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   ACT−1:平和は突然壊れるものさ 05

「それにしても、どうして国境、塞がってるのかしらねぇ?」
 街道を歩きつつ、フレアはなんともお気楽な口調でこんな事を呟いた。
「さてねえ……まあ、アイルグレスに行けば、わかるんじゃないかな?」
 その呟きに、アキアは軽い口調でこう返す。フレアはそうよね、と呟き、そ
れからわずかに目を伏せた。何か思うところがあるのか、その瞳は微かに陰っ
ている。一応それには気づいていたものの、アキアは何も言わずに前を見た。
「……ん?」
 訝るような声と共に、その表情が厳しくなる。基礎の造形がいいアキアは、
こんな表情をすると、それだけで絵になった。
「……どうしたの?」
 それに気づいたフレアはきょとん、としながらこう問いかけた。普通ならう
っとりと見とれそうな凛々しい表情も、フレアにとっては既になんの感慨もな
いらしい。曰く、「見慣れたから」という事らしいが。
「……何か、来る」
「何かって?」
 低い呟きにフレアが更に問いを接いだ直後に、
「うおおおおおおおおっ!!」
 絶叫と共に何かが突っ込んできた。アキアはひょい、とフレアを抱き上げ、
横っ飛びに突っ込んできたものをかわす。
「な、なに、何よお、いきなりっ!?」
「暴れ牛じゃないとは思うがねっ!」
 フレアの叫びにアキアは妙な例えでこう返しつつ、突っ込んできたものを見
た。標的を捉え損ねたそれは強引にブレーキをかけ、こちらに向き直る。
「……あ……さっきの……」
 それが先ほどアキアに倒された男――バングスである、と認めた直後にフレ
アは強い悪寒を感じていた。
「ア……アキア……あれって……」
「やれやれ……取りあえずお嬢、下がってて」
 ため息まじりにこう言うと、アキアはそっとフレアを下ろして低く身構えた。
バングスはううう……という唸り声を上げつつアキアを睨みつける。その目は
血を思わせる真紅に染まっていた。明らかに、正常ではない。何か異常なもの
に取り憑かれでもしているかのような、そんな雰囲気が漂っていた。
「厄介な……あの程度で、憑かれるなよ……」
 呆れをこめて呟いた直後にバングスが動いた。言葉にならない咆哮を上げ、
アキアに殴りかかってくる。アキアは巧みな回避でそれを全てかわし、低い蹴
りで足を払った。足を払われ、バランスを崩しつつも、バングスは自分の体重
を乗せた正拳突きを繰り出してくる。
「おおっと!」
 対するアキアは素早い後方回転でそれをすり抜けた。銀の髪がふわりと広が
り、流れて煌めく。
「……こいつはちょっと……冗談になってないかも……」
『って言うか、冗談のレベルは超してるって』
 思わずもらした呟きにヒューイが冷静な突っ込みをいれてくる。アキアはあ
のな、と言いつつフレアの腰に収まった短剣を睨んだ。冗談になっていないと
言いつつ、妙に余裕な連中である。
 一方、標的を捉え損ねたバングスは街道に拳を強かに打ちつけつつ、痛がる
素振りすら見せずに立ち上がった。真紅に染まった眼孔がアキアを睨み、それ
から、街道沿いに植えられた木に向き直る。
「げ、まさか……」
 ふと嫌な予感が過り、直後にそれは的中する。バングスは木の一本を両手で
掴むと、ふんっ、という掛け声と共にそれを引き抜いた。両手で構えたそれの
使い道は、恐らく一つ。
「……なにあれ……まさか、振り回すつもり……」
 ブンッ!
 フレアの言葉を遮り、緑の枝葉が大気を薙ぐ。とっさのバックステップで避
けはしたものの、正直、あれの直撃はご免こうむりたいものがあった。
「ちっ……これじゃ『封じ』るどころじゃないな……」
 苛立たしげに吐き捨てつつ、アキアはバングスとフレア、それぞれまでの距
離を測る。今の後退で、フレアは位置的にバングスの向こうに行ってしまった。
フレアとの距離が開くと言う事は、単純にヒューイとの距離が開くと言う事に
なる。問題は、そこなのだ。
「取りあえず、何とかして……っとお!」
 何とかしてフレアの方に戻らなくては、という呟きを遮り、引き抜かれた木
が再び大気を薙ぐ。アキアは、今度は垂直のジャンプでそれを避け、そのまま
木の上に飛び降り、不安定な幹を蹴って再びジャンプした。
 ……みしっ!
 途中、音入りでバングスの顔を踏みつけて勢いをつけ直す。不安定な姿勢か
ら綺麗な空中回転を決めてフレアの横に着地したアキアは、バングスに向き直
りつつ、手を差し出した。
「え?」
「ヒューイを!」
『お嬢、急げ!』
 きょとん、とするフレアにアキアは短くこう言い、当のヒューイもフレアを
急かした。フレアは慌てて護身剣をベルトから外してアキアに手渡す。
 ヒューイは、フレアが幼い頃からずっと持っている護身剣だ。自らの意思を
持ち、高度な魔法すら使いこなす不思議な短剣。しかし、短剣の姿は仮のもの
である事をフレアは最近まで知らなかった。
 アキアが手にすると、ヒューイの柄にはめ込まれた金緑石が美しい虹色の光
を放った。その輝きの中で、ヒューイは自らの形を変えていく。美しい細工は
そのままに、短剣から細身の長剣へと。長剣に転じたヒューイを左手に握った
アキアは、厳しい面持ちでバングスを見る。バングスはうう……と唸りつつ、
こちらに向き直っている所だった。さすがに疲れてきたのか、肩で大きく息を
している。
『ヤバイな……あのままじゃ、『食われ』るぞ』
「わかってる。取りあえず、足を止めるぞ!」
 ヒューイの呟きに低く答えると、アキアはヒューイを水平に持って膝を突き、
右手を地面に当てた。
「悠久の盟約において、『封印師』の一族が汝に命じる……」
 呟くような言葉に応えるようにヒューイが光を放つ。
「『樹』に属す者よ、我が敵を捕らえ、しばしその動きを封じよ……」
 ざわわわわわっ!
 低い呟きとヒューイを包む光に応えるように、バングスが引き抜いた木の枝
がざわめいた。枝は意思あるもののように動き、バングスの足を捕らえてその
動きを封じ込む。アキアは前に伸ばした左腕に右腕を交差させて身構えた。
「……間に合えよ……『白銀の封印師』ヴェラキアの名において、今、ここに
封印の力を生み出さん……」
 言葉に応じるようにヒューイが虹色の輝きを放つ。その光に、バングスは怯
むような素振りを見せつつ咆哮した。
「冥魔、隔絶! 汝が捕らえし依り代より、疾く、出でよ!」
 凛とした声に応じて虹色の光が輝きを増す。光は尾を引きながら渦を巻き、
枝に絡め取られたバングスを包み込む。
「があああああっ!」
 バングスが咆えた。いや――バングスではない。バングスの中に入り込んで
いた何か、それが咆えているのだ。虹色の光は巨漢の中にわだかまっていた黒
い影を引きずり出し、それを包み込みながらバングスから離れる。
 黒い影――それは、冥魔と呼ばれるもの。不安や欲望など、人の心の闇の部
分や負の感情がふとした瞬間に形を持ち、生じた感情に基づいた暴走を人にも
たらすものだ。
 だが、ある意味では普遍とさえ言える在り方故にその存在に気づく者はなく、
暴走した人間の死と共に消滅するため単なる狂気と見なされてしまう事が多い。
しかし正しい手段を持って対処するなら、発生させた人間を死なせる事なく、
それのみを消滅させる事も可能だという。
 唯一それを行える者――それは『封印師』と呼ばれ、歴史の片隅にのみ、僅
かにその名を残している……というのが定説なのだが、現実ではそうではない
らしい。
 アキアは深く息を吸うと、黒い影に向けてヒューイの切っ先を突き付けた。
「冥魔、永封……今ここに、無光の封印をなさしめん!」
 グオオオオオオオッ!!
 虹色の光が輝きを増し、それは捕らえた冥魔を自らの内に取り込み、弾ける
ように消え失せた。アキアは虚空を切るようにヒューイを振り、ふう、と息を
つく。それに応じるようにヒューイは光を放ち、短剣へと形を変えた。
「やれやれ、まったく……あの程度の事で、冥魔に憑かれるなんて、止めてく
れよなぁ……」
 先ほどまでとは一転、疲れ果てたと言わんばかりの表情でアキアはこう嘆息
する。当のバングスは引き抜いた木に寄りかかるようにして気を失っていた。
『あ、生きてるな』
「……死なれてたまるか、この程度で」
 お気楽なヒューイの呟きにこう答えつつ、アキアはフレアにヒューイを返す。
「大丈夫なの、あの人?」
 受け取ったヒューイを腰につけつつフレアが問うと、アキアは多分ね、と言
いつつ肩をすくめて見せた。
「まあ、ヒューイも言ってるけど、死んではいないから。それに、迎えも来て
るみたいだしね」
 言いつつ、アキアは後にしてきた宿場の方を振り返る。つられるようにそち
らを見たフレアは、アニキ〜、と叫びながらこちらにやって来る一団に気がつ
いた。バングスの取り巻きたちだ。
「さて、顔を合わせると厄介だし……早々に退散しようか?」
 茶目っ気のある笑顔と軽い口調でこう提案すると、フレアはそうよね、と言
って頷いた。
「大体、あたし、ああいう暑苦しい人たちに関わるの、イヤなのよね。みんな
汗臭いし」
 歩き出すなり、フレアは露骨に嫌そうな顔でこんな事を言う。
「それは、偏見のような気もするけど……んじゃなに、お嬢は香水つけてるよ
うな男が好みなワケ?」
 冗談めかした問いに、フレアは更に嫌そうに顔をしかめた。
「冗談! そんなちゃらちゃらした男、願い下げよ!」
「はいはい……好みにうるさくていらっしゃる」
「と〜おぜん、でしょ? 大事なコトだもん」
 呆れたような呟きに大真面目な様子でこう返すと、フレアは物言いたげな視
線をアキアに向けた。
「……何かな?」
「大丈夫だと思うけど……やらないでよね」
「やらないでって……え? オレが香水の類なんか、使うと思うわけ?」
 その言わんとする所に気づいたアキアは、思わず呆れたような声を上げてい
た。この言葉に、フレアはやや首を傾げて思案するような素振りを見せる。
「そうは思わないけど……アキアの場合、似合いそうだから」
 それから、しれっとこんな事を言ってのける。
「って、何ですか、その『似合いそうだから』って理由は!?」
 一瞬呆気に取られるものの、アキアはすぐに我に返ってこう問いかける。こ
れに、フレアはくすくすと笑いつつだって、と言うだけだった。
「だって、ってなに、だって、って?」
「だって、そんな感じだもん。ね〜、ヒューイ?」
『……オレに同意を求めんなよ、お嬢……』
 憮然としつつ問うとフレアは笑いながらヒューイに同意を求め、同意を求め
られたヒューイはぼそりとこう呟くだけだった。例によってと言うか、どちら
か一方につく気はないらしい。その態度に、アキアはったく、と言いつつ前髪
をかき上げた。見事な銀色が、陽光を弾いてきらりと光る。
「ねー、それより、早く行こっ!」
「そんなに急いでどうするの? 国境、閉鎖されてるのに」
 笑いながら手を引っ張るフレアに、アキアは苦笑しながら問う。
「だってぇ、着いたら解けてるかも知れないでしょ?」
『……そうカンタンに解けるモンかねー』
 お気楽な言葉にヒューイがぼそっと突っ込むが、フレアの気分に水を注すに
は到らないようだった。無邪気な様子にアキアはやれやれ、とため息をつき、
空いている方の手でぽんぽん、と少女の頭を軽く叩く。
「はいはい、わかりました。それじゃ、行こうか?」
「……うんっ!」
 幼い子供をあやすような言い方にフレアは一瞬むっとしたようだが、すぐに
機嫌を治して元気良く頷いた。

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