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 『氷家出陣』。
 この報によってアーヴェンはにわかに慌ただしさを増していた。迎撃の任務
を与えられた者たちは出陣の準備に追われ、忙しく走り回っている。ヴィズル
戦役を生き残った氷家の猛者たちが相手という事もあり、アルスィード魔導騎
士団の面々には強い緊張が見受けられた。
「……張り詰めてますねぇ」
 その様子を、レヴィッドは例によっての〜んびりとした様子でテラスから眺
めていた。
「う〜ん、あんまり張り詰めても、しゃーない気もするんだけどねぇ……」
「指揮系統というものとは無縁の君には、わかるまいな」
 呆れを込めた呟きに突っ込まれ、レヴィッドはお、と言いつつ声の方を振り
返る。そこに立つ者を見るなり、その口元には会心とも取れる笑みが浮かんだ。
「これはど〜も、聖騎士団副長サマ。なぁ〜にか、ご用ですか〜?」
 副長、の所をやたらと強調しつつ問うと、問われた者――カリストは眉を寄
せた。レヴィッドはにたにたしたまま、不機嫌そうな顔を眺める。
「用……というほどのものはない。ただ、何のためにあちこちをふらついてい
るのか、聞きたいと思っただけだ」
 あからさまに苛立ちつつ、カリストはこんな問いを投げかけてくる。レヴィ
ッドはああ、と言いつつぽん、と手を打ち鳴らした。
「つまりー、月家の人間……つか、リンナと仲良しさんは信頼できないから、
様子を伺っとこうと〜♪」
 わざとらしい口調で聞こえよがしに言う、この言葉にカリストは絶句した。
その反応にレヴィッドはにやりと笑う。
「図星ですねぇ♪」
「な……何を、馬鹿な。私が、そんな事をする必要が……」
「ないなら、もっと落ち着いてないっすか、カリスト・ランデバイク殿?」
 声を上擦らせるカリストに、レヴィッドは一転、低い声でこう問いかける。
くるみ色の瞳は、妙に冷たかった。
「何が、気に食わないんですか?」
 瞳と同じく冷たい声で、レヴィッドは更に問いを投げかける。
「何が……とは?」
「リンナがコケてラファティアに戻れなかった事ですか? それとも、団長サ
マがお亡くなりになられた事? いや、それとも、第二子のはずのリンナが直
系なのが、そもそも気に食わない?」
 矢継ぎ早の問いに、カリストは答えなかった。レヴィッドは構わずに言葉を
続ける。
「でも、結局はアレでしょ、単なる乙女的感傷。ランス殿と一緒に死ねなかっ
た、最後まで轡を並べられなかった。そんなトコでしょ?
 その上、ラファティアは占拠されたのにリンナはのうのうと生きてた。それ
も気に入らない。
 アテにならない、いや、そも信用すらしていない相手の指揮下に入らなきゃ
ならない。それが気分悪いから理屈をゴネてイジメる。でも、そーゆーのって
騎士らしくないから、それを全部リンナのせいにしてる……。
 バッカみてーっすね。ってか、単なるガキ」
 苛立たしげに自分を睨むカリストを冷たく睨み返しつつ、レヴィッドは遠慮
なく、ざくざくと言葉で斬りつけて行く。反論のしようがないのかカリストは
ずっと黙っていたが、最後の一言にはさすがに黙ってはいられなかったようだ
った。六歳年下の少年にガキ、と言われれば、大抵は怒るだろうが。
「お前に、何がわかる!?」
「あんたは、何をわかってるって言うんですか?」
 苛立ちを帯びた叫びに対し、レヴィッドは全く臆する事なくこう言いきった。
「大体において、わかってないじゃないですか」
「……何を」
「火家を継ぐべきは誰なのか、を」
「……な……何を馬鹿な。そんな事は……」
「ラファティアに住む者なら、誰だって知ってますよねぇ? 当主を示す『ザ
ン』の号を得られるのは、リンナだけ。例えどんなに優秀かつ、できた人間と
は言え、精霊神の祝福を得ず、ましてとっくに死んだ人間であるランス殿は、
その称号は名乗れない。
 例え……そう。これからの戦いの中で、リンナが死んだとしても」
 冷たい瞳と声のまま、レヴィッドは淡々とこう言いきった。反論の余地のな
い正論が、カリストにどんな影響を与えるのかは予想している。それを承知し
た上で、あえて鋭い言葉を投げつけていた。
 言い切られたカリストはぎっと唇を噛み締めている。迷いと苛立ち。いつも
なら押し隠しているであろうそれが、はっきりと表情に表れている。
「私に……どうしろと言うのだ、お前は?」
「そんなモン、人に聞くんですか? いートシの大人が、二十歳前のガキに」
 かすれた問いを、レヴィッドは冷たく突き放す。この返事にカリストは先ほ
どよりもきつく唇を噛み締めた。その様子にレヴィッドはがじがじと頭を掻く。
「現実見てくれ、っつってんですよ、オレは」
 それから、ため息まじりにこんな言葉を吐き出す。この言葉にカリストは怪
訝そうに眉を寄せた。
「……現実?」
「死者を想って生者を忌避し、その本質から目をそらす。それを止めてくれっ
てコトです。ただでさえ戦争になって、人の心の闇が高まってるって時に、そ
れって困るんですよ。リューディがぶっ壊れちまう」
「彼が? 何故?」
 突然出てきたリューディの名と、『ぶっ壊れちまう』という言葉はカリスト
を困惑させたようだった。
「心の闇が負の方向に高まれば、闇って言う力の均衡が崩れるんです。ま、こ
れって闇に限らず、他の力にも言えるんですけど、特に闇と夢が影響食らうん
ですよね。
 夢のお方様はね、その辺りの均衡取りとか長くやってるから、それほどでも
ないでしょっけど、リューディはエレメントリング継承してまだ二月たってな
いワケです。力を正すのに慣れてない。そこへ持ってきて諸々のごたごたで、
精神的にもかなり、ヤバイ。
 だから、つまんない感傷で心の闇を無駄に高められて、均衡崩されるとすっ
げメイワクなんですよ、月家としてはね」
「つまり、お前は……彼のために、この問答を?」
「当ったり前でしょーがっ!!」
 どことなく呆れたような問いに、レヴィッドはきっぱりとこう言いきった。
「ま、リンナとは個人的にも親しいから、その弁護も多少はアリなんですけど。
でも、オレにとってはリューディの安定が今の一番の課題なんですから」
「形のない、月家のために……?」
「月家は元々、明確なカタチなんてないし。大体、カタチがあろうとなかろう
と、リューディはオレの主君。それを支え、護るのはオレの勤めであり、存在
意義ですから」
 一片の迷いもためらいもなく、レヴィッドはこう言いきっていた。毅然とし
た態度にカリストは怯むような素振りを見せる。
「存在意義……それが?」
「アルヴァシアとルオーディンは、ずっとそうしてきてますよ。フレイルーン
にとってのフレアリーズ……そして、ランデバイクもそうあるべきじゃないん
ですか?」
 静かな問いの直後に、レヴィッドは何故かため息をついた。
「ま、ディセファードにとってそうあるべきレディルファーグがあーゆーコト
やってちゃ、嫌になるかもしんないですけどね。でも、それは問題が違うでし
ょ?」
 それから、投げやりな口調でこんな事を言う。レディルファーグとはディセ
ファード家を支える立場にある一族であり、現ゼファーグ王クィラルはこの家
の出身だった。
「とにかく、ですねぇ」
 静寂を経て、レヴィッドは立ちつくすカリストに呼びかけた。
「現実は現実としてれーせーに受け止めてくれません? その上で自分は、そ
してフレイルーン聖騎士団は何をどうすべきか、冷静に判断して欲しいんです
よ。でないと……」
「でなければ……なんだ」
「オレ、均衡のためにあんたの事、刺す事になるでしょうから」
 きっぱりと言いきられ、カリストは言葉をなくしたようだった。そんなカリ
ストを見つめるレヴィッドの瞳は、冷たく厳しい。そこには迷いらしきものは
何ら見受けられず、今、口にした事を実行するのに全くためらいがない事を伺
わせた。
「……ま、それが仕事の一環とはいえ、個人的には願い下げですんで、柔軟な
姿勢で一つ、よろしく〜♪」
 その場に生じた緊張感の全てが一瞬で吹き飛ぶ。先ほどとは一転、軽いノリ
の言葉にカリストは毒気を抜かれたようだった。呆けたような表情ににやりと
笑うと、レヴィッドはじゃ、と言ってその場を離れる。建物に入る直前にちら
りと振り返ると、カリストは唇を噛んで立ち尽くしていた。その様子に、レヴ
ィッドはやれやれ、とため息をつく。
「難しく考え過ぎなんだっつーに……たぁくぅ……」
 呆れを込めてこう呟くと、レヴィッドは足早に次の目的地へと向かう。独自
に動けと言うのであれば、情報は多いに越した事はない。誰が指揮する隊が出
るのか、どう展開するつもりなのか、それがわかっていれば先陣を切るにしろ
援護に徹するにしろ、スムーズに行動できるからだ。
「とはいうものの……」
 廊下を歩きつつ、レヴィッドは小声で呟く。
「本当に、氷家だけなんかな。三百ってのは……少な過ぎるよなぁ」
 『仕事は的確かつ迅速に』。これが代々の氷家当主がかかげる傭兵団として
のスタイルだ。ちなみに、これに継ぐ重要事項として『経費と被害は常に最低
で』というのもあるらしい。ようするに、短期決戦即決着、が彼らのやり方な
のだ。
「それを通すために、一度に来ると思ったんだけどなぁ……」
 だが、その予想は見事に外された。その事と、オーウェン領内の先行師団が
妙に気にかかる。勿論、論理的に考えるなら彼らがこちらに来るには一ヶ月以
上かかるのだから、現状の脅威にはなり得ないのだが。
「……瞬時に、魔法生物を生成できる魔導師がいるんだよなぁ、あっち」
 問題となるのはそこなのだ。フレイルーン聖騎士団、総数千六百。それが四
百にも満たない部隊に敗走させられたのは、魔導師ガルォードの造り出した魔
法生物と、彼の攻撃魔法による所が大きいと言われている。それだけの魔力の
持ち主であれば、大集団を移動させるロング・テレポートも容易いものだろう。
逆に言えば、それが可能だからこそ、単独師団でありながら敵陣深くに食い込
んで来られたとも考えられる。
「……めっちゃ、や〜な予感がする……」
 氷家と、先行師団。共にその行動の全く読めない敵に、レヴィッドはため息
まじりにこう呟いていた。

 重い。
 圧し掛かる力が、重くて息苦しい。
 それが何かはわかっている。闇の力だ。自分にすがろうとするように、次々
と押し寄せる力。
 しかし、それら全てを受け止め、受け入れるのは容易ではない。それとわか
っていても、拒む事はできなかった。
 それが、自分にしかできない事とわかっているから。
「う……くっ……」
 うめき声を上げつつ、リューディは右の肩を掴む。そこにあるのは、月闇の
精霊神の聖痕だ。聖痕は熱を帯び、その熱は身体全体に広がっているようだっ
た。
「……くっ……っとに!」
 苛立ちを熱い息と共に吐き出しつつ、リューディは肩から手を離してベッド
の上に大の字になる。
「こんなに、重い……戦いが、生じさせる、闇……重過ぎるっての……」
 レティファ内部の戦いですらこれほどの重圧となるのだから、広大な帝国を
相手取ったヴィズル戦役では、どれほどの心の闇が発生したのか。リューディ
はふと、こんな事を考えていた。
 当時は十二聖騎士候がそろい、力の均衡が保たれていたにしても、戦いの規
模からすれば人々の不安や悲しみ、怒りなどから生じた心の闇は計り知れない。
しかし、父ライオスはその重圧を物ともせず、聖王を補佐して戦い続けていた。
「……泣き言言ったら……怒られるよな……」
 深く立ちこめる闇を見つめつつ、呟く。当然、それに答える声はない。
「しっかりしろよ、リューディ……リューディス・アルヴァシア。こんな情け
ないザマじゃ、生き残れないぜ……大体、死んだらミューに謝れないだろ……」
 名を呟いた瞬間、全身を包む熱とは明らかに異質な痛みが胸を刺した。
「……まずったよなぁ……オレ、何やってんだか」
 自分自身への呆れを込めて呟きつつ、リューディは汗で張りつく前髪をかき
上げた。
 アーヴェンへの出発前夜、どんな偶然が作用したのか、リューディはミュリ
アと話す機会を得られたのだが。その前の不毛な会話がミュリアの心に与えた
傷はリューディの予想を遥かに超えていたらしく、ミュリアは話を聞かずに走
り去ろうとした。
 とはいえ、リューディとしては少しでも話を聞いて欲しい訳で、引き止める
ために手を引いた所、そのまま勢いで抱き締める形になってしまった。
 ミュリアの方から抱き付いてきた事なら、幼い頃からしょっちゅうあった。
正直、ここ一、二年は淡いながらもその存在を主張する柔らかな膨らみの感触
にどきりとさせられていたものの、とにかく、それはある種の日常茶飯事とな
っていたのだ。
 だが、リューディの方から抱き寄せた事は、ほとんどなかったと言っていい。
その上、夢中だった事もあって思いっきり抱き締めてしまった。これだけでも
ミュリアにとっては相当な驚きだったのは、想像に難くないというのに。
 ファビアスに指摘された自信の無さについてははっきりと言えなかったもの
の、とにかく、ミュリアに戦場にいて欲しくないという思い、危険のない場所
で待っていて欲しい、という思いを伝え、邪魔じゃないの? という問いを全
力で否定して、どうにか状況は落ち着いた。
 落ち着いたはず――だったのだが。
 ミュリアの表情に安堵が広がった瞬間、何かが身体を突き動かしていた。そ
してこちらも安堵していたせいなのか、リューディはそれを押さえきれず――
ミュリアの唇に触れていた。
 時間としては、大して長くなかったと思う。それでも、ミュリアにはかなり
の衝撃だったらしく、離れた直後に走り去ってしまった。リューディも自分の
行動に困惑して立ち尽くしてしまい、結局、それきり会う機会もないままアー
ヴェンまで来てしまった。
 こんな状況のまま、戦場の露と消えるわけにはいかない――月家直系として
の責任もあるのだが、出発直前の一件で改めて認識した想いは、リューディの
『死ねない』という思いをより強いものへと変えていた。
 改めて認識したもの、ミュリアが好きだという気持ち、大切という想い。
 それを伝えない内は、死ねない。
「だから……潰される訳には行かないんだ」
 圧し掛かる闇に向けて小さく呟き、目を閉じる。
 押し寄せる力は相変わらず重く息苦しいが、ミュリアの事を想うと、ほんの
少しだがそれが和らぐような気がしていた。

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