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   ACT−2:狭間の街に潜むもの 03

 目立たないようにと裏道を選んでやって来た神殿は騒然としていた。創世神
フェーディアの神殿――正直、アキアとしてはあまり来たい場所ではないのだ
が、場合が場合だけに仕方がなかった。
 門を守る神官戦士に事情を話すとすぐ、二人は神殿の奥へと通された。質素
な一室で待つ事しばし、壮年の司祭が部屋に入ってきて二人に一礼する。アキ
アとフレアはそれぞれ立ち上がって礼を返した。
「初めまして、この神殿の司祭長を勤めるガーフィス・ルゼオンと申します。
この度は我が神殿の者を悪漢から救っていただき、感謝の言葉もございません」
「ご丁寧にどうも。オレは、アキア・クロウズ。彼女は、フレア。たまたま通
りかかっただけですので、どうぞお気になさらずに」
 ガーフィスの言葉にアキアはにこっと笑ってこう答え、この言葉にガーフィ
スはありがとうございます、とまた頭を下げた。
「……ところで、司祭長殿。お聞きしたい事があるのですが」
 椅子に座って向き合うなり、アキアはこう切り出した。
「……なんでしょう?」
「今回の事と、アイルグレスの国境閉鎖は、何か関わりがありそうですね?」
 単刀直入な言葉にガーフィスは色を失う。フレアも大きな瞳をきょとん、と
させつつアキアを見た。
「何故……そのように?」
「勘、ですよ」
 探るような問いかけに、アキアはにっこり笑いつつこう言いきった。邪気の
感じられない笑顔とその物言いにガーフィスは毒気を抜かれたらしく、呆気に
取られた面持ちでアキアを見る。
「と、言うのは冗談にしておくとしても……宗教都市としての側面もあるアイ
ルグレスで、創世神の神官が襲われる、というのは、国としても放置はできな
いでしょうからね。正直、次に被害があったら、街そのものを閉ざすつもりだ
ったんじゃないんですか?」
 にこにこと笑いながら問いかけに、ガーフィスは完全に言葉に詰まった。ど
うやら図星だったらしい。
(嘘がつけないんだなぁ、根っから宗教屋さんなんだ……)
 その様子に、アキアがくすっと微笑みながらこんな事を考えた時、
「……これこれ、あまり若い者をいじめないでもらえませんかの?」
 のんびりとした言葉と共に部屋の扉が開いた。ガーフィスがはっとしたよう
に立ち上がり、扉に向けて一礼する。
「こ、これは……大司教様っ!」
「……え!?」
 ガーフィスの言葉にフレアが素っ頓狂な声を上げる。アキアはちらりとそち
らに視線を投げかけ、それから、ゆっくりと部屋に入ってきた人物に笑いかけ
た。その人物――フェーディア教の大司教を勤めるヴァシス・ヴェル・リルス
フェディアはガーフィスに礼を返すと、穏やかな笑みをアキアに向けた。
「お久しぶりですな、ヴェイル殿……今は、アキア殿でしたか」
 呼びかけにほんの一瞬嫌な顔をしたアキアの様子に、ヴァシスは笑いながら
それを訂正した。アキアは肩をすくめてまあね、とそれに応じる。そんな、妙
に親しげな二人のやり取りにガーフィスはぎょっとしたように目を見張った。
フレアも不思議そうな目をアキアに向ける。
「……ガーフィス殿、今回の件、わたしに任せてはもらえんかな?」
 呆然としているガーフィスに、ヴァシスは穏やかな口調でこう問いかけた。
「は、はあ……しかし……」
「なあに、心配は無用……この方ならば、事を荒立てずに解決してくださるよ」
「はあ……」
「……オレは、いつまでたっても便利屋なのかな、あなたにとっては?」
 笑いながらの言葉にガーフィスは困惑した声を上げ、アキアは呆れたように
こんな問いを投げかけた。この言葉にヴァシスは違いましたかな? と笑って
問い返してくる。これに、アキアは苦笑しつつ肩をすくめる事で答えた。
「……それでは、大司教様に、お任せいたします」
「うむ。ともあれ、まずは皆の混乱を鎮めなさい。我らが浮き足立てば、街の
者にも不安を与えてしまう」
 どことなく納得行かない様子ではあったが、ガーフィスは大司教の言葉に従
う事にしたらしかった。一礼して部屋を出て行くガーフィスを笑顔で見送ると、
アキアは真面目な面持ちでヴァシスに向き直った。
「……それで、何が起きてるのかな?」
 低い問いに、ヴァシスはため息をついてゆっくりと話し始めた。
 事の起こりは二ヶ月前にさかのぼる。森に薬草を採りに行った者が怪物に襲
われ、重症で動けない、という報せが入り、若い神官が救済に出かけたまま、
戻らなかったのが最初だった。一日経っても戻らないため守備隊に問い合わせ
たところ、その日、そんな事件があったという話は聞いていない、という返事
が返ってきたのだ。
「ガーフィス殿の話では、その後、森に調査に出向いたものの確かにそのよう
な形跡はなく……それから、そのような事があまりにも立て続いたため……」
「……国王の許可をもらって、取りあえず国境を封鎖。関係者を国外に出さな
いようにしたって訳か……」
 独り言のようにまとめるアキアの言葉に、ヴァシスははい、と頷いた。
「それで? その神官たちはそれっきり、見つからないのかな?」
 アキアの問いに、ヴァシスは小さくため息をつく。
「微かに、生命の波動は感じますので……この街の近辺にいるのは間違いない
のですが……」
「場所が、特定できない、と」
 アキアの言葉にヴァシスはまたはい、と頷き、肯定の返事にアキアはふむ、
と呟きつつ腕を組んだ。
「……行方不明になっているのは、ここの神官だけなのかな?」
「そのようですな。力の強い、女性の神官ばかりが行方知れずになっておりま
す。街の者や旅人が行方知れずになった、という話は耳にしておりません」
「……そう……か……」
 呟くようにこう言うと、アキアは思案を巡らせる。女性の神官だけを狙った
誘拐騒動。あまり関わりたくはないのだが、この件を解決しなければ封鎖が解
ける事はないだろう。となれば、解決のために動くのは当然なのだが。
(問題は……どうやって、相手を見つけるか、だな……)
 先ほどの神官を襲っていた男たちは、失敗と悟るや闇に溶けるように消え失
せてしまった。どうやら、魔法的な手段を用いなければ行けないような場所に
本拠があるらしい。そうなると、通常手段による追跡は難しいだろう。
(……一番手っ取り早いのは、囮だけど……)
 とはいえ、神殿の神官を危険に晒すのは気が引ける。最悪、連れ去られて終
わり、という事もあるだろう。かと言って神官の安全を優先しては、相手に逃
げられる可能性も高い。そうなると……。
「……」
 行き着いた結論に、アキアは思いっきりの渋面を作った。それが手段として、
現状最も有効であるのは理解できる。理解できるが故に、それを選び取るのは
嫌だった。
「……女の神官さんがさらわれるんなら……」
 そんなアキアの内心を知ってか知らずか、フレアが首を傾げつつこんな呟き
をもらした。
「……アキアが女装して、犯人さんをおびき寄せたら? そのまま捕まったフ
リして、助けに行ってもいいし」
 がっくん!
 今、それを選び取る事を忌避していた手段をあっさりと定義され、アキアは
音入りでコケた。
「お……お嬢〜っ!!」
「なに?」
 思わず大声を上げるアキアに、フレアはにっこりと微笑みながら問いかけて
くる。
「なにって……今、とんでもない事を、気楽に言わなかったかな?」
「そう? でも、それが一番いいんじゃないかなぁって、思ったんだけど。ア
キアが嫌なら、あたしとヒューイでやろっか?」
 にっこりと微笑みながらの言葉に、アキアはぐっと詰まる。とはいえ、それ
では神官を囮にするのとなんら変わらない――いや、囮になるのがフレアとい
う時点で、その後の事などの問題が多々発生してしまうのだ。そうなると、残
る手段はアキアが女物の神官衣を着て囮になり、敵地に乗り込んで神官を救出
する。これしかない。
「……アキア殿の、負けですかな、これは?」
 二人のやり取りを楽しげに見守っていたヴァシスが笑いながらこんな事を言
う。この言葉にアキアは天井を仰いで嘆息した。観念したくはないが、選択の
余地はないだろう。
「……わかったよ……」
 低い低い呟きに、フレアは満足そうににっこりと微笑んだ。
「きっと、似合うわよ♪」
「……似合わなくていい……」
 お気楽な言葉に対し、アキアが言えたのはこれだけだった。

 取りあえずその日は宿に戻って休み、翌日、改めて神殿を訪れたアキアは不
本意ながら女物の神官衣に身を包む事となった。
「……わあ……」
 着替え終わった姿を見るなり、フレアが目をキラキラさせて感嘆の声を上げ
る。着替えを手伝ってくれた昨日の女性神官も、まあ、と言ったきり声が出な
いらしい。
「……何かな?」
 そんな二人に、アキアはぶすっとした声で問いかける。例によって声を聞く
と男とわかるのだが、黙っている分には絶世の美女だ。
「アキア、キレイ。すっごく似合うよ〜♪」
「本当に、なんてお美しい……あ、ごめんなさい」
 そんなアキアにフレアはにこにことしつつこう返し、神官も思わず本音を口
にして慌てて訂正を入れていた。そんな二人に、アキアはどこまでも不機嫌な
一瞥を贈る。
 とはいえ、確かに似合うのだ。普段は黒の上下に紺の飾り帯という出で立ち
をしているためか、白が基調の神官衣に着替えると印象が全く違って見える。
螢石のリングを外してさらりと流した銀髪がいつもの黒とは違った輝きの映え
を白の上に描き出し、言葉では言い尽くせない美しさを織り成していた。
「……支度は、済みましたかな?」
 そこに、例によって穏やかな言葉と共に現れたヴァシスは、アキアの姿にほ
う、と感嘆の声をもらした。美しさに対する純然たる感嘆であるとわかってい
ても、その反応はアキアにとっては嬉しくない。
「……おお、これは失礼……しかし、中々似合いますな……」
「……好きに言ってくれ、まったく、どいつもこいつも」
『そ〜、拗ねンなよっ? 美人が台無しだぜ〜♪』
 ヴァシスの言葉に憮然として吐き捨てた直後に、ヒューイがこんな突っ込み
を入れた。アキアは思いっきり鋭い視線をフレアの腰の短剣に向け、それから
小さくため息をついて、椅子の背にかけたヴェールをふわりと羽織った。
「ヴェール、被っちゃうの?」
「……瞳が目立つだろ?」
 妙につまらなそうなフレアの問いに、アキアはため息と共にこう答えた。あ、
そっか、と納得するフレアに、アキアはやや厳しい目を向ける。
「……なに?」
「オレがいない間、ここでちゃんと待ってるんだぞ? く、れ、ぐ、れ、も、
勝手な行動は取らない事! いいね?」
 きょとん、とするフレアにアキアはやや厳しい口調でこう告げた。この言葉
にフレアは眉を寄せて頬を膨らませる。
「……そのくらい、わかってるわよぉ……」
「ここで勝手な事をすると、神殿にも迷惑をかけるんだからね。ちゃんと、こ
こで待ってるんだぜ?」
「わかってますぅ! もう……すぐそうやって、子供扱いするんだからぁ……」
 くどいくらいに念を押すと、フレアは拗ねた表情でぶつぶつと文句を言った。
子供っぽい反応にアキアはやれやれ、とため息をつき、それから、ヴァシスに
向き直る。
「……申し訳ないけど、この子を頼むよ。それから……」
「……わかっておりますよ。不都合のないように、取り計らいます」
「……悪い……」
 全て心得ている、と言わんばかりの笑みにアキアは苦笑めいた面持ちで頭を
下げた。そんな二人の様子にフレアは不思議そうに首を傾げるが、アキアが振
り返るとすぐに拗ねた表情をつくり、ぷいっとそっぽを向いた。その反応に苦
笑しつつ、アキアは気持ちを切り替える。
「それじゃ、行ってみる……」
『『言って参りますわ』じゃね〜の?』
 ヒューイの茶々に思いっきり渋い顔を作ると、アキアはゆっくりと部屋を出
て、神殿の裏口へと向かう。アキアの姿が見えなくなるとフレアは一転、不安
げな面持ちで窓辺に寄った。碧い瞳には不安が色濃く浮かんでいる。
『……お嬢……』
「大丈夫……大丈夫よ。別に、置いてかれた訳じゃないモン……アキアに、置
いてかれたんじゃないんだから……大丈夫」
 腰から外したヒューイをぎゅっと抱き締めつつ、フレアは何度となく大丈夫、
と繰り返す。
『お嬢……どうしたんだ?』
 いつになく不安げな様子に、ヒューイが心配そうに問いかけてくる。それに、
フレアはわかんない、と小声で呟いた。
『わかんないって……』
「わかんない……わかんないけど……嫌な感じがするの……」
 震える声で呟くと、フレアは再び窓辺に寄って空を見上げた。夕映えの空は
少しずつその色彩を違え、紫から藍へと自らを沈めていく。明るさを失ってい
く空が、妙にフレアの心を騒がせた。
「……アキア……」
 ヒューイをぎゅっと胸に押し当てつつ、フレアは小さく名を呟いた。
(大丈夫だよね……アキア……)
『……お嬢……』
 いわれのない不安に苛まれるフレアの姿に、ヒューイは嘆息するかのように、
柄の金緑石の上にちらちらと光を瞬かせた。

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