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「……失敗した……と、言うのだね?」
「有体に言えばそういう事です」
 魔導の水晶球を介して投げかけられた問いに、ガルォードは実に淡々とこう
答えた。この返事に問いを投げかけた相手──ゼファーグ王クィラルはくくっ
と楽しげな笑い声を上げる。
「やれやれ……君がこの程度の役目でミスを犯すとは……ラグロウス殿の手綱
でも取り損ねたかい?」
「……そんな、持っても無意味な物はとっくに捨てておりますよ」
 相変わらずからかうような問いにガルォードは不機嫌な様子でこう答え、ク
ィラルはあはは、と声を上げて笑った。
「……笑い事ではないのですよ、クィラル!」
 脳天気な反応にガルォードは思わず声を荒らげていた。その様子にクィラル
は笑うのを止め、訝しげな表情をガルォードに向ける。
「何があったんだい?」
「姫君の側に、予定外の騎士がついておりました」
 静かな問いにガルォードはため息まじりにこう答え、その答えにクィラルは
やや眉を寄せる。
「予定外の騎士?」
「はい……月家直系の者が、ラファティアに……」
 ガルォードの言葉に、クィラルの表情がすっと引き締まった。
「月家直系……ライオス侯の忘れ形見……リューディスか」
 確かめるようにこう呟くとクィラルはふう、と息を吐き、それから、またの
んびりとした様子に戻って言った。
「では、姫君は彼と共にいる、と……確かにこれは予定外だね」
「またそんな、人事のように……まったく、貴方と言う人は……」
 渋い顔で言うガルォードに、クィラルはごめんごめん、と言いつつ、くくっ
と笑った。
「まぁ、そういう事情ではね……それで、フレイルーンの方は?」
「直系リンナの行方は杳として知れません」
「ふむ。そうなると、ラファティアに長居は無用、か……フェンレイン傭兵団
を後詰めとして送ってある。ガルォード、君はファミアスへ。レイザードの方
に当たってくれ」
「レイザード……ですか」
 クィラルの言葉に、ガルォードはやや嫌そうに眉をひそめた。
「そう、レイザードだ。巧くやってくれよ、頼りにしてるんだから。それでも、
あまり無理はしないようにね、私がシュアナに叱られてしまう」
「……はいはい……」
 大仰なため息と共にこんな言葉を吐き出すと、ガルォードは水晶球の越しの
通話を終えた。それから一つ息をついて額に手をやり、前髪をかき上げる。
「仕方がない、とわかってはいても……何ともはや、損な役回りをしているも
のですね、我々は……」
 誰に言うでなくこんな呟きをもらすと、ガルォードは水晶球に布を被せて立
ち上がった。

「……どうにかって、感じだな……」
 カールィの案内で抜け道を通り、ラファティアを囲む森の中に抜け出すと、
リューディは誰に言うでなくこんな事を呟いていた。それに、レヴィッドがあ
あ、と応じる。
「ミュー、大丈夫か?」
 額の汗を拭って一息つくと、リューディは傍らのミュリアを振り返った。ミ
ュリアはうん、と頷いて答える。その返事に一まず安堵すると、リューディは
ふう、とため息をついて空を見やった。どたばたしている間に日は暮れており、
梢越しに見える空は銀砂を散りばめた夜蒼色に染まっていた。
「さてと……取りあえずは凌げたけど、これからが問題だな……一体、どーや
ってファミアスまで行ったもんか……」
「街道は、使えねえからな」
 レヴィッドの低い呟きに、リューディは難しい顔でああ、と頷いた。
 当座の目的地である自治都市ファミアスとラファティアの間には、国境線を
兼ねる険しい山脈が横たわっている。この為ラファティアからファミアスに向
かうには、共通の隣国である自治都市アーヴェン領を経由してこの山を迂回す
る街道を通るのが常となっているのだが、その唯一のルートをゼファーグが抑
えていないはずはないだろう。
 間道を抜けて行けなくもないが、相当な遠回りを強いられるのは否めない。
だからと言って、こんな準備も整っていない状態で山脈を抜けるのは自殺行為
だ。
「八方手詰まりかよ……参るな……」
 梢越しの夜空を見上げつつ、リューディは重いため息と共にこんな言葉を吐
き出した。レヴィッドも難しい面持ちで目の前の地面を睨み付けている。そん
な、緊迫した二人に今一つついて行けないミュリアとカールィは困惑した面持
ちで顔を見合わせ、それから、カールィが軽い口調でこんな事を言った。
「取りあえずさ、どっかで一休みしない? ずーっと走り回りっぱなしでさ、
オレ、腹ぺこだよぉ〜」
 脳天気ここに極まれり、な発言に、緊迫していた二人はがっくんっ、と音入
りでコケた。それから互いに顔を見合わせ、気の抜けたため息をつく。とはい
え、カールィの言う事にも一理ある。とにかく、朝食を取ってから何も食べて
はいないのだ。そしてその事実を認識した途端、緊張の連続で忘れていた空腹
感がその存在を主張し始めた。
 リューディはレヴィッドと苦笑めいた笑みを交わすと、いつの間にか座り込
んでいたミュリアを振り返った。ミュリアも彼らと同様に空腹感に襲われてい
るらしく、ややきまり悪そうな、でもすがるような目でじっとこちらを見つめ
ていた。
「取りあえず、もう少し街から離れようぜ。んで、どっかで魚でも採って、休
もう。カールィ、その辺は任すぜ」
「ほぉ〜い♪」
 リューディの言葉に、カールィは相変わらず脳天気こう応じた。どんな事態
にあってもめげると落ち込むという単語とは無縁と言われるカールィの明るさ
はこんな時、ちょっとした安らぎとなってくれる。
「ミュー、歩けそうか?」
 心持ち表情を和らげつつ、リューディは座り込むミュリアに問いかけた。ミ
ュリアはふるふると首を横に振ってそれに答える。予想通りの返事に苦笑しつ
つ、リューディはミュリアの小柄な身体をひょい、と抱き上げた。ミュリアは
驚いたようにきゃっ、と短く声を上げ、それからぎゅっとリューディにしがみ
ついてくる。
「お二人さん、行こーぜ」
 そこにレヴィッドが声をかけ、四人はカールィを先頭に森の中を移動する。
木々の間をしばらく進むと、せせらぎの音が耳に届いた。そこから更に進むと、
小川のほとりの小広場にたどり着く。リューディは草の上にミュリアを下ろし、
レヴィッド、カールィらと手分けして野宿の準備に取りかかる。
 レヴィッドが槍を器用に使って魚を採り、それをカールィがさばいて、リュ
ーディが集めた薪で火を起こして焼く。追撃隊がいないとも限らないため、火
は短時間燃やすに止めておいた。
「しかし、これからどーするよ、ほんとに?」
 空腹が治まると、レヴィッドがどこか投げ遣りにリューディに問う。リュー
ディはそうだな、と呟いて空を見上げた。
「なんとか、ファミアスか……でなきゃオーウェンに行きたいんだが……難し
いよな」
「ファミアス行けねってのに、その先のオーウェンに行こうってのは無理だっ
て! ま……お前が何当て込んでるのかは、一応わかるけどさ。いずれにしろ、
難しいぜ、それ」
「……なんだよなあ……」
 重いため息まじりの呟きを最後に、川辺の小広場は沈黙に閉ざされた。カー
ルィは早くも身体を丸めて眠り込み、ミュリアもリューディの隣でうつらうつ
らしている。落ち着いた事で溜まっていた疲れが一気に出たのだろう。レヴィ
ッドはしばらく沈黙していたが、やがて、がじがじと頭を掻きつつこんな事を
言った。
「ま、とにかく、今は休むか。ここでうだうだってても、何の解決にもなりゃ
しねえって……そーだろ?」
 ある意味、正論である。故に、リューディはそうだな、とそれに頷いた。
「じゃ、オレ、寝るわ。お休み」
「ああ……」
「……一人で悩んでねーで、さっさと寝ろよ」
 この一言にリューディは苦笑しつつわかってるよ、と答えた。そして、レヴ
ィッドは槍を抱えるようにして目を閉じ、小広場はせせらぎだけが微かに響く
静寂に包まれる。
「…………」
 仲間たちが眠りにつくと、リューディは左手首の腕輪──エレメントリング
を見やった。腕輪の黒曜石はひそやかな煌めきを放っている。しばしその煌め
きを見つめると、リューディは傍らのミュリアを見た。
 ミュリアは抱えた膝に寄りかかるようにして眠り込んでいる。その寝顔には
疲労こそ色濃いものの、不安はあまり見られなかった。父の事やこれからの事
など、とにかく不安材料だけはかなりあるはずだが、リューディといる、とい
う事実がそれらを退けるだけの力を持っているのだ。そしてそれは、リューデ
ィにとっても同じだった。
(それにしても、どうなってるんだ? なんでディセファード家が、他の聖騎
士侯の血を絶やそうなんて……そんな事して、一体何になるってんだよ……?)
 考えても考えても、とにかく、この一点がわからない。リューディはしばら
くあれこれと考えを巡らせていたが、結局途中でそれを断念した。
(レヴィッドの言う通りだな……今は、あれこれ考えても始まらない……とに
かく、オレはオレのやるべき事をやる……ミューを、護りきるだけだ)
 眠るミュリアの肩をそっと、護るように抱き寄せつつ、リューディは改めて
こう決意を固めていた。

 明けて、翌日。
「さて、んじゃどーする?」
 昨夜と同じく焼き魚で簡単な朝食を取ると、早速レヴィッドがこう問いかけ
てきた。
「とにかく、ダメ元だけど間道通ってファミアスを目指そう……時間はかかる
けど、街道を突破するよりは芽がある」
 それに、リューディはきっぱりとこう答える。どうやらこの返事は予想通り
だったらしく、レヴィッドはやれやれ、という感じで肩をすくめた。
「……!? リューディ!」
 不意に、カールィがはっと空を見上げて厳しい声を上げた。リューディとレ
ヴィッドは表情を引き締めてそちらを見る。
「どうした、カールィ!?」
「上……空から……なんか来るよ!」
「……上から?」
「……まぁた、化け蜂の群れかよ?」
「んにゃ、違う……人の気配もするし……来るよ!」
 嫌そうなレヴィッドの問いにカールィが答えた直後に、何かが頭上をざっと
通り過ぎ、まだ弱い日差しを陰らせた。
「……あれは……ペガサス?」
 通り過ぎた影の正体に気づいたリューディが訝しげに呟く。突然の影は翼を
持った幻獣ペガサス──天馬とも呼ばれる、飛行生物だったのだ。そしてその
背には、小柄な人影が見受けられた。どうやら野性のペガサスではなく、乗用
の訓練を受けたものであるらしい。
「……まさか……レイザードの天馬騎士か?」
 訝しげに呟いていると、通り過ぎたペガサスが戻ってきて対岸に降り立った。
一拍間を置いてその背に跨がっていた人物が飛び降りる。降りてきたのはリュ
ーディと同い年くらいの栗色の髪の少女であり、その顔に、リューディは微か
に見覚えがあった。
「……!? まさか……ファミーナか!?」
「あはっ、やっぱり! 久しぶりね、リューディ!」
 戸惑いながらの呟きを、少女──ファミーナは明るい口調で肯定した。
「……知り合いか、リューディ?」
 呆気に取られているリューディにレヴィッドが怪訝そうに問う。この問いに
我に返ったリューディは、ああ、と一つ頷いた。
「ファミーナ・レイザード……十二聖騎士侯・雷のレイザード家のお転婆姫だ」
 気を取り直して簡単な紹介をすると、さすがにファミーナはむっとしたよう
だった。
「むっ……五年ぶり会ったと思えばご挨拶ね」
「お転婆をお転婆って言って、何が悪い? っと、そんな事よりファミーナ、
ファミアスは無事か!?」
 それにさらりと切り返した直後に肝心な事を思い出したリューディは、勢い
込んでファミーナに問いかけた。突然の問いにファミーナはきょとん、と瞬く。
「無事かって……当たり前じゃない? っと、それより、聞きたいのはこっち
よ! ラファティアで一体、何があったの!? ゼファーグとの国境近くで、フ
レイルーン聖騎士団の第一隊が、壊滅してたって言うじゃない!」
 慌てたように問いかけてくるファミーナの言葉に、リューディは元より、レ
ヴィッドやカールィ、ミュリアも息を飲んでいた。
「それ、ほんとか!? それで、リンナは!?」
「え……リンナ? 彼は、見つかってないらしいけど……ねぇ、何があったの
よ?」
 勢い込んだ問いにファミーナは眉を寄せ、それから、不安げにこう問いかけ
てきた。
「オレにも、良くわからん……わかってるのは、ゼファーグが『安寧の盟約』
を破ってラファティアに攻め込んで来たって事だけだ」
 吐き捨てるようなリューディの答えに、ファミーナは大きなアメジスト色の
瞳を更に大きく見開いて素っ頓狂な声を上げる。
「な……何よ、それえっ!?」
「だから、良くわからんって言ったろ!? とにかく、急いでローゼス卿に会わ
なきゃならないんだ。お前んとこの天馬騎士隊に、拾いに来てもらえないか?」
「って……いいわ、ちょっとここで待ってて。あたしの隊が近くに待機してる
から、呼んでくるわ」
 突然の事に戸惑いつつ、しかし、急を要すると悟ったファミーナはこう言っ
てペガサスに飛び乗った。白い天馬が翼を広げて空に舞い上がる。
「……これで何とか……なってくれよ」
 青に飲まれていく白を見送りつつ、リューディは切実な思いを込めてこう呟
いていた。

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