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 それから一週間後、ルアは街道を進む馬車の中にいた。王都シュトラーゼに
向かう途中だった。同乗している子爵とリーンは礼装を整えているが、ルアは
いつもの旅姿だ。心持ち膨らんだ荷物袋と剣もしっかり持っている。
「……変わんねえな……」
 王都に近づくと、ルアが小さく呟いた。
「変わらない? 何が?」
 呟きを聞きつけたリーンが問う。ルアは別に、と言って窓から視線を逸らし
て目を閉じた。
 ルアが変わらない、と呟いたのは街道沿いの雰囲気だった。父の死を聞いて
深夜に街道を駆けたあの時と、ほとんど変わっていないのだ。なんというか、
未来への憂いで満ちている。それが、ただでさえ暗い曇天下の街道を暗くして
いた。結局、発展性が感じられない、という事を言いたかったのだが、リーン
には通じなかったらしい。これだからお坊ちゃん騎士は、とルアは心の奥で呟
いた。
(わかってるよーで、わかっちゃいねえ……)
 リーンとは子爵の館に滞在した数日で、そこそこ親しくなっていた。役に立
たないクラゲ騎士と呼ばれる現在の王国騎士たちの中にあって、新米のリーン
には骨があった。現状を打破しよう、という意思があるのだ。
 が、ルアから見ればリーンの考えもまだまだ机上の空論、絵空事のレベルを
抜け出てはいない。貴族特有とも言える世間知らずと、そこからくる認識の甘
さ故に、どこか無理が出てくるのだ。
(理屈は間違ってねーんだけどな……)
 現状打破策を話し合った時の事を、ルアはふと思い出していた。

 リーンの考えは、王国の民が力を結集すればなんとかなる、というものであ
る。間違ってはいない。むしろ正論だ。誰でも考えつける。ただ、どうすれば、
肝心の民の力を結集できるのか、というルアの問いに、リーンは答えられなか
った。
「あんな、リーン。民の力を結集っつーけどな。下の連中ほど、連帯感は強い
んだぜ?」
「え……どうして?」
 さらりと言うと、リーンは本当に不思議そうにこう言って瞬いた。
「自分の身は、自分で守らにゃならんからさ。辺境地域じゃあ、騎士団の手助
けなんて期待するだけ無駄なんだからな」
「騎士の手助けが、期待するだけ無駄?」
 投げやりな言葉に、リーンはまたも不思議そうに問う。
「誰が好き好んで、なーんの面白みもねえ辺境に行きたがんだよ。苦労ばっか
でさ、いい事なんて、年に一つか二つだぜ?」
「それは……そうだろうけど。でも、王国の民に貢献するのが、王国騎士の役
目だ」
 戸惑いながらも、リーンは正論で返してくる。その正論を、ルアはひょい、
と肩をすくめて受け流した。
「魔王のヤローが出てくる前までは、な。お前、なんで王国騎士が通称クラゲ
騎士なのか、わかってねーだろ?」
「ああ……」
「平和惚けして、骨がねえんだよ。魔王が出る五十年ぐらい前から、戦乱も無
かったからな。騎士の大半がだらけてんだよ。最近になって、お前みたいな例
外出てきたけどな。
 オレの親父が隅っこの方で大騒ぎした理由も、結局騎士連中がクラゲになっ
ちまって、アテになんねえからだもんな。でなきゃ、ど辺境の自警団の下っぱ
が、あんーな支持、受けるわけねーだろ?」
「……」
「とにかく、騎士がアテになんねーんなら、自分らで何とかしにゃならねえ。
連帯感も生まれるわな。むしろ、結束の足引っ張ってんのは権力者さ。くだら
ねえ利益ばっかおっかけてんのが多すぎるぜ。ま、」
 ここでルアは言葉を切り、唐突な区切りにリーンはきょとん、と瞬いた。
「ここのおっさんみてえな、例外もいるけどな……そーゆーのは、大抵中央じ
ゃ煙たがられるし……」
「その煙たがってる筆頭が、自分の父親って考えると情けなくなるよ……」
 ため息まじりのルアの言葉に、リーンは、こちらもため息まじりに呟いた。
リーンの父ヴェイン・ストレイア公爵は、どうやら自分の地位の安定しか考え
てはいないらしい。リーンが中央を離れ、落ち目と言えば落ち目の伯父の元に
身を寄せているのは、そんな父親が好きになれないからなのだと、ルアはレシ
ル夫人から聞いていた。
「結局……どうすればいいんだろう?」
「それを自分で考えて実践すんのが、お前ら新米騎士の役目だろー? オレに
聞いても無駄だぜ」
「そんなあ……」
 突き放されたリーンは情けない声を上げる。
「とーにかく! 勇者しかアテにしてねえようじゃ、永遠にこのまんまっての
は、覚えといて損ねえぞ?」
「うん……」

 この後、リーンは自分で考えてみる、と言って自室に戻った。それから王都
に向かうために馬車に乗るまでリーンとは言葉を交わしていないが、答えは出
たのだろうか? 関係ないと思いつつ、興味を引かれるルアだった。
(ま、騎士サマの行く先なんざ、オレにゃかんけーないか……)
 そんな事を考えている内に、街道沿いの家屋の数が少しずつ増えていた。そ
の大半が辛うじて雨風を凌ぐ掘っ建て小屋なのを見て取ったルアは、二人に気
取られないようなため息をつく。掘っ建て小屋の主は、故郷をモンスターに占
拠された難民たちである。彼らに対し、国王は何の援助もしていないのだろう
か、と思うと言いようもなく腹立たしい。
(一発ぶん殴ってやるか!)
 いいかも知れない。
 ふとリーンの方を見ると、新米騎士は唇を噛みしめ、掘っ建て小屋の群れを
見つめていた。憤りを感じているらしい。
(ただの、坊ちゃんじゃあないんだな……)
 そうこうしている間に、馬車は都の門をくぐった。城壁の中も荒れ果てた感
がある。そのくせ、城に程近い貴族の邸宅周辺だけは整然としているのが、ル
アの苛立ちを更にかき立てた。
「おっさん。用件、さっさと済ませるぜ!」
 ルアのこの言葉に、子爵はうむ、と短く言って頷いた。どうやら、ルアがこ
う来るのは既に予測していたらしい。
 城に到着すると、子爵は形式的な手順を省略させて謁見の間にルアを誘った。
リーンは騎士団に用事があるとかで途中で別れ、子爵も控えの間に残り、ルア
は一人で謁見の間に乗り込んだ。こう言うとやや大仰に聞こえるかもしれない
が、その時のルアの態度は乗り込む、という形容が違和感がなくはまっていた。
出入りと言ってもいいくらいだ。
 謁見の間には国王他、主だった重臣たちが勢ぞろいしていた。ルアはぐるり、
と中の様子を見て取ると、無遠慮に真紅の絨毯の中ほどまで進む。
「おお、ルアか。よく来たな……」
 王冠をいただいていなければそうとは見えない、人の良さそうな国王がこう
言うと、
「別に、来たくて来たわけじゃねえよ」
 ルアはぴしゃりと続く言葉を封じ込めた。重い沈黙が、謁見の間に広がる。
「こ、これ! 国王陛下に対しそのような口のきき方、無礼であろう!」
 間の悪い沈黙に場を取りなそうとしてか騎士団長が口を開いたものの、
「うるせえんだよ、クラゲの親玉!」
 直後に騎士団長はそれを心の底から後悔した。
「まあまあ、そう怒らずに。穏便に話を進めようではないか……」
 続いて大臣の一人が場の取りなしを試みるが、
「黙ってろ古狸! てめーらに用はねえよ!」
 あっさり轟沈した。謁見の間は重苦しい沈黙に包まれてしまう。ルアはぐる
りと謁見の間を見回し、一つ、ため息をついた。
(っとに、どいつもこいつも……)
 平民出身の若造にここまで言われて黙り込むなよな、などと考えつつ、ルア
は澄んだスカイブルーの瞳で国王を真っ直ぐに見据える。
「この際だから、はっきり言っとく。オレは、あんたらの思惑どおりに勇者様
になるつもりは、ない。オレは、親父とは違う。親父と同じつもりで扱わない
でもらいたいね」
 静かに言い切ると、謁見の間にざわめきが巻き起こった。
「し、しかし、我らは魔王配下の怪物を倒すだけで手一杯、君に期待をかける
しか……」
「よくゆーぜ! んじゃこの五年間、人を延々と追っかけ回してた奴らは何な
んだ? あんな無駄な事に人員割いてってから、手が足りねえんだよ! もい
っぺん人数確認して、統制とってやりゃ、幾らでも押し返せんだろ!? んな単
純な事にも気づかねえから、いつまでたってもクラゲの親玉なんだよ!」
 反論を試みた騎士団長ににべも無く言うと、ルアは矛先を貴族たちへと向け
た。
「あんたらもな! 見た目飾りたてる無駄な金があんなら、難民連中に援助の
一つもしやがれってんだ! 一大事一大事って騒ぐだけで、なんもしねーから、
魔王なんてヤローが付け上がんだぜ!」
 怒鳴られた貴族たちは何やらごにょごにょと反論しているようだが、もとよ
り、そんなものを耳に入れるルアではない。そして、ルアは最後に国王に向け
て、言った。
「そーれーかーら! じじい、ちったあしゃっきりしやがれ! あんたがしゃ
っきりしてりゃあ魔王なんてのは出てこねえんだ! 日向ぼっこはな、国民全
員と一緒にやれよな!」
 言おうと思っていた事を一しきり吐き出すと、ルアは軽く息をついてくるり
と踵を返す。
「ど……どこへ行くのだ!?」
 あわあわと声をかける国王に、ルアは振り返りもせずに言った。
「魔王は倒してやるよ。ヤツだけは、許せねえからな……でもな。勘違いすん
なよあんたらのためじゃねえぜ」
「では……何のために?」
「オレ自身のため。そして、オレを支えてくれた二、三人のため。それと……
あんたらに見放されても、根性で生きてる奴ら全部のためだ!」
 こう言うと、ルアは謁見の間を振り返った。猛禽類を思わせる鋭い瞳に居合
わせた者の多くが気押される中で、国王はその瞳に確たる決意の色彩を見てい
た。
(以前も、こんな瞳を見たな……)
 今でも、はっきりと覚えている。
 彼が最初に勇者と呼んだ若者の瞳にも、同じ色彩が宿っていた。
 ただ、その時とははっきりとした相違がある。カーレルの瞳には、決意と共
に悲しみの色彩があったのだ。だが、ルアの瞳にはそれがない。あるのは、怠
惰な自分たちに対する、怒りの色彩だ。
(……やってくれる。この若者なら、変えてくれる……)
 期待めいた思いが、心の奥に火を灯した。ルアの言葉に、久しく忘れていた
覇気が蘇りつつあるようだ。
「……行っておいで。そなたの、大切な者のために、な……」
 立ち去ろうとする背中に向け、国王は穏やかに呼びかける。さすがにこれは
予想外だったのか、ルアは驚いたように国王を振り返った。
「……」
 ルアはしばらくその場に立ち尽くして国王を見つめていたが、やがて、にや
っと笑って頷いた。

 控えの間で待っていた子爵と軽く言葉を交わすとすぐ、ルアは王都を発った。
子爵は謁見の間での騒動については何も言わず、ただ、しっかりな、と微笑ん
で送り出してくれた。どうやら、あらかじめこうなるであろう、と読んでいた
らしい。
 王都を出たルアは街道を西へ向けて歩き出そうとし、
「……ルア! ルア、待ってくれ!」
 息せき切った呼び声にきょとん、として足を止めた。突然の事を訝りながら
振り返ったルアは、走って来た声の主の姿に目を丸くする。
「……リーン!?」
 走って来たのはリーンだった。厚手の服の上から藍色のブレストプレートを
着け、腰に剣を下げただけの軽装で、ルアのそれと同じような荷物袋を肩にか
けている。
「どーしたんだよ、そのかっこ?」
「ぼくも、連れて行ってくれ!」
「……へ?」
 突然の申し出にルアは惚けた声を上げるが、リーンの琥珀色の瞳は真剣その
ものだ。
「……どーしたんだよ、おい? お前、自分が何言ってんのか、ちゃんとわか
ってるか?」
「当たり前だ! 魔王の討伐に行くんだろ? ぼくも連れて行ってくれ、足手
まといにはならない」
「……熱は、ないな?」
 こう言うとルアは片手を自分の額に、空いた片手をリーンの額に当てた。
「な! 何だよ、それは!?」
 リーンはルアの手から逃げるように身を引いた。興奮のためか、心持ち頬が
赤い。
「あの、なあ……」
 こう言うと、ルアは手近な木の切り株に腰を下ろした。
「自分の言ってる意味、ほんっとーに! わかってるのか? 遊びじゃないん
だぜ」
「そのくらい、わかってるよ!」
「……実戦の経験は?」
「え……? ……まだ、ない……」
「なら、帰れ。いても邪魔だ」
 細々というリーンに対し、ルアは冷たく言い放った。
「そ、そんな!」
「古の森は!」
 反論するリーンを遮り、あくまで冷静に、ルアは言葉を綴る。
「王国でも指折りの危険地帯だ……森妖精たちですら、ここには立ちいらねえ。
何故か、わかるか?」
「え?」
「いるんだとさ……ドラゴンが。それ以外にも古代魔導とかの影響で、道に迷
いやすい。ここを歩けるのは、この森の住人の古森妖精と化け物だけさ」
「じゃ、じゃあ! ルアは、どうやって抜けるつもりなのさ!?」
「……さてね。運が良ければ、抜けられるだろーが……」
「そんな危険な場所に、一人で行くなんて無茶だよ!」
「ばーか。危険なとこだから、一人で行くんだよ。誰も、巻き込まずにな」
「でも……でも、ルア。ぼくは……」
 静かな言葉にリーンは目を見張り、それから、俯いて何やら言いかける。
「とーにかく! 坊ちゃんは、さっさとお家に帰んな!」
 それを聞き流しつつこう言うと、ルアは切り株から立ち上がった。これで話
を切り上げるつもり、だったのだが。
「……帰る家なんか、もうないよ!」
「へ?」
 リーンのこの言葉に、思わず足を止めてしまった。
「なんだってえ?」
「だから……勘当されたんだ」
「なんで!?」
 予想外の話に、ルアは思わずこう問いかけてしまう。話を聞いたら深入りす
る、と頭のどこかで警鐘が鳴ってはいるものの、今更立ち去る事はできそうに
ない。
「……父上とは、いずれ決裂すると思ってた。それが、たまたま今日起きたっ
て事」
「『たまたま今日起きたって事』じゃあねーよ! 何考えてんだ、お前の親父
は!!」
「難民への援助を頼んだんだよ! でも……駄目だった。それで、ついカっと
なって口論になって……」
 なし崩しに、決裂して勘当されたらしい。
(つ……ついてけねえ)
 突拍子もない展開に、知らず、頭を抱えるルアだった。
「そんで何かあ? 石頭の親父を見返すために……とか言うんじゃないだろー
な、おい」
「そこまで、子供じゃないよ!」
「……どうだか……」
「なんで疑うのさ! それに……頼まれてもいるんだよ!」
「誰に?」
「誰にって……陛下に。とにかく頼むよ、ルア! 足手まといにはならない。
それは、確かに実戦経験はないけど……でも、自分の身は最低限自分で守る。
だから……一緒に行かせてくれ!」
「……国王のじーさんが?」
 その一言はやや意外だった。誰かに言われて、というのは予測していたが、
てっきりスティルード子爵だと思っていたのだ。
「ん? ちょっと待て……頼まれたって事はお前、騎士の称号は?」
 ふと疑問に思って問うと、リーンはルアから目をそらした。国王が騎士に対
して物事を頼むはずはない。なのに今、リーンは頼まれた、と言ったのだ。そ
れも国王に。
「勘当されたついでに剥奪されると思ったから、自分から返上した……今のぼ
くは、自由騎士リーンだ」
 言われてよく見れば、ブレストプレートのどこにも騎士団の紋章がない。
「……お前、なあ……」
 何を言えばいいのかわからず、ルアは嘆息する。だが、どうやら何を言って
も無駄らしい。別に無視してもいいが、この少年は勝手について来るだろう。
それで行き倒れにでもなられては、いくらなんでも目覚めが悪い。ルアはがじ
がじと頭を掻くと、やれやれ、という感じて言った。
「……ラドニアに行くぞ」
「ルア……?」
「いくらなんでも、路銀ぐらいは分捕って来たんだろ?」
「う、うん……陛下と、伯父上がそれぞれ餞別をくれたけど……」
「ならいい。ラドニアの万屋で、旅の準備を整える。長旅だからな、覚悟しと
けよ!」
「ルア!」
 投げやりな言葉に、リーンの表情がぱっと明るくなった。
「その代わり! さっきの言葉忘れるなよ? 自分の身は、自分で護れ!」
「ルア……ありがとう……」
「礼いうような事かよ! んなことより、行くぜ!」
 突き放すようにこう言うと、ルアはさっさと歩き出す。リーンも慌てたよう
に、それに続いた。

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