Crimson cries

 まどろみから、目を覚ます。

 見ていたのは、夢。

 いつも見る、悪夢。 

 もうすぐ終わる。
 終わりにできる。
 与えられた血、その呪縛。

 そこから『解放』される。 


 ようやく、真紅の夢は終わる。


 足元にすり寄り、なぁう、と声を上げる黒猫。『主』と同じく、与えられた
血によって異形と化した使い魔を、そっと抱き上げて。
「……ようやく、本当の意味で眠れるな、フェーン。時間の止まった、『あの
時』から、ずっと望んでいたように……。
 これで、やっと………」

 黒猫を撫でてやりつつ、思いを馳せる。
 数年前の、『時間の止まった日』へ。

 全てを失った『あの時』へ。

 元々、神なんていないと思っていた。
 形のない神にすがるのは、弱い連中だけだと思っていた。
 変わる事をただ願うだけで、何もしない連中だけだと。
 だから、そんな連中の通いつめるその場所に、興味はなかった。 

 だけど、いつからだろうか。
 その、なんの興味もない場所に、ふと興味を覚えた。

 たまたま届け物をしたその場所で。
 一人の変人と知り合ったから。 

 そいつは言った。
『自分も神など信じない』
 と。でも。
『この場所の空気は嫌いじゃない』
 とも。
 
 正直、訳のわからない奴だった。
 真面目な話をしているかと思えばはぐらかし。
 冗談を言った直後に真面目な話をしたり。
 その変化に戸惑う俺にいきなり、『今晩、お前ん家で晩飯食わしてくれん?』
とか言ってきたり。
 何処から来たのか何者なのか、誰も知らない風来坊。
 奴と俺には、いくつかの共通項があった。
 まず、神を信じない、と言い切れる所。
 そして、知り合ったあの村では余所者だった所。
 酒があれば取り敢えず死なない、と言い切れる所。
 どうやら、両親がいない、という所。
 技術の師が、育ての親だという所。
 あとは……なんだっけか。
 ああ。一人の時間を邪魔されたくない所。
  勿論、同じくらい正反対な所もあった。
 俺は人付き合いは面倒がるけど、奴は八方美人で。
 俺はにんじん好きだけど、奴は大嫌いで。
 俺が最も面倒、と思っている女との付き合いに、奴は積極的で。
 そんな、似てるんだか違うんだか、良くわからない奴。
 そいつは、何故かいつも教会にいた。

『空気が好きだから』

 そんな、訳のわからない理由付けで。
 両親が事故死した時点で、神なんていないのだと。
 そう思っていた俺は、教会も大嫌いで。
 だから、師匠の言いつけでパンを届けるのも、最初は渋々だった。
 奴とは逆に、教会が大嫌いだったから。 

 そんな、俺にとって大嫌いな、『教会の空気』。
 それが好きだと臆面もなく言い切る奴に、ふと興味を覚えた。
 
 覚えなきゃよかったのに。

 ……そう思った時には、後の祭り。

 時、既に遅し、だった。

 物思いから立ち返り、つい、と黒猫をなでる。
「……ほんとに、な。あの時、興味なんて持たなきゃ良かったんだよ、な。そ
うすれば……」
 小さく呟く。今は血の真紅に染まった瞳は、虚ろに空を見やり。
 黒猫は、その顔をじっと見上げる。『主』と同じ真紅の瞳で。
 同じアヤカシの血をその身に止め、変化したモノたち。
 同じ色彩の瞳は、その証。定めを共有するものの印] 
「な、フェーン……俺は、正しかったのかね? 狼の血を取り込んで、それで
も生き続けた事は。
 あの時、あの場で、死んでおけば。
 その方が…良かったのかね?」
 虚空を見つめたまま、問う。答えがないのは、わかりきっているけれど。
 黒猫は何も答えず、ただ、『主』を見つめ。それから、『主』の手に残る真
紅の痕を舐め始めた。
「……フェーン? ……ん……ありがと、な……」
 使い魔の行動に、微苦笑が浮かぶ。
 真紅は、重ねてきた罪の痕。
 それを自ら取り込み、共有しようとする意思。
 それが……感じられた。
「でも……それでも……」
 小さく呟いて、また、想いを馳せる。
「……いつか、こうなる事は、わかっていた……」

 例え望まぬ形で力だとしても。
 それを止めている限り、いずれは真紅の悪夢へと堕ちる。
 わかっていた事。
 聞かされていたから。

「……そういや、何で俺はあの時、奴を追いかけたんだろうな。皆を殺して、
人狼と自ら明かした奴を。
『自分の始末は自分でつける』
 そう、言い残して……姿を消した奴を」
 
 不思議な風来坊と打ち解けてからしばらくして、血の惨劇が始まった。
 あらゆる手を尽くしたものの、村は滅び。
 そして、最後の人狼だった奴は、自らその事を告げた。

 ……俺の繰り出した刃を、自ら受けて。

 そのまま、放っておけば良かったのだと思う。
 そうすれば、俺は人として生き延びる事ができた。
 なのに。
 自ら刃を受けた奴が……どうしても気になって。
 ……教会へと、足を向けていた。 

『来なきゃ良かったのに、なんできたんだ?』

 それが、奴の問い。
 俺は、その時、なんて答えようとしたんだろうか。
 思い出せない。思い出したくないのかも知れない。
 
『……来なければ……生きてられたのに……人として』

 答えられずに立ち尽くしていた時に、投げかけられた言葉。
 直後に…思いもよらない事が起きた。
 
『殺したくなかったんだよ、お前だけは。そして……同胞にも、殺させたくな
い。
 だから……』
  
 言葉の直後にされたのは、血の味の、深い口付け。
 ……血を与えられ、抗う術もなく、それを飲み下すしかなかった。
 
『ここまで、人に惹かれるとは思わなかった』

 与えられた血が与える熱に浮かされる耳元に、囁きが落ちて。

『お前になら、殺されてもいいと思った』

 ……同時に、それとは違う熱が、身体に与えられた。
 ぬるりとした感触が、身体に触れる。
 それは、その前に俺自身がつけた傷からあふれた、奴の、血。 

『でも、殺してくれなかったからな……奪う。お前の、人としての生を』

 勝手な理屈。
 そう思ったが、抗う術はなく。
 侵蝕と陵辱が同時になされ、その熱に意識を失った。

 そして、目が覚めた時……奴の姿はなく。
 異形と化した自分と、愛猫だけが、そこに残されていた。

 黒猫の、なぁう、という声が、意識を現実へと呼び戻す。真紅の痕の薄れた
手に、黒猫は顔を擦り付け、また、啼いた。
「……大丈夫だ、フェーン。死は……恐れない。
 不思議なモンだな……これで、ようやくラクになれるってのに。
 そう思った途端に、何だか、遣り残した事があるような気がしてならねえよ。
 ……何も、ないはず、なのにな、もう。守るべきものも、目指すべき先も」
 ゆっくりと立ち上がり、空を見上げる。
 真紅の瞳に、迷いの色彩は、ない。

「さあて……行くと、するかね。終わりの待つ場所へさ」

 別に、裁きを受けるつもりはない。

 自分の始末は、自分でつける。

 だが、奴とは違う。俺には、巻き込まねばならないものなどいない。 

 何か巻き込んで、それで。

 怨嗟を続けて、何になる?

 怨嗟……怨嗟?
 

「……俺は……恨んでるのかな……? 俺を人狼に変えた奴を?
 人狼として、人を殺めなければならなくなったから?
 ……よくわからん……な……。
 まあ、どうでもいか……」 

 そんな呟きをもらしつつ。
 俺は、ゆっくりと、終焉の地へと歩き始めた。

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