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   ACT−4:清らな水底、冥き影 03

 その後の行程には目立った騒動もなく、一行は山を降りてクレスト候領へと
入った。
 祭り間近という事もあり、街道を同じ方向へ進む人の数も増えている。この
ため、夜営地を他の旅人と合同で展開して大キャンプを張る、という事もしば
しばあった。
「人数が多ければ、それだけ安全性が高まるからだよ」
 見知らぬ人々とキャンプをする事に抵抗を示すレフィンを、アキアはこう言
って強引に納得させていた。
 レフィンにとって、一般人として、一般の人々と接する、と言う経験は皆無
だった。それだけに勝手がわからず、また、何故王族である自分が、と言う考
えも出てきてしまうのだろう。
 それがわかるからこそ、アキアは他の旅人たちの中にレフィンを放り込み、
自分はさっさと食事の準備などの雑事に取り掛かって放置するようにしていた。
さすがに花売りの女性に迫られ、強引に買わされそうになった時には突っ込み
を入れたものの、基本的には口を挟まず、レフィンに普段は中々見えないもの
を見させるように努めていた。
 将来、王となるべき立場にあるからこそ、飾らない形で知らなければならな
いもの。一般の人々の生の暮らしぶりに接する事は、レフィンにとってプラス
になる、と言えるはずだ。
 そうやってレフィンを間接的に鍛えつつ、アキアはクレスト候領内の情報集
めをしていた。祭りに浮かれる反面、妙な物々しさも感じるのだ。クレイア湖
に近づくにつれて武装した騎士団とすれ違う回数が増え、時には共にキャンプ
を張って夜を過ごす、という事もあった。
「ま、祭りは色んな連中にとっての『稼ぎ時』だしな」
 その時一緒に夜営をしていた旅人の一人は、皮肉を交えてこう言っていた。
祭りとなれば遠方から訪れる旅人が増え、その懐を狙う輩も増える。その警戒
のために騎士団が巡回しているのだろう、という訳だ。
 何事も無ければ、アキアもそう考えて納得できただろう。しかし、山頂の湖
で竜の眷属である魔獣と遭遇した事を思うと、それだけではないような気がし
てならない。
(オレの、考えすぎならいいんだが……)
 慌しく駆け抜けていく騎士団を見送りつつ、アキアはふとこんな事を考えて
いた。
 魔獣が現れたのは何かの弾み、単なる偶然で、アキアが危惧しているような
事態には陥ってはいない。そんな、ささやかな願いは、しかし。
 ……ギシャエエエエっ!
 こんな奇声を発するものによって、いとも呆気なく、打ち砕かれた。
 街道がクレイア湖の湖畔に差し掛かり、遠くにクレスト候領の首都であるク
レスタが見えた時に、それは現れた。全身を青い鱗で覆われた、一メートルほ
どの長さの蛇の群れだ。それらは水の中から次々と現れ、瞬く間に街道を埋め
尽くしてしまう。
「え? え? い、一体なにっ!?」
 異様な状況にフレアが素っ頓狂な声を上げ、彼女を乗せた馬も動揺らしきも
のを示す。基本的な訓練がしっかりしているためか、それとも冥魔と化した経
験ゆえか、普通の馬に比べれば落ち着いたものだが。むしろ、その手綱を握る
レフィンの方が動揺していると言えるだろう。これはこれで、ごく普通の反応
だが。
「……サーペントか」
『随分とまー、数がいるなー』
 そんな中で全く冷静さを失っていないのが、アキアとヒューイだ。もっとも、
彼らが取り乱す、というのは、それだけで大事なのだが。
「どどど、どーするんですかっ!?」
そんなアキアにレフィンが上ずった声で問う。それに、アキアはひょい、と肩
をすくめた。
「どーするって、言われてもねぇ……」
 口調だけは軽い言葉を遮るように、蛇がシャッ、と鋭い声を上げた。アキア
は素早くそちらに向き直り、飛びかかってきた蛇を鋭い突きと蹴りで叩き落し
た。
「迎撃するしかないだろうね、自衛のために」
 乱れた髪を直しつつ、平然と言ってのける。事実、選べる選択肢はそれだけ
なのだ。
「そ、それはそうですけどっ!」
「わかってるなら、情けない声上げないの!」
 慌てふためくレフィンに答える間も、その動きは止まらない。しなやかな長
身から繰り出される技の一つ一つが飛び掛ってくる蛇を的確に捉え、水へと叩
き戻していく。その動きに合わせて揺れる銀色の髪が黒衣の上に翻り、鮮やか
な色彩の対比を織り成した。
「とは言うものの……」
 何匹目かを跳ね飛ばした所で、アキアは低く呟いた。
 撃退しなければどうにもならないが、しかし、一人でどうにかするには敵の
数が多い。相手は水の精霊の力を強く帯びているので、攻撃するついでにそれ
を掠め取り、吸収する事で消耗を押さえる事はできているが、状況的にはかな
り厳しかった。
(最悪、広範囲魔法でまとめて吹き飛ばすしかない、か)
 ふと、こんな事を考える。物騒な発想ではあるが、このままずるずると遅滞
戦をするよりはマシだろう。ただ街の近く、それも首都のすぐ側という事で、
騒ぎの種になり得るのが唯一の問題と言えた。
 だが、どうやらアキアの危惧は杞憂で終わりそうだった。
「……あれは?」
 真っ向から飛びかかってきた蛇を正拳突きで吹き飛ばした時、前方に砂埃が
上がるのが見えたのだ。
「あれ、何だろ……?」
 同じものに気づいたらしく、フレアが不思議そうに呟く。
「もしかして……クレスティア水霊騎士団!?」
 レフィンが弾んだ声を上げる。クレスティア水霊騎士団はここクレスト候領
の正規騎士団であり、その勇名は国境を越えて各地に広まっていた。
「水霊騎士団……精霊騎士旗下の精鋭騎士団か」
 砂埃の中に、青で水流を模した紋様を施した銀の鎧を認めたアキアが低く呟
く。その間にも蛇の撃退は休む事無く続いているのだから、凄まじいと言うか
何と言うか。
「そこの旅人、無事かっ!?」
 そうこうしている内に砂埃を立てていた一団が戦いの場に到達し、先頭に立
つ騎士が呼びかけてきた。喋り方は男のようだが、その声は間違いなく女のも
のだ。
「見ての通り、蛇の餌食は免れておりますよ、騎士殿!」
 その問いに、アキアは飄々としてこう答える。
「そうか、それは何よりだ」
 その答えに騎士はこちらも平然としつつこう返し、率いてきた騎士たちを振
り返った。
「旅人殿を援護しつつ、魔獣を討伐する! 突撃!」
 号令に応じて騎士たちが蛇の群れに攻撃を仕掛ける。新たな敵の登場に不利
と悟ったのか、蛇たちは攻勢を弱め、やがて湖の中へ消えていった。
「ふう、やれやれ……何とか、事なきを得ましたか」
 蛇が姿を消し、その気配が完全に消え失せると、アキアはこう言って一つ息
を吐いた。
「アキア、だいじょぶ?」
 そこに、馬から降りてきたフレアが問いかけてくる。アキアはご覧の通り、
とそれに答え、それから、騎士団の方を振り返った。騎士たちは既に隊を整え、
号令をかけていた女性騎士が指示を出しているところだった。
「引き続き、周辺地域の警戒を。魔獣を発見した際は、攻撃を許可する。その
際は、民間人の安全確保を最優先とするように。以上!」
 きびきびとした指示に応じて騎士たちは街道を走っていく。後にはアキアた
ちと、女性騎士だけが残された。
「御助力、感謝いたします、騎士殿」
 こちらに向き直った騎士に向け、アキアはこう言って丁寧な礼をする。
「いや、民間人の安全を確保するのが我らの務め。とはいえ……我々が手を出
すまでも無かったように見受けるがな」
 それに騎士は笑いながらこう答え、アキア、フレア、レフィンの顔を順に見
回した。その視線は、レフィンに向いたところでぴたり、と止まる。
「……貴殿たちは、これから何処へ?」
 短い沈黙を経て、騎士が静かに問いかけてきた。
「首都クレスタまで行くつもりですが?」
「祭り見物か。宿の宛ては?」
 この問いに、アキアは苦笑しながら生憎、と答えて肩をすくめた。
「そうか。それでは、我が館へ招待させていただきたい。もっとも……」
「選択の余地はないのでしょう、セルシアーナ・リム・クレスティアン卿?」
 騎士に最後まで言わせる事無く、アキアは慇懃な口調でこう問いかける。瞬
間、場に緊張らしきものが張り詰めるが、
「セルシアーナ様……きゃーっ! 『ディアレナの騎士』セシア様っ!?」
 直後にフレアが上げた歓声がそれをぶつりと断ち切った。場の全員が呆気に
取られた表情を見せる中、当のフレアは大きな瞳をキラキラと輝かせている。
「……やれやれ」
『さすがだぜ、お嬢』
 その様子にアキアはため息をつき、ヒューイがぼそりとこんな呟きをもらし
た。レフィンは呆気に取られたまま立ち尽くし、当の『ディアレナの騎士』セ
シアは。
「その名で呼ばれるのも、久しぶりだな」
 はしゃぐフレアに穏やかな表情で微笑みかけていた。それから、セシアは改
めてアキアを見る。
「わたしの『立場』がわかるなら、同行してもらわねばならぬ『理由』も、察
していただけると思うのだが、どうかな?」
「『理由』を察する事はできますが、何故、それをオレに聞かれるのです?」
 問いかけにアキアは逆にこう問い返し、これにセシアは微かな笑みをもらし
た。
「貴殿がこちらの二人の保護者役と見受けたから、だが。間違っていたか?」
「……否定のしようもございません」
 さらりと言われた言葉に、アキアはただ、苦笑するのみだった。

 そんなこんなで一時間後、一行は首都クレスタにあるセシアの屋敷に落ち着
いていた。屋敷に着くとアキアとフレアは客間に通され、レフィンはセシアと
共に彼女の執務室へと向かっていた。セシアの方で、色々と確かめなくてはな
らない事があるのだろう。
「あ〜、なんだか夢みたいっ♪ 憧れの、『ディアレナの騎士』様にお会いで
きるなんて〜」
 客間に通されてから、フレアはずっとこんな調子でうきうきとしていた。火
竜退治の英雄であり、また、帝国でただ一人の女性聖騎士候。その存在は国の
内外を問わず、少女たちに強い憧憬の念を抱かせるものであるらしい。
 そうやってはしゃぐフレアを横目に見つつ、アキアは思案を巡らせていた。
屋敷に入るまでに見た街の様子が、妙に引っかかっているのだ。
 祭りの準備で賑わいつつ、しかし、妙に不安げな雰囲気。それが、街の人々
から感じられた。その不安と先ほど出くわした蛇たち、そして山頂で戦った魔
獣。この三つになんら接点がないとは、どうにも思い難かった。
(まさかとは、思うがな)
 つと視線を窓の方へ向けると、クレイア湖が目に入る。湖面は夕暮れの空を
映し、鮮やかな茜色に染まっていた。一見穏やかな湖からは、異変の気配など
は全く感じられない。
「……アキア?」
 窓越しに湖を見つめていると、フレアが声をかけてきた。アキアはえ? と
言いつつそちらを振り返り、自分に向けられる不安げな瞳に面食らう。
「お嬢? どしたの?」
「どしたのって……アキアこそ、どうしたの?」
 問いかけると、フレアはきゅっと眉を寄せて逆にこう問いかけてきた。思わ
ぬ問いに、アキアはえ? と言って瞬く。
「オレが……どうかした?」
「今、すごく、怖い顔してた」
「……え」
 知らず、間抜けな声が出た。そんなアキアを、フレアは不安げな瞳のままで
じっと見つめる。何とも言い難い、間の悪い空気が部屋の中に張り詰めた。
「……アキア」
 その空気をフレアが小声で押し退ける。アキアはなに? と穏やかな口調で
呼びかけに応えた。
「アキア、なに隠してるの?」
 それからしばし間を空けて、フレアは低くこう問いかけてきた。直球の問い
にもアキアは虚を衝かれる。
「なに……って?」
「なにか、あたしに隠してるでしょ。アキアも……それから、ヒューイも」
「オレは……」
 別に何も、と言おうとして、アキアはそれを飲み込んだ。こちらを見つめる
フレアの瞳の真摯さに気づいたからだ。
(さて、どうしたものか)
 大きな碧い瞳を見返しつつ、アキアは思案を巡らせる。
 教えるにしろかわすにしろ、そうする事自体は容易い。だが、どちらを選択
してもその後の始末は厄介極まりないのだ。前者はフレアの精神にどんな影響
を及ぼすのか全く読めず、後者は最悪、フレアのアキアに対する不信感を募ら
せる結果になる。そのどちらがマシかと言えば、後者の方があらゆる意味で負
担は少ないだろう。
(まだ、教えるべきじゃない)
 時間的には短い思案を経て、アキアは後者を選択した。できるなら、知らぬ
ままでいさせてやりたいと願う事を容易く話したくはない。そんな思いが、働
いていた。
「んー……隠してるって言ったら、どうするかな?」
 ごく軽い口調でこう尋ねると、フレアはえ? と言って目を見張った。虚を
衝かれた、と言わんばかりのその表情に、アキアはくす、と笑みをもらす。
「確かに、隠し事なら色々あるけど。でも、それはお嬢も同じでしょ?」
「あたしが?」
 笑みを残したまま、軽い口調で更に問うと、フレアはきょとん、と瞬いた。
「あたしが、なに隠してるって言うのよぉ?」
 それからややむっとしたような表情でこう問いかけてくる。これに、アキア
は意地悪い笑みを浮かべつつ、言った。
「そうだねぇ……例えば、殿下の事を本当はどう思っているか、とか?」
 さらりと投げた言葉に、フレアは予想通り固まった。素直と言う以外にない
反応に、アキアはまた、くす、と笑う。
「ア……アキアっ!!」
「なにかな?」
 顔を真っ赤にして怒鳴るフレアに、アキアは平然とこう返す。
「お、おかしなコト、言わないでよっ!」
「あれ? 何かおかしかったかな?」
 ややわざとらしい口調で言いつつ首を傾げると、フレアはむーっとむくれて
見せた。
(ほんと、可愛いんだから、この子たちは)
 そんなフレアの様子にアキアはふとこんな事を考える。余裕綽々、という言
葉そのもののアキアの態度に、フレアはほぼ限界と思われるレベルまで頬を膨
らませた。
「はいはい、怒らない怒らない。可愛い顔が台無しだよ」
「む〜っ! すぐそうやって、子供扱いするぅ〜っ!」
「だって、子供でしょうに」
「子供じゃないもん! ちゃんと、成人してますよ〜だっ!」
 いつもと変わらない子供っぽい主張にくすくすと笑いつつ、アキアはぽんぽ
ん、とフレアの頭を軽く叩く。フレアのいじけはこれで限界に達するものの、
先ほどの疑問をうやむやにするのは上手く行ったらしい。あとは、ここからど
う機嫌を取っていくか、と考えた直後に、それは解消された。
「待たせたな、客人」
 折りよくドアがノックされ、セシアと、彼女に連れられて行ったレフィンが
客間に入ってきたのだ。そして、セシアの姿を見るなりフレアの不機嫌はどこ
かに吹き飛んでしまう。その単純さに呆れと安堵を同時に感じつつ、ともあれ、
アキアは立ち上がってセシアに一礼した。
「事務手続き、と言うのは、必要ではあるが故に厄介で仕方ないな。ああ、座
って、楽にしてくれ」
 苦笑めいた表情でこう言うと、セシアは妙に疲れた表情のレフィンを上座に
当たる席に座らせ、自分も腰を下ろした。それを見て取ってから、アキアも再
び腰を下ろす。
「さて、改めて自己紹介をさせていただこうか。私は、セルシアーナ・リム・
クレスティアン。ここクレスト候領の領主を務めている。呼ぶ時は、セシアで
構わぬよ」
「あ、あたし……じゃなくて、わたくし、フレイアリス・リュセルバートと申
しますっ!」
 クールと言うか大雑把な自己紹介を受け、フレアがぴんっと背筋を伸ばしつ
つこう言って一礼した。
「名軍師フランツ・リュセルバート卿の御息女か。ふふ、どこで誰と会うのか、
わからぬものだな」
 フレアの挨拶に微笑ましいものを感じたのか、セシアは微笑しつつこんな事
を言う。この言葉に、フレアはやや首を傾げた。
「……お父様を、ご存知なのですか?」
「個人的な交流はないが……クライズ建国戦争の際に、開戦時の絶望的な戦力
差を物ともせずに解放軍を勝利に導いた立役者として、また、隷属制度廃止運
動の先駆とて、尊敬している方ではある」
 素朴な疑問にセシアは静かにこう答え、これにフレアはわぁ、と短く声を上
げた。
「お父様って……すごい人なんだぁ」
 それからやや間を置いてこんな呟きをもらし、この一言にレフィンががく、
とオーバーアクションでコケた。
「フ、フレアっ……そういう言い方はないんじゃ……」
「えー、だって、そんなすごい人には見えないもんっ」
『……私生活はのほほん茶飲みだしなぁ』
 レフィンの突っ込みにフレアは拗ねたような声を上げ、ヒューイがアキアに
だけ聞こえるようにぽつん、とオチをつけた。そのオチに苦笑するアキアに、
セシアがつと視線を向ける。それに気づいたアキアはそちらに向き直り、妙に
真剣な眼差しにやや面食らった。
「オレは、アキア・クロウズと申します。故あって、こちらのお嬢様の……お
守りなどやっております」
 それでも表面上はにこやかにこう言って、アキアはセシアに一礼する。アキ
アの名を聞いたセシアの表情を怪訝そうなものが過ぎるが、それはすぐさまク
ールな笑みに飲まれて消えた。
「故あって、か。その故を聞かせてもらいたい、と言っても……やはり、無理
か」
 問いの途中でセシアはそれを打ち切り、ため息をついた。アキアの、有無を
言わせぬ笑顔に断念したらしい。
「ところで、貴殿たちは水竜祭りを見に来たのだったな?」
 ため息の後、セシアは表情を改めてこんな問いを投げかけてきた。その通り
なので、アキアはええ、と言って頷く。この返事にセシアは何故か形の良い眉
をきつく寄せた。
「……どうか、なさいましたか?」
 突然の事に、アキアはこちらも微かに眉を寄せて問う。フレアとレフィンも、
心配そうな面持ちでセシアを見た。
「実はな……祭りが、開けぬかも知れんのだ」
 一同に注目されたセシアはまたため息をつき、それから、低い声でこう呟い
た。

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