光の小鳥

 居間に響く、澄んだ歌声。
 それを聞いていたら、ふと月が見たくなって外に出た。
 天穹にかかる、決して揺らがない満月。
 ここに来たばかりの頃は、それは言いようもなく怖かった。
「……ていうか、月だけじゃなかったよなぁ……」
 動かない月、変わらない夜空。
 そして、何故自分がここに居るのか、その理由がわからない事。
 それら全てが怖くて──関わろうとする者全てを、拒絶していた。
 今でこそ、笑えるけど。
 聖山を飛び出した後、初めて得た拠り所であるリーズを亡くした直後は他者
と接する事、他者を知って、心を開く事は言いようもなく怖かった。
 失くした時に、辛くなると思い知ったばかりの頃だったから。
 だから全てを拒絶して。でも、ここから離れる事はできなかった。何故か、
飛べなくなっていたから。
 木に登って、枝の間に隠れるようにしてぼんやりと過ごす。
 そんな時間が終わったのは、いつだったっけ……?

 枝の上でうたた寝をして、ふと目を覚まして、落ち込んでまた眠る。
 そんな事を繰り返していたある日、不意にそれは現れた。
「……ふえっ!? な、なに?」
 ふとまどろみから目を覚ました時、目の前にあったのは鮮やかな色。色とり
どりの火が、周りを取り巻いていた。見慣れない物に驚き、反射的に逃げ出そ
うとして立ち上がる。
 ただ、自分がどこに居るのか、それは完全に頭から抜け落ちていて──
「……わっ!」
 足を滑らせて、落ちた。
 とっさに翼を羽ばたかせてバランスを取ろうとするけど上手く出来ず、その
まま木の根元へと落ちる。
「いった……」
 強かに打ちつけた所を摩りつつ、ふと、気配を感じて前を見る。そして、そ
こにいたものの姿に、息を飲んだ。
 色とりどりの火と月の光に照らされて浮かび上がる、銀色の影。
 銀色の中で一際目を引く澄んだ紫色が、自分を見つめる目である、と気づい
た時。
「おーい、大丈夫かあ?」
 それが口を開いて声を上げた。
「脅かすつもりはあったんだが、まさか落ちるとは……ケガ、ないか?」
 状況と、目の前にいるものが何かわからない不安から黙り込んでいると、そ
れがまた声を上げた。ぶつけた所は確かに痛むけど、多分怪我はしてないから
一つ頷いて、目の前のものをじっと見つめる。
 銀の毛皮に覆われた、獣の姿をしたもの。
 複数の尻尾と、熱を感じない炎を揺らめかせるそれの名前は知らないけれど、
『力ある存在』なのは感じられた。
「ま、ケガないなら良かった。つうか、そのまま落ちるなよ、羽があんだから」
 一体何なんだろう、と考えていると、こんな言葉が投げかけられた。向こう
としてはごく何気ないかも知れないその問いはやけに重たく響いて。つい、俯
いて唇を噛み締めた。
 羽が──翼があるんだから飛べるっていうのは、ある意味当たり前。
 でも、今はそれが当たり前じゃない。
 羽ばたいても力が伝わらないし、風も捉えられないから──飛べない。
「おいおい、どーした?」
 黙り込んでると、何か柔らかい物が頭を撫でた。びっくりして顔を上げると、
同じ感触の物がくるりと首に巻きつく。
「わ、わわっ!?」
 突然の事に驚くのと同時に、その温かさに妙に安心できた。顔を上げると、
紫色の瞳と目が合う。そこでようやく、今巻きついてるのがさっきゆらゆらし
ていた尻尾だと気づいた。
「お前、名前は?」
「……なまえ?」
「そう、名前」
「なまえ……アーシ……」
 アーシファ。本当の名前を言いかけて。
「……ラッセル」
 リーズにもらった名前に言い直す。
「ラッセル、か。んで?」
「……え?」
「お前、毎日何してんだ?」
「なに……って……」
 聞かれても困る。だって、何もしてないから。だから、答えられなくて目を
伏せた。
「アーちゃん、心配してたぞー? 光の小鳥が、元気出さないって」
「……しんぱい?」
「ああ。ここに来てから、ほとんど飲まず食わずだって、気にしてた。まだチ
ビなんだし、ちゃんと食わねーと、大きくなれないぜ?」
 ぽふ。柔らかい感触が、頭を撫でる。
「そんなの……勝手」
「って、そーゆー言い方ねーだろ?」
「でも、勝手……ほっといて、なんにも、いらない……」
 ほんの少し険しくなった声に、途切れがちに返す。
 いらない。なんにもいらない。
 なくなるのが怖いから。
 なくなったら苦しいから。
 だから。
 踏み込んでこないで。
 そう、心の奥で繰り返す。
 なんでそう思ったのかって言うと、同じだったから。
 リーズと、初めて会った時と、同じ感じがするから。
 だから──

 ぎゅっと、目を瞑る。
 脳裏に浮かぶのは、紅く濡れた、色彩。
 金色の髪、白い肌、雪の色のドレス、煌めく赤紫の石。
 それが、全部、どこかを不自然に紅く染めていて。
 でも──蒼色の瞳は、いつもと同じで、優しくて……。

「やだ」

 あんなの、もう見たくない。
 あんな苦しさ、もう感じたくない。
 大事な人がいなくなるのは、嫌だから。
 だから、なんにもいらない。
 なんにもなければ、なんにもなくならないから。

「も、やだから……ほっといて」
「つうか、ほっとけって言われてもな。何が『やだ』なのかわかんなかったら、
はいそーですか、で済ます訳にゃいかねーだろっての!」
 ぽふ、と。少し強く、頭が叩かれた。
 でも、触れる感触は柔らかくて、あったかくて。

 ……そのあったかさが怖くて。

「わかんなくても……ほっといてっ……」
「わかんねーから、ほっとけねえんだっつの」
 そんな事言われても、わからないままでいてほしいのに。
 でも、それを伝える方法が……そのための言葉がわからない。
 わからないから。

「だって、やだから……もう、絶対にやだから、あんなのっ!」

 叫ぶしかできなくて。
 逃げ出したいのに、動かない翼はそれを許してくれなくて。
 頭の中がぐるぐるして、なんだか視界もぼやけてきて。
 何がなんだか……わかんなくなってきた。

「ったく……ガキが、無理してんなっつの」

 ぽふり。
 呆れたような、でも、何となく優しい声がして、また頭が撫でられた。

「むり、とか……して、なっ……」
「今、現にしてんだろ? 泣きてーなら泣いちまえって、それ、ガキの特権だ
ぜ?」
「……とっけん?」
「そそ、特権。今の内だけなんだし、無理すんなって」
「ふぇ……」

 同じ。リーズと、同じ。
 リーズも言った……『泣きたい時は泣いていい』って。
 同じで……同じに、あったかくて……。

 同じになくなったら、やだ。

 そんな考えが過ぎった。
 でも。
 あったかくて、そこから逃げる方法が……見つからなくて。

「……う……」

 どうしていいのかわかんなくなってる内に、自分の奥の方で、何か、砕けた
みたいで。

「う……ひくっ……わあああああああっ!」

 気がついたら、声が出てた。
 叫びたかった時には──リーズが死んだ時には、出なかった、声。
 それがようやく、飛び出したみたいな感じだった。

「……最初っから、素直に泣いとけっつの。っとに、ガキが意地張って」

 こんな呟きも聞こえたような気がしたけど、それは記憶の霞の中。

「……あれ?」
 物思いから、現実に立ち返る。
「ここって……どこ?」
 考え事をしながら歩いてたら、いつの間にか見知らぬ場所に入り込んでいた
みたいだった。目の前には、澄んだ水を湛えた、沼。初めて来る場所だ。
「こんな場所あったんだぁ……さっすがアーヴ小父の屋敷、何があるかわかん
ないや」
 妙な事を感心しながらこう呟いて。それから、静かな水面をじっと見つめた。
「……決めた」
 それから少し時間をかけて、抱えてた迷いに決着をつける。
 そも、迷う事、それ自体が間違っていたのかも知れない。
「今んとこ、他にないもんなぁ」
 小さく呟き、それから、手を空へ差し伸べて翼を大きく広げる。
「守護者アーシファの名において。護りの焔、我が姿と力を映せ」
 翼をゆっくり羽ばたかせて、焔色の光を散らす。光は一つに集まり、小さな
霊鳥の姿を形作った。
「……行け」
 短く命じるとそれはふわりと飛び立ち、夜空へ消えた。
 その姿が完全に見えなくなった時。

「ラッセル」

 聞きなれた声が、静かに名前を呼ぶのが聞こえた。振り返れば、黒いコート
に身を包んで佇む姿が目に入る。
「あ……ユージさん」
「心配した。何処に行っていたかと」
「あ、と、えっと……ちょっと、考え事しながら歩いてたら、何か、迷っちゃ
って……ごめんなさい」
 心配、という言葉に、素直に頭を下げる。一人で出歩くな、って言われてた
のにふらふらしてて。ああ、またみんなにごちゃごちゃ言われるな、と思うと、
少しだけ気が滅入った。
「……どうした?」
 何となく嫌な気分になってため息をつくと、こんな問いが投げかけられた。
「あ、えと……あはは……また、小言言われるなあ、って思ったら、何か滅入
っちゃって」
「それだけ、心配されている、という事だろう。まだ、幼いからな」
 さらりと言われた部分は、ここに来てから何度も言われている事で。
 確かに、色んな意味で若いというか幼いから、仕方ないとは思うけど。
 ……やっぱり、あんまり面白くは、ない。
「そんな顔をするな。時を重ねて行けばいずれ、評価も変わってくるだろう?」
「ん、それはそうかも、だけど……」
 時間がたち、経験を積めば、周りの評価だって変わるだろう、とは思う。
 思うけど……でも。

 何故か、それもそれで……色んなものが一気に変わるような感じがして、素
直に喜べないような気がした。
 ふと、空を見上げる。
 夜空を舞う、護りの焔。自分の分身。
 それの様子を見ようと思って……軽く、飛び上がった。

「なんにも、かわんなきゃいいのにな……このまま、誰も……」

 それから、ふと、こんな呟きをもらす。

 かわらないでほしい。
 きえないでほしい。
 だいじなものには。

 そんな願いを込めて、呟いて……。




 ……数刻の後。
 夜空に止まっていた光の小鳥が、人知れず、空へ溶けた。


BACK