Destiny Binder

 自分の先行きがどうなるかなんて、真面目に考えた事はなく。
 ただ、次兄のように土いじりに生きがいを見出す事は俺には難しくて。
 悩んだ挙げ句の選択肢は長兄と同じ──家を出るというものだった。

 とはいえ、何か特別にやりたい事があった訳でもなく。
 取りあえず、出身を適当に誤魔化しながら、図書館司書の職を得たのが、二
年前。
 その時、最初に派遣された田舎街の図書館の書庫に、何故かそれは眠ってい
た。

「さってと……」
 平日昼下がり。人気のない、がらんとしたホールを同僚に任せて、地下書庫
へと下りる。数日前から、この場所に眠る古書のリスト作りを任されていた事
から、俺はヒマさえあれば地下へと降りていた。
 地下書庫、という空間、それ自体はわりあい嫌いじゃない。古書に取り巻か
れているのは、人ごみの中にいたりするよりも気が落ち着いたから。
 書架に納められた本の一つ一つを取り出し、タイトルを調べて手元のリスト
に書き込んでいく。
 そんな、単純な作業を延々と繰り返していた時。
「……っと」
 ふとした弾みで手からペンが飛び出し、奥の方へと飛び込んでしまった。
「やっべ……」
 予備は持っていないし、取りに戻るのも面倒。
 そんな考えから、落ちたペンを探して奥の方へと向かう。
 適当に辺りをつけつつ、乱雑に物の置かれた辺りを探っていると、
「お、あった……いって!」
 ペンを拾った時に何か鋭い物が左手をかすめた。
「いっつ……って、ヤベ」
 顔をしかめつつ手を見やると、思っていた以上に深く傷つけたらしく、左手
は紅く染まっていた。鋭利な物で引き裂いたようなその傷に顔をしかめつつ、
今、手を入れて探っていた辺りを覗き込む。
「一体、何が……ここらも片付けねえと、ヤバイか……?」
 そんな事を呟きつつ、ポケットからハンカチを出して傷を縛ろうとした──
その、矢先。

『……汝、力ある者。我が言は、届くや?』

 囁くような声が聞こえた。
「……はぁ?」
 他に誰もいないはずの空間で、聞き覚えのない声に、やたらと古めかしい言
い回しで、訳のわからない事を言われる。
 これに、素で返せるのはある意味で凄い、と言えるんじゃなかろうか。
 ちなみに、俺にはそんな器用な芸当はできず、ただ、間の抜けた声を上げる
だけに止まった。
「……空耳か?」
 当たり障りのない呟きと共に周囲を見回す。
 それと同時に、左手の傷から血が一滴、床に向かって滴り落ちた。
「っけね……!」
 床に血の染みをつけたりしたら厄介──などと、冷静な事を考えていられた
のは、一瞬。
「……? なんだこれ……カード?」
 血が滴り落ちた先に、ごく何気ない様子で置かれていたカードの存在と、零
れた血がそれに吸い込まれるのを見て、息を飲んだ。
「これって……」
 ヤバイ。かなりヤバイ。
 本能が、これ以上ここに止まる事の危険性を訴えるが──だが、何故かそこ
から動けなかった。

『……汝、力ある者。我が言は、届くや?』

 また、声が聞こえてくる。
「届いてる、って言ったら……どうする?」
 問いに思い切ってこう答えると、カードの上で小さく光が瞬いた。

『ならば力ある者。汝、我と盟を結ぶ意思はありきか?』

「……盟?」

『汝と我、魂魄を結びて力を対と成す。
 汝、『真実の光』を意味する『隠者』となりて、我が力の行使者となる』

「力の行使者……その、『力』ってのは?」

『正しき途を示す力。
 汝の血を一滴、我に。
 我はそれを力となし、汝に正しき途を示さん。ただし……』

 声はここで、意味ありげに言葉を切った。
「ただし……なんだよ?」

『安易な力の行使は、滅びを招く。
 短き周期で我を多用せば、我らの魂魄は共鳴し、我は汝を食らう』

 途切れた言葉の続きを促すと、声は、淡々とした調子を崩さずにこう返して
きた。
「……」
 静寂が、場に訪れる。もっとも、音として伝わる声を出しているのは、俺だ
けのようだけど。
 それはともかく。
 この声が、そして、カードが何であるかは、良くわからない。
 ただ、これを手にする事で、これから先に何か変化が訪れる。
 それだけは……はっきりとわかった。
 だが、それでも。
 このまま、何の変化もない日々を茫漠と過ごすよりは、断然面白いんじゃな
かろうか。
 ふと……そんな気がした。

 それならば。
 その変化に付き合うのも一興かも知れない。

「……OK、その話、乗った」

 静かに、静かに言い切ると、カードの上をまた光が走った。

『ならば我を手に取り、その名を刻め……新たなる行使者、『隠者』たる者よ』

 ごく静かに告げられる声に、一つ頷いて。
 まだ血の止まっていない手で、銀色に輝くカードたちを拾い上げる。

 例えこの先、このカードのおかげで生命を落としたとしても。
 カードに食われる事になったとしても。
 少なくとも、退屈とは無縁でいられる。
 そんな事を考えつつ……。

 手にしたカードから無作為に一枚を抜き出し、その一枚──『ハーミット』
のカードに向けて、最近はほとんど名乗らなくなった本名を小さく呟いた。

 思わぬ形で得た力と、それが導く未来の可能性。
 それに、期待と、ほんの一欠けらの不安を抱きながら。


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