落葉楽奏

 緩やかにたゆたう、秋の森の大気。
 色彩を散らし、移ろい行く時間。

 以前の彼であれば、それらの事象になんら感慨も受ける事はなかっただろう。
 時の流れから忘れ去られ、ただ罪を贖うためにだけ、存在し続けていた頃で
あれば。

 だが。

「……季節が巡るのだな……冬が、来るか」

 ひやりとした空気の感触に、呟く。
 色付く木々へと向けられた真紅の瞳は、さらりとした金の髪を揺らす風の感
触を楽しむように、わずか、細められていた。

「……」

 ごく自然に、手が、抱えた竪琴の弦へと滑る。
 澄んだ音が一つ、弾け。
 やがてそれは数を増やし、緩やかな旋律となって風に散った。

 静寂を乱す事なく、しかし、確たる存在を主張する、旋律。
 その音色は柔らかく、穏やかな響きはそれを奏で、紡ぐ者の心に陰りがない
事を伺わせた。
 しかし、穏やかさは長くは続かず──不意に、旋律が途切れた。それと前後
して深い緑の外套が翻り、彼はその場に膝をつく。

「く……」

 うめくような声をあげつつ、右肩を掴む。

「あくまで、俺の平穏は否定するか……罪深き竜魂よ」

 内に宿したもの──竜魂へと問うが、答えはない。いや、ある訳がないのだ
が。竜魂の意識はその封印の守人であった聖魔獣によって完全に押さえ込まれ
ているのだから。
 故に、問いへの答えはないものの、肩に走る痛みは肯定の意とも取れた。

「だが……俺はお前に屈しはせぬ。
 咎人としての業に、無為に囚われはしない……もう、二度と」

 かすれた呟きには、確たる決意が込められていようか。
 二度と、囚われまい。迷いも持つまい。
 それは、再び手を取った時に固めた決意。
 それは転じて、この強大な業をなんとしても鎮めんという決意の現れでもあ
った。
  人ならざるモノであり続けようとする自分を、人の世界へ繋ぎ止めようとす
る者の瞳を、陰らせぬという決意。
 その強き意思は竜魂を押さえ込み、痛みを退けた。

「……ふう」

 一つ息を吐いて額に滲んだ汗を拭う。
 連れたちがいなくて助かった、と思った。こんな姿を見せたら一体どんな顔
をされ、何を言われるか。
 別に格好をつけたい訳ではないが、しかし、余計な心配をかけたくない、と
いう気持ちは、彼の中ではそれなりに強い。

「それにしても……一体、どこまで行ったのか、二人とも」

 膝をついた弾みで落ちた帽子を拾い上げつつ、呟く。
 連れたちは、この森に入って間もなく、木の実を探してくる、と言って駆け
出して行ったのだが。

「……にこ?」

 探しに行かねばなるまいか、と思った矢先、甲高い声が呼びかけてきた。振
り返れば、翼を供えた白い猫が、真紅の瞳でじっとこちらを見つめている。

「アトル……」

 一人なのかと問おうとした言葉が、途切れる。
 白い猫の、彼と同じ真紅の瞳。そこに宿る色彩の険しさが、言葉を途絶えさ
せた。

「これだけは、ゆうておく。無理はするでないぞ?」
「無理……? 俺は別に、無理など……」

 してはいない、という言葉は、途中で途切れた。
 白い猫──アトルは、竜魂の守人。
 竜魂に何か異変があれば、すぐさま察知する。
 更に付け加えるなら、彼とも魂を共有しているのだ。誤魔化すのは、至難の
業といえるだろう。

「……わかっている。今は、俺一人ではないのだからな」

 途切れた言葉は飲み込んで、全く違う言葉を、ため息に乗せて口にする。こ
の返事に、アトルは満足げに尻尾を揺らした。

「ところで、アトル」
「にゃー?」
「……お前、一人か?」
「にゃう?」

 先ほど聞きそびれた問いを改めて投げると、アトルはとぼけた様子で首を傾
げた。

「……にゃう、ではなかろう」

 やや呆れつつ、口調を厳しくして問うと、アトルは尻尾の先で器用に森の奥
を指し示した。

「りなちゃ、あっちにゃ」
「……あっちにゃ、ではなかろうがっ!」

 お気楽な物言いに憤りと呆れをほぼ半々に感じつつ、指し示された方へと走
り出す。
 翻る緑色の外套が鮮やかな森の奥へと消えると、聖魔獣はふう、とため息を
ついた。

「まこと、救いようのない……鈍感じゃの、アレは」

 ゆらり、尻尾を揺らしつつ。
 聖魔獣はこんな呟きをもらしていた。

 そんな呟きの事など露知らず、森を駆け抜ける。

 感じるのは、微かな不安。
 不安が示すのは、喪失。

 走りながら、ああ、と思う。
 共に旅立ってから、じき、一年になるだろうか。
 共にある事に安堵しつつ、しかし、どこかで感じていた不安。
 それは……再び喪う事への不安なのだと。
 その事が、妙に鮮烈に感じられた。

「まったく……情けない」

 自嘲を帯びた呟きが、ふとこぼれる。
 それが示すのが、不安を感じている事なのか、それとも、不安を元に竜魂に
揺さぶられている事なのかは、定かではないけれど。

 ただ……そんな、感情の揺れは、久しく感じる事のなかったもので。
 ずっと忘れていたような心の動きを再び目覚めさせてくれた者、それが掛け
替え無い事が、改めて、感じられた。

「……」

 ふ、と足が止まる。
 森の中の小さな広場、その中央に探していた者の姿があった。
 落ち葉の上に横たわる姿に一瞬ひやりとするものの、眠っているだけなのは
すぐにわかり。
 安堵の息をもらしつつ、その傍らに行って膝をつく。
 起こそうか、と思ったものの、余りにも気持ち良さそうに寝ている姿に気が
引けてしまい、結局、自分の外套をかけて目を覚ますのを待つ事にした。
 とはいえ、ただ待つのも手持ち無沙汰なので、ずっと抱えていた竪琴を構え、
その弦に指を滑らせる。

 紡がれる旋律、穏やかな静寂。
 先ほどと良く似た……しかし、先ほどよりも、ずっと安らげる空間。
 その只中で、彼は小さな決意を、心の隅に固めていた。

 この穏やかさを喪わぬように。
 宿したものに、決して屈しまい、と。

 真紅の瞳を、つと、梢越しの空へと向ける。
 自分は咎人。その認識は変わらない。
 だが、罪は贖える。贖う事が叶う。
 だから。

「諦めぬ……カタリナと、同じ刻を、生きるために」

 決意を込めた呟きを飲み込んだ風が、天へと舞い上がり。
 ふわり、色とりどりの落ち葉を散らした。



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