遠き日の思い、それ故に

 ……声が、聞こえる。
 子供たちのはしゃぐ声。

 ああ。
 いいなあ……平和で。

「……アルビン殿?」
 窓の向こうから聞こえてくる声につい聞き入っていると、静かな声が名を呼
んできた。
 振り返れば、凛、という表現の似合うまだ若い女性が、睨むようにこちらを
見つめている。

 ……ああ、またやっちゃった。

 微かに苛立ちを帯びた瞳に、ふとこんな思いが頭を過ぎった。
 いけないいけない、営業中によそ見するなんて、行商人失格だ。
「あ、と、すみませんです〜。ええと、どこまでご説明しましたっけ?」
 慌ててマニュアル通りの笑顔を作りながら、目の前の女性、パメラさんに問
う。この反応に、パメラさんはふう、とため息をついて軽く前髪をかき上げた。
「心、ここに在らずもいい所だな……一体、何に気を取られているのか、説明
していただけるかな?」
「あ、それは……」
 どう説明したものか、と思いつつ、つと視線を窓の向こうへ向ける。
 窓の外に見える広場では、村の子供たちと『喋る人形』チャーリーさんが楽
しげなお喋りに興じていた。
 ぼくが先ほどから気を取られていたのは、この声。
 元気のいい子供の声を聞いていると、何ていうか……もの凄く、気が休まる
から。
「……アルビン殿? まさかとは思うが……」
 いつの間にか同じように窓の外に視線を向けていたパメラさんが、低い声で
呼びかけてきた。
「……はい?」
「子供たちに混ざって遊びたい……などと、考えられたのではあるまいな?」
「……はぁ?」
 自分でも予測がつかないくらいに、間の抜けた声が出た。
 いや、まあ……確かに、子供っぽい、と言われる事の多いぼくだけど、こん
な事を聞かれたのは初めてで、更に、パメラさんの表情が真剣そのものだった
事もあって……。
 次の瞬間。
 ぼくは堪えきれずに笑い出していた。

 いや、笑っちゃいけない場面なんだけど。
 それにしたって……。

「……アルビン殿?」
 パメラさんがまた、呼びかけてくる。
 ……声が更に低くなっているのは、多分、気のせいじゃ……ない。
「す、すみませんっ……でも、まさか、そんな事聞かれるなんて思わなかった
から……」
 どうにか笑いを押さえつつこう答えると、パメラさんは怪訝そうに眉を寄せ
た。
「では、なんだと?」
「いいなあって、思って。子供たちが、明るく笑ってるのが……」
 こう言うと、ぼくは窓辺に近寄って遊んでいる子供たち──リーザさんと、
ペーターさんとを見た。
「取り立てて、珍しい事でもないと思うが、それは?」
「……そうかも知れないですけど……そうじゃない、子供たちって、結構いま
すからね……人狼の被害にあって、笑う事を忘れてしまった子供たち……商い
先で見かける事があります。それに……」
 ここで一度言葉を切ると、パメラさんは、それになんだ? とその続きを促
してきた。
「ぼくも、そんな子供たちの一人でしたから、ね」
 振り返りながら言葉を続けると、パメラさんはほんの一瞬表情を強張らせた
ようだった。
「アルビン殿……も?」
「ええ。故郷の村が人狼に襲われて……両親と、幼馴染を失いました。生き残
ったぼくは、その時村に滞在していた行商人……まあ、ようするに今の上司な
んですけど、その人に引き取られて育てられたんです」
 昔語りなんて、する必要もないのに。
 気がついたら、身の上を話している自分がいた。

 ……そう言えば、笑う事を思い出せたのは、いつだったっけ。

 いつの間にか──そう、ほんとにいつの間にか。
 色んな所を回って、色んな人と接するうちに、自然に思い出せていたような
気がする。
 そして、思い出せるまでの間は、何もいらない、という絶望感にいつも苛ま
れていた。
 ……一人だけ生き延びた事は、それだけで重圧だったから。

「……そんな事もあって……この村の子供たちが、明るく笑ってるのって、ぼ
くとしては何ていうか……すごく、嬉しい事なんですよ」
 横道にそれた話題を強引に修正しつつこう話を結ぶと、パメラさんはそうか、
と小さく呟いた。

 その瞳に深い陰りがあるように見えたのは、ぼくの気のせい……なんだろう
か?

 そんな事をふと考えつつ、ぼくはパメラさんの机の前に戻って商品カタログ
を持ち直す。パメラさんも表情を引き締め、ぼくらは再び商談に入った。

 そして、それが一段落した後。

「なあ、アルビン殿。アルビン殿は……人狼を、憎んでいるか?」
 パメラさんがこんな問いを投げかけてきた。思わぬ問いに、ぼくはえ、とと
ぼけた声を上げる。問いかけるパメラさんの真剣な眼差しがその戸惑いを強く
するものの、それは同時に、いい加減な返答は許されない事を物語っているよ
うにも見えて、ぼくも自然と表情を引き締めた。
「そう、ですね……親しい人を奪った人狼を憎む気持ちは、消えていない……
と、思います。でも……」
「……でも?」
「でも、いつまでもそれに囚われていても……死んだみんなは、生き返らない
し。それに、誰かを憎み続けたり恨み続けたりって……辛いですから。だから、
考えないようにしてますね」
「憎み続け、恨み続けるのは、辛い……」
 言葉の一部を反芻するパメラさんに、ぼくはええ、と頷いた。
「だから、別に人狼だから無差別に憎むっていうのは、ぼくにはないかな。も
っとも……」
 ここで、ぼくはもう一度窓の外を見た。
「あの、ささやかな平穏が、打ち砕かれるのであれば……きっと、話は別でし
ょうね。子供たちの命や、心。それが犠牲になるのは……ぼくには、許せない
から」
 小さな声で、呟くように、譲れない意思を言葉に変える。
「そう……だな……子供たちには、犠牲になってほしくはない、な……」
 やや間を置いてパメラさんが小さく呟いた。妙に苦しげなその響きにふと疑
問を感じて振り返る。でも、その時にはもう、パメラさんの表情はクールな事
務員のそれだった。

「……結局、なんだったんだろうね、にぃ君?」
 村役場を出つつ、肩に乗せた相棒にこんな問いを投げてみる。にぃ君はさあ
ね?とでも言いたげに首を傾げて見せた。
「話を横道に逸らしたのはぼくだけど、なんであんな事聞かれたのかなぁ?」
 そんな疑問を口にしつつ、宿へ向かって広場を横切ろうとすると、
「あ、アルビンさーん」
「お兄ちゃん、お仕事終わったのー?」
 広場で遊んでいたペーターさんとリーザさんが手を振りながら呼びかけてき
た。
「はーい、おかげさまで商談も一区切りしましたよー♪」
 それに手を振り返しつつ、にこりと微笑んで見せる。

 当たり前の明るさ。当たり前の笑顔。
 それに束の間、安らぎつつ、ぼくはこの穏やかさが失われぬ事を改めて祈っ
ていた。

 思わぬ会話で思い出したもの。
 遠き日の思い、それ故に。

 ☆言い訳

 F137アルビン、騒動開始前のヒトコマ。
 ……実は、書き差しで放置してましたすみませんorz
 『月に祈りて』で、アルビンが子供たちが犠牲にならないように、と強く願
った理由を解説しておきたくて書き下ろしてみました。



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