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 それと、多少時間は前後する。
「……ですから、何度も申し上げておりますように、我々には侵略の意思は無
いのですよ、クォーガ殿」
「大軍を持って国境を侵し、有無を言わせず城壁を破壊する事を侵略と呼ばず
して、何と呼ばれるのですかな?」
 クォーガ邸の書斎では、こんな陰険漫才が延々と繰り返されていた。
「ですからそれは、無謀な指揮官の独断によるものなのですよ。無意味な破壊
は、我らが王の本意ではありませぬ」
「ほう……そのような将に一軍を任せるとは……ゼファーグの聖王家らしから
ぬ事を」
 クォーガの一言に魔導師ガルォードの表情を一瞬、憤りが過った。しかし、
ガルォードはすぐさまそれを押し込め、更に言葉を継ぐ。
「まぁ、良いでしょう。このままこの事を論じていても、時を浪費するのみで
すからな」
 言葉と共に、ガルォードの表情に微妙な変化が現れた。それまでの妙に飄々
とした雰囲気は影を潜め、冷徹とも思える冷たい雰囲気がそれまでのものに取
って代わる。
「……!?」
 地下を走るリューディが書斎の下にたどり着いたのは、それとほぼ同じ頃だ
った。上から伝わるただならぬ雰囲気に、リューディは気を引き締めて耳をそ
ばだてる。
「これ以上、無駄な時は過ごせませんのでね、単刀直入に用件を申しましょう
……貴公の娘、ミュリア嬢をこちらに引き渡して頂きたい」
 ガルォードの言葉はリューディとクォーガ、それぞれに困惑と衝撃を与えた。
沈黙が場を支配し、僅かに緊張を帯びたクォーガの問いがそれを打ち破る。
「それはまた……何故に?」
「それが必要な事だから……とだけ申し上げておきましょう。それ以上の言葉
は、許されておりませんのでね」
 強張った問いにガルォードは慇懃な口調でさらりと答える。クォーガは探る
ような視線を目の前の魔導師へと向けるが、ガルォードは平然とその視線を受
け止め、不敵に笑うのみだった。
「……そのような曖昧な理由付けで一人娘を差し出せ、と言われて、頷く者が
あるとお思いか?」
「あり得んでしょうな」
 低く押し殺した声で問うクォーガにガルォードは平然とこう答え、更にこう
続けた。
「元より、おとなしく姫君を引き渡して頂けるなどとは最初から思っておりま
せんよ……無論、そうして頂ければ、こちらとしても手間が省けたのですけど
ね……」
 言葉に共にすい、と差し上げられた手の上に、突然炎が舞い降りる。
「とはいえ、省けぬ手間なら時を割くのも止むを得ませんからな……無理にで
も、連れ去らせて頂きますよ」
 物騒な事を言うなり、ガルォードは後ろに控えていた騎士を振り返った。
「全隊に伝令! 出口を全て封鎖し、街の内部を徹底的に捜索せよ! 目標は
ミュリアという名の十五の娘。手段は問わん、また、邪魔する者に容赦は一切
無用!」
 鋭い声に騎士は一礼してその場を走り去る。そして、ガルォードは突然の事
に呆然としているクォーガを悠然と振り返った。
「き……貴様、一体……一体、何を考えているのだ!?」
「もちろん、主命を果たす事ですよ」
 上擦った声で問うクォーガに、ガルォードは平然としてこう答えた。炎を灯
した手が優雅とも言える動きで翻り、揺らめく力をひょい、と無造作に解き放
つ──クォーガへ向けて。
「……やらすかよっ!」
 その瞬間、地下で沈黙していたリューディが動いた。落とし戸をはね上げて
書斎に飛び出したリューディは、突然の事に呆然と立ち尽くすクォーガを突き
飛ばして寸での所で炎を避けさせる。
「おやおや、これは意外なガーディアンがいたものだ……まあいい、我等の目
的は、あくまで姫君の奪取。ザコにかかずらう暇はないのでな、これで失礼す
る!」
 突然現れたリューディにさしものガルォードも驚いたようだったが、魔導師
はすぐに余裕を取り戻してこう言い放ち、ふっと姿を消した。空間転移──テ
レポートの術で何処か別の場所へと移動したのだろう。その気配が消えると、
リューディはふう……と息をついてクォーガを振り返る。
「無事か、大旦那!」
「あ、ああ、助かったよ……! そ、そうだ、それよりも、ミュリア!」
 クォーガはしばらく呆然としていたが、はっと我に返るなり大声を上げた。
「落ち着いてくれよ! ミューなら今、親方と一緒に神殿に向かってる。オレ
もすぐに追いかけるから、大丈夫だ!」
 動転するクォーガにリューディはきっぱりとこう宣言し、その力強い言葉に
クォーガは僅かだが冷静さを取り戻す。直後に窓の向こうからドゴオンっ! 
という轟音が響き、一度は鎮まった火の手が再び上がり始めた。
「っでえい、フレイムゴーストかあいつは!?」
 翻る炎にリューディは思わずこんな事を口走る。その一方でクォーガはゆっ
くりと立ち上がり、書斎の隅に置かれた古びた箱に近づいてその傍らに膝を突
いた。
「……大旦那?」
 突然聞こえたかちり、という音を訝しんでクォーガを振り返ったリューディ
は、その手に握られた二つの品に息を飲んだ。
 細身だが、かなりの長さを備えた剣と銀細工の腕輪──どちらの品にも大粒
の黒曜石があしらわれ、神秘的な光彩を放っている。そしてその両方に、リュ
ーディは確かな見覚えがあった。
「大旦那……それ……」
「ライオス殿からの預かり物だ。今を置いて、これを君に渡す時はあるまい」
 戸惑うリューディにクォーガは静かな口調で告げ、剣と腕輪を差し出した。
しかし、何故かリューディは目を伏せ、クォーガから視線を逸らしてしまう。
いつもなら迷いを写す事など無い夜蒼色の瞳には、らしからぬ困惑が浮かんで
いた。
「リューディ……リューディス、時間がない。頼む、ミュリアを護ってやって
くれ!」
 この一言にリューディははっと顔を上げてクォーガを見た。クォーガは静か
な瞳でじっとこちらを見つめている。リューディはしばしその目を見つめ、そ
れから、ふう……とため息をついた。
「……わかったよ、大旦那。結果がどう出るかはわかんねえけど……とにかく、
やれる事はやってみる」
 ため息に続けてこんな言葉を吐き出すと、リューディは表情を引き締め、ま
ずは腕輪を受け取り、左手首にはめた。腕輪の黒曜石が美しく澄んだ黒の光を
放ち、その輝きが自分の中で眠っていた『力』を目覚めさせていくのが感じら
れる。その光が静まるのを待って、リューディは剣を受け取った。
「リューディス、これを君に預けておく」
 剣と腕輪をリューディに渡すとクォーガは机の方に向かい、引き出しの中か
ら宝石で飾られた小箱を取り出した。
「……これは?」
「妻の形見だ。もしこれが必要となる時が来たらミュリアに渡してもらいたい」
 こう言いつつクォーガはリューディに箱を渡し、それから、ため息まじりに
こんな言葉を付け加えた。
「無論、その時が訪れずに済むのならば、私はそれを願いたいがな……」
「大旦那? それって、どういう……」
「……時間がない、急いでくれリューディス。私は、店の者を取りまとめてか
ら避難する」
「あ、ああ……気をつけて」
「君もな……ミュリアを頼むぞ」
 この言葉に力強く頷くと、リューディは再び地下道に飛び込んだ。地下を満
たす薄暗闇に身を預けると、先ほどまではごく微かにしか感じ取れなかった存
在──力の流れがはっきりと感じられる。リューディは一つ深呼吸をしてから
記憶を探った。空間を満たす力の流れに、特定の形を与える言葉を探していく。
ほどなくその言葉を探し当てたリューディは、先ほど目覚めた力を腕輪に集中
し、探し当てた言葉で周囲の力の流れに働きかけた。
「我が盟友たる清らなる闇、我が言に応え、その力を示せ……秘術、闇渡り!」
 言葉に応じて腕輪の黒曜石が光を放った。光はくるっとリューディを包み込
み、そのままふいっと消えてしまう。後には何者の姿も残らず、ただ、地下の
薄暗闇が何事も無かったかのように揺らめくばかりだった。

「……!?」
 突然悪寒を感じたような気がして、ミュリアは思わず足を止めて周囲を見回
した。
「お嬢さん?」
 突然足を止めてしまったミュリアを人足頭が訝しげに振り返る。それにちょ
っと、と答えて、ミュリアは今まで走って来た地下道を振り返った。その様子
に、人足頭はやれやれと言いつつため息をつく。
「お嬢さん、そんなに心配しなくても大丈夫ですって! リューディも大旦那
も、ちゃんと来ますよ」
「うん……」
 その事は彼女もわかってはいるが、しかし、不意の悪寒が招いた不安は心の
奥に深く根を下ろし、ミュリアに前進をためらわせた。
「ほら、お嬢さん、先に進みましょうや。神殿で待ってりゃリューディもすぐ
に……」
 すぐに来るはずですよ、という頭の言葉を遮って、
 ……ドオンっ!
 という轟音が空間に響きわたり、合わせるようにミュリアと人足頭の間の天
井が崩れ、二人を遮る瓦礫の山を築いた。突然の事に、ミュリアは呆然とその
場に座り込んでしまう。
「な、何だ、一体何が……お嬢さん、大丈夫ですかい!?」
「え……あ……はい……」
 呆然としていると瓦礫の向こうから頭の声が聞こえ、その声に我に返ったミ
ュリアは状況を把握すべく周囲を見回し、頭上の人影に気がついた。突然開い
た穴の縁に魔導師風の男が立って、こちらを見下ろしているのだ。
「……だ……誰?」
「ミュリア・クォーガ様ですね?」
 震える声で問うと、男は逆にこう問い返してきた。ミュリアは戸惑いつつも
一つ頷く。
「私はガルォード・ラーヴィス。神聖王国ゼファーグの王、クィラル陛下の命
により、貴女をお迎えに参りました」
 ミュリアの肯定に男──ガルォードは得たり、とばかりににやりと笑い、そ
れから表情を改め、慇懃な口調で言いつつ優雅に一礼してみせた。
「……ゼファーグの……王?」
「お嬢さん! お嬢さん、どうしたんです!?」
 戸惑うミュリアに人足頭が瓦礫の向こうから呼びかけてきた。今、頭とミュ
リアの間は瓦礫で完全に埋まっているため、こちらの様子はわからないのだ。
「あ、あの……ええと……」
 とはいえ、問われた方とてこの状況をどう説明すればいいのか見当がつかな
い。困惑して口ごもっていると、ガルォードが目の前に飛び下りて来た。ミュ
リアは座り込んだまま、反射的に後ずさる。
「恐れる事はありません……さあ、こちらへ」
 丁寧な言葉と共にガルォードが手を差し延べるが、ミュリアはいやいや、と
いう感じで首を横に振りつつじりじりと後ずさる。この男について行ってはい
けない──理屈ではなく、感覚がそう警告を発していた。
「……やれやれ……困りますねえ、そういう態度を取られては。こちらとして
も、手荒な真似は極力避けたいのです。おとなしく、私と共にゼファーグへお
いで下さい」
 後ずさるミュリアにガルォードは心持ち表情を厳しくしつつ、こう言ってゆ
っくりと距離を詰めた。ミュリアは更に後ずさり、それから、弾かれたように
立ち上がって地下道の奥へと走り出した。
「……やれやれ……」
 対するガルォードは特に慌てた様子もなく、つい、と手にした杖を振る。た
だそれだけの動作で魔導師の姿はその場から消え失せ、
「無駄な事はお止めなさい」
 次の瞬間には走るミュリアの前方に現れた。突然の事にミュリアは驚いて足
を止め、反動でその場に尻餅をついた。
「これ以上、手間を取らせないで頂きたいものですね……さあ、私と共に聖都
へ来ていただきますよ」
 静かな気迫を込めて言いつつ、ガルォードはゆっくりと距離を詰めてくる。
ミュリアはぎゅっと目を瞑って身体を固くし、
「……リューディ……」
 消え入りそうな声でリューディを呼んだ。
「……ミュー!」
 次の瞬間、その呟きに応えるかのように力強い声が響いた。はっと目を開け
たミュリアは目の前に立つその姿に顔を輝かせる。
「リューディっ!」
「ミュー、大丈夫か!?」
 肩ごしに振り返って問うリューディに、ミュリアはこくん、と頷いて応える。
この返事にリューディは安堵の息をもらし、それから表情を引き締めてガルォ
ードに対峙した。
「な……何だと? 貴様、一体……」
 一方のガルォードは、突然目の前に現れたリューディに少なからず動揺して
いた。特に無空間から突然姿を現す、というその特異な現れ方が動揺を募らせ
る。ガルォードは困惑した視線をリューディに投げかけ、ふと、その手の腕輪
に目を止めてはっと息を飲んだ。
「……それは、エレメントリング……!? 貴様、十二家の者か!?」
 ガルォードの問いに、リューディは一つ頷いた。
 エレメントリング──精霊の環とはその名の通り、世界の均衡を保つ精霊の
力を秘めた腕輪や指輪等の装身具の事だ。これらは精霊の強い加護を受けた十
二聖騎士侯家の者、その中でも特に強くその血と力を受け継いだ直系の者しか
身に着ける事はできない。それを腕にはめている、という現実が導く結論はた
だ一つ、リューディが聖騎士侯家直系の血族である──という事実だけだ。
「オレは、リューディス……リューディス・アルヴァシア! 亡きライオス・
ザン・アルヴァシアが一子にして、十二聖騎士侯・月のアルヴァシア家、正統
継承者たる者!」
 動揺するガルォードに、リューディはきっぱりとこう言い切った。ガルォー
ドの表情を刹那、焦りが過る。
(よりによって月のアルヴァシア家だと? ちい……厄介なガーディアンがい
てくれる……)
 魔導師の中で苛立ちと焦燥が交錯する──が、一瞬の後にはガルォードはそ
れらを全て押さえ込み、余裕の笑みを形作っていた。
「なるほど……ナイト登場、と言う訳か。しかし、ただ一人で何ができるとい
うのかね?」
 その笑みを貼り付けたまま、ガルォードは淡々とこう問いかけてきた。
「……何だと?」
「ただ一人きりでゼファーグ神聖騎士団一個師団を相手取れるつもりだとした
ら……月のアルヴァシア家は、愚か者の誹りを免れる事はできぬ、という事だ」
「く……」
 道理である。それだけに、リューディは思わず言葉に詰まった。
「悪い事は言わん、投降したまえ。他の聖騎士候家であれば命の保証はしかね
るが、月のアルヴァシア家とあれば話は別だからな」
 そこにガルォードが畳みかけるようにこんな事を言い、その言葉にリューデ
ィはふと疑問を感じて、なに? と低い声を上げていた。
「……他の聖騎士候家の命の保証はしかねる……だと? どういう意味だ!?」
「言葉通りだ。自治都市領の聖騎士侯家の血を絶やす事もまた、我々の任務な
のでな」
「聖騎士侯家の血を……絶やす!?」
 瞬間、リューディの脳裏を、昨夜から行方の知れない幼なじみの姿が過った。
「そんな……まさか貴様ら、リンナを!?」
 叫ぶような問いに、ガルォードは薄く笑ってみせた。
「生憎と取り逃がしたがな……まあ、発見は時間の問題と言った所だろう」
「何だと……貴様っ!」
 ヴンっ!
 怒声とともに抜き放たれた剣が大気を引き裂く──が、銀の刃は魔導師を捉
える事なく、ただ大気のみを切り裂いた。
「無駄な抵抗を……するつもりらしいな?」
 瞬間的な空間転移で刃をかい潜ったガルォードは、露骨に呆れた口調で問う。
それに、リューディは剣をしっかり握って身構える事で答えた。
「……愚かな……」
「愚かと言われようと何と言われようと! そんなバカげた話を聞いて、おと
なしく従えるか!」
「そうか……あくまで逆らおうと言うなら、こちらも容赦はせんぞ」
「貴様らに頭を下げて、容赦を頼む謂われはない!」
 淡々と言うガルォードにリューディはきっぱりとこう返し、それから、状況
について行けず呆然と座り込んでいるミュリアの手を取って立たせた。
「……リューディ……」
「ミュー、絶対、手、離すな」
 震える声を上げるミュリアにリューディは静かな口調でこう告げる。ミュリ
アはこくんと頷き、リューディの手を握る手にぎゅっと力を込めた。
「取りあえず、逃げるぞ! 秘術、闇渡り!」
 自分も手に力を込めつつ、リューディは素早くエレメントリングに力を集中
した。黒く澄んだ光が瞬き、リューディとミュリアの姿が消え失せる。
「……闇渡り……か。なら、直に街の外には出れんな。と、なれば……」
 後に残ったガルォードは冷静な口調でこう呟き、つい、と杖を振った。空間
転移の魔力が生じ、魔導師もまた、その場から姿を消す。


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