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「それにしても、一体どうしてこんな所に? 確か峠の登り口、封鎖されたん
じゃなかったの?」
 一人一人に客室を割り当てた後、ヴィノナは四人を居間へと案内した。温か
いお茶と菓子が振る舞われ、その直後にヴィノナはルアにこう問いかけてくる。
「わかってて、聞くか普通? ここ通ってバルディニア以外のどこに行くんだ
よ?」
「トルレシアにも、行けるじゃない」
 その問いらルアは何を今更、と言わんばかりに答えるが、ヴィノナは平然と
してこう返してくる。ちなみにトルレシアとは山向こうにある、商売人の国の
事だ。
「行ってどうすんだよ?」
 その問い返しに思わず呆れたような声を上げると、ヴィノナはそーねー、と
言いつつひょい、と肩をすくめて見せた。
「ま、坊やが商売やるとは思えないけどね。どーせ、できっこないし」
 それから、ごくさらりとこう言ってのける。この一言にルアは露骨にむっと
したように眉を寄せた。
「……その、坊やっての、やめろよなー」
 商売ができないだろう、という突っ込みには返す言葉もないし反論する気も
ないが、やはり、『坊や』という呼びかけは露骨な子供扱いで癪に障る。
「なあーに言ってんのよ! やっと十八になったくらいで、ナマ言うんじゃな
いの!」
「へん、二十九のオバサンに、言われたかないね」
「言ってくれるわねえ……口が悪いったら!」
「あの……お二人は、どういったお知り合いなんでしょうか?」
 漫才のような会話を繰り広げるルアとヴィノナに、マルトが遠慮がちに問い
を投げかけた。
「え? ああ……簡単な事よ。坊やのお父さんと、あたしが知り合いだったの」
 だから、昔馴染みって訳、と事もなげに言って、ヴィノナはカップを傾ける。
「大魔導師ヴィノナ様……ですよね? ルアのお父上……カーレル様と、共に
冒険された」
 その説明に、リーンが確かめるようにこう問いかける。
「やあねえ! そんなに畏まらないでよ! 大魔導師って言ったって、そんな
大層なもんじゃないんだから!」
 それに対し、ヴィノナはころころと微笑って軽く、髪をかきあげた。
「? 失礼だが……あなたは、よもや……」
 突然、シェアラが訝しげな声を上げた。ヴィノナの耳が、人間にしては大き
めなのを目に留めたのだ。
「え? ああ、そうよ半妖精。あなたは……あたしんとことは違うみたいね?」
 これまた、あっけらかん、と答えるヴィノナである。大抵、こういう出自を
語る時には暗くなりがちなのだが彼女には屈託がない。
「わたしは、古森妖精族。そう言えば、まだ名乗っていなかったな。わたしは
シェレイエル・クァラス・ルイディオーラ……皆には、シェアラ、と呼ばれて
いる」
「ご丁寧に、どうも。古森妖精かあ……うちじゃ、神様扱いだったわね」
「あなたは、いずれの血族なのだ?」
 シェアラの問いに、ヴィノナは思案するように首を傾げて頬に指を添えた。
「あたし? あたしは、母親がトキアの森の生まれだったらしいわ。あたし、
父親の故郷で生まれて育てられたから、良くは知らないんだけど」
「そうか……」
 ここで、シェアラは何事か思案するように目を閉じた。
「トキアの森……最も、排他思想の強かった一族が移り住んだと記憶している
……よく、外に出て行ったな、あなたの母上は」
「家出だったらしいわ。それで、人間に感化されたんですって……あら? 古
森妖精は、半妖精の事、何とも思わないの?」
 不思議そうに問うヴィノナに、シェアラは目を開けて怪訝そうに眉を寄せた。
「むしろ、素晴らしいと思うのだがな……異なる二つの種族の架け橋であると
は、思わぬのか?」
 逆に問われて、今度はヴィノナが思案する。
「んーと……あれは、ルクリの森? あそこじゃ、全然歓迎されなかったわね。
むしろ、冷たい目で見られたかな」
「ルクリの森か……上位種族思考が強いからな、あの地の一族は」
「森妖精と一言に言っても、色々な方がいるのですね……」
 カップを両手で持って冷ましながら、マルトがごく素直な感想を漏らした。
「人間と同じだよ、マルト。人間だって、いろんな性格の人がいるだろ? 基
本的には、同じなんだよ……」
 それに対しリーンが静かな口調で言うと、ヴィノナは意外そうな目をそちら
に向けた。
「さらっと真理ついてくれるわね……そういえば、あなたの名前は?」
「リーンといいます。自由騎士リーン」
「自由騎士? それにしちゃ、随分と若いみたいだけど……二十歳前でしょ?」
「ちょっとあって、特別に名乗らせて貰ってるんです」
 リーンの返事にふうん、と言うと、ヴィノナは次にマルトに目を向けた。
「あなたは? 見たところ、ラーラ神の司祭のようね?」
「はい。ラドニアの神殿で修行を積んでおります、マルトと申します」
 カップを置いて、座ったままではあるが丁寧な礼をすると、ヴィノナは満足
そうな笑みを浮かべて礼を返した。
「さすがは女神の司祭ねぇ。礼儀正しいわ、どっかの誰かさんと違って!」
「……うるせーな……」
 笑いながらの言葉に、ルアは不機嫌な表情でそっぽを向く。
「さてさて……それでは久しぶりに腕によりをかけましょうか! あ、でも、
ちょっと覚悟しといてね」
「……味をか?」
「殴るわよ、あんた……そうじゃなくて、天気! ここんとこ不安定なのよ。
長く荒れるかもしれないわ」
「うげ! また足止めになんのか!?」
 ヴィノナの言葉に、ルアは天井を仰いだ。
「またって、なにそれ?」
「古の森で一月だぜ? 止めてくれよ……」
 ばりばりと頭を掻きつつこう言うと、ルアは自分がここに来た顛末をかい摘
んで説明した。
「……素直じゃないわね、あんたは……」
 一通り話を聞くと、ヴィノナはぽつん、とこう呟く。
「ほっとけよ」
 それに、ルアは目をそらしてぼそり、とこう返した。
「ちっちゃい頃は、すーぐに騙される純な坊やだったのにねー。つまんないの」
「その経験が、今のオレを構築したんだよ!」
「やあねえ、責任転嫁あ?」
「……問題が違う気もするが……」
 ぼそり、とシェアラが呟いて、リーンがうん、と頷いた。

  ルアとヴィノナの軽口を聞きつつ夕食を終え、割り当てられた部屋に入った
途端、リーンは全身の力が抜けるのを感じた。押さえ込んでいた疲れが一気に
出たらしい。
「……そう言えば、お風呂に入れるって言ってたな……」
 部屋に戻る間際のヴィノナの言葉を思い出し、部屋の中をぐるりと見回す。
ベッドの寄せてある反対側の壁に小さな扉が付いており、開けてみるとまずま
ずの広さの浴室と湯気をたてる浴槽が目に入った。この部屋は本来、修行に来
た魔道士志願の弟子たちが使うための物で、一通りの設備が整っているのだ。
「ん、ちょうどいい感じだね」
 お湯の温度を確かめると、リーンは部屋に戻って扉にしっかりと鍵をかけた。
寝間着とタオルは言われた通り棚に入っている。大きさのあう物を選んでから
鎧を外し、服を脱ぎ始めた。
 着ている物を脱ぐと、華奢な肢体が現れる。とはいえ、ただ華奢なのではな
い。その身体は騎士としての修行によって鍛えられ、無駄なく引き締まってい
た。上半身には、胸元から腹部にかけて白い布がぎっちりと巻き付けられてい
る。
「……久しぶりに解けるね……」
 呟きながら、そっと布を解いてゆく。布を解いた下から現れたのは、ふっく
らと柔らかそうな胸元を備えた、繊い少女の肢体だった。普段圧縮されている
ためか乳房はやや小振りだが、形は悪くない。
「傷……残ってるな……」
 部屋に備付けの鏡の所に行って、背中を写してみる。ドラゴンの鉤爪の痕は、
白い背中に歪に残っていた。肩口から走る亀裂に、男装が不要になったとして
も、肩や背中を見せるドレスは着れないな……などと言う事をふっと考えてし
まう。
「……今更後悔しても、始まらないよね……自分の意思で受けたような傷なん
だし」
 小さなため息をついて鏡から離れ、浴室へと向かう。髪と身体に付いた埃を
洗い落とし、髪を纏めて浴槽に漬かると、リーンはまた小さくため息をついた。
「それにしても……ほんっとに、鈍感なんだから、ルアは……」
 浴槽の中で身体を伸ばしつつ、リーンはぼんやりとルアの事を思った。
「どうして、気づいてくれないんだろ……? やっぱり……忘れちゃってるの
かな、わたしの事……」
 そう考えると、やや切ない。だが、他に理由は考えられなかった。
「お願いだから、早く、気がついて……でないと……」
 でないと、自分の心に押し潰されてしまうから、と、リーンは声に出さずに
呟いた。切なげな横顔は、恋する少女のそれだ。
 しかして、こうした乙女心は、往々にして相手には届かぬものなのである。
まして相手が誰もが認める朴念仁では何をか言わんや、だろう。
 リーン自身もそれは感じている。が、自分からそれを伝える事には、色々と
抵抗があった。
「……ルア……」
 近くにいるのに距離は遠い存在の名を呟くと、リーンは膝を抱えて軽く、目
を閉じた。

 嵐は、それから一週間続いてぱたり、とやんだ。嵐の去った後の空は拍子抜
けするほどに快晴で、四人はまた天気が荒れる前に、と慌ただしく出発の準備
に取りかかった。
「ところで、坊や。あんた、どのルートで進むのこの先?」
 ヴィノナがいきなりこんな事を問いかけてきたのは、嵐の去った日の昼の事
だった。
「へ? どのルートって……峠越えて、地下迷宮……」
「そうじゃなくて、峠を下りるルート! いくらなんでも、このまま登山道行
くつもりはないんでしょ?」
「……」
 図星だった。故に、ルアはそのまま黙り込んでしまう。そして、その沈黙か
ら答えを察したヴィノナは、やれやれ、と言いつつ大げさなため息をついた。
「呆れた……それじゃ、殺して下さいって言ってるようなもんじゃない! し
っかたないわねえ……途中まで、安全なルートを案内してあげるわ」
「ヴィノナさま!」
 ポウナが唐突に大声を上げる。慌てているらしい使い魔を、ヴィノナはそっ
と撫でてやった。
「大丈夫よポウナ。この坊やと来たらまったく……無計画な所は、カーレルそ
っくりね!」
「親父と、一緒にすんなよ!」
 さらりと言われた言葉にむっとしつつ反論するものの、
「仕方ないじゃない、やってる事がそっくりなんだから」
「……確かにな……」
 ヴィノナには再びさらりと返され、更にシェアラの呟きに止めを刺される結
果となった。
「ヴィノナさまあ……」
 そんな中、妙に不安げなポウナが、羽ばたきながら声を上げる。
「心配性ね、この子は……」
 困ったような表情で、ヴィノナはポウナの頭を撫でた。
「心配しないの! 結界の先には、どうせ行けないんだから……」
 ヴィノナが何と言っても、ポウナの瞳の不安は消えなかった。それでも、時
間をかけてなだめすかすと、ようやくポウナは納得したようだった。
「結界……魔王の、暗黒障壁か?」
 そのやり取りの中に出てきた言葉に、ルアは真剣な声で問いを投げかける。
 魔王の居城バルディニア周辺は、二重三重の障害に護られている。
 城を取り巻く沸騰湖とその外周を包む魔の樹海。そして、それらの全域を包
み込む暗黒障壁。
 沸騰湖はその名の通り湖水が常に煮えたぎる湖で、これを越えるには地下を
通る必要がある。その地下迷宮は虚無の迷宮と呼ばれ、その入口は一か所に止
まらず、妖かしの存在たちの楽園・魔の樹海を動き回っている……というのが、
定説だった。
 この中でも際立って厄介なのが、暗黒障壁だった。何が厄介と言って詳細が
不明なのである。一体どんな効果を持つ障壁なのか、触れると一体どうなるの
か……それに触れた経験のあるヴィノナは、言葉を濁して多くを語ろうとしな
い。
「そ、その暗黒障壁。ちょっとあってね、あたし、その先に行けないのよ……
だから、途中まで。いいでしょ?」
「別に、無理する必要、ねえよ」
 やや素っ気なく言い放った言葉に、ヴィノナは小さくありがと、と呟いた。
「それで、いつ出発する?」
 話が一段落した、と見たのか、食後のお茶を啜りつつ、シェアラが問いかけ
てくる。
「善は急げってね。片づけおわったら、すぐ行っちゃいましょ!」
「あいっかわらずせっかちだな……」
「一週間ものんびりしてたクセに! 良く言うわね」
「好きで、のんびりしてたわけじゃねーよ!」
「はいはい、わかったから、吠えるんじゃないの!」
 例によってルアがあしらわれ、二人の掛け合いは終わった。

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