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     3 古の森

 ルアの言葉は、正しかった。
 宿に落ち着いた途端、尻尾に強打された辺りがきりきりと痛み始め、リーン
はほとんど動けない状態になってしまったのだ。幸い彼らのとった宿の女将は
世話好きで、打ち身に効く軟膏と身体を締めつけないゆったりした寝間着を貸
してくれた。それ以外にも色々と気をつかってくれた事もあり、リーンの回復
は早かった。
 リーンが寝込んでいる間、ルアはラドニアの市場を歩き回って旅の準備を整
えていた。ドロイドに雑貨の類を注文し、薬屋を回って薬草類を買いそろえる。
意外にもリーンは薬草に関する造詣が深く、薬草の類はほとんどがリーンの買
い物だった。
 それと共に馴染みの呪い師を尋ね、魔法を封じ込めた護符を譲ってもらう。
これらの護符は初歩的な魔法を東方産の特殊な紙の札に封じ込めた物で、特定
のコマンド・ワードで力を開放するようになっている。扱いは難しいが、慣れ
てしまえば強い味方だ。
 そんなこんなでそれから五日後、二人はラドニアの街を出て北に向かった。
リーンが剣を振って戦えるようになるまで出発を遅らせたのだ。古の森は王国
でも屈指の魔域、万全の体制で望まなければならない、という理由から、二人
は十分に休養を取ったのである。
 ラドニア周辺には、聖域の存在故か大して強い怪物も出ない。出てくる存在
と言えば、既にお馴染みのツインヘッド・ヴァルチャーや狂暴化した動植物が
大半で、二人はリーンのリハビリのような感じでそれらの敵を倒して行った。
 そしてその日も。
「……お客さんか……」
 飛来する影と羽音にルアが無感動に呟いた。
「後から後から良く出てくるよね……」
 リーンも無感動にそれに応じる。飛んで来たのはツインヘッド・ヴァルチャ
ーだった。二人は剣を抜き、群れを待ち受ける。古の森に近いためか、街道沿
いよりもその数は多い。
 ぐるるるるる……
 二人が空に対して身構えると、近くの草むらから何者かのうなる声が聞こえ
た。続けて、その背後の低木の茂みが不自然に揺れる。
「おやおやこいつは……」
 ルアが小さく口笛を吹いて呟いた。
「二首化け鳥に化け犬に、化け木付きたあ豪勢だな」
「……気楽だね、ルア」
「ザコに変わりねえからな」
 それはそうだ。
 ツインヘッド・ヴァルチャーが飛来する。同時に、草むらからホーンドッグ
と呼ばれる角の生えた犬が五匹ほど飛び出してきた。元はごく普通の野犬だっ
たものが古の森が発する古代魔道の波動に影響され、変異したものだ。角の突
進は痛いが、所詮それだけのザコである。ルアは余裕で突きかかってきた二匹
をいなし、リーンは突っ込んできたツインヘッド・ヴァルチャーの首を落とし
ている。
 五匹のホーンドッグはすぐに片付き、ルアはその後ろに控えていた化け木、
キラークリーパーに投げつけるべく、火炎魔法の護符をナイフに巻き付けた。
本当は護符だけを投げればいいのだが、ひらひらとしている紙の護符を標的に
命中させるのは難しい。別に折って曲げても問題はないのだから、という理由
で、ルアは射速が早く命中率も安定している投げナイフと併用して効果を高め
ていた。
 護符をナイフに巻き付け、では投げようか、とルアが身構えたその時。
「あのお〜」
 気の抜ける声が二人に呼びかけてきた。いかな雑魚敵相手とはいえ、戦闘の
真っ最中である。振り返る余裕など無いはずなのに、二人は思わず声の方を振
り返っていた。そこにヴァルチャーが突っ込んできて、リーンの注意は再び戦
いに向けられる。
「お前……」
 動きの鈍いキラークリーパーを相手にしていたルアは、しばし戦いを忘れて
とぼけた声を上げていた。
「こんなとこで、何やってんだよ?」
 呆れと戸惑いとを交えた声で問いかける。突然の間延びした声の主は、聖域
で出合った少年司祭マルトだった。
「女神のお言葉に従い、旅のお手伝いをすべく参上いたしました」
 その場の状況が見えていないのか、マルトはにっこりと微笑って頭を下げる。
そこへリーンよりは御しやすい、と見たのか数羽のヴァルチャーが突っ込み、
話の間にこちらに来ていたキラークリーパーがルアの背に触手を振り下ろした。
「っとお! 紅蓮乱舞!」
 早口にコマンド・ワードを唱えつつ、ルアはナイフを投げつける。所詮は植
物、キラークリーパーは良く燃えた。そちらが片づくと、ルアはマルトの方に
飛んできたヴァルチャーを打ち落とそうと振り返り、目を丸くした。
「裁きの風よ!」
 ヴァルチャーに囲まれたマルトが一声叫ぶなり、その周囲に突風が巻き起こ
った。風に煽られたヴァルチャーたちは大きく態勢を崩し、一部は翼を傷めて
風に吹き飛ばされる。
「やるねえ……」
 素直な感想が口からこぼれる。女神ラーラの司祭は森羅万象を司る女神の力
を借り受け、地、水、火、風の力を操れると聞いていたが、実際に見るのは初
めてだった。
「……手が空いたんなら、手伝ってくれよ!」
 そこに息切れがちの声が飛び込んできて、ルアは、あ、と言いつつそちらを
振り返る。戦闘能力の低いリーンはヴァルチャーたちの集中攻撃を受けていた。
「あ、わりわり」
 それに軽い口調で応じつつ、ルアは大剣を握り直す。蒼い瞳が厳しい光を帯
び、剣閃が大気と共にヴァルチャーを捕え、その身を閃光へと変える。ルアの
参戦に形勢不利と悟ったのか、ヴァルチャーは喧しく騒ぎながら森の方へと飛
び去って行った。
「……ふう……終わったぁ……」
「大丈夫ですか?」
 ため息をつきながら長剣を収めて腰を下ろしたリーンの傍らに、マルトがと
ことこと歩み寄る。リーンは腕に細かい引っかき傷を受けた他には外傷はなく、
むしろ多数を一度に相手にした疲労の方が激しいようだった。
「それにしても……君、どうしてここに?」
「女神ラーラのお導き、です」
 不思議そうなリーンの問いに、マルトはにっこり微笑ってこう答える。
「ああ、そうか……そう言えば、女神もキミを同行させるように仰っていたっ
け……」
 その返事にリーンはふと思い出したようにこんな呟きをもらし、それに、ル
アはえ? ととぼけた声を上げていた。
「そうだったか?」
 そのとぼけた声のまま問いかけると、リーンは呆気に取られたような面持ち
でルアを見、それから、あのねえ、とため息をついた。
「言ってたじゃないか! だから、一度神殿に行こうって、何度も言ったんだ
よ」
 露骨に呆れたような説明に、ルアは出発前のリーンがしきりに神殿に行きた
がっていた理由をようやく理解した。
「そういう事は、ちゃんと言えよ」
 ついむっとしたようにこう言うと、
「ちゃんと言えって……単に、ルアが忘れてただけじゃないか」
 リーンもやはりむっとしたようにこう返してくる。
「……うるせーな……」
 とはいえ、リーンの言う通りなので、ルアとしては反論のしようがない。ち
え、と言いつつリーンから目を逸らすと、じっとこちらを見つめるマルトと目
が合った。
「あの、それで……ご同行してもよろしいでしょうか?」
 恐る恐る、という感じで投げかけられたマルトの問いに、ルアは大仰に肩を
すくめてため息をついた。
「どーせお前も、嫌だっつったら勝手について来るクチだろ?」
 確かめるまでもそうだとは思う。でなければ、わざわざルアたちを追ってこ
こまでは来ないだろう。案の定というか、マルトはにっこり笑ってはい、と頷
いた。この返事に、ルアは先ほどよりも深いため息をついて、頭を掻く。
「勝手にしろよ。ったく、どいつもこいつも、命知らずが」
「誰だって、君ほどじゃないよ、ルア」
 一しきり髪をぐしゃぐしゃにしてからもらした愚痴っぽい呟きに、リーンが
鋭くこう突っ込んだ。

 その後はさしたる問題もなく、三人は古の森に入る事ができた。複雑に絡み
合った巨木の枝葉に光を遮られているため、森の中は薄暗い。ルアは方位魔石
の紐を左手に巻き付け、時折方角を確認しながらどんどん奥へ進んで行った。
「あ、そう言えばルア」
「あん?」
 森に入ってから三日目。例によってルアを先頭に歩く道すがら、リーンが何
か思い出したようにこう呼びかけてきた。
「確か、この森には古森妖精の部落があるんだよね?」
 問いかけに、ルアはああ、と気のない声を上げていた。
 ヴァーレアルドには人間の他に、森にその住まいを定める森妖精族が多く住
む。彼らは元々この古の森に王国を築いていたのだが、六百年ほど前に内部分
裂をしたとかで八つの部族に分かれ、それぞれが新たな森を定めて移り住んだ。
 古森妖精はその八つの部族の内、しきたりを重んじて古の森に残った部族の
事で、他の部族が森を離れるのと引き換えに手放した古代の知識を有している
ため、特別にこう呼ばれているのだ。
「つっても、そこは通らねえぜ。奴ら、基本的に余所者嫌いだからな」
「……まるで、直接会った事があるような言い方ですね?」
 やや投げやりに説明すると、マルトがきょとん、と瞬いてこう問いかけてく
る。それにルアが答えようとした時、森の奥の方からキシャアアアアア……、
という咆哮が響いてきた。誰からともなく、三人は足を止める。
「……ルア、今の……」
「……ここんとこ、竜属に祟られてんな……」
 不安を帯びたリーンの言葉に、ルアはため息まじりに呟いた。
「……ドラゴン、でしょうか」
 こちらも不安げにマルトが呟く。
「ああ……やばいな……」
 ルアが呟くのをかき消すように、再び、シャアアアアッ! という咆哮が響
いた。
「……怒ってる、みたいだな……」
 どことなく苛立ちを感じさせるその響きに、リーンがぽつりとこう呟いた。
「まさかたあ、思うが……」
 そして、ルアはその響きにふとある事に思い至り、きつく眉を寄せる。
「ルア?」
 表情の変化に気づいたリーンが不思議そうにルアを見る。ルアは一つため息
をつき、木々の奥へと視線を向けた。
「古森妖精と、戦ってるのかも知れん……」
「古森妖精と!?」
「可能性は高い……行くぞ!」
 言うなり、ルアは二人の返事も待たずに咆哮の聞こえてきた方へ走りだした。
リーンとマルトは顔を見合わせた後、頷き合ってその後を追う。

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