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   漆黒の告死天使

 都市の裏通り。そこには、異形たちの『舞踏場』が築かれる。
 狩人たちの追撃を逃れた異形たちは都市の奥まった場所に自分たちの空間を
作り、そこで力を蓄えている。この事実は『狩人協会』関係者でも、ごく一部
の者にしか知らされてはいない。知っているのは一部の幹部クラスと、Sラン
ク以上の認定をされたごく少数の狩人のみだ。
 かなり極端な例えではあるが、Aクラスのレイは『舞踏場』の事は知らない。
しかし、SSクラスのシャオに取っては、それは周知の事実だった。
 『舞踏場』の事がAAクラス以下の狩人たちに知らされていないのは、その
危険性故だ。外からは内部の様子は一切わからず、どれだけの異形がそこに潜
んでいるのかもわからない。半端な実力の持ち主では、異形の群れに返り討ち
にあうのがオチなのだ。
 協会の方でもそれは充分に理解しているらしく、『舞踏場』を発見してもS
クラス以上にしか通達はしない。しかし、Sクラスの狩人たちも『舞踏場』の
撤去に挑む事はほぼ皆無と言えた。培ってきた経験と勘が、『舞踏場』に関わ
る事の危険性を感知するのだろう。その撤去がSSクラス認定の唯一の条件と
言われても、生命には変えられない――一言で言うならば、そういう事だ。
 この現状において、唯一この危険な空間に挑める者――それが、ただ一人の
SSクラスハンター、シャオ・ウィン。『告死天使』、あるいは『蒼氷の魔公
子』と呼ばれている彼だった。

 ……ヒュッ!!
 甲高い悲鳴のような音を立てて、銀色の針のような物が飛ぶ。それは無表情
にそこに立つ青年の喉を、正確に狙って放たれていた――のだが。
「遅いな」
 感慨のない一言と共に、シャオはそれを難なく避けて見せた。針を放ったも
の――銀色の鱗に覆われた竜を思わせる外見の異形獣は、苛立たしげな唸りを
上げる。激しい怒りで爛々と輝く紅い目を、シャオは蒼氷色の瞳で見返した。
冷たい蒼の上には、感情らしきものはない。
 キシェエエエエっ!!
 異形獣が咆哮し、ヴンっ!という音と共に何かが空を切った。シャオは軽い
ジャンプでそれを避ける。異形獣が刺の生えた尾で薙ぎ払って来たのだが、シ
ャオを捉えるにはスピード不足だったらしい。彼でなければ、あるいは捉えら
れたかも知れないが。
 異形獣の力は、必ずしも一定ではない。種それぞれに力の強弱があり、その
度合いが何を生み出すかに結びつくのだ。力の弱い種は人に憑いても憑依体と
なるのがせいぜいだが、力の強い種は憑いた相手の状態次第で融合体となる事
ができる。
 そして融合体を生み出せるほどの種が異形獣となった場合、それは強大な力
を持つ怪物となるのだ。今、シャオと対峙している竜のように。
 だが、その強大な力も、シャオの前では意味を成さないようだった。
「手間を取らせるな」
 感情のこもらない言葉と共に、着地したシャオは再びアスファルトを蹴る。
その手には、漆黒の刃の美しい刀が握られていた。跳躍で距離を詰めてきたシ
ャオに向け異形獣は鋭い爪を備えた手を振り下ろすが、下を向いていた刃が上
へと弧を描く方がそれよりもわずかに早かった。
 グギェエエエエっ!!
 異形獣が咆哮し、今、振り下ろされた手が宙に舞う。細身の刀は恐るべき切
れ味を持って、異形獣の腕を切り落としていた。腕を落とされつつ、それでも
尾を繰り出してくる異形獣に、シャオは冷たい笑みを向ける。
 ……ざっ!
 乾いた音と共に、漆黒が乱舞した。シャオの背に、『告死天使』の名の由来
とも言うべき翼が現れる。漆黒の羽毛がふわりと舞い、異形の目の前からシャ
オの姿が消え失せた。
 キシェッ!?
「終わりにする」
 標的を見失い、困惑する異形獣を上空から見下ろしつつ、シャオは淡々とこ
う宣言した。声と気配に気づいた異形獣が顔を上げるのと同時に、漆黒の翼が
大気を打つ。
 ……ビュッ!!
 大気の引き裂かれる甲高い音が、鋭く響いた。黒い刃が急降下の勢いを伴っ
て振り下ろされ、異形獣の身体を斜めに斬り下ろす。
 ギシェエエエエっ!!
 絶叫が響き、銀色の竜の身体が崩れ始めた。シャオは振り下ろした刀の刃を
くるりと返して振り上げ、異形獣の中から丸い物体を弾き出しつつ自分も後ろ
へ飛びずさる。着地点で、シャオは今弾いた物――異形獣の核を受け止めた。
「駆除、完了」
 短い言葉とほぼ同時に、異形獣の身体は銀の粒子となって消え失せる。それ
を見届けると、シャオは翼と刀を収めて踵を返した。
「……」
 数歩、進んだ所でその歩みが止まる。
「何か用か、『碧の疾風』」
 気配を消してこちらを伺う者へ向け、シャオは振り返りもせずにこう問いか
けた。
「さすがだな、『告死天使』さんよ。つか、通り名で呼び合うの、やめね?」
 わずかな空白を経て、ぼやくような言葉と共に男が一人、横合いの路地から
現れる。鍛え上げられた体躯と背中の巨大な剣が、彼の稼業を端的に物語って
いた。
「何の用だ、ライオット・ブルー」
 姿を見せた男――Sクラスハンター、ライオット・ブルーに、シャオは改め
てこう問いかけた。
「なに、久々に姿見かけたもんだからよ。どーだ、メシでも一緒に?」
「おごらんぞ」
 ブルーの軽い誘いに、シャオはきっぱりとこう言い切る。にべもない物言い
に、ブルーはがく、とオーバーアクションでコケる。
「そりゃねーだろ! 万年業績一位の、ウラ長者番付ぶっちぎりトップの男が
ケチ臭いコト言うなよなあ〜」
「……用がないなら、オレは行くぞ」
 ぎゃーぎゃーと騒ぐブルーに冷たい一瞥を投げかけると、シャオはすたすた
と歩き出す。
「だーっ! じょーだんだ、じょーだんっ!! っとに、あいっ変わらずギャグ
の通じねえ男だなっ!」
 ばりばりと頭を掻きむしりつつ、ブルーは怒鳴るようにシャオを呼び止めた。
シャオは足を止め、静かな瞳をブルーに向ける。ブルーは、シャオとは対称的
に明るい碧の瞳で蒼氷色を見つめ返した。真剣な瞳に、シャオは一つ息を吐く。
「話は、聞こう。ただし……」
「ただし?」
 途切れた言葉に、ブルーは訝るように眉を寄せた。
「払いは、お前持ちだ」
 短い言葉に、ブルーはがく、と音入りでコケて見せた。

 下街の小さな酒場。そこは、狩人たちのたまり場の一つだ。ブルーの行き付
けだというその店の奥まった所に陣取ると、シャオはそれで? とブルーに問
いかけた。
「……それで、って?」
「一体、何の用だ」
「ああ……ま、そう慌てなさんなって♪」
 静かなシャオの問いを、ブルーは軽く受け流す。
「下らん用事なら、帰るぞ」
「そう、かっかとすんなって……それとも『リバーサー』の監視ってのは、そ
んなに余裕の持てねえモンなのか?」
「……っ!」
 軽い問いにさりげなく織り込まれた単語に、シャオの眉がぴくりと動く。こ
の反応は予想通りだったらしく、ブルーはにやりと笑って見せた。
「コワイ顔すんなよ。こちとら、いきなりガキの世話押し付けられて、四苦八
苦してんだぞー?」
「……引き受けたのか」
 短い問いにブルーはまぁな、と言って肩をすくめた。
「おかげでオレは今、家から追ん出されてんだけどな」
「追い出された?」
「ああ。キリト曰く、オレは掃除の邪魔なんだとよ」
 おどけた言葉にシャオはだろうな、と冷たく言い捨てる。ミもフタもない一
言に、ブルーはがく、とオーバーアクションでコケた。
「ま、そいつはともかくとして、だ。『あんなモン』を押しつけられたからに
は、やっぱその『理由』は気になるんでね。仕掛け人に直接、聞こうと思った
ワケだ」
 態勢を戻したブルーは、一転真面目な面持ちでこんな事を言う。シャオもや
や、表情を引き締めた。
「何故、オレが仕掛け人だと?」
「あいつを……リバーサーズシリアル08をリバースさせたのは、お前と同棲
してる07なんだろ?」
 リバーサーズシリアル、という言葉が、シャオの表情を更に険しくする。ブ
ルーはそれに気づいているのかいないのか、淡々と言葉を続けた。
「融合復帰体リバーサーズ……この都市で、最もワケのわからんモノ。それを
協会の管理下に置くのは、再暴走に備えてってコトか? Sクラス以上をくっ
つけとくのは、いざって時に始末しやすくするため、なんだろ?」
 畳みかけるような問いにシャオは答えないが、普段冷静な瞳に浮かぶ苛立ち
らしきものが、その心情を端的に物語っているようだった。そんなシャオの様
子にブルーはにやりと笑い、
「ま、お前のこったから、そんなモンは協会のイシアタマを手懐ける口実なん
だろーがな」
 口調を突然あっけらかんとしたものに切り替えた。シャオは拍子抜けするも
のを感じつつ、あのな、と嘆息する。
「わかっていて、何故わざわざ聞く」
「いや、やっぱ一応は確かめねーとな」
「……用は、それだけか」
「いんや、今のはついでだ」
 こう言うと、ブルーは表情を引き締めた。
「最初に確かめるが……今、この都市で、『翼』を自分の力にしてるヤツって
のは、どれくらいいると思う?」
 一際声を潜めて投げかけられた奇妙な問いに、シャオは眉を寄せた。
「数は多くあるまい。『翼』は人の身に在りえん物だからな」
「ぶっちゃけた話、お前と、お前のパートナーの二人だけ……だろ?」
「恐らくな。しかし、それが……」
 それがなんだ、という問いは、途中で途切れた。蒼氷の瞳はブルーが目の前
につき付けた物――銀色の羽毛を呆然と見つめている。らしからぬ動揺ぶりに、
ブルーはやれやれと息を吐いた。
「……どこで……これを?」
「東六区の奥に、『舞踏場』があるらしい。その近くで拾った」
 かすれた問いに、ブルーは静かにこう答える。
「東六区? 封印区に、か?」
「ああ」
 封印区。そこはかつて、中央政府直轄の研究施設があったと言われる場所だ。
だが、何年か前に起きた事故により閉鎖され、現在では地区全体の立ち入りが
禁止されている。
「ま、ハンターだって滅多に近づかねえ場所だからな。連中にしてみりゃ、最
高の隠れ家なんだろうけどよ」
 軽く言いつつ、ブルーは手にした羽毛を離した。ふわりと舞ったそれを、シ
ャオは難しい面持ちで受け止め、握り締める。
「シャオ」
「……予想通りであれば、なすべき事は一つしかない」
 低い呟きは、どことなく暗い決意を感じさせた。ブルーは僅かに眉を寄せる
ものの、そーか、と呟くだけだった。
「……ま、ムリはしなさんなよ。前と違って、お前、一人じゃねーんだろ? 
そこんとこ、考えろよ」
 軽い言葉に、シャオは何も言わずに立ち上がった。瞳が、いつになく冷たい。
その冷たさにブルーは何やら感じたようだが、やはり、何も言わなかった。
 わかっているからだ。シャオ・ウィンという男が、一度こうと決めた事を曲
げる事はなく、曲げさせるのは命がけである事が。
「情報、感謝する」
「あー、ちょっと待てって」
 ごく短くこう言って歩き去ろうとする背を、軽い言葉が呼び止めた。足を止
め、肩越しに振り返ると、ブルーは茶目っ気のある笑顔をシャオに向けていた。
「……なんだ」
「近い内に、のんびり飲もーや。キリトもな、お前のパートナー……レイっつ
ったか? その子に会って、礼を言いたいって言ってたからよ」
 軽い誘いにシャオは毒気を抜かれ、それから、微かな笑みを浮かべてそれも
いいな、と呟いた。
「ただし、おごらんぞ」
 さらりと付け加えられた言葉に、ブルーはまたオーバーアクションでかく、
とコケていたが。

「……」
 店を出て、人気のない通りまで歩みを進めると、シャオはずっと握っていた
拳を僅かに開いた。下街ではやけに淡く感じる昼下がりの陽光が、銀の羽毛を
煌めかせる。それを見つめていると、断片的なイメージがふと脳裏を過った。

 飛び散る銀と黒の羽毛。
 紅い飛沫。
 誰の物かもわからない、狂ったような笑い声。
 もう終わりにして、と叫んだのは誰だったか――。

「……所詮、逃げる事など叶いはせんか」
 自嘲的な笑みと共にこう呟くと、シャオはまた羽毛を握り締めた。
「東六区……封印区に、『舞踏場』か」
 行かなければならない。他の狩人たちが関わらないのが目に見えているとい
うのもあるが、何より、その『場所』はシャオにとって大きな意味を持ってい
るのだ。
「……取りあえず、一度戻るか」
 今すぐ行くかどうかの短い思案の後、シャオはレイと暮らすマンションへと
足を向けた。『舞踏場』の撤去というのは、その規模にもよるが四、五時間は
かかる大掛かりな作業だ。出かける事を予め知らせておかなくては、レイを不
安がらせてしまうだろう。ただでさえ、ここ数日は精神的に不安定になってい
るのだから、それを助長させるような事はでき得る限り避けたい。情緒不安定
が続けば、『力』を暴走させる事もあり得るのだから。

『それを協会の管理下に置くのは、再暴走に備えてってコトか?』

 ブルーの言葉が、ふと蘇る。
 融合復帰体リバーサー。異形種に囚われ、融合体となりながらもその呪縛を
逃れて人としての自我を取り戻した者たち。ブルーの言う通り、彼らはこの都
市で最も人の理解を超えた存在だろう。
 レイが種から救い、ブルーに預けられた少年キリトで一応八人目となるが、
この内四人は精神的な暴走が元で再び異形と化してしまい、結局は狩人たちに
よって『駆除』されている。残り四人中、二人は行方知れずで、後の二人、つ
まりレイとキリトは協会の監視下に置かれている。その監視の任に就いている
のがシャオとブルーなのだ。まあ、『監視』というのは名目上のものだが。
「……ん?」
 部屋の前までやって来たシャオは、中に人の気配を感じて眉を寄せた。レイ
がいるらしいが、昼を過ぎて間もないこの時間にいるというのは普通ではない。
訝りながら部屋に入り、奥の寝室を覗くと、
「……あれ……シャオ?」
 不思議そうな声が呼びかけてきた。ベッドの上には、どことなくぼんやりと
した表情のレイが座っている。シャオが来るまでは寝転んでいたらしく、長い
髪が乱れていた。
「どうした、こんな時間に?」
「ん……なんか、調子悪くて……バイト、早退しちゃった」
 問いかけにレイはかすれた声でこう答え、シャオは眉を更に寄せつつその隣
りに座る。
「具合が悪いのか?」
「そんなんじゃないけど……」
「……ムリはするな」
 言葉を濁すレイを、シャオはこう言って抱き寄せる。レイはそれに逆らわず
に身を寄せてきた。
(まだ、立ち直れてはいない、という事か)
 こんな分析を巡らせつつ、柔らかな髪を撫でてやる。
 レイの不安定さの原因はわかっている。数日前の事件――過去との遭遇と、
完全な決別だ。その衝撃から、立ち直れていないのだろう。
(……ムリもないな)
 追いすがってきた『過去』に、『現実』を突き付けるという、最悪の形で決
別をしたのだ。何でもない、と言ってはいても、相当に苦しいものがあったの
は、想像に難くない。
「……シャオ」
 それからしばらくして、レイがかすれた声で呼びかけてきた。
「ん? どうした?」
「あのね……なんでもない」
 言いかけた言葉をレイは飲み込んでしまうが、何を問おうとしているのかは
察しがついていた。何度となく繰り返されてきた問い――それに対する答えは
一つしかないのだが、絡み合った事情が言葉で答えを与える事を阻む。
 結果として――。
 俯いた頬に手をかけて上を向かせ、何か言いかける唇を唇で塞ぐ。細い身体
が一瞬だけ震えるが、レイはすぐに目を閉じて、口付けに応えた。
「……まだ……明るいよ……?」
 唇が離れると、レイはためらいがちにこんな問いを投げかけてきた。
「夜中に、出かける用事ができた」
 それに、囁きでこう返すと、レイはえ、と言って目を見張る。
「出かけるって、どこに?」
「……夜明けには、戻る」
「時間じゃなくて……」
「心配しなくていい……必ず、戻る」
 問いかけに、わざとはぐらかすように答えつつ、細い身体をベッドに押し倒
す。長く伸ばした栗色の髪が、白いシーツの上に乱れ飛んだ。
「もうっ……いつも、強引っ……」
「嫌か?」
 視線をそらしつつ言い放たれた言葉に短い問いで返すと、レイはううん、と
言って首を横に振った。
「嫌じゃ……ないけど……」
 言いかける言葉の先をまた、口付けで押さえ込んで。
 甘い空気に沈んで、溺れた。
 そうする事で、自分自身も抱えている不安を、一時忘れ去るために。

 そして、深夜。シャオは宣言通りに一人、マンションを出た。レイは大分落
ち着いたらしく、良く眠っている。起こさぬように気遣いつつ支度を整えたシ
ャオは、足早に東六区へと向かった。
 中央政府は下街には基本的に関与はしない。最低ラインのルールだけを定め
て後は放置しているのだが、この東六区に関しては立ち入りを厳しく制限して
いた。もっともそう言った規制の裏を勘ぐる者は後を絶たず、そしてその大半
が区画を取り巻く鉄柵を乗り越えたきり、消息を絶っているのだが。
「……」
 東六区と五区の境界までやって来ると、シャオは周囲を見回した。ブルーは、
六区の奥であの羽を拾ったと言っていた。それはつまり、中まで入り込んだ、
という事になるのだが。
「……入るだけ入って、戻った、という所か……ヤツらしいな」
 恐らくは異形を追い、その勢いで突っ込んだ、という所だろう。そこで深入
りせずに戻ってくる辺りがらしいと言えばらしい。そんな事を考えつつ、シャ
オは軽く身体を屈めてジャンプした。漆黒の髪がふわりと舞い、シャオは軽々
と鉄柵を飛び越える。
「……」
 着地と同時に、その表情が引き締まった。鋭い気配がその身を覆い、直後に
しなやかな身体が跳躍する。
「盛大なお出迎えだな」
 再び着地したシャオは、低く呟きながら刀を抜いた。紅い月光が照らす夜闇
の中、漆黒の刃が静かな輝きを放つ。その輝きにそれまでシャオがいた所に飛
び降りて来たもの――銀色の毛に覆われた異形獣がびくりと身体を震わせた。
シャオは一気に距離を詰めてそれを切り捨て、周囲に集まる気配に手にした刃
を向ける。
「だが……止められると思うな」
 呟いた、その次の瞬間。
 紅い月光の下に、漆黒が艶やかに乱舞した。
 煌めく刃が美しく舞い、次々と銀色の粒子を散らしていく。月光を受けてき
らきらと輝くその粒子の中を、長く伸ばした髪がふわりと流れた。
 走り出してから、わずか数分。それで、周囲に群がっていた異形獣は駆逐さ
れてしまう。大した力を持っていなかった――と言えばそれまでだが、それを
差し引いても凄まじいの一言に尽きる。
 異形獣の第一陣を退けたシャオは、抜き身の刀を手に走り出す。どこに行け
ばいいのかは、わかっていた。どこに『舞踏場』が築かれているのか、そこへ
はどう行けばいいか――封じた記憶が、『告死天使』を導いていく。
 途中、襲いかかる異形獣たちを薙ぎ払って道を開き、闇の奥へと向かう。そ
の表情には何故か、微かな苛立ちのようなものが見受けられた。
 やがて――。
「……やはり、ここか」
 『封印区』の中心にある建物の前で、シャオは足を止めた。半壊した、研究
所か何かを思わせるその建物は銀色の光に覆われ、それが妖しく明滅を繰り返
している。その銀の光が、ここに『舞踏場』が築かれている事を物語っていた。
「……」
 呼吸を整え、周囲を見回す。ブルーが羽を拾ったのはこの近辺だろうか。だ
が、見える範囲には銀色の羽らしきものはない。
「……囚われ過ぎるな」
 自分自身に言い聞かせるように呟くと、シャオは改めて目の前の建物を見、
ゆっくりとその中へ踏み込んだ。
 ぎっ……ぎぎゃっ!
 それを待ち受けていたかのように異形獣たちが襲いかかってくる。外にいた
ものたちと比べると多少は力が強いようだが、シャオの足を止めるには至らな
い。シャオはそれらを無造作に切り払い、奥へと向かった。

 ……ン……

 建物の奥へと進むにつれて、声のようなものが聞こえ始めた。
「……っ!」
 シャオの表情を一瞬、動揺らしきものがかすめた。

 ……オン……わた……の……

「……まだ、彷徨っているというのか……?」
 苛立ちを込めて、吐き捨てる。

 ……わたしの……あらたな……せか……

 声は少しずつ明確になって行く。周囲の壁は何時の間にか銀色の胞子のよう
な物に覆われ、生物的な雰囲気を醸し出していた。

「いつまで……」

 何かの繭を思わせる空間を走りつつ、シャオは低く呟いた。
 
 ……あらたな……せかいの……みちびき……

「いつまで、オレを縛りつける、その妄執は!」

 ヴンっ!

 苛立たしげな叫びと共に振り下ろされた刃が、目の前の銀色の壁を叩き斬り、
道を開いた。
「……っ……」
 踏み込んだ先にいたものに、シャオはぎっと唇を噛む。
「……いい加減にしろ」
 やや間を置いて、低い呟きが紅をにじませた唇からこぼれた。
 そこにいたのは、巨大な銀色の蟲だった。うごうごとうごめくそのフォルム
は何かの幼虫を思わせる。直視に耐えない不気味な蟲の頭部には、人の顔のよ
うな物が浮かび上がっていた。
 苦悶しているような、だが、どこか恍惚としたような、なんとも言い難い、
男の顔。
 それを、シャオはあからさまな怒りと嫌悪を宿した目で睨みつける。

 ……シ……オ……ン……

 男の顔の口元が動き、先ほどから響いていた声が名前らしき言葉を口にした。
「滅びを」
 それに対し、シャオは短くこう宣言する。ばさっという乾いた音と共に、漆
黒の翼が姿を見せた。

 ……あらたな……せかいを……

「望む者のない変化に、必然はない……過去の遺物はただ、滅び行くのみ」
 静かな言葉と共に、蒼く澄んだ光が空間に灯った。光の源は、シャオの手に
した刀だ。漆黒の刃からあふれる光はやがて、銀色の空間をその色彩で染め上
げる。その光の中に、銀色の蟲の姿は禍々しく浮かび上がっていた。

 ……もういちど……

 訴えかけるような声が響き、蟲の口から銀色の糸が吐き出された。シャオは
ふわりと舞い上がってそれを避け、着地と同時に糸を切り払う。
 蒼い光の中、断ち切られた銀色の糸が儚く舞い散った。
 不気味だが、どこか美しくもある空間を、漆黒の髪と翼が横切る。蟲との距
離を一気に詰めたシャオは、下段に構えた刀を一気に振り上げつつ、翼を羽ば
たかせて飛び上がった。刃は蟲の身体を容易く捕え、それを断ち切る。
 キシェエエエエエエっ!
 頭部の顔ではなく、蟲そのものの口から、奇声が迸った。斬った所から銀色
の粘液が噴き出すのを、シャオは優雅な舞でふわりとかわす。
「消えろ……永遠に」
 低い呟きと共に、シャオは蟲の頭部の顔へ向けて刀を振り下ろした。

 ……ナ……ゼ?

 その瞬間、男の口から、問いが発せられたが、シャオはそれに答える事なく
刀を振り下ろし、蟲を縦に両断した。

 ウグギシェエエエエエエ!!

 耳障りな絶叫を経て、蟲の身体が四散する。その直前にシャオは天井へ向け
て衝撃波を放ち、天井をぶち抜いて上空へと飛び上がった。

 真紅の月が照らす夜空に、銀色の閃光が駆け上がる。

「消え失せろ……忌まわしき悪夢と共に!」
 鋭い声が、夜の静寂を制して響き渡った。シャオは手にした刀を両手で持っ
て振り上げ、眼下の『舞踏場』目掛けて振り下ろす。刀を包んでいた蒼い光が
刃を離れ、それは幾筋もの稲妻となって『舞踏場』に降り注いだ。
 蒼い光が、全ての銀色を飲み込み、そして消え失せる。
 光に焼かれる異形獣の叫びが、しばし、夜をかき乱した。

「…………」

 やがて――月が、真紅から白へとその衣を替える。
 穏やかな静寂が、夜に満ちた。

「……『舞踏場』撤去……完了」
 小さく、小さく呟いて、シャオはゆっくりと、何もなくなった空間に舞い降
りる。そこにあるのは、建物の基礎部分だけ。それ以外には何もない。異形種
の核も含めた全てを、蒼い光は焼き尽くしていた。
「……全てを滅ぼす力……か。ふ……」
 虚無的な空間に立ち尽くしつつ呟く口元に、自嘲の笑みが浮かぶ。
「死を告げる者……『告死天使』には、おあつらえ向きだな」
 小さく呟くと、シャオはゆっくりと翼と刀を収めた。それから、静かに煌め
く月を見上げる。
 物言わぬ月。その白い輝きは、レイの翼を思い起こさせる。
 不安を抱えた戦乙女はどうしているのか。良く眠っていればいいが、悪夢に
眠りを破られたなら、また不安定に陥っているかも知れない。

『……ま、ムリはしなさんなよ。前と違って、お前、一人じゃねーんだろ? 
そこんとこ、考えろよ』

 ブルーに言われた言葉がふと過り、シャオは小さくため息をついた。
「一人ではない……か」
 呟く口元に、微かな笑みが浮かぶ。シャオはもう一度周囲を見回し、それか
ら、ゆっくりと歩き出した。
 今、帰るべき所へ向けて。


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