迷い道、その先は

 その時願っていたのは一つだけ。

『大切なものを護りたい』

 そのために剣の道へと進み、修練に打ち込んだ。
 ひたすらに。ただひたすらに。
 国を追われ、辺境の地にひっそりと隠れ住む事を余儀なくされた一族の皆を。
 その皆を、いつも明るい笑顔で元気付けていた巫女姫を。

 ただ、護りたくて──力を求めた。
 そうして、力を求めれば求めるほど、巫女姫の笑みに寂しげなものが過ぎる
事に、微かに疑問を抱きつつ。

 そうして、力を求めつつ、しかし。
 護りたいと望んだものは、何一つ──護れなかった。

 襲撃者たちの策に踊らされ、護るべき者たちから離れてしまったために。
 急ぎ取って返したものの、隠れ里に辿りついた時には、全てが失われていた。

 ……自分の命も、最早、無用と。

 そう、思い定めつつ、愛刀を振るい続けた。
 意識が途切れた後には、二度と目覚めはないものと、そう、思っていた……
はずなのに。

 ふと気がつくと、光が感じられた。
 鳥の囀る声と……人の話す声が聞こえる。

(……いきている?)

 それを感じ取り、そして、同時に疑問を感じる。自分は、何故生きているの
か、と。
 ゆっくりと目を開けて起き上がり、周囲を見回す。見覚えの全くない、こじ
んまりとした寝室。一体、ここはどこなのか、とぼんやり考えていると、唐突
に扉が開いた。
「……っ!」
 覚えのない気配に、反射的にそちらに対して身構える。その瞬間、全身に激
痛が走った。
「……くっ……」
「おやおや……無理をしてはなりませんよ。まだ、傷は塞がっていないのです
から」
 その痛みを堪えていると、入ってきた気配が近づいてきてこう呼びかけてき
た。視線を上げると、穏やかな笑みを湛えた眼鏡の男と目が合う。
「おま……え、は?」
「私は、ヘンリー。この村の教会を預からせていただいております。貴方の名
を、お聞きしてもよろしいですか?」
「……紫苑……だ」
「……シオン殿、ですね。とにかく、今はお休みなさい。無理をすべきではあ
りません」
 名を告げると、ヘンリーと名乗った男はわずかに目を細めてこう言った。従
う義理はない……と思いつつ、しかし、激しい痛みが動きを妨げているのは事
実であり、その言葉に逆らうべくもない。
 声を出すのが辛かったので一つ頷くと、ヘンリーはそれでは、と言って部屋
を出て行く。その気配が遠のいたところで、再び寝台に身を横たえた。
「……」
 差し込む日差しが光と影を描く天井を、ぼんやりと眺める。
「……何故……俺だけが……生きている?」
 それから、ずっと抱えている疑問を小さく呟いた。

 護るべきものを何一つ護れず。
 掲げた誓いも果たせぬままで。
 何故、生きているのか。
 死して、護れなかった者たちの許へ赴き、詫びる事も赦されないという事な
のか。

 そんな思いに囚われている内に視界が霞み──意識が、途絶えた。

 今度こそ、目覚めないのではないか。
 ふと抱いた淡い期待は、次の朝に呆気なく打ち砕かれてしまう。
 そんな虚しい時間の交差を、幾度も繰り返したような気がする。
 回復を望みたくなくて食事を拒めば半ば強引に食べさせられ、治療を拒んで
も同じ事。
 このため、数日の後には身体の痛みはだいぶ和らいでいた。
 ただ、身体の痛みが失せるのに伴い、全く違う痛みは日々、募るような心地
がしていた。

 何故、自分だけが生きているのか。
 何も、護れなかったというのに。

 答えの出ない自問自答が意識を、心を責め立てる。
 それを繰り返していた、ある夜。

「具合はどうです、シオン殿?」
 普段は昼間にしか顔を出さないヘンリーが。珍しく夜に訪れた。手には、杯
の乗った盆を携えて。
「傷は……だいぶ、いい」
「そうですか。それは、何よりです」
 問いに短く答えれば、ヘンリーはこう言って穏やかに微笑む。だが、何故か
その笑みの陰には険しいものが感じられた。
 気が、いつになく張り詰めている。
 その様子を訝っていると、ヘンリーは盆を卓に置いて椅子を引き、ゆっくり
と腰掛けてこちらを見つめた。
「シオン殿」
「……何か」
「一つ、お聞きしたいのですが、あなたは……」
「俺が……なんだ?」
「何故、そうまでして、頑なに生を拒むのですか?」
 静かな、問い。
 それに対してどう答えるべきかわからず、言葉が詰まった。
「一体何があったのか、深くは聞きません。しかし、あれだけの深手を負いな
がらも取り留めた生命を、疎かにしようとする態度は、私には理解できぬので
す。
 何故……なのですか?」
「そんな事は、あんたには……」
「関係ないかも知れませんが……ですが、もしかしたら、何かお手伝いできる
やもしれませんよ?」
「手伝い……?」
「迷い道の、先へ抜けるお手伝いを」
 静かに笑んだまま、ヘンリーはこう言いきった。
「迷い道……」
「全てを話してくれ、とは申しませんが……話せる部分だけでも聞かせてはも
らえないでしょうか? そうすれば、あなたが進むべき道を示唆して差し上げ
る事もできるかと」
 静かな、言葉に。軽く、唇を噛んで、目を伏せる。
「俺は……何も、護れなかった」
 それから、しばしの沈黙を経て、かすれた声でこんな呟きをもらした。
「護れなかった?」
「護ると決めたものを……何一つ。そのために力を得たはずなのに……」

 護るはずの力で行なったのは、虐殺。
 それ自体を悔いるつもりはない──策を弄して一族を滅ぼした者の手先など、
どれほど斬り倒しても心が痛む道理がない。
 ただ。
 襲撃者たちを斬り、紅を舞わせる度に。
 何故か、巫女姫の悲しげな笑みがちらつき、それが辛かった。
 何故、悲しまれるのか。それが……わからなくて。

 そんな事を、途切れがちに話した。
 ヘンリーは黙って聞いていたが、話が一区切りすると小さくため息をつき、
そして。
「護るべき者を、護れなかった。それ故に、あなたは自分自身を赦す事ができ
ない……と?」
「……そうだ。だから……」
 だから、死して償いたい。
 皆の許へ行き、謝罪したい。
 言葉に表さずとも、その思いは伝わったらしく、ヘンリーの表情がやや険し
くなった。
「……では何故。あなたは今、生きて私と言葉を交わしているのです?」
「……なに?」
 全く思いもよらない問いかけだった。
 何故生きているのか、と言われても、そちらがこちらに死を選ばせなかった
のではないか──そう、反論しかけて、しかし、それが矛盾を孕んでいる事に
気づく。
 自決しようと思えば、いつでもできたはずなのだ。
 愛刀こそ室内のどこにも見えないものの、不測の事態に備えて常に携帯して
いた短刀は、手元に残されているのだから。
「シオン殿」
 答える術もなく、先ほどよりもきつく唇を噛み締めていると、ヘンリーが静
かに呼びかけてきた。
「先ほど……他者を傷つける度に、亡くされた方が寂しげにしてるのが見えた
……と仰いましたね」
「……ああ」
「あなたは、それは何故だと思いますか?」
「……わからん」
「そうですか。私は……何となく、わかるような気がします」
「……なに?」
 静かな言葉に、思わず顔を上げる。ヘンリーの目は口調と同様にとても静か
で、そして、厳しい物を湛えていた。
「きっと、その方はあなたが戦う事が辛かったのではないでしょうか。戦って
……他者を、傷つける事が。そして、あなた自身が傷つく事が」
「俺が傷つけ……傷つく事を、憂いていた? 何故?」
「それはわかりませんが……私には、そのように思えるのです」
「……」
 何が言いたいのだろうか、この男は。
 ふと、こんな思いが脳裏をかすめる。
 そうすると、ヘンリーはそれに気づきでもしたかのように表情を緩め、苦笑
して見せた。
「シオン殿にとって、『護る』という事は『殺める』という事なのですか?」
「……なんだと?」
「そうではないのでしょう?」
「……勿論だ」
 求めていたのは、護るための力。結果としてそれで他者を殺める事になり得
る事は、わかっていたけれど。
 それを──『殺める』事、それ自体を望んではいなかった……いなかったは
ずだ。
 自信が揺らぐ。
 本当にそれを──『殺める』事を望んではいなかったのだろうか、と。ふと、
そんな事を考えてしまう。
「……シオン殿」
 考えの輪の中にはまり込んでいると、ヘンリーが静かに呼びかけてきた。
「シオン殿は、これから、どうなさりたいと思っておいでなのですか?」
「これから……?」
「いつまでも、ここで悩んでいるおつもりではないのでしょう? いえ、私は
一向に構わぬのですが」
 静かな問い。それにどう答えればいいのかわからず、一度は上げた目を再び
伏せる。
「シオン殿。もしどうしても、生き続ける事を許せぬのであれば……これを」
 静かな言葉と共にヘンリーは卓の上に置いた杯を手に取り、差し出してきた。
「……これは?」
「『毒』です。飲んで眠りに就けば、あなたの願いは叶うでしょう」
「……『毒』?」
 思いもよらない言葉だった。人に生きる道を説く聖職者が、人に死をもたら
す物を勧めると言うのは、どういう事なのか。
 そんな疑問を込めた視線をヘンリーは静かなままで受け止め、そして、杯を
握らせてきた。
「あなたがどのような道を選ぶのか……それは、私には決められぬ事。迷い道
を抜けるための術は示唆できるとしても、実際にそれを選び取るのは……あな
た自身なのですよ、シオン殿」
「選び取るのは、俺自身……」
 静かな言葉を繰り返しつつ、渡された杯を見つめる。杯の中は、鮮やかな真
紅の液体で満たされていた。
「では、私の話はそれだけです」
 こう言うと、ヘンリーは卓の上に置いた盆を持って部屋を出て行ってしまう。
扉の閉まる音が、やけに大きく室内に響くような気がした。
「……『毒』……」
 杯の中の真紅を見つめつつ、呟く。
 これを飲み干して眠りに就けば。
 そうすれば、皆に会えるのだろうか。
 皆に会って──謝罪する事ができるのだろうか。

 ふと、逡巡している自分に気づく。
 生きている事に意義を見出せぬと言いつつ、何故、悩むのか。

 そんな考えがふと過ぎり──そしてそう思った瞬間、一気に杯の中身を乾し
ていた。

 激しい熱が、喉を通り過ぎる。
 直後に圧し掛かる、目眩のようなものに意識が押し込まれ──。

 全てが、暗闇に閉ざされた。

 それで全てが終わるのだと。
 そう、思っていたはずなのに。

 何故か……夜明けが訪れた。

「……何故?」
 『目を覚ました』という事実と、そして、自分がいる場所が変わらない事実
に、こんな呟きがもれた。
「……生きている……? どういう事……なんだ?」
「やあ、ようやく起きましたね?」
 状況が把握できずにいると、扉が開いて明るい声が呼びかけてきた。振り返
った先には、腕に布らしき物をかけたヘンリーが立っている。
「起きたも何も……」
 これは一体どういう事なのか。そう、問うよりも早く。
「さ、早く支度を済ませてくださいね。今日は不問としますが、明日からは、
寝坊は許されませんよ、ジム?」
「……は?」
 ヘンリーはにっこりと笑いながら、全く知らぬ名で呼びかけてきた。
「何をぼんやりしているんですか、まったく……ジム、は君の事でしょう? 
神父見習いのジムゾン。ここに来るまでの疲れで、記憶がどうかしてしまいま
したか?
 さ、早く起きてください。昨夜亡くなられた剣士殿を弔って差し上げなくて
はなりませんからね」
「昨夜亡くなった、剣士……」
 それは、まさか。
「そう……シオン殿、と仰いましたか……さ、そんな話は後回しですよ、ジム。
君には、色々と覚えてもらわねばなりませんからね?」
 問うよりも早く出された答えに、言葉が失せる。
 ヘンリーの言葉から察するに……『紫苑』という名の自分は『死んだ』事に
なっており。
 ここにいる自分は『ジムゾン』である、という事。
 それが何を意味するのか、しばし思い悩み──そして、ようやく一つの答え
にたどり着く。
(紫苑としての俺は、『毒』をあおって死んだ……そして、ここにいるのは、
見習い神父であるジムゾンである……)
 血に染まった過去を切り捨て、新たな道を選べと。
 それが、『毒』を渡したヘンリーの真意。
 そして、自分は……『紫苑』は、そのための『毒』を受け取り、死んだ。
 要約すれば、そういう事になるのだろう。
「……どうしました、ジム?」
 自分なりに考えをまとめていると、ヘンリーが静かに呼びかけてきた。それ
に、なんでも、と答えてゆっくりと寝台から起き出す。
「そうですか……まあ、慌てず、ゆっくりとやって行きましょう……道は、先
へ先へと続いているのですから、ね」
 穏やかな笑みと共に投げかけられた、言葉。
 それに……自分ははい、と素直に頷いた。

 ……それから、見習い神父としての生活が始まり。
 ある程度の経験と知識を蓄えた所で、師となったヘンリーの許を離れる事が
決まった。
 そしてたどり着いたのが、この小さな村。
 星狩りの村、と呼ばれるこの地で、今はゆっくりと暮らして……。
 ゆっくりと……。

「……トーマスさん? 建造物の内部で破壊活動をなさいませんように、と私、
以前から申しておりましたよね?」

 家具や柱の破壊された宿の中で、その破壊の当事者に飛び蹴りを食らわす生
活が、ゆっくりとしているのかどうかはさておき。
 この地での暮らしが、心休まるものなのは、確かな事。
 ……願わくば、失われてほしくはない、平穏。叶うならば、これは守りたい、
とそう願っている。

 そのためにならば、再び刀を振るう事も辞さない覚悟を常に抱えつつ、しか
し。

(……願わくば、我が愛刀の封を解かずに、過ごしていきたいものだが、な)

 厳重に封をした愛刀を思いつつふと浮かんだ事。
 それは、剣士として死して以来、ずっと思い続けている事だった。

 ……何はともあれ、今は。

「……疾風、爆連蹴っ!!」

 生活の場を維持するのも、大事な事と割り切りつつ、蹴り技を繰り出す。
 そんな日々を、悠然と。
 迷い道の先に見出した生き方で、ゆっくりと、過ごすのみだった。



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