風の記憶

 ……『その事』を、身近に感じ始めたのは、いつだったか。
 今は、もう、覚えてない。

 ただ、それが避けられない事なのはわかっていた。
 何故なら、それが、課せられた『罰』だったから。

 土地への呪縛、決して消えない記憶。
 輪転すら断たれ、力を亡くせば消えうせる。

 『守護妖精』、と言えば聞こえはいいけれど、実際には、土地に永遠に呪縛
されている自分。
 全てに置いていかれる存在。
 ……今は近いぬくもりも、いつかは消えて、なくなってしまう。

 だから。
 だから、だったか。
 微かでも、それを、留めておければ、と。

 そんな風に考えて……。


「んー……と。
 よしゃよしゃ、いい感じっと……」

 ぶつぶつと呟きながら、スケッチブックの上で手を動かす。
 森の木の枝の上、風をまとって姿と気配を隠して、追っているのは赤い髪。

 何か、姿を留めたものを造っておきたい。

 そう、思ったら動かずにはいられなかった。
 でも、今の自分の技量じゃ思ったとおりの物は造れないのもわかっているか
ら。
 だから、その時のためにスケッチを残しておこう、と決めたのは、ついこな
いだの事。
『でもさー、ユーリィ』
「……なんだよ?」
『何も、こんなこそこそやらなくてもいいんじゃないのー?』
 相棒のヴィントの冷静な突っ込み。
 返す言葉が出てこなくて、固まった。
『……ユーリィ?』
「いや……ほら、その、なんだ」
『なにさ?』
 畳み掛けられて、思わず目をそらす。ヴィントは物言いたげな視線でじいっ
とこっちを見つめている。
『……ユーリィ?』
「気恥ずかしーだろ、こーゆーのって……」
 視線に耐え切れなくなってぼそぼそ呟くと、ヴィントは露骨に呆れたように
ため息をつく。
『あれだけ気恥ずかしいコトやらかしといて、今更何言ってんのさ〜?』
「……るっせぇな! それに……なんつーか、やなんだよ」
『や、って何がさぁ?』
「だから……理由話して、それで、構えられるのとか。
 ……できれば、自然なまんまで、ってのが、あるしさ」
 言いながら、手にした木炭を動かす。本来は細工のモチーフのスケッチのた
めのものだけど、ま、最終的には細工に使うんだから、師匠にも文句は言われ
ない。はず。
 一枚を描き上げてページをめくり、真っ白なページに黒で線を引く。
 今を、この瞬間を捉えたくて、とにかく描いて、描いて。

 ……それから。
 なんとなく、手を止めた。

『……ユーリィ?』
「……なー、ヴィント」
『なにさ?』
「なんで、俺……妖精なんだろな」
 零れた呟きに、ヴィントはきょと、と首を傾げる。
『なんでって……ユーリィ……フェーンは、妖精王と……』
「あー、そういうんじゃなくてさ。
 なんで、俺……人じゃ、ないのかなって……うん。

 妖精の森で、妖精として生まれて。
 森を飛び出して、ここに流れ着いて。

 ……ここにこれたのは、俺が妖精だったから……ってのも、あるかもだけど。
 でも」

 でも。
 今は、それが、苦しくて。

 ……続けなかった言葉は、決して吐かないと決めた、弱音。
 これを口にしたら、負けだと思うから。
 だから、絶対に言うつもりはなかった。

『……ユーリィ』
 それでも、途切れた言葉の先は伝わったんだと思う。ヴィントは短く、名前
を呼んで、それから。
『柄にもなく、難しいこと、考えなーい!』
 キンキンした声を上げながら、てちてちてちてち叩いてきた。
 痛くない……痛くはない、けど。
 ちょっとうっとおしいかもしんない。
「って、こら、ちょ、やめっ……」
 止めさせようとしたらスケッチブックを落としそうになって。
 それはまずい、と死守したら、体のバランスが崩れた。

「ちょ、まっ……」

 姿と気配は隠してるんだから、翅を広げればよかったのに。
 なんでかそれは思いつかなくて……そのまま、落ちた。
 衝撃と痛みに力の集中が破れる。それはつまり、見つかる、という事で──。

「……ユリアンっ!?」

 音に気づいて振り返ったミリィがこっちに来る前に、スケッチブックをリュ
ックサックに押し込めたのは、きっと、幸いだったんだと思う。

 スケッチを見られたら、やっていた理由は言わずにおれないだろうし……そ
れはそれで、まだ話していない『いつか』の事を芋づる式に教える事になるわ
けで。
 それは、まだ、言いたくなかったから。
 言ったら、悲しませそうな気がしたから。

「ん、ああ、へーきへーき、心配すんなって!」

 んでもって、今は。
 悲しい表情とかは見たくなかったから。
 打ち付けた部分が物凄く痛いのも我慢して、笑って見せた。
 ……心配そうな表情を、吹き飛ばしたくて。


 ……ふ、と風が、吹きすぎる。

 閉じていた目を開けば、そこにいるのは、自分ひとり。
 この場所で、一緒にいたのは、ずっと昔のこと。

「……逢いに、行くかな」

 風に溶ける呟き。
 人としての命が尽きる直前──その、最後の焔をも込めて作り上げた虹の水
晶細工。
 大切なひとを映した、水晶の天使像。
 ……まさか、それを巡ってあんな騒動が起きるなんて、夢にも思わなかった、
けれど。
 幸いにというか、その眠りは乱されなかったから。

「……オカリナ。どこかで売ってる……かな」

 ひとまず村に行こう、と思って歩き出し、ふと思い出した。
 人だった頃、好きでいつも持ち歩いていた楽器。
 久しぶりに人の姿を取ってるんだから、その間は、持っていようかと。
 そんな気持ちになりながら……。

「ついでに、硝子細工工房も、覗いてく、かな?」

 小さな声で呟いて、足を速める。

 ふわり。
 吹きすぎた風が、長く伸ばして一本にまとめた、今は黒に変えた髪を揺らし
て行った──。



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