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   失われたモノを求めて

『よぉく、覚えておくんだよ』
 クセの強い髪を撫でながらのその言葉は、彼女の口癖だった。
『お前の髪、お前の瞳。それは失われた『大切なモノ』の色なんだ』
『うしなわれた……たいせつな、モノ?』
『そうさ……』
 ここで彼女はいつも言葉を切り、だからね、と言いつつ息を吐いた。
『強くおなり、秋斗(しゅうと)。
 失われてしまったモノを、いつか、探しに行けるようにね……』

 静かな言葉にはいつも、訳もわからぬままに頷いて。
 彼女がいなくなってしまった今となっては、それが意味する事はわからない
けど。
『いつか、探しに行く』
 それは、大切な約束として刻み込まれている。
 勿論、今でも。

「……ジャマだっつってんだろ!」
 苛立たしげに吐き捨てつつ秋斗は呼吸を整え、立ちはだかる灰色の集団へ向
けて地を蹴った。
 クセの強い髪と、遠目にはあどけなさすら感じる瞳。そして両手に一本ずつ
握った、透き通る刃の美しい短剣。
 灰色一色に固められた集団の中に、鮮烈な美しさを備えた蒼が飛び込んだ。
「はっ!」
 低い気合と共に蒼が舞い、真紅を散らしつつ灰色が崩れる。
 だが、灰色の集団は臆した様子もなく、手にした銃剣を秋斗に向けてきた。
「……っとにっ……」
 機械的な動作と反応に苛立ちを感じつつ、秋斗は短剣を握る手に力を込める。
「てめーらの頭ん中は、ツクリテの命令しか入ってねーのかよっ!?」
 それが問うた所で無意味であるのは、最初からわかっている。だが、無機質
な態度を見ていると、どうしても問わずにはいられなかった。
 秋斗も灰色の彼らも、元をただせば同じモノ──『人為的に造りだされた存
在』だ。
 ただ、ツクリテ──自らを生み出したモノに従ったか、逆らっているかの違
いしかない。
 それなのに、全く違うモノであるような、そんな感触を受けてしまう。
 ……勿論、それは秋斗の一方的な感傷であり、それに囚われていれば無機質
な彼らに容赦なく刺されてしまうのだが。
「……せぇいっ!!」
 刃が舞う。
 蒼く美しい、透き通った刃が真紅を散らす。
 蒼を振るって無機質な灰色を紅く飾りつつ、秋斗は銀色の建物の奥へと向か
う。
「だいったい、なんでこんなトコに来なきゃなんねぇんだ!?」
 作業のような戦いの合間に、秋斗は苛立ちを込めてこう吐き捨てていた。か
なり長い時間戦っているはずだが、その呼吸には乱れた様子もない。わずかに
にじんだ汗と紅潮した頬が、戦い、動き続けている、という事実をわずかに主
張している程度だ。
──文句ばかり言わない、秋斗──
 吐き捨てた直後に頭の中に穏やかな声が響いた。建物の外で待っている相棒
・(せん)の声だ。
「……わーってらいっ!!」
 露骨な苛立ちを込めて答えつつ、秋斗は床を蹴って跳んだ。前方に立ちはだ
かる灰色の、中央に立つ者に勢いをつけた踵落としを見舞い、強引に道を開け
させる。着地と同時に左右に大きく広げた両腕の動きを追って、また真紅が舞
った。
──それなら、いいけどね。そろそろ、『依頼主』殿の部屋だよ──
「……だからっ!?」
──くれぐれも、失礼のないようにね?──
「へーい、へい」
──……返事の仕方が、良くないなぁ……──
「……はい、わかりました! これで、いーんだろっ!?」
 楽しげな蝉の物言いに苛立ちを感じつつ、秋斗は低い姿勢で走り出す。蒼い
瞳が捉えているのは前方の灰色の壁。秋斗は一つ息を吸い込むとその中へと飛
び込み、
「はぁああああああっ!!」
 気合と共に息を吐いた。
 蒼と、それを追う真紅の乱舞。
 灰色の壁は切り崩され、周囲は静寂に包まれる。
 それを確かめた秋斗は壁が閉ざしていたもの──銀色の壁につけられた扉の
前に立った。
「……なんだ? ロックされてねぇの?」
 その事実に戸惑いつつ、秋斗は扉を開ける。シュンっという軽い音と共に扉
が横へと滑り、そして。
「……だれ?」
 扉の向こうの部屋にいた者が、秋斗を振り返った。
 黒い髪と瞳、過ぎるくらいに白い肌。
 一見、造り物のような少女は、大きな瞳で不思議そうに秋斗を見つめる。
 ちょっと見ただけでは人形のような少女だが、しかし、秋斗はそれが誤った
認識であるとすぐに察していた。
「……クリエイター……」
 クリエイター、または、ツクリテ。
 少女は人形ではなく、人形を──秋斗たち、クリーチャーと呼ばれる存在を
『造る側』なのだ。
 そしてそれは──秋斗がこの世で最も嫌っている存在でもあった。

「ご苦労様、秋斗」
 戻ってきた秋斗に、蝉はいつもと変わらぬ穏やかな笑顔を向ける。秋斗はそ
れに、露骨に不機嫌な一瞥で答えた。
「何かな、その顔は?」
「……別に」
「その顔のどこが、『別に』なのかな?」
 にこにこと微笑みつつ、蝉は更に突っ込んでくる。その笑みに、秋斗は妙な
苛立ちを感じていた。
「なんっでも、ねぇよ!」
 叫ぶように言い放ちつつ、秋斗は蝉に背を向ける。そんな秋斗の様子に蝉は
一瞬眉を寄せるものの、すぐに穏やかな笑顔に戻って所在無く立ち尽くす少女
に微笑みかけた。
「あの……あなた、は……」
「私は、蝉」
 おずおずと問いかけてくる少女に蝉は静かにこう答え、それから、ふて腐れ
た秋斗の方をちらりと見やった。
「彼は、秋斗。あなたは、美海(みかい)様、ですね?」
「あ……はい」
 蝉の問いに少女──美海はこくん、と頷いた。
「あの、どうして……」
「ある方より、あなたの願いを叶える手助けをするように、と仰せつかってい
ます」
 蝉の言葉に美海は不思議そうに首をかしげ、秋斗も、わずかに興味を引かれ
て蝉を振り返った。
「わたしの……願い……?」
「ええ。探しものの手助けをするように、と」
 蝉の言葉に、美海はえ、と言って息を飲んだ。
「……本当……に?」
 恐々、という感じで問う美海に、蝉ははい、と頷いて見せる。蝉の返事に美
海はぱっと顔を輝かせた。
「……」
 そしてその様子に、秋斗は苛立ちをどうしても抑えられず、足元の小石を八
つ当たり気味に蹴り飛ばしていた。

 世界には、二種類の人間が存在している。
 クリエイターと、クリーチャー。それらはツクリテ、人形と呼ばれ区別され
ている。
 クリエイターとは、ツクリテの別名が示すとおり、クリーチャーを生み出し
た者。その絶対数は少ない。
 対するクリーチャーは、クリエイターに造られた者。現在の世界の住人の大
半は、このクリーチャーだ。
 クリーチャーは元々、環境の悪化に適応できる人間を人為的に生み出す、と
いう目的で作り出された存在だった。
 技術と欲望の暴走によって傷つき、過酷な環境を織り成す世界。そこで生き
抜くための力を与える人工子宮によって育まれ、生まれてくる。それ以外はク
リエイターとなんら変わらない。
 その誕生はクリエイターたちによって管理され、生まれる前から役割を定め
られ、そのための能力を遺伝子操作によって与えられている者も少なくない。
 最初は自己の存在に何ら悩む事もなかったクリーチャーたちだが、ある時、
生殺与奪の全てを管理されている事に疑問を感じる者が現れた。人工的に生み
出されたとはいえ基本的には同じ人間、感情を持っているのだから、それは当
然の事と言えるだろう。
 膨らんだ疑問はやがて不満を取り込み、蜂起という形で表現された。
 クリーチャーたちの突然の反抗にクリエイターたちは戸惑ったものの、その
勢いを止める力は彼らにはなかった。元々、自分たちの生活を支えるためにク
リーチャーを生み出したのだから、ある意味自然と言えるのかも知れないが。
 クリエイターたちはクリーチャーたちとの戦いを避け、厚い壁の向こうに閉
じこもる道を選んだ。その壁の中で、自分たちに逆らわない、都合のいいクリ
ーチャーを『量産』し、今度は彼らに生活を支えさせるようになったのだ。
 クリエイターの一部はやがて『中央政府』を名乗り、壁の外のクリーチャー
たちに支配下に入るように強制を始めた。
 意思を持つクリーチャーたちはそんな『中央政府』への反発を強めており、
レジスタンス的な活動を続けている者も少なくはない。
 母胎から生まれたか、人工子宮から生まれたか。
 それだけの違いしか持たないはずの両者は、こんな経緯から対立を続けてい
た。
 そんな対立の中で生まれ、育った秋斗はクリエイターという存在、それその
ものを強く嫌悪している。
 それだけに、今回の一件は気に入らない部分が多い。
 『大嫌い』なツクリテのためにクリーチャーの血を流した事、これからしば
らくはツクリテに付き合わされる事。
 何より、ツクリテの少女に『様』を付けて呼び、丁重に扱う蝉の態度が秋斗
には腹立たしかった。
「……面白くねぇ」
 その日の野営場所に選んだ廃墟の屋上で、秋斗は紅い月を睨みつつこう呟い
ていた。
 理由はわからないが、どうもいらついて仕方がない。だが、それを蝉に悟ら
れるのはなんだか嫌で、秋斗は一人、屋上で夜を過ごす事を選んでいた。
「大体、なんでツクリテなんかのために働かなきゃなんねえんだよ?」
 蒼い瞳で紅い月を睨みつつ、苛立ちを込めて吐き捨てた直後に、
「そう、彼女が望んだからだよ」
 静かな言葉と共に後ろから抱きすくめられた。ぎょっとして振り返れば、静
かな翡翠色の瞳と目が合う。蝉だ。
「……なんだよっ……『お姫様』、ほっといていいのか?」
 目をそらしつつ早口に言い放つと、蝉は苦笑めいた笑みを浮かべた。
「何を、怒っているのかな?」
「別に」
「……もしかして、ヤキモチかな?」
「なっ……なんで、そーなるんだよ!?」
 核心をさらりと突かれ、秋斗は上ずった声を上げる。
 自分でも、わかってはいるのだ。今、感じている苛立ちの大半は、蝉があの
少女を特別な存在のように扱う事への嫉妬であると。クリエイターに対する嫌
悪などは、実質二の次、三の次だ。
 それとわかっていても、それはあまりに子供っぽいわがままのように思え、
素直に表に出せずにいたのだが……蝉にはお見通しだったらしい。
「秋斗」
 妙に気まずくてそっぽを向いていると、蝉が静かに名を呼んできた。
「事前に話しておかなくて、すまなかったね」
 囁くように言いつつ、蝉は頭を撫でてくれる。小さな子供をあやすように、
そっと。
 それに安心している自分を感じつつ、同時に、いつまでも変わらない子供扱
いが悔しくて、秋斗はだんまりを決め込んだ。
「ただ、これだけはわかって欲しい。あの子を連れ出すのは、彼女の……レー
テの望みだったんだ」
「……レーテの?」
 思わぬ言葉に秋斗は意地も忘れて蝉を見た。蝉は真面目な面持ちでそう、と
頷く。
 レーテ。それは、秋斗を育てた女性の名。
 通常のクリーチャーは乳幼児期を人工子宮の中で過ごし、どんなに早くとも
五歳前後までは外の世界と接触せずに育つ。それは『中央政府』の関与しない、
クリーチャーたちが管理して生み出す新たな子供たちも変わらない。
 なぜなら、そうする事で過酷な環境の中で生き抜くための知識や免疫力を予
め与えているからだ。
 だが、秋斗は違う。秋斗は新生児の段階で人工子宮から生まれ、レーテによ
って育てられた。五年前、レーテが『中央政府』の差し向けた刺客によって殺
されるまでの十二年間、二人はクリーチャーではあり得ない『親子』としての
生活をしていたのだ。
「なんで、レーテが?」
「それは、わからない。だが、あの子の探しものの手伝いを秋斗にして欲しい
と、レーテは願っていた」
「でもオレ、聞いてないしっ」
 蝉は知っていたのに自分は知らなかった、という事実に秋斗はまた拗ねる。
蝉はいじけないの、と言いつつ、また頭を撫でてくれた。
「秋斗」
「……なに?」
「あの子の探しもの、手伝ってくれるね?」
 静かな問いに、秋斗は即答できずに沈黙した。
「……秋斗?」
「……レーテが、そうして欲しかったって言うなら……やる」
 答えを促す蝉に、秋斗はぽつりとこう答える。その瞬間、蝉の表情を陰りが
過ぎった事には気づかないまま、秋斗は蝉にもたれ掛かった。
「秋斗?」
「……つかれた……」
「ああ……大分、力を使ったみたいだね」
 無理をさせてすまなかったね、という囁きと共に、蝉は秋斗を抱え直して楽
な姿勢を取らせてくれる。秋斗はそれに逆らわず、蝉に身を預けた。
 以前は、レーテにこうされていると一番落ち着いた。だが、今は蝉に支えら
れているのが一番楽になれる。
 レーテがいなくなって休ませてくれる人が他にいないから──というのも少
なからずあるのかも知れないが、それ差し引いても蝉の腕の中は秋斗にとって
は落ち着ける場所なのだ。
「もう、お休み。私は、ここにいるから」
 優しい言葉にうん、と頷いて秋斗は素直に目を閉じる。昼間の戦いの疲れと
状況の与えてくれる安堵は、秋斗をすぐに眠りの淵へと誘った。
「……ゆっくりお休み、秋斗」
 小さく小さくこう囁くと、蝉は眠り込んだ秋斗の額に、軽く唇を触れた。

 そして、翌日。
「……はぁ?」
 保存食による簡単な食事をすませ、美海から彼女の『探しもの』について聞
くなり秋斗は目を見開いてとぼけた声を上げていた。
「だから……わたしが探すのは……『わたし』なの」
 露骨に呆れ果てる秋斗に、美海は消え入りそうにこう繰り返す。秋斗は蒼い
髪をがじがじとかき回した後、一つため息をついた。
「訳、わかんねぇよ、それ……お前はここにいるのに、お前を探すって一体、
なんだよ?」
「わからないけど……でも、探さなきゃいけないの……」
「んーな訳わかんねぇモン、どーやって探すんだよっ!? っとに、ツクリテ連
中は何考えてんだか、ぜんっぜん、わかんねーな!」
 呆れと苛立ちを込めて吐き捨てると、美海はしゅん、と俯いてごめんなさい、
と呟いた。
「秋斗、そう、カリカリしない」
 そこに蝉が静かに口を挟んできた。
「ってもよ、そんな訳わかんねぇモン、どーやって探すんだよ? 探しようが
ねーじゃんっ!」
「じゃあ、まずは探し方から探してみよう」
 美海に対するそれとは微妙に異なる苛立ちを込めて噛み付くと、蝉はさらり
とこう返してきた。
「は? 探し方から探す?」
「そう。この近くにも、『中央政府』の出先機関があるはず。そこから、『中
央』のメインシステムにアクセスさせてもらって、情報をいただけばいい」
 にこにこと笑いつつ、蝉は事も無げにこう言いきる。美海は妙に納得したよ
うにあ、と声を上げるが、秋斗は思いっきりの渋面で蝉を睨んだ。
「……気楽に言うけどよ……『中央』の出先が、素直にシステム使わせてくれ
んのかよ?」
 問いの答えは、わかっている。わかっているが、聞かないのは癪だった。
「そのために、秋斗に頑張ってほしいんだけど?」
 案の定──と言うべきだろうか。低い問いかけに蝉はにっこりと笑いながら
こう言いきった。
 そして……。
「……結局、こーなんのかよ!」
 一時間後、秋斗は無表情に迫る灰色の集団を見やりつつ、苛立ちを込めてこ
う叫んでいた。
 灰色の集団は、『中央政府』が施設に配備しているガーディアンだ。立ち入
りを許されぬ者を排除する、という目的のためだけに、歪んだ方法で生み出さ
れたクリーチャーたち。彼らと戦う事は、秋斗にとって気分のいいものではな
い。
 とは言うものの。
「ったく……ま、殺られるワケにゃ、いかねぇしな」
 だからと言って大人しく倒される訳にはいかないのが現実であり、ここを突
破しなければ先に進めないのだから、戦うしかない。
 灰色の彼らと戦う時、秋斗はいつもこうわりきりをつけていた。
 深呼吸をして意識を澄ませ、刃をイメージする。蒼く透き通る、二本の短剣。
それは秋斗がイメージする事により、その力から生み出されるのだ。
 蒼い光が走り、光が刃を形作る。現れたそれをしっかりと握りつつ、秋斗は
前を見据えた。
「それしかできねえのは、わかっちゃいるけどよ……」
 低く呟いて、ゆっくりと身構える。
「それでも……オレのジャマ、すんじゃねぇよっ!!」
 叫びと共に、秋斗が走る。両手に握られた蒼い刃が、光の軌跡を灰色の大気
の上に残した。
 蒼刃、一閃。
 閃く刃が、真紅を散らしつつ、灰色を斬り崩す。
 だが、灰色の壁を構築するものは、湧き出るように次々と現れてきた。
「ちっ……出先でも『中央』の施設だけに、ガードは固いってかぁ?」
 頬についた返り血を拭いつつ、秋斗は低く呟く。その表情に、それまではな
かった険しさのようなものが浮かんだ。
「だったら……こっちも本気でやらせてもらうぜ!」
 低く言い放つのと同時に、秋斗は地を蹴って飛び上がる。両手に握った短剣
が光になって周囲に飛び散り、蒼い粒子が空間に乱れ飛んだ。
「これで……終わりにしてやるよっ!」
 叫びと共に、舞い散っていた光の粒子の一つ一つが刃に転じた。蒼い刃は雨
さながらに灰色の壁へと降り注ぎ、真紅を散らす。
「……寝ちまいな!」
 空中に止まったままの秋斗が叫び、それに応じて蒼が弾けた。蒼い刃が閃光
を放って爆発したのだ。光は灰色を包み込み、蒼が薄れた後には灰色たちは跡
形もなく消え失せていた。
「……」
 その様子を、蝉と美海はやや離れた所から見つめていた。美海は大きな瞳を
見開いてぽかん、としている。秋斗の示した力に驚いているようだ。
「望んだ訳では、ないのですよ」
 そんな美海に、蝉が静かな口調でこんな事を言う。突然の言葉に美海はえ?
と言って蝉を見た。
「望んだ訳では、ない……?」
 おうむ返しの問いに、蝉はそう、と静かに頷く。
「秋斗に限った事ではないのですが……私たちには、『選択の余地』がありま
せん。生まれる前に与えられる『力』を、持ち続ける以外にないのですよ」
 どことなく寂しげな言葉に美海はあ、と短く声を上げた。
 クリーチャーにどんな力を与えるのかは、生み出すもの次第。
 例えそれが望まぬ力だとしても、拒絶する事はできないのだ。
「あの……えっと……」
「あなたを、責めているのではないのですよ」
 何か言おうとして、でも何も言えずに口ごもる美海に、蝉は穏やかに微笑ん
だ。
「ただ、忘れないで欲しいのです。私たちとて、『人』である事に変わりはな
いのだと」
 静かな言葉に美海はこくん、と頷いた。蝉はありがとう、と言ってまた微笑
む。
「……つーか、いつまでのんびりしてんだよ!」
 そんな二人の様子に気づいた秋斗は、苛立ちを込めてこう怒鳴っていた。
「もたもたしてたら、またガーディアンが『量産』されちまうだろっ!? さっ
さと用事、済ませちまおうぜ!」
 腕を組んで足を踏み鳴らしつつ怒鳴る秋斗に、蝉ははいはい、と笑いながら
答えた。そして、三人は施設の中へと入って行く。入る前の騒動が嘘のように、
施設の中は静まり返っていた。
「どうして、こんなに静かに…」
「ああ、それはですね」
「ガードシステムをダウンさせたんだよ」
 静寂を訝るように美海が呟き、それに蝉が答えようとするのを遮って、秋斗
がぶっきらぼうにこう言い放った。
 施設の防衛システムは、ガーディアンの稼動数を基準に機能している。ガー
ディアンが一定数倒されると待機させていた者を誕生させ、常に一定レベルの
守備兵力を維持させているのだ。
 だが、この一定数を大幅に越えてガーディアンを倒れされてしまうと処理が
追いつかなくなり、システムそのものがダウンしてしまうのだ。そうなると自
動迎撃システムもダウンしてしまうため、結果として施設は無防備となる。
 とはいえ、システムをダウンさせるには百対以上のガーディアンを五分以内
に消滅させる必要があるため、それを行える者は存在し得ない──とされてい
るのだが。
「……」
 秋斗のぶっきらぼうな言葉からそれと理解したのか、美海はまた、瞳を大き
く見開いた。
「……なんだよ?」
 その視線に気づいた秋斗は、横目で睨むように美海を見る。美海はえっと、
と口ごもりつつ目を伏せた。
「はいはい、お喋りは後にして……着いたよ」
 そこにすさかず蝉が割って入った。話している間に施設のメインシステム管
理室にたどり着いていたらしい。管理室の扉は何の抵抗もなく横に滑り、三人
を中へと受け入れた。
「誰もいない……?」
「こんな辺境に来たがるツクリテ、いねーよ。管理は全部、システム任せさ」
「ま、だからこそこんな時は手間がないのですがね」
 無人の管理室にきょとん、とする美海に秋斗がため息混じりに言い放ち、蝉
が苦笑しつつこう付け加えた。そして、蝉はずらりと並んだコンソールの一つ
に向かう。
「でも、どうやって調べるんですか?」
 その隣にやって来た美海が問う。その問いに、蝉はにこりと笑うだけで答え
なかった。戸惑う美海を秋斗が強引に引っ張り、蝉から離す。
「あの……」
「離れてろ。シンクロのジャマになる」
「シンクロ?」
「蝉の『力』だよ。システムと自分を同化させて、好きにいじれる。ツクリテ
の押し付けたモンさ」
 低い声で説明する秋斗の横顔を、澄んだ光が照らす。いつの間に現れたのか、
蝉の周囲に淡い翡翠色の光球が浮かび、その輝きと呼応するようにコンソール
やパネルが同じ色の輝きを放っていた。
 蝉は目を閉じたまま、ゆっくりとコンソールの上に指を走らせる。時折り唇
が微かに動き、聞き取れないような声で何かを呟いているようだった。その様
子を秋斗は無表情に、美海はどこか不安げに見つめる。
「……見つけましたよ」
 静寂を経て、蝉が低く呟きながら目を開けた。それまで沈黙していた前面の
モニターに光が走り、風景のようなものを映し出す。
「なっ……」
「……え?」
 そこに映ったものに秋斗は息を飲み、美海は目を見張った。
 淡い青と、深い蒼。明るく鮮やかな、二色の広がり。
「これ……なんだ?」
 震える声で秋斗が問う。
「今から、二百年ほど前の風景だね。海の画像だよ」
 問いには蝉が静かに答え、その答えに秋斗はえ、と短く声を上げる。
「海……これが!?」
 直後に秋斗が上げた声は、酷く上ずっていた。
 秋斗の知っている海は、黒く沈んだ色をしている。二百年前に起きたと言う
異変──クリーチャーを生み出すきっかけとも言うべき環境の大異変から、ず
っとこうなのだと言う。
 だが、今モニターに映し出されている海は、蒼く、澄んでいる。
 二つが同じものだと言うなら、その色はどこに失われたのか──。
(……失われた?)
 ふと浮かんだその言葉は、秋斗の中で妙に引っかかった。
 失われたもの。失われた、大切な──。

『よぉく、覚えておくんだよ』

 幼い頃に、何度となく聞かされた言葉が蘇る。

『お前の髪、お前の瞳。それは失われた『大切なモノ』の色なんだ』

「これが……レーテの言ってた、『大切なモノ』?」
 呆然と秋斗が呟いた直後に、
「すごい……綺麗な海……あっ」
 美海が同じく呆然と呟き、直後に何かに気づいたように短く声を上げた。
「綺麗な……美しい、海……わたしの、名前……?」
「どうやら、答えは出たようだね」
 秋斗と美海、それぞれの呟きに、蝉が笑いながらこんな事を言った。二人は
はっと我に返り、蝉を見る。
「蝉……」
「必要そうなデータは一通りいただいたから、一度ここを出るとしようか。シ
ステムが復旧してしまうと厄介だからね」
 呼びかける秋斗を蝉は笑顔で遮り、有無を言わせぬその様子に秋斗と美海は
戸惑いながらも頷いた。

「……んで、さ」
 システムが復旧する前に施設を離れ、近くの岩陰にひとまず落ち着くと、秋
斗は蝉に呼びかけた。
「結局、これからどーすればいいんだよ?」
 『中央』のシステムとの接触で美海の『探しもの』が彼女の名の由来と思わ
れる『美しい海』なのはわかった。そしてそれが、幼い秋斗にレーテが語った
『失われた大切なモノ』である事も。
 しかし、どうすればそれが見つかるのか、失われた色を取り戻す事ができる
のか、皆目見当もつかないのだ。
「そうだね……取りあえず、あの画像の場所まで行ってみるというのは?」
 秋斗の問いに、蝉はのんびりとこう返してきた。
「場所、わかんのかよ?」
「必要そうなデータは、全ていただいた、と言っただろう?」
 場所は確認済みだよ、蝉は微笑んで見せる。システムとの接触はさして長い
時間ではなかったのに、一体どれだけの情報を得ていたというのか。わかって
いるつもりでも、蝉の『力』には驚かされる秋斗だった。
「ま、それはそれでいいとして……んで?」
 頭を掻きつつため息と共にこう言うと、秋斗は美海を見た。美海はずっと黙
り込んでいたのだが、唐突な呼びかけに驚いたらしく、え? と言いつつ顔を
上げる。
「『え?』じゃねぇよ……んで、お前は? これから、どーしたいんだよ?」
 ぶっきらぼうな問いかけに、美海はえっと、と言ってまた目を伏せた。しば
しの沈黙を経て、美海はあの、と細い声を上げる。
「探しに、行きたいです……綺麗な、海。約束、ですから……」
「え?」
 途切れがちの言葉、その中の『約束』という部分に今度は秋斗がとぼけた声
を上げていた。
「約束?」
「はい……お父様との、約束なんです」
 小声で答える美海を、秋斗はまじまじと見つめた。美海はやや上目遣いにな
って秋斗を見返す。黒い瞳には、何としてもその約束を果たしたい、という意
思の光が感じられた。
 秋斗にとってレーテとの『約束』が大切であるように、美海にとってもその
父との『約束』は大切なものなのだと、その光が物語っている。
(ツクリテと同じってのは、ちょっと引っかかっけど……)
 それでも、約束を果たしたい、という美海の想いには共感できるし、理解も
できる。何より、レーテがそうする事を望んでいた、と言うならば秋斗の選ぶ
道は一つだ。
「んじゃ、探しに行くか。失われた大切なモノ」
 ごく軽い口調のこの言葉に美海は一瞬目を見張り、それから、はい、と元気
よく頷いた。蝉も穏やかに微笑みつつ、一つ頷く。
「よっしゃ、決まりだな」
 二人の返事に秋斗はにっと笑い、それから空を見上げた。
 今は赤味がかって見える空。だが、そこにはかつて澄んだ青色が広がってい
た。
(どうすればいいのかは、わかんねぇけど……)
 失われたその色を取り戻すため、今はとにかく動いてみたい。そんな気持ち
になっていた。
(約束、だもんな……レーテとの)
 心の奥でこう呟くと、秋斗は蝉と美海に目を向ける。
「じゃ、行こうぜ。失われたモノを探しに、さ」
 迷いのない言葉に蝉はそうだね、と言いつつ、美海は無言のまま、それぞれ
頷いた。秋斗は腰掛けていた岩の塊から飛び降り、蝉と美海も立ち上がる。

 そして、彼らはゆっくりと歩き出した。

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突発性企画「蒼」