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「やれやれ……手応えのカケラもねえな」
 切りかかってきた騎士の胴体を無造作に薙いだ剣で両断しつつ、巨漢の騎士
──傭兵騎士ラグロウスは心底つまらなそうにこう吐き捨てた。
「……仕方ありませんよ、主力は昨夜の内に壊滅しておりますし……何より、
『安寧の盟約』に忠実に従っておれば、さほどの軍備は要りませんからね」
 そんなラグロウスに、その背後に控えていた鈍いグレーのローブをまとった
男が淡々と告げる。
 『安寧の盟約』とは、先のヴィズル戦役の後、ゼファーグと各自治都市領、
そしてヴィズル帝国との間で結ばれた不可侵条約の事で、これに従っている限
り、レティファ大陸が戦禍に晒される事は無かった──あり得なかったのだ。
 それだけに今回のゼファーグの侵略行為はラファティアの人々を動転させ、
街に残っていたフレイルーン聖騎士団を浮足立たせた。団長ランス率いる第一
隊は夜間演習から戻らず、その捜索のために第三隊から第六隊までが不在とい
う状況で、残された第二、第七隊は精神的にも戦力的にも劣勢に立たされ、苦
戦を余儀なくされていた。
 ラグロウスは相変わらずつまらなそうな目つきで周囲を見回していたが、突
然鼻を鳴らして剣を鞘に収めてしまった。
「……ラグロウス殿?」
 突然の事に、ローブの男が怪訝そうな声を上げる。
「後は任せる。貴様の好きなようにやれ」
 それに素っ気なく答えると、ラグロウスは大股にその場を歩き去ってしまっ
た。
「……やれやれ……」
 傭兵騎士の巨体が見えなくなると、ローブの男は露骨に呆れた様子でため息
をついた。
「どうなさるのですか、ガルォード殿?」
 取り残された形の騎士が問うのに、ガルォード、と呼ばれた男はひょい、と
肩をすくめる。
「仕方あるまい……取りあえず、私が指揮を取らせてもらう。差し当たっての
目的は……」
 言いつつ、ガルォードは大通りの先をひたり、と見据えた。その視線の先に
あるのは、豪商クォーガの屋敷だ。
「昨夜取り逃がしたフレイルーン直系の始末が一つ。もう一つは、この街に住
むミュリア・クォーガという娘の身柄の確保。とはいえ、見た所フレイルーン
の直系は街に戻ってはいないようだがな……」
「……では……」
 確かめるような問いかけに、ガルォードはうむ、と頷いた。
「第一隊は私と共に。第二、三隊は突入口にて、第四隊から第七隊は各城門に
て、聖騎士団の帰還に備えよ」
「はっ!」
 ガルォードの命を受け、各部隊が散っていく。統制の取れたその動きを、ガ
ルォードは満足そうに見送った。
「では、第一隊、私に続け!」
 その場に残った部隊を見回すと、ガルォードは控えさせておいた馬に飛び乗
ってこう告げた。

「……リューディ!」
 街に駆け戻るなり、聞き慣れた声が呼びかけてきた。リューディとミュリア
は反射的に足を止め、声の方を見る。すぐ側の建物の屋上から、翠珠色の瞳の
少年が顔を覗かせていた。町外れに住む狩人一家の息子カールィだ。
「カールィ! チビたちはっ!?」
「だいじょぶ、レヴィッドが神殿に連れてった! それよりもリューディ、い
きなり攻めてきた連中、大旦那のお館の方に向かってるんだよお!」
「お館にっ!?」
 カールィの言葉にリューディはクォーガの屋敷のある方を振り返った。やや
間を置いて、リューディは傍らのミュリアを振り返る。
「ミュー、お前、カールィと……」
「リューディといる!」
 神殿に行け、という言葉を最後まで言わせず、ミュリアはこう言いきった。
リューディはやれやれとため息をついてカールィを見る。
「仕方ねえ……カールィ、お前はレヴィッドと一緒にチビたちを頼む。オレた
ちは大旦那の様子みて、それから神殿に行くから!」
「わった! 二人とも、気ぃつけてね!」
 リューディの言葉に頷いて、カールィはひょい、と姿を消した。その気配が
遠のくと、リューディは改めてミュリアを見やる。
「絶対に、オレから離れるなよ」
 低い声で告げると、ミュリアはこくん、と頷いた。さすがに緊張しているの
か、微かに顔が青い。リューディは一つ息を吸うと、きっと表情を引き締めて
言った。
「大丈夫だ……お前は、オレが護る。どんな事があっても、絶対に護り通す!」
「……リューディ……」
 真摯な瞳と宣言にミュリアはやや呆然と呟き、それから、恐る恐る、ほんと
に? と問いかけてきた。リューディは真面目な面持ちのまま頷いてそれに答
える。
「……リューディ……」
「手、離すなよ」
「……うん!」
 嬉しさを抑えられない声で頷きつつ、ミュリアは差し延べられた手をぎゅっ
と握った。リューディもその手をしっかりと握り返し、そして、二人は屋敷へ
と走り出す。
(でも……一体何が起こってるんだ? 確かに十二聖騎士侯が揃っていない以
上、『安寧の盟約』には絶対の拘束力はないと言える……とはいえ、今のヴィ
ズル皇帝がこんな軽はずみな真似をするとは思えないし……)
 五年前のヴィズル戦役の後、時の皇帝ガレシス一世は自ら退位し、帝位を嫡
子レアスに譲っている。帝位に就いたレアスは他国との和を重んじ、不可侵条
約である『安寧の盟約』を決して犯さぬ、と誓っていた。そして現状において
世界最大の国力を有するヴィズル帝国を差し置いてまでレティファ大陸に侵攻
を試みる国があるとは思いがたい。
(他の大陸からの干渉じゃないとすると……でも……)
 とはいえ、他の大陸からの干渉の可能性を否定してしまうとこれだけの軍備
を整えられる国は自ずと限られてくるのだ。
 現在、レティファ大陸を分割統治している八つの聖騎士侯家の内、騎士団を
有しているのは陽のディセファード、水のアルスィード、火のフレイルーン、
風のフェーナディア、雷のレイザードの五家。地のドルデューン家も一応軍勢
は編成しているが、これは武闘僧を中心とした戦士団なので多少毛色が違う。
また、フェーナディア家旗下の騎士団は弓兵を中心とした弓騎士団で、レイザ
ード家旗下の騎士団は天馬騎士を中心とした飛行騎士団なので、歩兵を中心と
した今回の襲撃者との関連は考えられない。勿論、フレイルーン家旗下のラフ
ァティア聖騎士団は論外だ。
(となると、残りはゼファーグ神聖騎士団とアーヴェン魔導騎士団……ったっ
て、何だってこんな事を……?)
 走りつつリューディはあれこれと考えを巡らせていたが、結局途中から考え
るのを止めた。考えても答えに行き着けないのだから、今は考えるだけ無駄、
と割り切ったのだ。
(いずれにしろ……何かが起こりかけてる。大きな変化が訪れようとしてるん
だ。あの時と同じか、もっと大きな変化が……)
 差し当たって到達した結論に、リューディはやや瞳を陰らせた。ヴィズル戦
役が大陸にもたらした痛手を思えば、それも無理からぬ事と言えるが。
(とにかく、今は余計な事は考えないでおくか……大旦那が心配だしな)
 ふと生じた懸念を当座の重要事項で押さえつけた頃には、クォーガの屋敷の
すぐ側まで来ていた。屋敷の周囲は武装した兵士に取り巻かれているため、リ
ューディとミュリアは物陰に身を潜めて屋敷の様子を伺う。リューディは兵士
の鎧の紋章を確かめ、太陽とその輝きを模した意匠に息を飲んだ。
(……聖太陽の紋章……ゼファーグ神聖騎士団かよっ!?)
 予想通りにして予想外の襲撃者の姿に戸惑うリューディの肩に、誰かがぽん
っと手を置いた。リューディは反射的にミュリアを庇いつつ背後を振り返り、
直後にほっと安堵の息をもらした。
「……親方……脅かしっこなしだぜ……」
 振り返った先には、見慣れた人足頭の姿があった。腕の中に庇ったミュリア
もほっとした様子で息をつく。そんな二人に、人足頭は厳しい面持ちで静かに
しろ、と注意を促した。
「とにかく、ここは危ねえ。こっちだ!」
 人足頭はこう言うと、足音を忍ばせて屋敷の裏手の倉庫棟の方へと向かう。
リューディとミュリアもそれに続き、薄暗い倉庫の中に二人が飛び込むと頭は
内側から厳重に鍵をかけ、床に巧妙に隠された落とし戸を開けて地下へと降り
た。
「親方、何がどーなってんだ!? 何だって、ゼファーグ神聖騎士団がここ囲ん
でんだよ!?」
 地下に降りるなり、リューディはずっと抱えていた疑問を人足頭にぶつけて
いた。
「んなもん、オレにもわからんっての! 取りあえず、旦那が今、向こうの偉
いさんと話してるらしいが……」
 問われた頭はこう答えて地下室の奥を見やった。視線の先には、ラファティ
アの街全域を網羅する地下道の入り口がぽっかりと口を開けている。リューデ
ィはしばしそこに立ち込める薄暗闇を睨み付けた後、人足頭を振り返った。
「親方、悪いけどミュー連れて神殿行ってくれるか? オレもすぐに行くから」
「リューディ!?」
 半ば予想していた通り、ミュリアはこの言葉に不安げな声を上げた。人足頭
は怪訝な面持ちでリューディを見る。
「そりゃ、構わねえが……一体、どうするんでえ?」
「大旦那の様子を見てくる……大丈夫だって、オレもすぐに行くから!」
 碧玉の瞳いっぱいに不安を湛えてこちらを見つめるミュリアに、リューディ
は出来うるかぎり力強く、自信を込めてこう言い切った。しかし、ミュリアの
不安は消えない。
「……とにかく、大丈夫だから、先に行ってろ! 親方、頼んだぜ!」
 このままでは先に進めない、とやや遅ればせながら悟ったリューディは強引
にこう宣言して走り出した。
「……リューディ……」
 取り残された形のミュリアは不安げな視線を暗い地下道に投げかけ、心細い
声を上げる。
「行きやしょう、お嬢さん……なぁに、大丈夫ですよ、あいつは!」
 そんなミュリアに人足頭はおどけた口調で出発を促し、二人は神殿へ続く地
下道へと足を踏み入れた。

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