影と影──精霊王と竜王と

 ──それの訪れは、本当に唐突で。

「……久しいな、元気にしているか?」

 第一声は、そんな軽い言葉。その物言いも声も、多少懐かしいと感じるもの
の、良く知っている相手のもので。

「……お久しぶり。ま、俺の方は見ての通り、かな?」

 だから、返す言葉も声も、以前と変わらず──いや、向こうは恐らく気づく
だろう。
 その声から。そして、表情から。
 陰りと呼べるものが薄れている事に。

「それは何より……と、そうそう。月闇卿の娘御を娶ったと聞いた。ついに、
お前も敷かれる立場となったか」
「……そりゃ、どういう意味だよ……ったく」
「どういうも何も……言ったとおり以外の何があると?」
「あのなあ……ま、どこまでも相変わらずみたいだな、イズ」
「お前もな、ハヴ」
 一しきり言葉を交わし、そして、二人は笑みを浮かべる。
 一見すると、取り立てて代わった所もない、旧知の者同士の再会の一幕のよ
うなそれ。
 しかし、力の流れに敏感な者であれば、そこにあるものを感じ取った事だろ
う。

 とても純粋で、そして、大きな──影輝の力を。

「……で、わざわざ竜卿からこんなど田舎まで飛んできたのは、人をからかう
ためなのか?」
 軽い口調で言いつつ、ハーヴェイは慣れた手つきでコーヒーを淹れる。
 外は、雨。
 田舎町の小さな喫茶店には、店主である彼の他には、訪れた紫黒の髪と深紫
の瞳の男しかいない。そのためだろうか、ハーヴェイはいつもかけている眼鏡
は外し、本来の貴紫の瞳で男に接していた。
 その瞳の色彩を知るのは、彼の本来のあり方──影輝の精霊王という立場を
知る者のみ。それだけでも、この突然の来客が只者でない事は伺い知れるだろ
うか。
「まさか。いくら私が普段ヒマでも、そこまで悪趣味ではないぞ」
 ハーヴェイの問いに、男は憮然として言いつつ、差し出されたカップを受け
取った。そのまま、何もいれずに一口、味わう。
「……久しぶりだな、この味も。何年……何十年ぶりだ?」
「お前と俺が素性を隠して、冒険者に混じってた頃以来だから……七十年くら
いかね」
「まだ、百年過ぎてはいなかったか。お前が大分達観した様子だったから、も
っとたっていたような気がしていたぞ」
「……ま、色々とあったからな」
 妙にしみじみといわれて、ハーヴェイは苦笑しつつ、自分もコーヒーカップ
を傾ける。
「まあ、そうだろうな。影輝卿と大喧嘩をやらかしたお前が、おとなしくその
跡を継いでいる……十四精霊王の一斉代替わり自体、竜郷でも話題になったが
……こと、お前に関しては皆驚いていたぞ」
「……そりゃ、どうも。竜郷か……向こうは、相変わらずなのか、イズ?」
 ふと、懐かしむようにその地名を口にした後、ハーヴェイは男に問う。男は
ああ、と一つ頷き、それからふう、と息を吐いた。
「とはいえ、精霊王の交代とそれにまつわる騒動で、色々と起きてもいる。
 一番の大事は虚竜殿に眷属ができた事……その都合で、私にも息子が増えた」
「……はあ?」
 さらりと言われた言葉に、ハーヴェイは思わず呆けた声を上げていた。どこ
か呆然としたような貴紫の瞳を、男──影輝の竜王イズマルームは、苦笑めい
た面持ちで受け止める。
「どういう事だ、それ?」
「いや……どういうも何もなくてな。
 虚竜殿が、自身の領域で知識を与え続けていた意識体が、器を欲してな。そ
の魂を受け止める器の親に、私とティアがなった……という事だ」
 ある程度力がなければ、強すぎる魂の力に潰されるからな、と。苦笑しつつ
付け加えるイズマルームに、ハーヴェイは一つ、瞬く。
「……なるほど。
 取りあえずはまあ……おめでとう、か?」
「……それは、友からの祝いの言葉として、素直に受け止めておこう」
「いや、別に他意はないんだが」
「だろうな、わかって言っている」
「……お前な」
 さらりと返された言葉に、思わず呆れたような声が上がる。そんなハーヴェ
イの様子に、イズマルームは、くく、と笑った。
「……世界は、変わり行くな……」
 それから不意に真面目な表情になり、こんな言葉を呟く。それに、ハーヴェ
イはそうだな、と頷いた。
「隠れし卿を除いた精霊王は移り変わり、竜郷には、これまで存在しなかった
時空の竜が生れ落ちた。多くは変革し、先へと進んでゆく……時に、大きく均
衡を乱しつつ」
「……変わる際には、揺らぐもの。過剰な揺らぎでなければ、世界はそれを受
け止め、進んでいく……そういうものだろ?」
「そうだな。余りにも過剰かつ、あり得ん揺らぎであれば、正す。
 それが……」
「俺たち、均衡を領域とする王の役目……だろ?」
 途切れた言葉の先を引き取って言うハーヴェイに、イズマルームはそういう
ことだ、といって、カップを傾ける。

 外に降る雨は、大分弱くなっていた。

「新たな時空の子は、しばらくは安定できんかも知れん……魂に込められたも
のが、余りにも大きすぎるからな。
 だが、いずれ、それらを受け止め、律する術を身に着けたなら……」
 恐らく、竜郷から飛び出すだろうな、と。呟くイズマルームの表情は、確信
めいたものを感じさせた。
「そう、か……それじゃ、いずれどこかで出会うかも知れんな」
「……どうあっても、人間界から離れんのか、お前は」
「まあね……ま、そこは譲れない意地ってヤツさ」
「影輝卿も難儀だな……ま、せめて孫が出来たら顔は見せてやれ。影輝卿は、
あれでかなりの子煩悩だ」
「……知ったことか、と言っておこう」
「酷いな」
 どこか楽しげに言いつつ、イズマルームはカップの中身を乾して立ち上がる。
「……行くのか?」
「ああ。あまりのんびりしていると、周りがうるさい」
「そりゃ、お疲れさん……」
「まあ、そういう立場、そういう存在だからな、私は。
 ……コーヒー、ご馳走さまだ。美味かった」
「お粗末さまでした、と。出てくる余裕があったら、また飲みに来いよ。いつ
でも歓迎する、昔馴染みのよしみでな」
「それは、何がなんでも時間を作れ、という事か?」
 冗談めかして投げられる問い。それに、ハーヴェイはさてね、と軽く返す。
「まったく……ではな、ハヴ。また」
「ああ。またな、イズ」
 別れの挨拶は短く。そして、力ある王たちは笑みを交わし──紫黒の方が、
外へと消える。

 雨は、既に止んでいた。
 通り雨が過ぎれば、そろそろお茶の時間を楽しむ常連客がやって来る。ハー
ヴェイは二つのカップを片付けると眼鏡をかけなおし、貴紫を碧へと変えた。
「……と。そういや子供の名前。聞き忘れたな」
 それから、ふとこんな呟きを漏らすものの。
「ま、いいか。その内また、コーヒー飲みに来るだろうし」
 すぐさまこう結論付ける。

 来客を示す銀の鈴の音が響き、賑やかな声が飛び込んできたのは、その直後
の事だった。

 力あるもの同士の邂逅という非日常は薄れ、そして、田舎町のいつもの日常
が再び動き出す。


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