ起き上がり、周囲を見回すが、人影はない。
「ライさん……行っちゃったんだ……もう少し色々話したかったのに……」
 呟きながらもう一度周囲を見回すが、金髪の青年の姿はどこにもなかった。
「……不思議な人だったなあ……それに、すごい、力があった……」
 昨夜は夢中で気付かなかったが、今思えば、ライは光の呪文を使っていた。
閃光系と呼ばれるこの系列は、その強力さ故に扱いが非常に難しく、使える者
は限られているのだ。それを平然と使っていたのだから、彼も魔道師として、
相当な実力を持ち合わせていたのは疑うべくもない。
「ぼくなりの……剣の想い……魔法の道……」
 昨夜、ライと交わした言葉を、ゆっくりと反芻してみる。
 形にこだわらずに、自分なりの在り方を通せばいい。例え周囲が何を言って
も、自分のやり方を信じればいい。
 今まで、心の片隅ではそう思いつつ、しかし、自信を持てずにいたその考え
を、ライは肯定してくれた。
「ぼくは、ぼくなりの形で、魔道師になればいい……そういう事、ですよね?」
 確かめるような呟きに答える声はないが、ヴィセルには、ライがどこかでそ
う言う事だ、と頷いているような気がしていた。
「……」
 魔導書と、木剣。傍らに置かれているそれらを両方、そっと拾い上げる。
「魔法は、法則でできてるけど……でも、絶対の形なんて、ないんだ」
 思いを込めて、こう呟くと、ヴィセルは立ち上がって歩き出した。
 昨夜飛び出してきた王都へ向けて。
 彼の『大切なもの』がいる場所へ向けて……。
 
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この作品はこちらの企画に参加しております。
突発性競作企画第9弾「Real Magician」