空を越えて いつも、先へ先へと進もうとする、碧い瞳。 手を伸ばしても追いつかなくて、いつか消えてしまいそうで。 その奔放さに、憧憬と共に、いつも不安を感じていた。 想いが募れば、それに伴うように不安がかさんで。 その不安は、いつか、束縛という形で、自由な焔を捕えようとしていた。 「……アス兄様」 空を見上げ、小さく名を呟く。 久しぶりに戻ってきた、と思ったのも束の間、また長老たちとの口論の果て に飛び出して行ってしまった、従兄の名前。 今は碧い髪と瞳の有翼人の姿を取る霊鳥の乙女は、ここ数日ずっとそうやっ て、不安げに空を見上げては想い人の名を呟いていた。 彼が飛び足す直前に長老の手を借りて施した、水の刻印。 それは従兄が生まれながら持つ、最も強い力を封印するもの。 無茶をして欲しくない──そんな一心から、守護者としての力を封じ込めた のだが。どうやらそれは、彼女の思っていた以上の影響を彼に与えていたらし かった。 刻印を介して時折り感じる、苛立たしげな呟き。 それが、微かな後悔と共に不安を募らせていた。 そんな不安を抱えて日々を過ごしていたから。 その『声』が聞こえた時、何をどう言えばいいのか、一瞬、わからなくなっ た。 ─心配しなくて、いいから!─ 風が伝えてきた、澄んだ声。 それは、こんな言葉となって、意識の内へと響く。 ─守護者の力に頼って無茶とかしないから……だから、大丈夫だから!─ 「……アス兄様っ!」 普通に叫んでも聞こえないとわかっていても、つい、声が出た。 どう言えばいいのか。どうすれば上手く伝わるのか。 それが、どうしてもわからない。 「兄様……わたし……わたしは、ただっ……」 ただ、あなたに消えないでほしいだけ。 伝えたいのは、それだけなのに。 「……」 空を見上げ、耳を澄ます。 しかし、それきり声は聞こえなかった。 彼女はしばし、その場に立ち尽くし──それから、ふわりと飛んで、空中で 霊鳥の姿に転じた。 結界すれすれの所まで舞い、甲高い鳴き声を上げる。 従兄の許へ届くようにと、願いを込めて。 その声が風に運ばれて消えると彼女は再び地上に舞い降り、翼ある乙女へと 姿を変えた。 「……アス兄様……」 小さく名を呟くと、彼女はその場に立ち尽くしてじっと空を見つめた。 そしてその声は、風に乗り、空を越えて彼の許へと運ばれる。 ─兄様は、無茶しないって言ってしなかった事、ないです! だから、心配す るな、なんて言われても無理です!─ 「……っとに……揃いも揃って、心配性だっつーの」 意識の内で結んだ言葉に彼──白と紅の鮮やかな翼を持つ霊鳥は、嘆息する ようにこんな事を呟いていたのだが。 そんな、空を越えるやり取りの後。 彼は強引に刻印の力を取り込んで水の属を得。 そして、それからそう時を置かずに──いつかのように、その気配を途絶え させた。 また何かあったのだと察するとの同時に、水の気を強引に取り込んでまで、 何を成したかったのかと思い悩み。 彼の気配を再び感じられるようになるまでは鬱々と、それ以降はぼんやりと、 その事に思い悩む日々が続き、そして──。 「……アス兄様?」 何か、予感めいたものを感じて目を覚ました朝。 朝もやの中に佇む、焔を思わせる紅い髪の若者の姿に、彼女はかすれた声で その名を呼んだ。 ほんの一瞬、夢か、それとも幻かと思うものの。 「……ファラ」 こちらを振り返った彼が自分の名を呼んだ事で、少なくとも幻ではない、と 感じられて。 「兄様……アス兄様っ!」 夢ではないと確かめたい気持ちが、無我夢中で彼の所へと走らせていた。 「ちょっ……ファ、ファラ!?」 突然の事に驚いたのか、さすがに上擦った声を上げる彼にぎゅっとすがりつ いて、その存在と、温もりを確かめる。 (無事だった……兄様、消えなかった……!) 伝わる温もりと、幼い頃から変わらない、光の力。それが彼の無事をはっき りと感じさせた。そして、これが夢でもない事を。 「ファラ……?」 「良かった……アス兄様……無事で……」 戸惑うように名を呼ぶのに震えながらこう返すと、 「……ごめん……な?」 小さな呟きが耳に届いた。 でも、それに答える言葉は見つからず……ただひたすらに、泣きじゃくるし かできなかった。 そして、それから数日もしない内に。 「あーっ、もう! 何度言えばわかるんだっつーの! オレはまだ、そーゆー 気にはなれないんだっつの!」 長老たちとの話し合いで何度目かの決裂に至った彼は、こう怒鳴って長老の 館を飛び出し。 「……アス兄様!」 彼女はいつものように、慌ててその後を追いかけた。 (また、行っちゃう……一人で、飛んで行くの、兄様?) 何度となく感じていた不安が胸を塞ぐ。 既に刻印は意味を成さず、もし彼がそれを解放したなら、自分にはもう、そ の存在を辿ることすらできない。 (そんな事になったらっ……!) とても耐えられるとは思えない。そんな思いから、夢中で後を追いかけた。 いつもならすぐに飛び立ってしまう彼は、何故か、その時はすぐに飛ぼうと はせず。 追いかけてきた彼女に、手を差し伸べた。 「……ファラも、一緒に来い!」 「……え?」 それと共に投げかけられた言葉は、全く思いも寄らないものだった。 「一緒にって……兄様?」 「一緒に、聖山の外に。オレ、ファラにわかってほしい事があるんだけど…… でも、それって説明難しいから。だから、直接見せたい!」 「アス兄様……」 「だいじょぶだから! ちゃんと、オレが護るから! だから……行こう!」 宣言と共に、向けられる笑顔。 それを拒む事など、到底できなくて……。 「……はい!」 今までは、どんなに伸ばしても、届かなかった手。 それに夢中で自分の手を重ねた。 ……そして、聖山の未来を担うと目される、若き霊鳥たちは、共に飛び立っ て行った。 無限の天穹へと。 |