Der Nachfolger des Schattens

 それはいずれは向き合わねばならぬもの。
 そう、理解しつつ、しかし。
 向き合うことは躊躇われ。

 だけど。

 それはいつか、越えねばならぬ存在と。
 そう、思い定めてもいて……。

 ヒュッ!と。
 すぐ側の大気が、鋭い音を立てた。
「……ちっ!」
 舌打ち、一つ。直後に来るであろう衝撃を避けるべく横に飛び退けば、着地
点には狙い済ましたような力の炸裂。
「……せいっ!」
 気合と共に手にした刀を振るい、その力を切り払いつつ着地すると、ハーヴ
ェイは一つ息を吐いて対峙する者――自身の父、影輝王フォボスを見つめた。
 深く澄んだ、貴紫の瞳。
 見返してくる瞳もまた同じ――そして、それよりも更に深く、ふかく澄んだ
色彩をしている。
 その澄んだ色彩の上には感情らしきものは今の所見えず。
 ただ、静かに、静かに、ハーヴェイを見つめていた。

 張り詰める、静寂。

 影輝の精霊の王と、それを継ぐ者。

 同じ力を、それを象徴する貴紫の瞳を持つ二人はしばし、微動だにせず――

 光が揺らぎ、弾け。

 それが、緊張の糸を断つ。

「……はっ!」

 低い気合と共に、ハーヴェイが動いた。
 低い姿勢から一気に距離を詰め、下段に構えていた刃を上へと切り上げる。
 対する影輝王は迫る刃を静かなまま見つめ、つい、と手を振った。
 ふわり、と光がそこに集い、一振りの刀を形作る。それは切り上げて来た刃
を難なく弾き、衝撃にハーヴェイは僅か、体勢を崩した。
「ちっ!」
 舌打ち、一つ。
 追撃が来る前にと慌てて飛びずさり、体勢を整える。
 王は後退するハーヴェイを追う事なく、ただ、薄く笑んで見せた。
 そこから感じるのは、余裕とも取れ――それが僅か、苛立ちをかきたてる。
 だが。

(落ち着け……焦ったところで、勝期を逃すだけだ)

 こんな考えがはやる気持ちを抑えてもおり。
 ハーヴェイは一つ息を吐いて、気を鎮めようと試みる。

「猛々しさと静けさ。
 その均衡の取り方が大分落ち着いたな」

 不意に、影輝王がこんな言葉をなげかけて来た。思わぬ言葉にハーヴェイは
え? と声を上げて一つ瞬く。

「……落ち着いた……?」
「うむ。以前にここを訪れた時に比べれば、格段にな。
 ……独力ではなし得なかったようだが」
「……おかげさまで」
 独力では、という言葉に、低く、呟く。

 自分が変わるきっかけになったもの。
 それは、界の狭間での出来事と、その後の修行の日々。
 その中で得た、恐らくは初めて自ら手を伸ばして得た、絆。

 それらがなければ。
 自分はただ、空虚なままで。
 他者の記憶から消え続け――否、逃げ続けるだけの存在だっただろうから。

 それと、わかっていても。
 それらの始まりが、影輝王の後継者指名とわかっていても。

 否。
 わかっているからだろうか。

 積み重なってきた影輝王への反発は消える気配もなく、ここで顔を会わせる
なり炸裂した。
 影輝王の方は、こうなる事を予め予測していたかの如く悠然としており。
 王とその継承者という、言わば影輝の精霊力の象徴ともいうべき二人の対決
は、少なからず影輝界自体に影響を与えているのだが。

「だからって、感謝するつもりは……」

 言葉と共に。
 半歩、前へと踏み出す。 

「さらさら、ないっ!」

 宣言と共に、駆け出す。
 一歩、二歩、踏み込んで。
 三歩目を思いっきり踏み込み、それを基点として、宙に舞った。

 空間に舞い散る、貴紫の光の粒子。

 狙うは上空からの切り下ろし。だが、それと読まれるであろう事は、承知の
上。
 ……いや、むしろ、先を読んでもらえれば上等、という所かも知れない。

 影輝王はしばし、探るような視線を向けた後、手にした剣をつ、と動かした。
 空間が震え、衝撃波が発生する──狙っていたのは、そのタイミング。

 衝撃波を放つ瞬間に、動きが完全に止まること。
 それは、数度の攻撃で理解しているから。

 懐に飛び込み、一撃をくわえるとしたら。
 その一瞬を狙うしかないと。

 それをして、どうするのかとか。
 それでどうなるのかとか。

 ……そんな『理屈』はどうでもよくて、ただ。

 ずっと抱えているモノ。
 割り切れない気持ち。
 言葉に表しきれない、わだかまり。

 それらをただ。
 精霊鋼の太刀に託して、叩きつけたいと。

 ……顔を合わせるなり突っかかったのも、結局は、それがしたかったからな
のだろう。
 言葉を交わす機会のほとんどなかった自分の父に。
 どう、思いをぶつければいいのかわからなかったから。

 考えた末に、たどり着いた結論。選択した術が、これであった。
 今は、ただそれだけの事、と思いつつ──

「いよっと!」

 掛け声と共に翼を広げる。貴紫の、六枚の翼。
 それを羽ばたかせて衝撃波の直撃を避けつつ、影輝王の懐へと飛び込み。

 切り下ろしの勢いを乗せた一撃を叩き込んだ。

 ひらり、ふわり。
 舞い散る、飛び散る、貴紫。

 そして、衝撃。
 世界自体が大きく揺らぐような。

 ……純然たる力と力が激突したことで、影輝界その物が大きく揺らいだのだ
と。

 ハーヴェイがそれを知ったのは、しばらくたってからの事だったのだが。

「……気は……済んだか?」

 静かな、問い。
 精霊鋼の刃を左の肩にまともにうけつつ、それでも、王は悠然とした態度は
崩さなかった。
 だが、それでも。
 その表情には、先ほどまではなかった──穏やかさが浮かんでいて。

 その穏やかさにつられるように。
 ふと、笑みがこぼれた。

「……やはり、レイアの子だな。
 言葉ではなく、理屈ではなく。
 感覚の赴くままに、奔放に。
 全てを表そうとする」

 その笑みを見た影輝王が、小さく呟いた。

 亡き母の名。
 それを口にする刹那、影輝王の瞳は言いようもなく穏やかで。

 その様子に、ふと、ずっと抱えていた疑問が浮かんできた。

「……一つ、聞いても?」
「何だ?」
「何故……人との間に、子を生したのか」

 自らの出生を知ってから、ずっと抱えていた、疑問。
 この問いに、影輝王は僅かに笑んだ。

「そう問うお前は。
 何故、月闇の君を求めた?」

 それから、こう問い返してくる。
 思わぬ問い返しにハーヴェイは一つ瞬き、それから、やや大げさに息を吐い
た。

 何故、と。
 問われた所で、説明などできるはずもない。

 存在が揺らいだのを感じた時の異様な焦燥も、三対の一が欠落した時に感じ
た支えなくては、という意思も。
 結局は、それまで直視を避けていた感情に基づくもので。

 そして、それと気づいた時には、そこから目をそらす理由も逃げる必然もな
く。
 だからこそ、その想いのままに受け入れた。

 自分の中にある、やや強引な理論はこう。
 だが、平たく言ってしまえば……惚れた弱味の一言で終わる。 

「……ん?」

 そして、その端的な結論に達した時。
 何となくだが、自分の投げた問いの答えが──わかったような気がした。

「……結局……血筋ってヤツか」

 ため息混じりに吐き捨てた言葉に、影輝王はそういう事だな、と平然と返し
て来た。
 その、楽しげな光を宿した瞳に、同じ色彩の睨むような瞳を向けてから。
 ハーヴェイは精霊鋼の刀を引いて、一歩、後ろに下がった。

「……で?」
「で、とは?」
「……継承には、何か儀式の類がいるのか?」

 どことなく投げやりな口調で投げた問いに、影輝王は、微かに微笑んだよう
だった。


 ……シャラン、という、澄んだ音が、響く。


 突然のそれ──銀製の鈴が揺れる音が、過去を彷徨っていた意識を現実へと
引き戻した。
「っと……」
 数度瞬き、いつの間にかずれていた眼鏡を直してから立ち上がる。
 音の聞こえた方──店の入り口に目を向ければ、いつもやってくる常連客の
姿がそこにあった。
「や、どーも、いらっしゃい。いつものかな?」
 問えば即答で肯定され、ハーヴェイは了解、と答えて準備に取り掛かる。

 相変わらずといえば相変わらずな、人間界での生活。
 影輝王となった今も、それを変える意思はなく。
 人として、人の中で。
 人であり、精霊でありながら。
 分かち、結ぶ者として在り続ける。
 以前と同じ。でも、以前とは決定的に違う事が一つ。

 傍らには常に、対であり、それ以上に大きな意味を持つ、支えがあるという
事。

 そんな変化を交えつつ、しかし。
 『均衡』をその領域とする影輝の王の生き様は。
 恐らく、これからも、変わる事はないのだろう。

 それが、狭間にある者として、選び取った唯一の道なのだから。


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