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   夢幻のSAKANA?

 現実なんて嫌いだから、仮想世界で生きていたい。そう思ったから、素直に
そう言った。でも、あなたの返事は素っ気なかったよね。

『ンな事できるか、ばぁか』

 ……でも、できるんだよ、それ。だから……。
 認めてくれないあなたに教えてあげる。

「……で? わざわざ人を呼び出したのはど〜ゆ〜用件なんだ、勝巳?」
 カウンターの奥でかちゃかちゃと洗い物をする勝巳に向けて、樫村は苛立た
しげにこう問いかけた。
「やだなあ樫村先輩、そんなコワイ顔しないでくださいよ〜。ただでさえ細い
客足が鈍るじゃないですか?」
 そんな樫村に、勝巳は微笑いながらこう返した。実際問題として、店の前で
は中高生の少女の一団が入るか入るまいか、思案している。原因はこの場所、
『手作りケーキの店・春霞』に似合わぬ樫村の不機嫌な顔にあるのはほぼ間違
いない。例によってよれよれのポロシャツとジーンズ、バッシュ姿で、今日は
上から着古しのブルゾンを羽織っている。その格好からして店の雰囲気からは
ズレているのに、更に不機嫌な顔をしているのだから、常人は敬遠するだろう。
とにかく、イラついている時の樫村の表情は鋭いのだ。
「そんな事は、オレの知ったこっちゃねえ。用件、早く言え」
「そうは言っても……よっと。もう少し待ってくださいよ」
 洗い物を終えた勝巳は、手を拭きながら店の外へ目をやった。
「さっきから、何回同じ事言ってんだ?」
「それはそうなんですけど、肝心の診てもらいたいコが……」
 チリン、チリリン……
 勝巳の言葉を遮るように、ドアにつけられた鈴が音を立てた。勝巳の表情を
一瞬安堵が過り、直後にあらら、という感じで形の良い眉が寄る。
「ちゃーっす! あれ? 樫村のおっさんじゃん!」
 そんな勝巳の様子などまったく頓着する事なく、入ってきた少年は元気良く
こんな事を言った。見るからにやんちゃボウズという印象を与える、元気にみ
なぎった少年だ。そしてその不用意な一言に、樫村の眉がぴくり、と動いた。
「……烈気。ちょ〜っと、こっちに来い……」
「ん? なんだよ?」
 低い声を上げる樫村に少年――烈気は不用意に近づき、
 ぐめぎいっ!
 力の限り、肘で脳天をどつかれた。
「ってえ〜! なにすんだよっ!」
「やかましい! 涅槃に突っ込んだ片足を引っこ抜いてやった恩人を、おっさ
ん呼ばわりたぁい〜い度胸だ!」
「ったって、実際おっさ……ぐえっ!?」
 反論の隙をついた見事なヘッドロックが決まり、烈気は言葉を飲み込まざる
を得なくなる。そんな二人の様子に、勝巳はやれやれ、とため息をついた。こ
の混乱の怒涛を見た少女たちはそそくさと立ち去っている。ある程度予測はし
ていたものの、今日の売り上げは、期待できそうになかった。
 もちろん、いつも大した期待はしていないのだが。

 春日勝巳。彼は、『手作りケーキの店・春霞』を一人で切り盛りしている。
呪術医師である樫村とは、剣術の修行仲間である香樫馨を通じて知り合い、現
在まで続く腐れ縁を続けている。
 月神烈気。樫村に退魔を手伝わせる巫女・星野瑞穂の従兄弟である。色々と
越常的な事情を抱え込む彼は以前、瀕死の重傷を負い、樫村によって命を救わ
れていた。

「まあまあ先輩、落ち着いて……いらっしゃい、烈気君。また、お使いかい?」
 ともあれ、勝巳はやんわりとした言葉で二人の間に割って入った。樫村は、
ったく、と言いつつ烈気を解放し、解放された烈気は大げさな様子でぜいぜい、
と息をつく。
「ああ、まね。ったく、朱美のヤツ、すぐに人をパシリにしやがって……」
「ほほー、どうやら夫婦仲は円満のようだな」
 ぶつぶつと文句を言う烈気に樫村は意地悪くこう突っ込んだ。
「なんで夫婦なんてコトバが出てくんだよっ!?」
 その突っ込みに、烈気はムキになってこう反論する。それに、樫村はにやり、
と意地悪く笑うだけで答えない。
「じょ、じょーだんじゃないっての! あんな口うるさいだけの女と、なんで、
そんな風に言われなきゃっ……!」
 言われなきゃなんないんだよ、という主張の途中で、烈気は口をつぐんだ。
いや、つぐまざるをえなかった、というのが正しいかもしれない。
 ……ばっしゃあ!
 こんな音と共に、店の外に水が落ちてきたのだ。雨が降ってきたとか、ビル
の屋上から水をぶちまけたとか、そんな当たり前の状況ではない。降ってきた
水が周囲を埋めつくし、土曜の午後の通りは呆気なく水没してしまう。とはい
え、それが普通の水ではない――そも、状況が普通ではない事は、三人とも感
じていた。
「……どっちの知り合いの仕業だ?」
 露骨につまらながっているとわかる渋い顔で、樫村は絶句している勝巳と烈
気に問う。二人は顔を見合わせ、それから、それぞれが思案を始めた。
「……雷薇。雷薇、聞こえるか?」
 服の中に隠したペンダントらしき物を握りつつ、勝巳が呟くように誰かを呼
ぶ。しかし返事はないらしく、勝巳はいぶかるように眉を寄せた。
「……空間が、隔絶されてるみたいですね……雷薇の気が、感じ取れない。し
かし、邪心騎士の気配は感じませんよ」
「……ベルドゥークじゃねーよ。あいつ、水キライだしさ。でも、今更レヴィ
オラがなんかやるはずねぇし……大体、今日、土曜だしな」
 二人の言葉に、樫村はふん、と鼻を鳴らして立ち上がった。
「……取りあえず、外に出てみるか。ここでクダまいてても仕方ねぇ」
 大雑把な物言いに、勝巳と烈気は顔を見合わせる。とはいえ、それが現状を
動かす最善手なのは感じていた。
「おい、何が出てきても対処できるようにはしておけよ?」
 すたすたとドアに近づいた樫村は、ノブに手をかけつつ二人に声をかける。
勝巳と烈気はそれぞれ頷き、樫村に続いた。

 ……やっぱり、来たんだ。
 そうこなきゃね……。
 見せてあげるよ、ぼくの現実を……あなたに。

 ちりん、ちりりん……
 鈴はいつもと変わらない音を立てて鳴り、ドアが開く。ある程度予想はして
いたが、水が一斉に流れ込む、という事はない。その事実に、勝巳はほっと胸
を撫で下ろしていた。店内水浸しと言うのは、彼にとっては冗談になっていな
いのだろう。
「……これ、ほんとに水か?」
「……水だけど、水じゃねーよ、これ」
 眉を寄せた樫村の呟きに、烈気がきっぱりと言いきる。烈気は、自然界の力
を取り込んで自分の力とする事ができる。その烈気が言うのだから、間違いは
ないだろう。
「じゃ、なんだ?」
「……それは……ん、取りあえず、出てみりゃわかるかもな」
 樫村の問いに烈気は大雑把にこう答えた。
「じゃ、先に行け」
「……言うと思った」
「ったり前だろーが。言うだろ、『君子危うきに近寄らず』」
「……やなおっさん……」
 ……びし!
「先輩、烈気君……無駄に体力を使うのはどうかと思うよ」
 文字通りのどつき漫才をする二人に、勝巳が呆れたように突っ込む。樫村は
憮然とした面持ちで道を開け、烈気はぶつぶつと文句を言いつつ店の外に出た。
「……う……なんだ……これ? すっげえ、気持ちわりい……」
 外に出るなり、烈気は顔をしかめてこんな呟きをもらす。
「どうした?」
「……これ……ヘンだ。普通の水じゃねえのは当たり前だけど……なんだ? 
おもっ苦しくて……感覚がざわざわして、すっげえ気持ちわりい……」
 烈気の言葉に樫村と勝巳は顔を見合わせ、それから店の外に出てきた。外に
出るなり勝巳も眉を寄せ、樫村は表情を厳しいものに一変させる。
「……大体、読めた」
 低い呟きに勝巳と烈気が振り返った。
「読めたって……なにが?」
「原因が、だ。お前ら、獲物用意しとけ」
 烈気の問いに樫村は素っ気なく答えつつ、自分は愛用の札を取り出す。その
様子に勝巳と烈気はまた顔を見合わせるものの、状況柄、樫村に従うのが無難
と判断したようだった。烈気は左手首に縛りつけた色鮮やかな五色の組紐を解
き、勝巳は先ほど握っていたペンダントを首から外す。
「……っとに……ガキが……」
 苛立ちを込めて呟きつつ、樫村は『水ではない水』の中を歩き出す。勝巳と
烈気もそれに続いた。ある程度予想していたが、人も車もその姿は一切ない。
重苦しい静寂に包まれた道を三人は歩き続け、
「……」
 大通りと交差する十字路の真ん中で誰からともなく足を止めた。
「……来る」
 烈気が低く呟く。自然ならざる何かの接近を、感覚がいち早く捉えたのだ。
表情が引き締まり、やんちゃボウズの面影が影を潜めた。組紐をひゅっと音を
立てて振り、それが変化した刀を構える姿は、その鎧こそまとってはいないも
のの、彼のもう一つの名のものだ。
「……数は、やたらいるみたいだね……」
 ペンダントを握り締めつつ勝巳が呟く。紫の光が走り、それが消えた後には
銀の穂先が紫の柄に映える、一振りの槍が握られている。こちらの表情も彼の
本来の肩書きとしてのものに引き締まっていた。
「……」
 唯一、樫村だけはいつもと変わらない、いや、いつもに輪をかけて不機嫌な
表情で目の前を睨んでいた。通りを満たす水が揺らめき、そして、それらは姿
を見せた。
「……なんだ? 魚?」
 勝巳が眉を寄せつつ呟く。確かに、それは魚だった。ただし、普通の魚では
ない。ゲームのモンスターとして登場しそうな、極彩色でやたらと刺が目立つ
巨大魚だ。
「……あれ? これって、どっかで見たな……」
 瞬間、いつもの表情に戻って烈気が呟く。しかし、今はそれに煩わされてい
る暇はない。刺々しい巨大魚の群れが、一斉に襲いかかってきたのだ。
「……っせい!」
「あらよっと!」
 槍と刀が舞い、襲いかかる巨大魚を切り払う。切り払われた魚はヴンッ!と
いう音を立てつつ、くるっと回転して姿を消した。その消え方と、切った時の
手応えのなさに勝巳も烈気も戸惑うが、取りあえずは撃退に専念する。やがて
巨大魚は全滅し、水没した十字路には再び静寂がたち込める。
「……何だったんだ、今のは……」
「……こないだ、あれとそっくりの、見た」
 勝巳の呟きに、烈気が頭を掻きつつこう返した。
「見たって……どこで!?」
「こないだ出たばっかのロープレ。海の敵にさ、あれとそっくりのがいた」
「ロープレって……じゃ、ゲームの、モンスター?」
「……ふん……つまりは、コンピューターの産物って訳か」
 呆然とする勝巳とは対照的に落ち着いた様子で樫村が吐き捨てる。それに烈
気は多分ね、と頷く。
「なんでそーなんのかは、わっかんねえけどさ。でも、そうだってんならこの
気持ちわりい水も納得できるぜ。自然にあるもんじゃねーからな」
 周囲の水を、ぱたぱたと追い払うように掻き回しつつ烈気はこう続け、この
言葉に樫村はどこまでも水の広がる頭上を睨むように見た。
「……おい。いい加減にしろよ」
 それから、低くこう呼びかける。突然の事に勝巳たちは戸惑うが、そちらは
完全、お構いナシだ。
「一体、何考えてんだ、お前は? っていうか、てめーの『力』をなんだと思
ってやがる? オモチャじゃねえだろ、それは!」
 憤りを込めた言葉に応じるかのように、頭上を巨大な影がかすめた。影はゆ
っくりと通りすぎた後、三人の前に戻ってくる。丸い身体にひらひらした尾び
れ、真っ赤な鱗に包まれたそれは。
「……金魚?」
 烈気が呆れたように呟く通り、巨大な金魚だった。

――あははは、怒ってるね、先生?――

 金魚が尾びれを動かすと、甲高い声が周囲に響いた。どうやら、この金魚の
声らしい。
「ったりめーだ。てめー、何考えてやがる?」
 それに、樫村は露骨にイラついた様子でこう問い返す。

――前にぼく、言ったよね? 仮想世界で、サカナになって生きたいって――

「……それが?」

――でも、先生はできないって言った――

「……当たり前だろーが」

――でも、それ、できたよ。だから、ぼくはそれを先生に見せに来たんだ――
――どう? ちゃんとサカナになってるでしょ?――

 自慢げに言いつつ、金魚はくるん、と輪を描いた。
「……ふざけんな! 大体、ンなコトして何の意味があるんだよ!?」

――だって、キライなんだもん。現実なんて――

「……このガキはっ……」
 拗ねたような言葉に樫村の表情が険しさを増す。金魚はあははは、と笑いな
がらくるんくるんと回った。
「……よくわかんね〜けどさ……こいつ、バカ?」
 その様子を呆れたように見つつ、烈気が樫村に問いかけた。それに樫村が答
えるより早く、金魚が回るのを止めて烈気を見る。

――バカ? ぼくが?――

「って……バカだろ、お前? こんな気持ちわりい空間で、そんなデブの金魚
になって、泳ぎ回って楽しいのかよ? オレだったら、ごめんこうむるね」
 ストレートな意見に、金魚はむっとしたように沈黙する。
「それについては、オレも同感かな。どうやら、君は力ある者らしいけど……
使い方、間違ってるよ。自分の存在を強引に捻じ曲げて、挙げ句、人を巻き込
んで。それじゃただ、異端として忌避されるだけじゃないのかな?」
 続けて勝巳が真面目な顔でこんな事を言う。力ある者として生まれ、それを
隠す事を余儀なくされてきた勝巳は、力の用い方というものに対して常に厳し
い姿勢を取っていた。それ故に言える正論は、しかし、金魚には気に入らない
ものだったらしい。金魚は苛立たしげに回転した後、ばっと上昇してから一気
に下降してきた。

――なんだよ、偉そうにさ……そういうコト言うと、ここから出してあげない
からねー――

「はっ、お前に頼まなくてもな、オレたちはここから出てくさ……この自己満
足の空間を、ぶち壊してな」
 いじけきった言葉に、樫村がきっぱりとこう言いきる。この言葉に金魚は妙
に寂しそうに尾びれを振った。

――なんで? なんで先生、そうイジワル言うのさ?――
――いっつもいつも……先生は、ぼくにイジワルしか言わないっ!――
――……なんで?――

「……物事ちゃんとわからねぇヤツに、和んでやる義理はねえんだよ! 勝巳、
烈気!」
 寂しげな問いに低く答えると、樫村は札を持った手を上にかざした。
「勝巳は雷、扱えるな!」
「もちろん! ダテに『雷の春日』の跡取りじゃありませんよ!」
「烈気は!」
「オレだって、それなりに使えるようになってきてらあ!」
 二人の返事に樫村はにやりと笑う。
「よし……だったら出力全開で、そこらヘンにぶっ放せ!」

――えええっ!?――

 樫村の物騒な言葉に、金魚が慌てた声を上げてくるくると回る。勝巳と烈気
はそれぞれが力を凝らし、そして。
「……お先っ! 蒼龍招来……爆雷烈波あっ!」
 両手で持った刀を天へと突き上げ烈気が叫ぶ。刀の表面を青い光が走り、次
の瞬間、それは青い龍を象った雷光となって刃から飛び立った。青い雷の龍は
咆哮を上げつつ水の中を駆け巡る。
「……邪心調伏の法……破妖、轟雷閃っ!」
 続けて、勝巳が動いた。右手で槍を持ち、左手で何やら紋様のようなものを
虚空に描く。それに応じて銀の穂先に紫の電光が生まれると、勝巳は右手だけ
で槍を横薙ぎに振るった。電光は雷光に転じ、鮮やかな紫の輝きを放ちつつ扇
状に広がる。
 バチっ……バチバチバチバチバチっ!
 二人が性質の異なる雷を放つと、周囲にこんな音が響いた。周囲の水がごぼ
ごぼと泡立ち始め、金魚の回転が速くなる。

――やめて、やめてよ!――
――壊さないで……ぼくをここから出さないで!――
――やだ……やだやだやだっ! 現実なんてキライだ!――
――嫌だよ……あんな場所に帰りたくない……――
――ぼくは……ぼくわあ……――

「……人間なんだよ、お前だって。だから、サカナにゃなれねーんだ」
 くるくる回る金魚に向け、樫村は低く言い放つ。

――ダって、だッテ、サ……――

「……ぐだぐだ言うな! ……あとで往診に行ってやるから、しばらく大人し
くしてろ!」
 言いつつ、樫村は札に力を凝らした。札が淡い白の光を放ち始めると、樫村
はそれをくるっと捻って金魚へと投げた。札は光を放って鳥に転じ、そのまま、
金魚へ突っ込む。

――キゃッ!――

 金魚は悲鳴のような声を上げると、くるっと一回転して、消えた。鳥に転じ
た札はそのまま上へとかけ上がり、姿を消す。
「……さて、と。取りあえず、勝巳の店に戻るぞ。ここにいたら、場所の崩壊
に巻き込まれる」
 こう言うと樫村は珍しくため息をつき、勝巳と烈気は顔を見合わせた後、そ
れに頷いた。

「……で、結局、あれって何だったんだよ?」
 『春霞』に戻るなり、烈気が樫村にこう問いかけた。通りを満たしていた水
は三人が『春霞』の店内に戻った直後にがしゃん、と音を立てて砕け散り、今
は、いつもと変わらぬ土曜の通りが窓の外に広がっている。先ほどの異変を知
っているのは、ここにいる三人だけのようだ。その方がいいのだが。
「……二年ばっかし前にな、呪術の師匠経由で診た患者さ。生まれつき『力』
があったもんで、グレちまって……しばらくカウンセリングしてやったら、落
ち着いたんだが……まだまだ、治ってなかったらしいな」
 ため息と共に、樫村はコーヒーカップを傾ける。
「その頃から、ゲームだのパソコンだのにはやたら詳しかったからな……自分
の『力』で仮想現実くらいぶち立てられるかも知れんとは思ってたが……まさ
か、ほんとにやるとはな」
「で、彼はそれを先輩に見せに来た、と」
「……男じゃねえんだよ」
 話をまとめた勝巳の言葉に、樫村はため息まじりに訂正を入れた。
「え? でも、『ぼく』って……」
「話し言葉なんてどうとでもできるだろーがっ!? 女なんだよ……だから、う
っとーしいんだ!」
 言いつつ、樫村はばりばりと頭を掻く。生来の女嫌いを自称する彼らしいと
言えば、らしい。
「……ご苦労様です……さて、烈気君お待ちどう。キャロットパンプキンとバ
ナナケーキ、一本ずつでいいんだよね?」
 その様子に苦笑しつつ、勝巳はケーキの箱をカウンターに置く。烈気は椅子
からぴょんっと飛び降りてそれを受け取った。
「ん、さんきゅ。えっと、ほい、八四〇円ね」
「はい、確かに……もう、帰るのかい?」
「ああ。あんま時間かかると、朱美のヤツうるせーしさ」
「……きっちり尻に敷かれてるな、お前」
「うるっせーよ、おっさん!」
 一瞬の静寂。
 ……びし!
 そして、再び脳天に肘が落ちた。
「ってててぇ〜……」
「いい加減、学習しろ? 少なくとも、直紀は学んでるぞ」
「るっせえ! っとに……じゃな!」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、烈気は店を出て行く。直後に、店の外からこん
な会話が聞こえてきた。

「あれ? 烈気君、来てたんだ」
「……ん? よお、葵に悠也か」
「なんだ? 烈気、頭にコブあるぞ?」
「るっせーな……オヤジのヒスくらったんだよ」

「……あのガキは……」
 渋い顔で呟く樫村の様子に、勝巳はくくっと笑みをもらす。
「まあまあ、そう怒らないで……それより、オレの方の用事も、どうにか果た
せそうですよ?」
「……あん?」
 勝巳の言葉に樫村は怪訝そうにそちらを見、人のいい笑顔に嫌な予感を覚え
て、ため息をついた。
(ったく、こいつも人をなんだと思ってんだか……)
 そんな事を考えた直後に、樫村はふと真紅の金魚を思い出していた。
(……こっちの問題片付いたら、往診に行くか……)
 仮想の世界を泳ぐ真紅の金魚。その小さな目に、現実を映すために。

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