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   ACT−1:平和は突然壊れるものさ 01

 世界は、平和だ。
 賢帝を戴く大帝国と、和を重んじる国王の治める中堅国、そして分をわきま
えた小国たち。彼らの作り出す、絶妙の武力均衡は世界に大掛かりな争いの火
種を生み出す事はない。それは最高の事だ、と思う。戦乱は厄介だし……何よ
り、身の振り方を決めるのが面倒くさい。
 だから、今は良い時代だと言えるのだろう。そう、世界規模で見た限りでは。
そんな事を考えつつ、彼はため息をついた。
 彼――そう、彼である。歳は恐らく二十二、三。真っ直ぐな銀髪を腰に到る
まで長く伸ばし、螢石をあしらったリングで一本で束ねた美丈夫。整った顔立
ちは遠目には女性とも見紛う美しさを備え、左は紫で右は藍という、左右で色
の異なる瞳が特に目を引く。
 すらりとした長身を黒一色の衣服に包んでいる事が華奢な印象を周囲に与え、
ゆったりと寛げられた襟元から垣間見える素肌の部分は艶かしさすら感じさせ
ていた。もっとも、惹きつけられるようにその部分に視線を向けた者の大半は、
期待していたたわわな膨らみとは全く無縁、そして華奢な外見からは想像もつ
かないほどに鍛えられ、引き締まった胸の厚さに落胆していたようだが。
 ともあれ、そんな美形が市場の雑踏の一画で積み上げられた木箱に寄りかか
ってため息をついているのだ。周囲には当たり前のように人だかりができてい
るが、当の本人はまるで意に介した様子もなく、一点を見つめてはため息をつ
いていた。
『……災難なのは、オレたちの周りだけだよな、ホント……』
 頭の中に響くグチに彼――アキアは全くだな、と呟いた。左右異なる異眸が
見つめる先には、嬉々として露店の品物を見つめている金髪の少女の姿がある。
 先ほどのグチの主は、その腰に下げられた意思を持つ魔法の短剣・ヒューイ。
そして彼らの『災難』とは、この少女・フレアに他ならない。
 フレアの碧い瞳は好奇心でキラキラと輝き、露店並べられた怪しげな品を見
つめている。並んでいるのはいかにも曰くありげなツボやワンド、アミュレッ
トの類だ。見る者が見ればすぐに子供だましの紛い物とわかるものだが、フレ
アにそんな目利きが出きるわけがない。饒舌な店主の説明に引き込まれ、今に
も買うと言い出しかねない勢いだ。
(適当なところで止めないと、ヤバイな……)
 とどまる所を知らない無邪気な好奇心に遭わされた散々な目を思い出しつつ、
アキアはゆっくりとそちらに近づく。フレアはちょうど、露店の主の手にした
ツボを興味津々と言った様子で見つめている所だった。
「……って訳で、オレのひいひいジイサンが、ドラゴンの洞窟から持ち出して
きたのが、このツボってワケさ。なんでも、古の魔神が封じられた、伝説のツ
ボらしいんだが……」
(……本当ならそんなモンを露店で売るな)
 物騒な話にアキアは心の奥で突っ込みを入れる。
「えー、ホントにっ!? わあ、どんな魔神が封印されてるの?」
(……頼むから、真に受けるなよっ!)
 どこまで本気かわからないから、フレアの物言いは頭が痛い。
「え〜っと、なんだったかな……確か……世界を滅ぼしかけた魔神だとかなん
だとか……」
 フレアの問いに露店商は勿体つけた様子でこんな事を言う。この言葉にフレ
アは碧い大きな瞳を、更に大きく見開いた。
「え〜、それって、伝説の『銀の破壊神』とか?」
 こう言った直後に、フレアは弾けるように笑い出す。
「うふふっ、オジさんお話上手ね〜♪ あたし、一瞬だけ信じそうになっちゃ
った」
 天使の笑顔でさらりと受け流す、この言葉に露店商は一瞬呆けた顔になり、
それからバツ悪そうに頭を掻きつつ笑い出した。
「やれやれ……こいつは一本取られたなぁ。でもこのツボ、これがドラゴンの
洞窟で見つかったのはホントの事だよぉ?」
 高笑いの後、露店商は真面目な顔に戻ってこう付け加えた。この言葉にフレ
アは少しだけ、興味を引かれたらしい。
(おっと、ここで外すとマズイ!)
 そして、ここで突っ込みを入れないとフレアがおかしな方向に転がっていく
のは、今までの経験からわかっていた。故に、アキアはすぐさまで二人の会話
に割り込みを入れる。
「お〜じょ〜う! マジメなんだかフマジメなんだかわからない商売人のジャ
マ、いつまでもしてない!」
 皮肉込みでこう言うと、フレアと露天商はほぼ同時にアキアを振り返った。
周囲の野次馬も、明らかに男の物とわかるやや低めの良く通る声に、納得した
り改めて落胆したりしつつアキアに注目する。
「なによぉ、いいじゃない、面白いんだからぁ」
「……オレは面白くない。大体、財布もそんなに重くない」
 文句を言って唇を尖らせるフレアに、アキアは現実的問題を交えてこう言い
きる。財布も重くない、というのはさすがに効いたらしく、フレアは不機嫌な
面持ちのまま、わかったわよぉ、と頷いた。
「ゴメンね、オジさん。うるさいのが来ちゃったから……お話、とっても面白
かったわ」
 それから露店商に向かってにっこりと微笑む。
「いやいや、オレも久しぶりに面白かったよ。良かったら、また来てくれや」
「……来なくていいっ!」
 露店商の軽い返事に、アキアは思わず声に出して突っ込んでいた。
「なぁによぉ……アキアの怒りんぼ!」
 これはさすがに頭に来たのか、フレアはむっとした口調でこう言うと、べえ、
と舌を出して走り出した。子供っぽい反応に、アキアはやれやれ、とため息を
つく。
「……っとにもう……っと、それはそれとして……」
 頭を掻きつつ嘆息すると、アキアは露店商がフレアに見せていたツボを改め
て見た。
「……あのさ……営業妨害になるかもしれんが……一つ、言っとく」
 それから、真面目な面持ちでこんな事を言う。突然の事には? ととぼけた
声を上げる露店商を、アキアは自分の耳を指差しつつこいこい、と手招きする。
耳を貸せ、と言う意図に気づいた露店商は、訝しげな顔で身を乗り出してきた。
「……そのツボの事なんだが……」
「はいよ」
「……それな、千年前のルファンデル王朝期の……骨ツボだ。保存状態がいい
から、多分、骨が入ってる」
「……へっ!?」
 思わぬ言葉にぎょっとする露店商を置いて、アキアはフレアが走り去った方
へと走り出す。残った露店商はツボを改めて見、それから、軽く振ってみる。
 からん……かささ……かららん……
 ツボの中からはこんな、乾いた音が響いてきた。
「……マジかよ?」
 呆然とした呟きに答える者は、当然の如く、いない。

「ほんっとにもう……別に、あんな風に言わなくてもいいじゃないの! ねぇ、
ヒューイ?」
 人込みをすり抜けるように歩きつつ、フレアはぶつぶつと文句を言った。が、
ヒューイは黙して何も語らない。下手に同調すれば余計にうるさいし、何より、
彼の主張はアキアのそれと通じるものがあるからだ。とはいえ、それを言葉に
する事はない。この二人の口ゲンカにおいて、どちらか一方に同調するのは非
常に危険な事なのだ。
「……どうやら、ヒューイくんは黙秘権行使のようだねぇ?」
 それと気づいたアキアは、にっこりと笑いながらこんな事を言う。遅れて走
り出したはずなのに、アキアは実にあっさりとフレアに追いつき、並んで歩い
ていた。足の長さが違うんだよ、と言うのがアキアの弁だが、フレアとしては
面白くない。
(追いかけっこで捕まった事、一度もなかったのに……)
 面白くない理由はこんな子供っぽい自尊心なのだが、フレアにとっては大問
題なのである。頬を膨らませる様子からそれと気づいたアキアは、苦笑めいた
笑みを浮かべた。
「……それはそれとしてさ」
「……なによ?」
「昼飯、食べに行かないか?」
 軽い口調で提案するとフレアはきょとん、と目を見張り、それからむっとし
たように眉を寄せた。
「……食べ物で誤魔化すつもり?」
 低い問いをアキアはさあ? と軽く受け流す。
「行きたくないなら、いいけど? オレ一人で食べてくるからさ♪」
 にっこり笑っての一言にフレアはむう〜、と頬を膨らませる。プライドと食
欲を天秤にかけているのだ。
「……行くわよ」
 が、結局は食欲が勝ってしまう。そもそもこの宿場に立ち寄ったのは食事の
ためなのだ。市場をふらふらしていたのも、食堂が空くまでの時間潰しだった
のである。そして、フレアとしてはそろそろ限界が近い。そこまで見越しての
アキアの言葉に、逆らうべくもなかった。
「じゃ、行こうか」
 拗ねたような言葉にアキアはにっこりと笑い、フレアはふんだ、と言いつつ
そっぽを向いた。精一杯の虚勢にアキアはくくっと笑みをもらす。ともあれ、
二人は宿場に入ってすぐに目をつけておいた食堂へと向かい、
「ふざけんじゃねえぞ、このババア!」
 店の中から聞こえてきた罵声とがしゃんという破壊音に足を止めた。

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