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「……っ!」
 何の前触れもなく、ギルが足を止めた。突然の事に、ユーリとラヴェイトは
訝るような目をそちらに向ける。
「どーかしたのか?」
「『監視者』と『守護者』が『調和者』の許へたどり着いた」
 ユーリの問いにギルは淡々とこう答える。これにユーリは微かに眉を寄せ、
ラヴェイトはきょとん、と瞬いた。
「どういう事なんですか? それに、その『調和者』というのは?」
 ラヴェイトの投げかけた問いに、ギルは仮面の奥でため息をついたようだっ
た。
「白き翼の『調和者』レデュア・リューナ・レイフェリア……大陸の民が、
『女神』として崇める者だ」
「んでもって、シーラの母親……だろ?」
 それから、ギルは淡々と問いに答え、それにユーリがこう付け加えた。ラヴ
ェイトはえ? 
とぼけた声を上げてユーリを見る。
「……知っていたのか?」
「そりゃ、あんだけ似てりゃ、いくらでも読めるって」
 ギルの問いにユーリはひょい、と肩をすくめる。ギルは妙に納得したように
なるほどな、と呟いた。
「あ……あの?」
 会話から取り残されているラヴェイトが、恐る恐る二人に呼びかける。
「一体、どういう事なんですか? この都市と精霊神信仰に、どんな関わりが
あるというのです?」
「……現在の精霊神信仰は、過去の有翼人支配の名残という事だ」
 その疑問に、ギルは要点を端的に説明する事で答えた。

「レイフェリアって……やっぱり、女神様じゃ……」
 女性――レイフェリアの名乗りに、リックが呆然と呟いた。その呟きを、レ
イフェリアはいいえ、と短く否定する。
「え……でも……」
『わたくしは、神などではありません……わたくしをそう見たてた人たちはい
たかも知れませんが、わたくしは、この都市の機能の一部……もはや、それだ
けの存在なのです』
 どことなく寂しげにレイフェリアはこう説明した。シーラとリックは困惑し
つつ顔を見合わせる。
『全き翼持つ、最後の子供たち……できるなら、あなたたちがここに戻らずに
すむ事を願っていました。古き時の呪縛に囚われる事なく、生きて行けるなら
と……』
「え……」
「あの……あたしたち、戻ってきちゃいけなかったんですか?」
 不安を感じて問うと、レイフェリアはまた、いいえ、と短い否定を返した。
『あなたたちを縛りたくなかった……それは、わたくしのわがままに過ぎませ
ん。動き出した運命は、何らかの形で止めなくてはなりません。そのために、
あなたたちをここへ呼びました。全てを伝え……そして、終わりにするために』

「有翼人支配の……名残?」
 ギルの淡白な説明を、ラヴェイトは戸惑いを込めて繰り返した。
「そうだ。今から五百年前、この都市……エデンの住人は大陸の全てを支配し
ていた。都市を空に浮かべ、それを可能にした強大な力を持って、君臨してい
たのだ」
 再び歩き出しつつ、ギルは静かに語り始める。

『この都市は元々、地上で迫害を受けていた翼の民が作り上げた人工の楽園で
した。精霊たちに依存する魔法と独自の機械技術……ある意味では、迫害の一
因とも言えたそれらを駆使して作られた空中都市――この場所で、翼の民は穏
やかな日々を過ごしていたのです』

「だが、時が経つにつれて翼の民に慢心が生じた。都市すら空に浮かべる自分
たちは、支配者たるべき存在なのだと。
 一部に生じたその考えは過去のいわれなき迫害への憤りを取り込み、瞬く間
に翼の民全体の総意となった」

『……そのような考えを持つ事、それ自体が間違いであると、その時は誰一人
として気づく事はありませんでした。
 そして、翼の民は白き翼の民リューナの中から一人の娘を選び出し、白き翼
の『調和者』レデュア・リューナという称号を与えて都市の、そして世界の象
徴としたのです』

「都市の有する圧倒的な破壊力と、選ばれた娘の神々しさに地上の民はひれ伏
した。大陸の支配者としての地位を得た翼の民は、それでも、しばらくは結束
し、善政をしいていたのだがな……」

「でも……どうして、その統治は終わってしまったんですか?」
 有翼人による大陸支配の始まりについて語るとレイフェリアは沈黙してしま
い、シーラは恐る恐るその続きを促した。

「時間を経て、結束が乱れた……一部の者に、より強い選民意識が生じたので
すね?」
 ため息で言葉を途切れさせたギルに、ラヴェイトが静かに問いかける。

『翼の民の間に、いさかいが生じたのです。都市の象徴である『調和者』を擁
する白き翼の民リューナは、自分たちが世界の頂点に立つ者である、と主張し
始めました……』

「その歪んだ思想は同族迫害に及び、灰翼の民ノーヴァがその標的とされた。
白でもなければ黒でもない、下賎の翼を持つ者としてな」

『勿論、全ての白き翼の民がその考えに賛同した訳ではありません。黒き翼の
民ラーヴァも、強く反発しました。当代の『調和者』もその考え方は誤りであ
ると何度も訴えましたが……彼らは、それを聞き入れてはくれませんでした』

「そして、自らを賢人と称する愚者ども、白き翼の『賢人議会』フォルグ・ゼ
ア・リューナは灰翼の民に対する弾圧を始め、それに反発する者が抵抗運動を
始め……楽園であったはずの都市の中で、争いが始まった」

『都市の内部で始まった争いは、思わぬ事態を招き寄せました。精霊の加護が、
失われ始めたのです。
 翼の民の象徴とも言うべき翼――それは、精霊たちの寵愛の証でした。しか
し、精霊の加護が失われるのと同時に、その証である翼もまた、失われていき
ました』

「成人の翼は崩れ落ち、赤子には正常な翼がない。その状況にあってもなお、
自称『賢人』どもは考えを改めず、全てを灰翼の民へと転嫁する始末だった。
 そんな中、当代の『調和者』であったレイフェリアと、その『守護者』であ
ったリーヴェリオスがそれぞれの伴侶と子を成し、そして、その子供たちは正
常な――全き翼を持っていた」

「もしかして、それが……」
『そう……あなたたちです』
 リックの問いかけに、レイフェリアは静かに頷いた。

「それが『マッタキツバサモツ サイゴノコ』という言葉の意味なのですね?」
 ラヴェイトの問いにギルはそうだ、と頷き、ユーリが怪訝そうに眉を寄せた。
「どういう事だ?」
「以前、負の生命波に接した時、その中に残っていた思念がそう言っていたん
です。あの思念たちが、何故ああまでして翼に固執していたのか、今の話で理
解できました」
 ユーリの疑問に、ラヴェイトはため息まじりにこう答える。ユーリは眉を寄
せたままばりばりと頭を掻き、それから一つ息を吐いた。
「ややっこしい事は置いとくとして、だ。で、それから一体、どんな経緯でこ
の都市は落っこちたんだ?」

「それで、それから、どうなったんですか?」
 沈黙を経て、再びリックが問いかける。それにレイフェリアが答えるまで、
やや間が空いた。
『……正常な翼を持つ子供たちの誕生を、『賢人議会』は自分たちに都合よく
解釈し、それまでの在り方を強引に通しました。
 しかし、実際には都市に対する精霊の加護はないに等しく、また、技術者で
あった灰翼の民を虐げた事により、機械的な制御もままならなくなっている都
市が墜落するのは時間の問題でした。
 わたくしは……数人の同志と共に、都市を地上への影響の少ない場所に落と
す事を決めました』

「『調和者』と『守護者』、そして『調和者』の伴侶であった『制御者』は、
灰翼の民の指導者であった『調律者』と連携し、翼を無くした民を地上へと逃
がした。表向きは、翼を失った者を追放する、という名目でな。
 そうする事で自称『賢人』どもを欺き、そして、都市をこの場所へと移動さ
せた」

『もしできるなら、あなたたちもその時に都市から解放したかった……ですが、
『賢人議会』はその意図に気づき、あなたたちを連れて脱出しようとした先代
の黒き翼の『守護者』ゼオ・ラーヴァ・リーヴェリオスを裏切り者として抹殺
しました』
「……っ!?」
 苦々しげな言葉に、リックが息を飲む。
「先代の、黒き翼の、『守護者』? もしかして……」
『そう……あなたのお父様です、新たなる『守護者』よ』
「オレの……父さん……」
 呟くリックの声は、微かに震えていた。シーラは何を言えばいいのかわから
ず、ただ、リックの腕に掴まる手に力を込める。リックは無言で、シーラの手
に重ねた方の手に力を込めた。

「死に瀕した『守護者』は『調律者』に我が子を託し、『調律者』は託された
子供に『守護者』としての役割を引き継がせた。『調和者』の子は『制御者』
が自称『賢人』どもから奪い返したが、子供たちを外に出す事は既に不可能だ
った。
 『調和者』と『制御者』は我が子に都市機能の全てを管理する『監視者』と
しての役目を与え、全き翼持つ最後の子らはその時を止め、眠りに就いた」

「都市機能の、『監視者』……『監視者』って、あたしって、一体何なんです
か!?」
 その言葉を耳にしてからずっと抱えていた疑問。それを、シーラは夢中で投
げかけていた。

「それが、シーラとゼオ……いや、リックっつったか? その二人って訳か」
 ユーリがため息まじりに呟き、それに、ギルはそうだ、と頷く。
「しかし、『監視者』とは何なのですか? この都市の再度の飛翔を望む者は
最後の希望、新たな女神などと称しているようですが」
 続けてラヴェイトが問うのと同時に、ギルはまた足を止めた。彼らの前には
冷たい鉄の扉がそびえ、道を塞いでいる。その扉はギルが手を触れる事ですっ
とその口を開き、彼らを奥へと受け入れた。
「文字通りの意味だ。『監視者』とは『調和者』の後継者……都市を再び飛翔
させる力を持つ、唯一の存在にして、新たな女神となるべき者なのだ」

『白き翼の『監視者』ライア・リューナ……『調和者』であるわたくしと、白
き翼の『制御者』カノン・リューナ・レイファシスの役目を併せ持つ者。それ
は、堕ちた都市の機能を管理し、その行く先を定められる唯一の存在なのです』
「都市の……行く先?」
 レイフェリアの静かな説明に、シーラはやや首を傾げた。
『都市を落とす際、わたくしは都市機能その物と一体化し、わたくし自身を封
印として全ての機能を封じました。何者にも、都市を飛翔させぬために。
 その封印を解き、都市機能に干渉できる者……それが、『監視者』なのです』

「凍結した都市機能を復活させ、再び天空に飛翔させるには、『監視者』がそ
れを成さねばならぬ。
 だが、『監視者』は赤子のままで眠りに就き、その眠りを覚ます事は亡者ど
もには不可能だった……『調和者』が、自らの領域で『監視者』を眠らせたが
ために、ヤツらは干渉する事ができなかったのだ。
 その状況のまま五百年の時が過ぎ、いつか、有翼人の存在は忘れ去られた。
だが、天空から人々を統治した乙女の姿は記憶から消える事は無く、それは精
霊神として崇められる存在へと変化していった」
「それが、精霊神信仰の始まり……」
「で、その女神の大元になった美人さんの後継者であるシーラは、新たな女神
サマってーコトか」
 ラヴェイトとユーリ、それぞれの呟きに、ギルはそうだ、と頷いた。

「封印を解き、機能に干渉……封印を解いたら、どうなるんですか?」
『都市機能が回復しますが……それは、望ましい事ではありません』
 シーラの問いにレイフェリアは静かに、そしてはっきりとこう言いきった。
『この都市には既に、飛翔する意義は無いのです。翼の民は地上の民として生
きていけます……楽園と言う名の閉じた場所に、閉じこもる必要はないのです』

「だが、それを理解できぬ者どもがいる。過去の栄光にすがる亡者どもがな。
ヤツらを滅ぼし、そして、この都市その物を破壊せねばならぬ。それが……」
「それが、十六年前に始めちまった亡者さんの宴会を、お開きにする唯一の方
法ってワケか」
 ぼやくようなユーリの言葉に、ギルはあっさりそうだ、と頷いた。ユーリは
やれやれ、と大げさなため息をつき、それから、妙にぼんやりとしたラヴェイ
トの様子に気づいて眉を寄せた。
「おい、どした、ラヴェイト?」
「……え? あ……何でしょうか?」
 呼びかけに、ラヴェイトはとぼけた口調でこう返してきた。ピント外れの反
応に、ユーリの表情が険しくなる。
「何でしょうか、じゃねーだろ、ぼんやりして?」
「え……大丈夫、ですよ」
「大丈夫ってな……ホントかよ?」
「はい……」
「ってな……」
「どうやら、侵食されているようだな」
 かみ合わない会話をする二人に、ギルが淡々とこう言った。
「侵食?」
「亡者どもの抱える思念が、意識に干渉している。この場所に対する耐性が低
いため、影響を受けやすいのだろう……精霊の加護がなければ、意識を奪われ
ていたな」
 不思議そうな二人に、ギルは冷静な口調でかなりとんでもない事を言っての
けた。
「……ヤバイのか、そりゃ?」
「亡者の影響が、良い作用のはずがない。これを、持っておけ」
 ユーリに答えつつ、ギルはオレンジ色に輝く石をラヴェイトに手渡した。
「これは……これも、エレメント・コアですか?」
 手渡されたそれをラヴェイトは不思議そうに見つめ、ちらりと一瞥したユー
リは何故かため息をついた。
「昔、そいつを持ってたヤツは、食われちまった気がするが?」
「あとは、精神力の問題だ。侵食されきる前に、亡者どもを滅ぼしてしまえば
よいだけの事」
 ため息まじりの問いに、ギルは事も無げにこう言いきる。
「……だとさ。行けそうか、ラヴェイト?」
 投げやりな問いと共に振り返るユーリに、ラヴェイトは渡された物――土の
エレメント・コアを握り締めつつはい、と頷いた。
「ここまで来て、ぼくだけ除け者はないでしょう? 行きますよ……全てを、
見届けるために」
 静かな宣言にユーリはにやりと笑い、再びギルを見る。
「ってワケで……これから、どこに行くんだ?」
「白き翼の『制御者』カノン・リューナ・レイファシスの許へ。亡者どもを押
さえ込むのも、そろそろ限界のはずだ」
「レイファシス……あの、旦那のとこか」
 ギルの答えにユーリは低くこう呟いた。
「知っているのですか、その方の事を?」
 その様子にラヴェイトが怪訝そうに問うと、ユーリはああ、と頷く。
「十六年前……ズタボロになった俺を拾って、生命と交換条件でシーラを連れ
出させた御本人……ある意味、この宴会の仕掛け人だな」
 ふっと笑いつつ、ユーリはさらりと問いに答えていた。

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