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 それから約二ヵ月の間は特に何事もなく、一行は難なくファミアス領を抜け、
オーウェン大寺院領へと差しかかっていた。
 ここに至るまでゼファーグ軍と遭遇する事はなかったものの、途中立ち寄っ
た村や宿場で耳にした噂に芳しいものは無かった。ローゼス卿は以前言ってい
た通りゼファーグと各国に対して非干渉宣言を出したらしく、ファミアスとの
間に非干渉条約を締結したゼファーグ神聖騎士団は、オーウェンとアーヴェン
に向けて進軍を開始したとの事だった。
「取りあえず、東側から抑えに来たか……」
 オーウェン大寺院へと続く山道を歩きつつ、リューディはため息まじりにこ
う呟いた。
「ま、東側の騎士、戦士団には力があるのが多いからな……実質最強のフレイ
ルーン聖騎士団を沈黙させて、レイザード天馬騎士団が動かないって確約を手
に入れたら、次の標的はオーウェン武闘僧兵団かアルスィード魔導騎士団って
のがパターンだろ。
 西側で驚異になる可能性があるのは、風家のフェーナディア弓騎士団だけだ
しな……星家のティシェルは学術都市だから、戦力ねえし」
 その呟きに、レヴィッドが冷静な分析を交えてこう返す。二人の半歩後ろを
天馬の手綱を取って歩くファミーナの表情は、やや沈みがちだった。
(どうして、戦う事、立ち向かう事を否定するのですか、父上……?)
「……ファミーナさん?」
 俯いて下唇を噛みしめるファミーナに、天馬の背を借りているミュリアが心
配そうに呼びかけた。ファミーナははっと顔を上げ、なに? と問いかける。
「あ、いえ……何だか、元気がないから、どうしたのかなって……」
「え? あ、だいじょぶだいじょぶ、ちょっと、ぼんやりしてただけだから!」
 心配そうな問いかけに、ファミーナははっきりそれとわかる空元気で明るく
答えた。そんなファミーナの様子にリューディとレヴィッドは顔を見合わせ、
それぞれがため息をつき、肩をすくめる。
 ファミアスの非干渉宣言に最もショックを受けているのが彼女なのは、誰の
目にも明らかだった。とはいえ、事が事だけに慰めようというものがないので
ある。まして勝気なファミーナの事、下手に慰めようものなら逆にヒステリー
を起こしかねないだろう。
「……あれ?」
 不意に、先頭を歩いていたカールィが訝しげな声を上げた。
「どうした、カールィ?」
「この先の、曲がり角の向こう……人の気配がする……」
 レヴィッドの軽い問いにカールィは低くこう答え、この言葉にリューディた
ちは気を引き締めた。やや間を置いて、ファミーナが低く問う。
「なに……敵?」
「……わからん。少し、様子を見た方が……」
 様子を見た方がいい、と言うリューディの言葉を遮るように、前方からどお
んっ!という爆発音が聞こえた。一行はそれぞれ顔を見合わせ、そして。
「カールィ、ミューを頼むぞ!」
 リューディが剣を抜き放ってこう怒鳴った。レヴィッドも槍の包みを解き、
カールィは弓の状態を確かめる。ファミーナは天馬の首筋をぽんぽん、と叩き
つつ、動かないように、と指示を与えてから手綱を離して腰に下げたレイピア
を抜いた。
「リューディ、気をつけて……」
「わかってる……よし、行くぞ!」
 不安げなミュリアに答えつつ、リューディは前に走り出す。角を曲がった先
はやや開けた空間になっており、そこには見覚えのある鎧の一団──ゼファー
グ神聖騎士団の姿があった。そして──。
「あれは……まさかっ!?」
 神聖騎士団の向こうには、青毛の馬に跨がったまだ若い騎士の姿があった。
銀の鎧に、鮮やかな真紅の髪と瞳──一度見たらまず忘れそうにない、印象的
な色彩を持つその騎士は。
「リンナ……リンナかっ!?」
 ゼファーグ進軍直後から行方の知れなかった、リンナ・フレイルーンその人
だった。
「……! リューディ!?」
 声に気づいたリンナがこちらを振り返る。同時に、神聖騎士団が一斉にリュ
ーディたちの方に向き直った。敵の注意が自分から外れると、リンナは自分の
後ろに乗っている少女を振り返った。
「マール、しっかり掴まって」
「ど、どうするのよ?」
「ここを突破して、リューディと合流する。このままじゃ各個撃破されるのが
オチだ」
「む、無茶言わないでよお!」
「……行くよ!」
 不平申し立てる少女の言葉を完全に無視して、リンナはレヴァーサを走らせ
る。レヴァーサは鋭い嘶きでリンナに答え、神聖騎士団の中に突撃した。
「なっ……」
「どわっ!」
 突然の事に神聖騎士たちは慌てて道を開ける。逃げ後れた数人はまともには
ね飛ばされたようだが、そんな事は当然、お構いなしだ。
「リューディ!」
「リンナ、無事だったのか!」
「何とかねっ!」
「ちょっとお、人の話を聞きなさいよねえ!」
 歓喜に彩られた顔で言葉を交わす二人の間に、先ほど完全に意見を無視され
た少女──マールが苛立たしげに割り込んだ。マールはまったくもう、と文句
を言いつつ、レヴァーサの背から降りる。その動きに伴い、明るいオレンジ色
の髪と鮮やかな真紅のマントの裾がふわりと翻り、水晶の眼鏡が光を弾いた。
「ごめんごめん……っと、今は、それ所じゃないんだよねっ!」
 マールに軽く答えつつ、リンナは今突破してきた神聖騎士団を振り返った。
リューディも気を引き締めてそちらに向き直る。神聖騎士団は既に態勢を整え、
身構えている。
「……数では負けてるな」
 槍を構えつつ、レヴィッドが低く呟く。
「これでも、ちょっとは削ったんだけどね」
 その呟きに、リンナが馬から降りて剣を抜きながらこう答えた。空間的な狭
さから、騎馬での戦闘は得策ではない、と判断したのだ。
「さっきの爆発音か?」
「ああ……マール、援護は頼むよ」
「はいはい……仕方ないわね」
 ぶつぶつと文句を言いつつ、マールは手にした杖を構えて力を集中する。ど
うやら、彼女は魔法の使い手らしい。
「……我が盟友たる、猛る炎の精霊よ……」
 低い呪文の詠唱を背後に聞きつつ、リューディ、リンナ、レヴィッド、ファ
ミーナの四人は敵陣に突入した。やや間を置いて、カールィの援護射撃が始ま
る。
「その熱き炎の一端を我に託し、我が力と成せ……火炎陣!」
 マールの呪文に応じてその手の杖に紅い光が灯り、それはふわりと飛び立っ
て火炎球に姿を変えた。火炎球は空中で四つに別れ、それぞれが神聖騎士の中
に飛び込んで爆発する。どおんっ!という炸裂音と共に神聖騎士の態勢が崩れ、
その一点からリューディたちは敵を切り崩していった。敵の数が意外に少なか
った事もあり、勝利は確実と思えた。が──
「……何だ何だ、ったく……こんなガキどもに、いいようにしてやられるなよ
なぁ」
 リューディたちが勝利を確信した直後に、太い声が呆れたように言うのが聞
こえた。
「……っ!!」
 その声を聞いた途端、リンナの表情が険しくなる。ただならぬ雰囲気にリュ
ーディたちも気を引き締めた。
「……ラ……ラグロウス殿……」
 負傷した騎士が名を呼ぶのに応えるように、横の茂みから巨漢の傭兵騎士が
姿を見せる。ラグロヴスはぐるりと状況を見回し、自分を睨むリンナに目を止
め、ほう、と声を上げた。
「よお、フレイルーンの直系の坊主じゃねえか……生きてたとは運がいいのか、
それとも悪いのかねえ?」
 軽い口調で言いつつ、ゆっくりと距離を詰めてくる。一見すると全く無防備
だが、その実、一部の隙もなくぴん、と張り詰めた様子に、リューディたちは
誰一人仕掛ける事ができなかった。そうこうしている間にラグロウスは悠然と
リューディたちの目の前にやって来て、倒れている騎士を肩ごしに振り返る。
「……お前らは下がりな。本隊が来る前に、無駄な消耗をする必要はねえ」
「はっ……しかし、ラグロウス殿は……」
「あん? すぐに追っかけるさ。ホレ、さっさと行きな」
 ぞんざいな指示を出すと、ラグロウスはこちらに向き直ってリンナを見た。
リンナは真紅の瞳にはっきりそれとわかる怒りを宿して傭兵騎士を睨み付ける。
「さて……久しぶりだな、坊主」
「……坊主じゃない。ぼくは、リンナ・フレイルーンだ」
 低い名乗りに、ラグロウスはにやり、と口元を笑みの形に歪めた。
「こいつは悪かった……オレはラグロウス・ヴェナレスク、ゼファーグの客将
だ」
 どこまでも余裕綽々と言った体を崩さず、ラグロウスは自分の名を告げる。
リンナは微動だにせず傭兵騎士を睨み付けていたが、やがて絶叫と共にラグロ
ウスに切りかかった。
「……甘いっ!」
 ラグロヴスは事も無げにその一撃を受け止め、リンナをはね飛ばす。リンナ
は立ち上がって再び挑みかかるが、この一撃もラグロウスは易々と受け流した。
「踏み込みが甘いぜ、坊主!」
「坊主じゃないって言ってる!」
「坊主じゃねえなら、ただのガキだな!」
「う、うるさいっ!」
「やれやれ、とんでもねえ直情傾向だぜ……兄貴とは、大違いだな」
「だ……黙れえっ!」
 呆れたように吐き捨てられた言葉は、期せずしてリンナのトラウマを刺激し
ていた。リンナは絶叫と共に切りかかるが、ラグロウスは剣を横薙ぎに振るい、
その身をはね飛ばしていた。
「くっ……つうっ……」
「リンナ!」
「だ、大丈夫……」
 こう言っているが、今の一撃が相当な痛手であるのは誰の目にも明らかだっ
た。リューディとレヴィッドはそれぞれの武器を構え、リンナを護るように立
ちはだかる。その様子にラグロウスはふん、と鼻を鳴らした。
「……勝てるつもりか、ヒヨっ子ども?」
「……勝てる勝てないの問題じゃねーんだよ、こーゆーのは」
 淡々と投げかけられた問いに、レヴィッドがこれまた淡々と応じた。
「じゃあ、どういう問題だ?」
「ようやく再会した親友を、みすみす死なせたくない……それだけだ!」
「……若いねえ……」
 叫ぶようなリューディの返答にラグロウスは呆れたような声を上げ、ゆっく
りと剣を構えた。場の緊張が張り詰めて行く──その緊張が、ほぼ限界に達し
たと思われた、その時。
「……はあああああああっ!」
 突然、鋭い気合が天から降ってきた。居合わせた全員が何事かと天を振り仰
ぎ、直後にラグロウスがバックステップで後退した。それに僅かに遅れて、傭
兵騎士の姿があった場所を目掛けて飛翔蹴りの体勢を取った人影が降ってくる。
その姿を見た瞬間、リューディとリンナの顔が歓喜に彩られた。
「……ファビアス兄っ!」
 弾んだ声で名を呼ぶと、突然降ってきた人物──地家当主ファビアスは肩越
しに二人を振り返り、よお、と軽く声をかけてきた。
「ちっ……面倒なのが出てきたな」
 そして、ラグロウスはやや苛立たしげにこんな言葉を吐き捨てた。ファビア
スはそちらを振り返り、鋭くラグロウスを睨み付ける。
「さてどうする、ゼファーグの客将さんよ……ここでオレと一勝負するかい?」
「悪いが、オレは無駄な事はしない主義でな……ここは、引かせてもらうぜ」
 ファビアスの問いに軽く答えると、ラグロウスは部下が撤退して行った方角
へ悠然と姿を消した。ファビアスは鋭い視線を投げかけるものの、追撃はしな
い。無闇に仕掛けて勝てる相手ではない事がわかっているのだろう。
 ラグロウスの姿と気配が完全に消えると、リューディとレヴィッドががっく
ん、とその場に座り込んだ。
「き……きっつ〜! なんなんだよ、あの威圧感はっ!?」
「……ははっ……まだ、背筋、ぞくぞくいってんの……こええ……」
「……や、やっぱり、あいつ……普通じゃない……」
 緊張の糸が切れるなり、リューディ、レヴィッド、リンナはそれぞれこんな
言葉をもらしていた。
「おいおい、情けねえな……しっかりしろってぇの!」
 そんな三人にファビアスが呆れたようにこんな事を言う。三人は顔を見合わ
せてため息をつき、それから、ゆっくりと立ち上がった。
「ま、何はともあれ……無事で良かったぜ。ヴェラに言われて、慌ててすっ飛
んできたんだぜ? あんまり無茶、するなよな」
「あ、ああ……でも、助かったよ、ファビアス兄……それでさ……」
「あー、あー、わあってるって……とにかく、まずは寺院まで来いや。ヴェラ
が待ってるし、お前らもへたばってるだろ?」
 ファビアスのこの言葉に逆らう理由は無かった。ファビアスに連れられ山道
を登って行くと、程なく険しい岩山の一画を切り開いて建てられた厳めしい寺
院が目に入る。オーウェン大寺院──大地母神とも呼ばれる地の精霊神オルレ
アナ信仰の中心地だ。
「師範、お戻りですか!」
 天然岩を利用した厳めしい門に近づくと、門を守っている武闘僧が声をかけ
てきた。
「おう、戻ったぜ。この後は誰も通らねえだろうから、門を閉めとけ。ゼファ
ーグ神聖騎士団が意外に近くまで来てるんでな、警戒は怠るなよ」
「はっ!」
「おう、頼むぜ!」
 武闘僧に指示を出すと、ファビアスはリューディを振り返った。
「さて、行くか。ヴェラの奴、待たせるとうるさいからな」
 冗談めかした言葉にリューディは思わず笑みをもらし、難しい顔をしていた
リンナも心持ち表情を緩め──直後に、二人揃って表情を引きつらせた。
「あん、どした?」
 状況を把握していないファビアスは呑気な口調で硬直した二人に問い、
「うるさい、とはご挨拶ですわねぇ」
 背後から投げかけられた涼やかな声に、ぴっきぃーん、と音入りで硬直した。
いつの間にやって来たのか、ファビアスの後ろに一人の女性が立って、澄んだ
アクアブルーの瞳で彼を睨むように見つめていたのだ。
「どわわっ、ヴェラ!? い、いたのかよ!」
 露骨に慌てながら問うファビアスに、女性──十二聖騎士侯・夢のマリレナ
家当主であるヴェラシア・ヴェラ・マリレナはにこにこと笑いながら頷いて見
せた。ただし目は笑っていないため、非常に怖い。
「あ、あのな、今のは別にだな……」
「言い訳は、後でゆーっくりとお聞きしますわね、ファビアス? それよりも
……久しぶりね、リューディス、リンナ。ファミーナも良く来てくれました」
 しどろもどろの弁解を始めるファビアスを一言で黙らせると、ヴェラシアは
リューディ、リンナ、ファミーナの三人にこう言って笑いかけた。
「さ、いつまでもこんな所で立ち話と言う訳にも行きませんし……中で、これ
からの事を話しましょうか? お疲れの人もいらっしゃるようですしね……」
 言いつつ、ヴェラシアはリューディたちの向こうに視線をずらす。その視線
を辿って振り返ったリューディは、天馬の上のミュリアの顔色の悪さにぎょっ
としてそちらに駆け寄った。
「ミュー!?」
「だ……大丈夫……」
「馬鹿、何が大丈夫だよ!」
 か細い声で答えるミュリアに怒鳴るようにこう言うと、リューディはミュリ
アを天馬から下ろして抱き上げた。
「長旅でまいっちまったんだな……まずは、ゆっくり休ませてやんな」
 どうにか気を取り直したらしいファビアスの言葉にリューディは一つ頷いて、
腕の中でぐったりとしているミュリアを見つめた。

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