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   ACT−3:決して、交差しないもの 05

 そんな事件があった事など露知らず、アキアとフレアはその翌朝に宿場を発
っていた。
「さてと……それじゃ、少しペース上げてかないとならないね」
 宿場を出ると、アキアは笑顔でこう言いきった。
「ペース上げて……って?」
「休みを短くして、どんどん行くってコト」
 首を傾げて問うフレアに、アキアはさらりとこう返す。これに、フレアはえ
ーっ!? と大声を上げた。
「えーって、当然でしょ? 予定よりものんびりしてたんだし」
「でも、それは、アキアがあ……」
「お嬢がお菓子をガマンすれば、とっくに次の宿場は過ぎてたんだよねぇ」
 アキアがお菓子作ってたから、という言葉を言わせる事なく、笑顔でこう言
いきる。それはそれで真理と言えるため、フレアはむう、と頬を膨らませて黙
り込んだ。子供っぽい仕種に、アキアはくすっと笑みをもらす。
(それにしても……)
 前に向き直って歩き出しつつ、アキアはレフィンの事を考えた。宿場に滞在
している間に追いついてくるかと思ったが、結局出くわす事はなく、それが妙
に気になっていた。
『実は、オレらの事、追い越してたりしてなー♪』
 冗談めかしたヒューイの言葉に、それはないだろ、と苦笑する。実はその通
りなのだが、当然のごとくそれは知る由もなかった。
(まあ、会ったら会ったで厄介だから、会わずにすむならいいんだが……)
 一国の王子、それも次代の国王という立場にあるレフィンが、女一人のため
に他国を走り回っている、というのはやはり問題だろう。そして、彼が抱えて
いる誤解は事態を必要以上に悪化させる可能性が高い。先の事を考えるとちゃ
んと事情を説明して誤解を解きたい所なのだが、そもそもの発端であるフレア
の家出の理由を思うと、それが一筋縄では行かないのは明らかだ。
(まあ……なるようになる、か)
『そうするしかねーだろって』
 強引にたどり着いた結論にヒューイがこんな突っ込みを入れ、アキアをまた
苦笑させた。
 途中で軽い休息を挟み、あとはできるだけペースを上げるようにして先に進
むと、街道は森に差しかかる。この森の中に開けた小さな集落が、次の宿場と
なっているのだが。
「さすがに、今日中につくのはちょっと無理かな?」
 淡い茜に染まり始めた空と森から感じる気配に、アキアは低くこう呟いた。
「無理って、何が?」
 唐突な呟きにフレアが不思議そうにこう問いかけてくる。それに、アキアは
大げさにため息をついて見せた。
「今日中に、次の宿場に着くのが……急げば、なんとかなると思ったんだけど
ねぇ」
「どうして、無理なの?」
「邪魔したい人たちが、いるみたいだからね」
 吐き捨てるようにアキアが言うのと、森の中から人相の良くない男たちが出
てくるのとは、ほぼ同時だった。前夜にレフィンにちょっかいをかけていた連
中だが、それはアキアたちには知る由もない。
「なに、この人たち?」
「んー……お嬢には、なんに見える?」
 不思議そうな問いにアキアはこう問い返し、これに、フレアはんーと、と言
いつつ首を傾げた。
「えっとねぇ……頭の良くない、物盗りさん?」
 にっこりと、天使の笑顔で微笑みながらこう言いきる。それがどんな効果を
もたらすのか、全て計算した上で。
「んだとおっ!?」
 男たちが色めき立つ。それを見て、アキアはやれやれ、と言いつつ肩をすく
めた。
「どうやらそれで正解みたいだけど、一応聞いておこう。何か、用かな?」
 問いかけ方こそ軽く、わざとらしいが、瞳は鋭い。藍と紫の瞳に真っ向から
睨まれたリーダー格はさすがに怯む素振りを見せた。
「……実はなあ、あるお人から仕事を頼まれてよ」
 五分ほど間を置いてから、男はゆっくりと喋り始めた。
「ほう、で、どんな?」
「もうすぐここを通るはずの二人連れの、女の方を連れてきてくれってな。し
かし……」
 ここで男は言葉を切り、下卑た笑いを口元に浮かべた。
「いざ、来てみたら……声聞かなきゃ、どっちがその女なんだか、わからねぇ
所だったぜ。なあ?」
 わざとらしく言いつつ、仲間たちに同意を求める。仕方ないと言えばそれま
でだが、わかっていない。一見丸腰であると言う事と、見るからに荒事とは無
縁の外見。それに騙される事の危険性には、誰も事前には気づかないのだ。
 今回の場合、その気配の鋭さを一瞬でも感じたのだからもう少し慎重になっ
ても良さそうなものなのだが、どうやら数の上での有利さが過信に繋がったら
しい。
「それはそれは……どうやらお宅さんたち、相当目が悪いようだねえ」
 ため息と共に低い呟きがもれる。アキアが低い声を上げるのは、大抵は怒っ
ている時だ。その様子に、フレアはあーあ、とため息をつく。
「なぁんで、わかんないのかなあ?」
『お嬢、見ただけであいつの実力見きれるよーなら、こんな事やってねぇぞ』
 呆れた呟きに対するヒューイの突っ込みは、真理と言えるかも知れない。
「ところで、仕事で頼まれたって言うけど、どこのどなたのご依頼かな?」
 男たちとの距離を測りつつ、アキアは低く問いを投げかける。これに、男は
にやり、と笑ってそいつは言えねぇなあ、と返してきた。アキアはふうん、と
言いつつ長い前髪をかき上げる。
「こんな情けない稼業をしているわりに、そういう所にだけは拘る、と。それ
なら……」
 淡々と言いつつ呼吸を整える。それまではどこかのんびりとしていた空気が
ぴん、と張り詰め、そして。

 夕暮れの風の中に、銀色の髪が美しく、ふわりと舞った。

 空の鮮やかなオレンジ色を映した風は、やがて、茜と蒼を重ねた色にその身
を染める。その風に、うめき声を上げる男たちが冷たく晒されていた。
 対峙から十分足らず。アキアが走り出してからまだ、五分もたっていない。
そのわずかな時間に、二十人はいた男たちは全員のされていた。
「さあて、と」
 わずかに乱れた銀髪を手櫛で整えつつ、アキアは呆然と座り込んでいるリー
ダー格の前に立って微笑んで見せた。勿論と言うか、目は笑っていないが。
「は……話が、違うっ……大した事ない、優男だって……」
「ほう、オレの事をそう仰っていたんですか、その依頼人さんは?」
 呆然としつつ男がもらした呟きに、アキアの目つきが厳しくなる。その変化
に男はひいいっ! と大声を上げた。
「オ、オレが言ったんじゃねえ! あの女がそう言ったんだ!」
「女?」
 思わぬ言葉にアキアはやや眉を寄せる。
「そ、そうだっ! 銀色の髪のっ……」
 ここで男は唐突に言葉を切り、それから、まじまじとアキアの顔を見つめた。
その反応と、直前の『銀色の髪の』という言葉に、アキアの表情が険しさを帯
びる。
(まさかとは思うが……)
 嫌な予感が過った、その直後に。
「そ……そっくりじゃねぇか……」
 男が呆然とこんな呟きをもらした。その呟きにアキアは息を飲み、その場に
膝を突いて男の胸倉を掴んでいた。
「今、なんて言った?」
「へ? あ、いや、その……」
「そっくりって言うのは、その依頼人の女と、オレの事か!?」
「……」
「答えろ」
「ア……アキア?」
 いつになく鋭い物言いに、フレアが困惑した声を上げる。アキアはそれに構
わず、男の右の上腕部を左手でがしっと掴んだ。
「選択肢は、二つ。質問に答えるか、右腕を再起不能にするか」
 選択の余地などどう考えてもないのだが、今のアキアにそれを突っ込める者
はいないだろう。表情の厳しさはファヴィスと対峙した時と同じ――いや、そ
の時以上だ。余計な事を言えば、その身に秘めた超絶破壊力が向けられるのは
避けられそうにない。
「あ……う……」
 腕を掴まれた男は言葉にならないうめき声を上げる。気迫に飲まれ、言葉が
上手く出て来ないのだろう。アキアはまだ胸倉かかっていた右手を離して拳を
作り、それを無言のまま、すぐ側に転がっていた岩に叩きつけた。一瞬の空白
を経て、大人の腕で一抱えはある岩が粉々に砕け散る。
「……わ」
『うげっ!? マジギレかよおいっ!』
 その様子にフレアが目を丸くし、ヒューイが上擦った声を上げた。アキアは
いつになく冷たい瞳で男を見つめ、返事を待っている。
「そ……そうだよ! そのガキを連れて来いって言った女と、そっくりなんだ
よ、あんた!」
 そして、目の前で文字通り粉砕された岩は男の恐怖感を限界まで振り切らせ
たようだった。叫ぶような答えにアキアはぎっと唇を噛み、それから、突き放
すように男を離して立ち上がる。
「……何を考えている……」
 低くかすれた呟きは、その場にいる者に向けられたものではないようだった。
色を変えて行く空を睨むアキアに、フレアが困惑した声でアキア? と呼びか
けた。その呼びかけに我に返ったアキアは、とっさに笑顔をつくってフレアを
振り返る。
「ああ……なんか、手間取っちゃたね。取りあえず、少し進もうか? ここじ
ゃ、休めそうにないしね」
 いつもと変わらぬ口調の言葉にフレアはこくん、と頷くものの、瞳の困惑を
払拭する事はできなかった。珍しく感情的になった事で驚かせたらしい。ある
意味、当たり前の反応とも言うが。
『おい、アキア……』
 ヒューイが呼びかけてくるのに、アキアは軽く首を横に振った。今は論じた
くない、という意図はそれで伝わったらしく、ヒューイは嘆息するように金緑
石の上に光を瞬かせる。そんな二人のやり取りに、フレアは怪訝そうに眉を寄
せた。
「大丈夫だよ……心配、いらないから」
 それに気づいたアキアは微笑みながらこう言ってフレアの頭を撫でた。これ
で納得するとは思っていないが、いつもと変わらぬ笑みは取りあえず、不安を
和らげる事はできたようだった。とはいえ、和らいだのはアキアの変貌に対す
る不安のみだったらしく、フレアの表情はどことなく暗かった。

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